372つづき

 小林がサルトルを意識していたという議論が出てきてるが、サルトルの
ような先鋭な政治的意識は小林にはないね。ないし、共産党に或る時期の
サルトルのように希望をかける、ということもなかった。また小林は
「マルクスの悟達」を書いてるが、しかしそこでの読み方は『資本論』
についてニーチェを語るグウルモン引用しながら、「気違いのように常識を
説いた」とし、そこでサルトルがマルクス読解で抗議したような、資本に
包摂されながら〈他者(自己とは別のもの)〉〈集列体(数列のように記号
化されていくもの)〉〈実践的=惰性態(生産行為に入って行く中で、物を
加工し、そこで加工された物が逆に人間を惰性的に拘束し、物化していく
反転)〉のようなマルクスを読んでいく中で新たに編み出した概念で読み
直す、という力業に及ぶこともない。

 まず小林は初期の「様々なる意匠」「マルクスの悟達」などで度々マルクス
に言及してはいる。しかしそこで語られるマルクスは「この世はありのまま
にある」を説いた、とされ或いはニーチェを語ったグウルモンを引用しながら
「気違いのように常識を説いた」とこれまた気の利いた言いまわしで語られて
しまう。「マルクスが説いた理論は大衆にとっては常識である」とも言ってい
る。