>>301
メルロポンティにベルクソンの影響が大きいのは一般常識だろうよw ドゥルーズだって
「ベルクソンの哲学」って本書いてるからね。俺はごく一般的な紋切り型の説明してる
だけであるねw

>メルロ=ポンティは、ベルクソンが純粋記憶と純粋知覚、即ち空間的ひろがりのない「心」の在り方と
>時間的持続のない「物」の在り方とを二者択一的に対比して、その両項の問を動揺しながら、両者の
>交差点として身体を捉える考え方を批判しているのである。彼によれば、身体は、主体(心)としての
>意識存在性と客体(物)としての物質存在性という両義的存在性格を分割しがたい形で受肉化したものである。

>メルロ=ポンティはベルクソンを批判するが、しかし湯浅泰雄が適切に指摘するように、彼の考え方には
>ベルクソンの影響が大きいと言わざるをえない。ベルクソンは、「知覚と行動の統一性」の故に、身体を
>「感覚一運動過程」(processus sensori-moteurs)として捉えて、身体のメカニズムを習慣化させる
>「運動的図式」(le scheme moteur)を想定した。メルロ=ポンティは、これに対して表層的な身体即ち
>「現勢的身体」(1e corps actuel)を「感覚一運動回路」(un circuitsensori-moteur)として捉えて、その
>基底に深層的な身体即ち「習慣的身体」(le corps habituel)を想定し、その「習慣的身体」は身体の
>メカニズムを習慣化させる「身体的図式」(schema corporel)によって可能になるものとする。

ドゥルーズと小林については、ドゥルーズのベルクソン論を小林が読んで、「こいつは優秀」といったという
その方面ではそれなりに知られた逸話があるねw