X



小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0274N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/13(水) 18:01:45.24
あれ? 小林秀雄スレが復活してる。このあいだの板落ちのあと、このスレだけ
復活しなくて、なんでだろ〜?って思ってたんだが。ツールか何か使って落としたような
形跡もあったね。このスレが見られないときに専ブラでこのスレみたら、このスレ
なぜか1000まで埋まってて。

>>263
まあ小林が大江との話で「大江はキチガイだ」といった可能性はあるが、それだけで
大江が泣くかねえ? 追悼パーティーでの会話なんだから、小林が大江にむかって
故人の渡辺を罵倒しつくしたなんて考えにくいんだが。つまりもうちょっとしみじみした
逸話を語られて、大江は泣いたのではないか。「渡辺はキチガイ」と小林がいったという
話もどっかで聞いたことあるが、それは渡辺の追悼パーティーとは別の場所での話で
ふたつの話がひとつになってゴッチャになったとも考えられるね。

>>270
売れる売れないだけを基準にしなくたって、戦後の主要な文学賞の
歴史を概括すれば、プロ文が戦後の主流だったとはとても思えないよね。
0275P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/13(水) 18:09:19.85
>>274
ありがとうございます。具体的な出典が判明するまでは、>>263は疑わしい情報だと考えておく事にします。
0276N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/13(水) 18:09:21.79
>>271
俺もプロレタリア文学と社会主義リアリズムの区別はよくわからなくて
だいたい両者は似たようなものだと思ってるねw 詳しいひとがいたら
解説をお願いしたいところだねw

荒俣宏の「プロレタリア文学はものすごい」を読んでも、プロレタリア文学という
ジャンルは過去形で語るしかない、それが証拠に現存してる数々の作家のうち
自分はプロレタリア作家だと主張してるひとはほとんどいないようにみえる、と
述べているね。作家の主流がプロレタリア作家でないなら、文学の主流も
プロレタリア文学とはいえないのは自明の理といえるね。

>>273
まあそう思ってくれて結構だね。小林は科学的分析を要素還元主義とみなして
それにたいして芸術的直観、芸術の鑑賞や受容というのは、要素還元主義では
説明できないと考えたわけだねw これはベルクソン直伝の思考といえるね。
0277P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/13(水) 18:11:48.47
そもそもプロレタリア文学って当時の世界的な潮流ではあったの?
0278N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/13(水) 18:24:36.57
まあプロレタリア文学が日本では一時期一大勢力をもっていたことは間違いないね。
世界的にプロレタリア文学が一世を風靡したかといえると、これはどうなのかと疑問符が
つくね。ロシア革命後のソ連では、ソビエト共産党が文学をも完全支配して、社会主義
リアリズムこそが唯一の正当な文学形式であるとされ、ロシアの多くの作家が沈黙したり
亡命したりせざるえなくなったわけだね。マヤコフスキーなんかは自殺したりしたわけだね。
しかしスターリン批判のあとは、ソ連の文学界も多少雪解けムードがでて、性の問題が
扱われるようになったりした、などと小林秀雄は英国の雑誌の批評をひいて語っていたね。

まあヨーロッパでは、ジイドやロマン・ロランがソ連シンパになったりしたが、思想上の
シンパシーであって、ジイドやロマン・ロランが社会主義リアリズム作家であったとは
いえないよね。
0279N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/13(水) 18:46:18.59
>>274のレスの上から五行目
大江はキチガイだ」というのは、「渡辺はキチガイだ」の間違いね。
0280吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/14(木) 05:21:13.96
要するにプロ文というのは、あらゆる芸術は階級の解放に奉仕すべきものであって
そうでない文学は暇文学だという当然といえば当然な論理的帰結の産物なのだ。

「だが、我々はいかなる時も、芥川氏の文学を批判し切る野蛮な情熱を持たねばならない。
『敗北』の文学を――そしてその階級的土壌を我々は踏み越えて往かなければならない

今読むと基地外だよね。

それで小林は及び腰ながら「マルクスの悟達」なんか書いたわけだが、別にプロ文否定したわけじゃない。
土壌といえばこういう土壌だからこそ「芸術と実生活」論争なんてものも成立した
0281吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/14(木) 12:28:39.14
ネットで見つけた一節だけど、さすがだと思ったから貼っておこう。

「(本質の解明への道という)この点については、人間学の達人である小林秀雄といえども、もっとも貧弱なプロレタリア文学者のひとりにさえ、一歩をゆずらざるをえないのである。」
(吉本隆明『擬制の終焉』)
0282N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/15(金) 02:30:20.17
吉本のそれ、小林を褒めてるようにしか見えないw 人間学の達人なんて
評してるし。小林のプロ文学者に対する批評とは比べものにならんね。
0283吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/15(金) 20:27:44.29
>>282
褒めてないよw

吉本は小林のことを、鋭いけど無意味な批評といってるんだから。
0284P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/15(金) 22:12:22.41
吉本隆明の言ってる事も大概意味わかんない僕は特殊なのかな?
0286P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/16(土) 07:22:21.14
論理展開がわからない事が多い。「転向論」とかはわかるけど。
0287N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 10:35:40.18
>>283
吉本の>>281は、「一歩譲らざるえない」といってるので、これは相対的な比較に
すぎず、プロレタリア文学者の文学に絶対的価値があり、小林秀雄は無価値という
デジタル的価値判断やってるわけではなく、相対的な価値判断であるね。
つまり小林は無価値という評価は、どう逆立ちしたって>>281からは出てこないと
いえるねw

「本質の解明への道」というのは、これまたどうとでも取れる言葉であって、その
本質なるものが人間知の領域に属するとして、小林は相対的にプロレタリア文学者に
及ばないところがあるならば、一応インテリには属するプロレタリア文学者といえど
文学についてまったく無知なその辺のうら若き女性に人間知において及ばないと
いうことがあるわけで、つまり人間知なる曖昧な評価基準のもとでは、ピラミッド的
絶対評価はなりたたず、小林より相対的に優れているはずのプロレタリア文学者も
また相対的には劣等という話になって、全体の構造はクラインの壺的形態へと
収束していき、小林はプロ文より劣等という発言もピラミッドの頂点にたつ真理では
なくなってしまうといえるねw
0288吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 11:12:47.89
>>287
「一歩をゆずらざるをえない」の前に、「もっとも貧弱なプロレタリア文学者のひとりにさえ」とあるのは無視?

長くなるけど、その前も引用しとく。

「人間を唯一の真実を所有するさまざまな人間にばらまいているのは、ただひとつのおなじ現実だということに驚かなかったため、現実の解析へ、その本質の解明への道はうまれなかった。この点については、」
人間学の・・・ とつづく。
小林は現実を見ようとしていない、と指摘している。

つまり、相対評価ではなく、絶対評価なんだ。
0289N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 11:30:13.39
>>288
無視してないよ〜?
>小林は相対的にプロレタリア文学者に及ばないところがあるならば、一応インテリには
>属するプロレタリア文学者といえど文学についてまったく無知なその辺のうら若き女性に
>人間知において及ばないということがあるわけで

これ読めた?

>>288
現実の本質の解明なんて吉本ですら出来たかどうかあやしいのに、それを小林には
要求できんでしょw 小林を「人間学の達人」と認めてしまってる以上、評価はどうしたって
相対的評価になるね。「人間学の達人」というのが無価値でない限りはね。
0290吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 11:50:38.28
>>289
もっとも貧弱なプロレタリア文学者のひとりでも、「その辺のうら若き女性に人間知において及ばないということ」はない、ということなんだよ。
現実を見る力という意味でね。
逆にいえば、現実を解析するためには、「人間学」(人間知?)に意味はないと吉本はいってるんだ。

その意味で吉本は、小林の「人間学」が「うら若き女性」の「人間知」に及ばないと指摘しているともいえる。

吉本の志向する批評にとっては、「人間学の達人」は無価値なんだ。
批評は個人の感想や相対評価であってはいけない、絶対評価を可能とする基準が必要だ、というのが、吉本の考え方なんだよ。
0291N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 12:02:00.77
>>290
そりゃ芸術や文学の絶対的評価が必要というのは、吉本のみならず
プロレタリア文学全盛期のプロレタリア文学者、プロレタリア文学の
理論家もみんないってたけどね。

しかしまあみんな理論倒れだったわけで、絶対的に現実を照明する理論は
プロ文の理論もつくれなかったわけだねw 吉本だって、プロ文の理論家同様
絶対的現実を解明することを希望していたろうが、彼の理論が現実を解明する
唯一絶対の理論とはいえないので、吉本と君の希望は別にして、小林に
くらべて理論的に絶対的に優れているとはいえないわけだねw 絶対的現実の
解明に吉本が成功して、唯一正しい文学理論として吉本の理論が認められた
ということがない限りはね。
0292吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 12:10:33.52
>>291
社会主義リアリズムも、『言語にとって美とはなにか』も立派な文学理論だよ。
小林には文学理論そのものがない、ということなんだよ。

文学に基準は要らないというなら、それはそれだけのこと。
あとは好みの問題になるだけだけど、自分が好む根拠を考えたければ理論を追及する。
0293N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 12:22:14.99
>>291
小林に芸術理論ないなんてことはないよw 小林の芸術理論はもっぱらベルクソンの
芸術理論にもとづいているんで、小林に理論がないなんて、大いなる誤解といえるねw
他にもいろんな哲学者や文学者の芸術理論を吸収して、自らの著作に反映させて
いるので、そのあたりは吉本と変わらないね。 まあ理論的貢献という面でいえば
小林が独自の芸術理論をうちたてたかというと、そういうことはないといえるねw
0294吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 12:40:29.43
>>293
感情をイメージへ発展させ、言葉へと生育させて、感情を読み取れるようにする。
『時間と自由』の一節を要約してみたけど、こんなところが、ベルクソンの芸術論になるのかな?

小林はどうなんだろう?
なかなか思いつかないな。
0295N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 12:48:14.74
>>294
「私の人生観」という講演のなかで、小林はベルクソンの芸術理論について最も
詳しく述べているので、それ読まないと小林の芸術理論はわからないね。
0296P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/17(日) 13:07:52.18
それの講演録ってありましたっけ?
0300N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 13:27:47.16
>>298
んなことないよ、芸術の目的は「知覚の拡大」にあるというベルクソンの芸術理論は
メルロ=ポンティにも影響を与えていたね。ベルクソンの芸術理論への影響は
小林にとどまらず、フランスにおいてはかなりの影響があったわけで、ドゥルーズに
までその影響は及んでいるといえるね。
0302吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 13:35:38.99
>>300
君の最大の欠点は、シッタカするところ。
それがなければ、君の知識が少しは生きる。
0303N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 13:54:26.73
>>301
メルロポンティにベルクソンの影響が大きいのは一般常識だろうよw ドゥルーズだって
「ベルクソンの哲学」って本書いてるからね。俺はごく一般的な紋切り型の説明してる
だけであるねw

>メルロ=ポンティは、ベルクソンが純粋記憶と純粋知覚、即ち空間的ひろがりのない「心」の在り方と
>時間的持続のない「物」の在り方とを二者択一的に対比して、その両項の問を動揺しながら、両者の
>交差点として身体を捉える考え方を批判しているのである。彼によれば、身体は、主体(心)としての
>意識存在性と客体(物)としての物質存在性という両義的存在性格を分割しがたい形で受肉化したものである。

>メルロ=ポンティはベルクソンを批判するが、しかし湯浅泰雄が適切に指摘するように、彼の考え方には
>ベルクソンの影響が大きいと言わざるをえない。ベルクソンは、「知覚と行動の統一性」の故に、身体を
>「感覚一運動過程」(processus sensori-moteurs)として捉えて、身体のメカニズムを習慣化させる
>「運動的図式」(le scheme moteur)を想定した。メルロ=ポンティは、これに対して表層的な身体即ち
>「現勢的身体」(1e corps actuel)を「感覚一運動回路」(un circuitsensori-moteur)として捉えて、その
>基底に深層的な身体即ち「習慣的身体」(le corps habituel)を想定し、その「習慣的身体」は身体の
>メカニズムを習慣化させる「身体的図式」(schema corporel)によって可能になるものとする。

ドゥルーズと小林については、ドゥルーズのベルクソン論を小林が読んで、「こいつは優秀」といったという
その方面ではそれなりに知られた逸話があるねw
0304吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 14:03:27.40
>>303
それを、シッタカというんだよw
他人の意見を理解もせずに受け売り。
メルロ=ポンティやドゥルーズの主著を1冊でも読んでから書かないとね。
0305N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 14:05:21.90
>>304
じゃあ、俺のいってることは間違いで、メルロポンティにもドゥルーズにも
ベルクソンの影響はないって論証してみろよw 知ったかだろうと何だろうと
1+1=2と考えたら、俺はそれを口にするわけでねw
0306N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 14:09:41.66
まあ知ったかだろうと何だろうと、相手が反証できなけりゃ勝ちですなw
0307吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 14:14:50.19
>>305
メルロ=ポンティやドゥルーズにベルクソンの影響があるかないかが問題なんじゃないだろ?
小林に芸術理論があるかないかを話題にしてる。
言い換えれば、小林が批評の客観的な基準を考えようとしたかしないか、ということだ。

シッタカしてないで、自分で確かめながら考えないといけないよ。
0309吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 14:17:35.52
>>306
勝ちとか負けとか、そんなことが気になるなら、散歩でもして頭を冷やしておいで。
0310N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 14:17:38.34
>>307
>>300について知ったかだという意見がついたので、>>300はベルクソン哲学の
影響についての話なんだから、俺のいうことがただの知ったかかどうかは
>>300の内容について検討すべきといえるねw 小林の「私の人生観」に
ついては俺はきっちり読んでるわけで、明らかに知ったかとは非難できない
わけだねw
0311N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 14:18:48.01
>>308
いややれない言い訳だろうそれはw

>>309
頭を冷やした方がいいのは君の方だろうw まあ君の頭が
熱くなってるのが、こっちにも伝わってくるよw
0312吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 14:28:14.28
>>310>>311
君のは、人の意見の受け売りなんだから、シッタカそのものだよw
君は、自分がシッタカじゃないのは、「私の人生観」についてだけ、と自分で言ってるんだよ?
ベルクソンが誰にどういう影響を与えたかなんてことは、「私の人生観」とは無関係だしね。

おまけで指摘しとくと、君が1冊も読んでないベルクソンやメルロ=ポンティやドゥルーズについて、なにをどう書けば君が理解できると思うんだ?
0313N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 14:55:00.09
>>312
ベルクソンもメルロポンティもドゥルーズも俺が一冊も読んだことないというのは間違いだねw 少なくとも各著者の著作一冊は読んでるからね。
一冊も該当著者の本読んだないなら何もいえないというなら、一冊読めば何かいえるということに、論理的帰結としてなるねw

他に哲学者による解説本も読んだことあるし、それらの知識に基づいて>>300の判断したわけで、それが間違いというなら、根拠に基づき反証すればいいわけだねw
0315N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 17:43:15.44
>>312
ベルクソンは「創造的進化」と「道徳と宗教の二源泉」、メルロポンティは「ヒューマニズムとテロル」
ドゥルーズは「ベルグソンの哲学」「ニーチェ」「哲学とは何か」あたりだね。
0317N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 17:55:29.72
>>315
ベルクソンは主著読んでるよ。 ドゥルーズも主著読むったら、それだけ非常に
手間かかるからねえ。とりあえずベルクソンに関係あるものを読んだのさ。
メルロポンティも手をだすの大変だし、そっちはもっぱら解説書頼みだね。
0318吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 18:25:11.78
>>317
では、あらためて「小林の芸術理論」がどういうものかを説明してみてね。
ベルクソンの芸術理論についてでもいいよ。
社会主義リアリズムや吉本の文学理論に対して、小林の理論がひけを取らないというところを説明して欲しいな。
0319N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 18:45:16.99
>>318
とりあえず「私の人生観」読めとしかいいようがないんだが。今日はもう時間ないし
また今度な。 それとさあ、吉本の文学理論がそんなに優れてるなら、その優れてる
ところの所以を簡潔明快に説明してほしいものだね。そっちが小林の理論について
説明を要求するならば、こっちも要求はだすからね。
0320N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 18:49:17.01
まあ柄谷などはさすがに小林の拠ってたつところを理解していたので
小林はベルクソン=デカルト主義であるといってるね。「私の人生観」で
論じられている西欧の哲学者はもっぱらベルクソンで、1
0321N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/17(日) 18:49:57.52
あ、途中でうっかり書き込んじゃった。続きね。「常識について」では
デカルトが中心的に論じられるわけであるね。
0322吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/17(日) 19:10:00.46
>>319
ああ、吉本の理論を知らずに「小林にくらべて理論的に絶対的に優れているとはいえない」なんて書いたの?
それなら、シッタカといわれてもしょうがないんじゃないか?
君がほんとうに吉本の理論を知らずにそう書いてたんなら、ちゃんと説明してあげるけど?

ちなみに、僕が小林に理論がないと書いたのはこんな一節に不満を持ったからなんだ。

「言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。」
(「美を求める心」)

美は美しいものに宿っているというプラトンを飾り付けただけに見えるんだよね。
0324◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/18(月) 08:50:09.74
>>322
そっちだって、小林に芸術理論あるのしらずに、「小林に理論はない」なんて書いてたんだから
似たようなもんだよねw まあ「近代日本の批評」って本のなかで、浅田彰などは、吉本の
いってることはまったく意味不明っていってたわけで、そういう批判が仮に正しいとすれば
吉本の文学理論は無価値って話になるわけだねw 浅田は当代最高のインテリとして評価
されてるから、浅田の評価の影響ってかなり大きいわけで、吉本も浅田のこと罵倒してたが
罵倒だけじゃあまり説得力がないよね。そういう評価があるなら、吉本の文学理論しらないのは
非常識という話には必ずしもならないよねw まあ柄谷蓮實浅田のなかじゃ、蓮實が吉本の事
一番評価してたが、その評価も理論家としてのものというよりは、もっぱら詩人としての評価で
あったね。 世界的知識人として名が知られていたフーコーと吉本の対談で通訳をつとめたのも
蓮實だそうであるが、フーコーは吉本の文章よんで、この文章は何言ってるか意味わからないって
いったんだってね。そういう噂の影響力を打ち消すためには、やはり吉本の文学理論の意義に
ついて語るのが有益ではないかと思うわけだねw
0325吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/18(月) 11:21:14.97
>>324
知らないんじゃなくて、小林のは「芸術理論」じゃない、と言ってるんだよ。
理論というのは基準を設定するものだが、小林は個人の主観が大切だと言ってるだけだ。
それは理論としての基準にはならない。

君はいつも他人の評価を自分の評価にしてる。
解説や評論は、評価を鵜呑みにするんじゃなくて、内容を理解するための参考にしないといけない。

ちなみに、手紙の噂に事実が含まれていたとしても、フーコーは日本語が読めないから、蓮實(あるいは他の人)が訳した文章が理解できなかったということになることぐらいには気がつくべきだと思う。
蓮實は吉本から新3バカの一人とまで罵倒されていたのに(これは噂じゃなくて事実)、翻訳を引き受けたのは善意であるかどうかはわからない。
仮に悪意があれば(これは推測)、公開されない手紙まで丁寧に訳すことはないかもしれないし、そもそも蓮實(あるいは翻訳者)自身が吉本の論考を理解していたとも思えない。

そうしたことはともかく、君が「私の人生観」を推薦して、もう一人のコテが読んでみると言ってるのだから、しばらく「私の人生観」を軸に意見を交換したいと思うがどうだろう?
よければ、その中で吉本の文学理論も紹介していこうと思うが。
0326N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/18(月) 20:23:59.42
>>325
文学においては主観が重要というのは客観的事実であるといえるねw 吉本は
文学鑑賞の客観的基準を作ろうと努力したわけだろうが、たとえば吉本の
源氏物語論みても、他の源氏研究に比べてむしろ主観的な研究であるといえるね。

>君はいつも他人の評価を自分の評価にしてる。

知ってることなら自分の評価でやれるが、知らないことを知るためには他人の評価を
あてにしなくてはならないことはよくあるわけでねw 早い話がおまえの小林評価に
しても、小林の主要著作みんな読んで評価してるわけではなく、吉本という他人の
評価によりかかっているにすぎないわけだねw

>しばらく「私の人生観」を軸に意見を交換したいと思うがどうだろう?

それは別に問題ないね。ピースは「私の人生観」買ったそうだが、もう読んだのかな?
人生観を語るようになった小林などもうダメだ!と、それで小林を離れた読者もいた
ので、ピースは「Xへの手紙」読めても、こっちを読めるかどうかはわからないね。
0327吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/18(月) 21:53:15.14
>>326
>文学においては主観が重要というのは客観的事実であるといえる

その根拠を示さないといけない。
客観的というのは、根拠があること。

>吉本という他人の評価によりかかっている

それは君の下種の勘繰り。
吉本は、小林は個人の主観が大切だと言ってるだけ、だなんてどこにも書いてない。

>こっちを読めるかどうかはわからない

そんなこと言うのは、その人に失礼じゃないかな?
親しき仲にも礼儀あり、ってね。
そもそも、君自身が「読めてる」かどうか、怪しいもんだよ?

だいたい、君の知らない〈噂の真相〉?まで教えてあげたのに、お礼も言えない礼儀知らずじゃ小林を読む資格にも疑問がついちゃうなw

読書会は、もう一人のコテが了承して、準備ができたら始めよう。
0328N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/18(月) 22:26:41.33
>>327
>その根拠を示さないといけない。客観的というのは、根拠があること。

ひとによってどんな小説が面白いか、その評価は全然違うわけだし
吉本の文学だって、ひとによって評価は全然違うというのは既に示した
事実であるね。文学の評価が客観的であるならば、吉本の評価は誰もが
一致する共通の価値があるはずだが、現実には評価は人によって大幅に
違っているわけだね。これすなわち、文学的評価において主観が重要と
いう証拠といえるねw

>吉本は、小林は個人の主観が大切だと言ってるだけ、だなんてどこにも書いてない。

まあ自然主義文学者ゾラは当時発達していた客観科学にもとづいた小説を
書こうとしたわけだが、できあがった小説は小林曰く「奇怪な夢の塊」だった
わけだね。吉本の文学理論もそのようなものに見えるねw

>そんなこと言うのは、その人に失礼じゃないかな?

まあピースのことはおまえよりはよく知ってるので、余計なお世話だよ。
0329吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/18(月) 23:00:58.23
>>328
>誰もが一致する共通の価値があるはずだ

全員一致じゃないから客観性がない?
全体主義国家なら、全員一致の評価基準になるんだろうけどね。
「わしは、こう思う」「ハイル・ヒトラー!」

>吉本の文学理論もそのようなものに見える

見えてもねえw
『言語にとって美とはなにか』を読んでから、とは言わないけど、せめて吉本の文学理論の骨格ぐらいは把握してからにしなよ。

>余計なお世話

君が「読めて」るか「読めて」ないかは、余計なお世話じゃないと思うよ。

あまりにバカバカしくなってきたから、もう僕はこの手のやり取りには応じない。
君はなにか言い返したいなら、言い返せばいい。

具体的な話題になったら、またレスするよ。
0330N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/18(月) 23:36:40.09
>>329
1+1=2は理性ある人間なら否定しないので、これは明白な客観的真理といえるねw
小説の評価は1+1=2ほど明白に客観的とはいえないので、これはどちらかといえば
主観的なわけだね。 1+1=2は全体主義だ!ファシズムだ!などというのは、馬鹿馬鹿しい
抗弁といえるねw

>『言語にとって美とはなにか』を読んでから、とは言わないけど、せめて吉本の文学理論の骨格ぐらいは把握してからにしなよ。

小林に文芸理論はないなどたいして小林を読んでもいなくて、小林の思想の概要も把握してない
そっちに、あれこれいわれる筋合いはないよねえw
0331吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 18:43:59.14
 神保町の青空古本市で『小林秀雄対談集』(講談社 昭和45年 第5刷)
を100円でGet.保存状態も良く書きこみも棒線もなし。何となくお得感があ
った。

>>325
>そもそも蓮實(あるいは翻訳者)自身が吉本の論考を理解していたとも
>思えない。

 ここは同意だね。
 そもそも吉本の幻想論には吉本による当初の解説の仕方からして問題が
あった。彼は「マルクスの「ドイツ・イデオロギー」における「共同の
幻想体」からとった」としていたが、そののちに90年代のインタビューでは
、「〈幻想〉というタームは共同の場合には〈錯覚〉と取っても良いが、
対幻想や個人幻想の場合、〈錯覚〉では妄想のようになって、意味が違って
くる」と説明し直している。結局対や個人では、いわゆるハイデガー的な
〈有る〉の繋辞のようにとるべきであって、対や個人の領域での存在論
すなわち「〜である」「〜がある」という現象や判断一般を指すととるべき
ということだろう。しかしこれを吉本が説明し直したのは90年代半ばであ
って、これは山本哲士らとのインタビューで言われたのだが、吉本による
重要な訂正であるにもかかわらず、皆もう興味が半減していたのか
さほど俎上にも上がらなかった。
0332吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 18:44:36.29
331つづき

 また問題のフーコーとの対談では蓮実による〈幻想〉翻訳語はfantasme
になっている。これはフーコーの死後に編纂された『Dits et Ecrits V 
1976-1979』(Gallimard)所収のフーコー&吉本対談でも確認することができ
る。fantasmeでは死霊や空想という意味で、これでは共同幻想は勿論
個人幻想の訳としては不十分。

 この対談について後に吉本は「あそこはfantasmeではなくてillusionだ
と思う」と言っていたが、私見ではillusionは「錯覚、妄想、空想」などで、
これも共同幻想訳としては良いが個人幻想訳としては意味が違ってくる。
意味が違ってくる、というのは、「錯覚、妄想」では個人幻想の幻想とし
てしては意味が違ってくる、と吉本本人が語っている。

 むしろ、個人幻想訳としてはindividu etre 個人の領域での「有る」
とした方が吉本が後に訂正した仕方に意味が通じる。ついでに対幻想訳
としてはやはりetreを使ってpaire etreとするのがフランス語としては
正しいと思う。

 吉本本人が「個人幻想では〈幻想〉は相応しくなかったかもしれない」
と誤解を生む表現であったことを認めているのだから、そこも難点だったし、
蓮実が共同幻想をfantasme collectifとしたことも既に問題だった。
0333吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 19:15:42.46
>>331
さすがに、「ハイデガー的な〈有る〉」とは繋がらないんじゃないか?

と指摘したいとこだけど、スレ違いなので、吉本スレでやろうよ。
0334吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 21:04:06.70
>>333
>さすがに、「ハイデガー的な〈有る〉」とは繋がらないんじゃないか?
 
 いいや繋がるよ。吉本自身による個人幻想論は文芸批評理論の確立を
意図した『言語にとって美とは何か』から始まりでは起因している。そして
文芸作品とはその作家による〈〜がある〉〈〜である〉という繋辞を駆使
した世界の表明のことだ。〈ある〉は個人幻想を内側から
現し、世界を意味する。〈ある〉が個人史における意識に先行する像に
拘束されていく、すなわち世界は原-像、先行-像すなわち本人が意図しない
うちに形成された像に支配されるとしている。

 ところで吉本は80年代後半の太宰治論では資質、文学史での意味、太宰
文学の特質に踏み込んでいくが、そこで太宰が生まれてすぐに乳母に預け
られる、また、思春期に家の女中から性的な悪戯をされる。すべてこれら
が太宰において「生と死を超え易い資質」を形成したとしている。すなわち
ハイデガー的な原-像、先行-像に太宰が苦しんだことをここで表明してる。
吉本がハイデガーを参照したことは語られてはいないが、両者の思索は偶然
同じ角度から個人や作家に照明を当てている。読んでいれば分かるよ。
0335吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 21:10:47.49
334つづき

 で、あと>>328でN氏によってこう書かれている。

>現実には評価は人によって大幅に
>違っているわけだね。これすなわち、文学的評価において主観が重要と
>いう証拠といえるね

 吉本が文芸作品における価値評価を確立したといえるのは、たとえば
ある作品を100人が読めば100通りの読み方、価値、好き嫌いが出てくる。
じゃあもう一回その100人に読んでもらうとする。さらにもう一回…さらに
…と無限に読み返すうちに、その100人は同じ地点に到達する筈である、
という。すなわち作家個人の歴史性とその超え方、その生まれ育った風土や
同時代の 社会、そこでその同時代が抱え込んだ諸々の風景や問題と作家個人
の資質や歴史性との交点が。また文芸史で何を付加しえたかが。吉本の言葉
でいえば自己表出からみられた言語表現の全体の構造が文学の価値である。
或いは自己表現と指示表現の交錯する表現意識の相乗空間の時間の流れに
確定される、となる。
 どちらにしても100人100通りの嗜好は最終的には止揚されるとしている。
『言語にとって美とは何か』での文芸作品への価値論とはこのように主観に、
好き嫌いに留まる価値論からは距離を置いている。そこだけは言っておか
なければならないと思えたので書かせていただいた。
0336N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 21:26:55.92
>>335
そういう風にすべての文学作品の評価価値が止揚される時空間というのは
この世の終わるときであろうね。 つまり現在の評価でそれをあてにはできないね。
最後の審判の日がくるまでのあいだは、みんな主観で評価しなくてはならんわけだ。
0337吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 22:03:58.86
>>334
だからさ、吉本スレでやろうよ。

君がよければ、>>331>>332>>334を吉本スレに転記しとくけど?
>>335は、そのままここで議論すればいいと思うけど。

ハイデガーとか吉本とかフーコーとか、ここのコテの人たちにはなじみのない哲学だと思うよ。
0338P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:16:37.75
>>323
キター。40年前の本とは思えない。状態に何の問題もない。小林秀雄「私の人生観」(角川文庫・1975年版・定価:180円)
http://i.imgur.com/0lZuLSL.jpg
0339P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:18:19.05
>>326
>それは別に問題ないね。ピースは「私の人生観」買ったそうだが、もう読んだのかな?

これから読みます。でも、先に図書館から借りたの読まなきゃです。

>人生観を語るようになった小林などもうダメだ!と、それで小林を離れた読者もいた
>ので、ピースは「Xへの手紙」読めても、こっちを読めるかどうかはわからないね。

「Xへの手紙」だって人生観を語ってると思います。
0340P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:19:12.24
>>327
>読書会は、もう一人のコテが了承して、準備ができたら始めよう。

リアルタイムでは追いつけそうにないから、先にやってて下さい。興味があります。
0341P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:20:23.89
>>328
>まあピースのことはおまえよりはよく知ってるので、余計なお世話だよ。

その通りDEF!!
0342P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:22:06.45
文学とは畢竟己の人生観を懐疑的に語る事ではないのか!
0343吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/19(火) 22:27:04.90
>>340
もう一人のコテは、相手の話を咀嚼しないで、すぐ捻くれたり罵倒したりするから、良識のありそうな君を待ってるよ。
自分好みの意見しか受け付けないみたいだ。
相手は僕ではないけど、>>336がいい例だよ。
0344P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:30:40.54
>>343
こういう事を書くと不自然につるんでると思われるのは嫌だけど、僕はNさんを信頼してますよ。あなたが真剣に書いた分だけ真剣にレスをしてくれると思います。試してみるといいですよ。
0345N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 22:33:24.28
>>338
本当に四十年前? 俺の本よりはるかに綺麗だなあ。俺のは第三十二版だ。

>>339
そりゃそうだ、図書館で借りた奴を先に読まないとな。物事には優先順位というのがある。

>「Xへの手紙」だって人生観を語ってると思います。
それはそうだ。

>>340
なんかねえ、これ以上は吉本スレでやればいいんじゃないかって
意見もでてるよね。
0346P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 22:40:05.79
>>345
>本当に四十年前? 俺の本よりはるかに綺麗だなあ。俺のは第三十二版だ。

http://i.imgur.com/eOEsTvq.jpg

>そりゃそうだ、図書館で借りた奴を先に読まないとな。物事には優先順位というのがある。

あざす!ベルンハルトの「消去」の下巻を借りたんですけど、めちゃくちゃ読みたいのに文學界と新潮が邪魔をする(泣) 本当は「伯爵夫人」を読みたいのに、最果タヒのクソくだらない小説もどきが邪魔をするんです(笑)

>なんかねえ、これ以上は吉本スレでやればいいんじゃないかって
>意見もでてるよね。

これ吉本スレなんすか(笑)

思想家の小谷野敦さんが2代目吉本隆明を襲名
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1331980000/
0347N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 22:45:33.30
>>346
俺のは昭和四十二年七月二十日第二十二版発行、昭和六十年に改版
第三十二版発行だね。

まあ一番読みたいのを先に読むのが正しいねw そういう場合は。
0348N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 22:52:30.75
>>346
哲学板の吉本スレだろう、やるなら。

吉本隆明 1924-2012 その3 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1447062523/

ここも読んだけど、ホステスの人生相談に吉本がのったとか
女性に一方的にストーカーされたとか、それは吉本の「良い人ぶり」の
表れという話が面白かったねw
0349N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 22:57:44.94
とりあえず、「私の人生観」でベルクソンの理論について語ってるのは
p.126からp.127までだから、小林の芸術凜音について知りたければ、そこだけ
読めばいいよw
0350N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 22:58:12.03
芸術凜音じゃない、芸術理論だね。
0351P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:02:06.59
>>347
>まあ一番読みたいのを先に読むのが正しいねw そういう場合は。

本来はもちろんそうなんですけど、僕は純文学5誌スレで「最果タヒの十代に共感する奴は嘘つき」を読むと公言してしまったんですよね。本気で苦痛を感じています。まあ、自業自得なんですけど(笑)

>>348
なるほど(>_<)後日読んでみます

>>349
今読みます
0353P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:07:43.58
これ、講演録なの?その場で理解した人は相当のインテリだな(笑)
0354P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:08:16.26
僕は「前後の文脈がわからないと読めないから後で読む」と言って逃げておく(笑)
0355P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:09:38.89
議論の端緒になったんじゃないでしょうか。>>352が。
0357P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:15:33.62
AZS!!
0358N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 23:20:01.33
>>353
講演録だろうが、後から手をずいぶんいれてるね。小林は講演については
講演録にするときに、ぜんぶ後から手を加えて直すっていってたね。

ここだけ読んでわかんないなら、後回しだな、「私の人生観」読むのは。
0359P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:25:39.41
いや、わかんないとは言わないですよNさん。印象で語っていいなら語りますけど、この議論の流れを僕は把握してないから、話を振られない限り僕は黙っておきます(笑)
0360P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:28:21.29
小林秀雄が著作に後で手を入れるのがどーたらこーたらって書いてたのは福田和也より柄谷行人の方が先だと思うけど、柄谷行人だってめちゃくちゃ手を入れてるじゃん。
0361P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:29:08.63
>>360の認識はそもそも間違っているのかもな。無視していいです。
0362N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 23:29:45.12
>>359
まあ要するに小林に芸術理論があるのかないのかって議論になってるわけだね。
で、俺はそこのページに書いてあるベルクソンに負っている小林の考え方というのが
小林の最も根本的な芸術理論と考えているわけだね。哲学者ベルクソンに負ってる
考えと言うんだから、これは哲学的な芸術理論であると、俺は考えてるのさ。
0363N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 23:31:14.53
>>360
柄谷も小林のテキストは後から徹底的に改稿するって書いてたね。
まあ俺は改稿されてるのかどうかなんて、ほとんど気にしたことはないがね。
0364P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/19(火) 23:41:15.36
>>362
めちゃくちゃ興味深いです。ベルクソンの事を何も知らないけど。小林秀雄がサルトルに反感を持ってたのも、ベルクソンに関する理解について異論があったのかな。

>>363
むしろ「残されたテクストが全て」だと本気で思ってる気がして好感持てますね。
0365N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/19(火) 23:50:14.27
>>364
まあ小林はサルトルもカミュも気にしてはいたね。サルトルについては対談で
触れてるけど、サルトル読んでもドストエフスキー読んだときみたいな感動は
得られないんじゃ無いかっていってたね。 あとは「考えるヒント」にある「読者」
ってエッセイでサルトルに触れてるが、それほど反感を押し出してはいないねw

ガブリエル・マルセルって哲学者と小林が対談したとき、サルトルが空港で
新聞記者たちの前で「諸君! 神は死んだ!」って見えきったって話を
マルセルがして、サルトルはそんな奴ですか、みたいなこと小林がいったら
マルセルは頷いたとか、そういう話もあったね。
0366N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/20(水) 00:03:22.98
>>364
小林がサルトルに反感あったとして、それはベルクソンの解釈とは
まず関係ないとおもわれるね。サルトル、カミュ、メルロポンティのなかでは
小林はメルロポンティを一番評価してたらしいが、小林は一行もメルロポンティに
ついて書いてないから、どのように評価してたかはわからないね。
0367P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/20(水) 00:07:52.54
>>365
>まあ小林はサルトルもカミュも気にしてはいたね。サルトルについては対談で
>触れてるけど、サルトル読んでもドストエフスキー読んだときみたいな感動は
>得られないんじゃ無いかっていってたね。 

中村光夫と福田恆存との鼎談でしょうか?

>あとは「考えるヒント」にある「読者」ってエッセイでサルトルに触れてるが、それほど反感を押し出してはいないねw

僕はNさんから「考えるヒント3」を貰ったけど、それは載ってない(笑)

>ガブリエル・マルセルって哲学者と小林が対談したとき、サルトルが空港で
>新聞記者たちの前で「諸君! 神は死んだ!」って見えきったって話を
>マルセルがして、サルトルはそんな奴ですか、みたいなこと小林がいったら
>マルセルは頷いたとか、そういう話もあったね。

サルトルのそれ、どのタイミングですか?
0368P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/20(水) 00:09:15.35
>>366
>小林がサルトルに反感あったとして、それはベルクソンの解釈とは
>まず関係ないとおもわれるね。

そうなんですね。サルトルもベルクソンにものすごく影響受けている人でしょう。よく知らないけど。そこらへんで思うところはなかったのかなあ。
0369P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/04/20(水) 00:12:22.15
小林秀雄はサルトルに対して対抗意識があったよね。先に挙げた大岡昇平との対談を読めばわかる。その対談をまとめてアップしたいんだよな。iPhoneから。良い方法知ってる人は教えて下さい。スクショで全文抑えてあるので、それを一つのURLで読めるようにしたい。
0370N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/20(水) 00:18:43.87
>>367
>中村光夫と福田恆存との鼎談でしょうか?
あ、そうそう、対談じゃ無くて鼎談。

>僕はNさんから「考えるヒント3」を貰ったけど、それは載ってない(笑)
一番最初の「考えるヒント」だからね。

>サルトルのそれ、どのタイミングですか?
いや、それは忘れた。

>サルトルもベルクソンにものすごく影響受けている人でしょう。

これが違うんだな〜サルトルはベルクソンには直接的にはほとんど
影響うけてないね。フッサールとかハイデガーとかあの辺だね、サルトルに
哲学的影響があったのは。
0371N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/04/20(水) 00:35:29.19
柄谷が確か書いてたと思うが、第二次大戦後のフランス思想界はドイツから
輸入された実存主義に制圧された、という話と、サルトルがハイデガーや
フッサールの影響をもっぱら受けてたという話は付合するわけだね。
0372吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/20(水) 03:25:52.76
>>336
>そういう風にすべての文学作品の評価価値が止揚される時空間

 ではなくって私的嗜好によって文学作品の価値が決められる時空間といって
もいい。私的好み、嗜好、素材主義、主題主義だけではない価値評価は何か、
という問題意識で『言語にとって美とは何か』は書かれている。そしてこの
問題というのはかつて小林が「マルクスの悟達」冒頭で文芸批評の科学性
についての論争を書いた時点(もっとも小林の結論は文芸批評がこれまで
連綿と続いてきた事実がそも文芸批評の科学性を論証する、という小林お得意
の言葉の魔術のようなものだ)とも繋がっている。

>>337
>ハイデガーとか吉本とかフーコーとか、ここのコテの人たちにはなじみ
>のない哲学

 だとしたら逆にどういうことかね。木田元はハイデガーと小林に同じものを
感じたというし、実際両者は〈宿命〉という用語を生体験の本質、個体の
歴史性の本質のように使う。「馴染みのない」というのは単に「疎い」という
意味ではないのかね。
0373吾輩は名無しである
垢版 |
2016/04/20(水) 03:27:45.09
372つづき

 小林がサルトルを意識していたという議論が出てきてるが、サルトルの
ような先鋭な政治的意識は小林にはないね。ないし、共産党に或る時期の
サルトルのように希望をかける、ということもなかった。また小林は
「マルクスの悟達」を書いてるが、しかしそこでの読み方は『資本論』
についてニーチェを語るグウルモン引用しながら、「気違いのように常識を
説いた」とし、そこでサルトルがマルクス読解で抗議したような、資本に
包摂されながら〈他者(自己とは別のもの)〉〈集列体(数列のように記号
化されていくもの)〉〈実践的=惰性態(生産行為に入って行く中で、物を
加工し、そこで加工された物が逆に人間を惰性的に拘束し、物化していく
反転)〉のようなマルクスを読んでいく中で新たに編み出した概念で読み
直す、という力業に及ぶこともない。

 まず小林は初期の「様々なる意匠」「マルクスの悟達」などで度々マルクス
に言及してはいる。しかしそこで語られるマルクスは「この世はありのまま
にある」を説いた、とされ或いはニーチェを語ったグウルモンを引用しながら
「気違いのように常識を説いた」とこれまた気の利いた言いまわしで語られて
しまう。「マルクスが説いた理論は大衆にとっては常識である」とも言ってい
る。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況