386つづき

 『存在と無』というのは晩年のインタビューで自分で色んな角度から
否定してみせている。「アンガージュマンは二者択一かのように書いたが
それは間違いだった。あの時代はナチスへの抵抗運動があって。捉えられた
抵抗者が、仲間の居場所を拷問で言わされそうになり、謂うくらいなら死を
選ぶ、というのが英雄的行為として伝説化されていた。ああいうアンガージ
ュマンの考え方になるのは仕方なかったんだ。傲慢だった」

 またこうも言う。「自己の浄化的反省が完璧に為されるかのように書いたが
、それは生涯かけて為されるかという問題だ。自己との共犯はだから
ほとんど避けられないとも言える」

 このように『存在と無』での考え方に晩年では異議を唱えていた。実際
後半書き続けたフローベール論ではほとんど政治的活動などない皮肉屋の
フローベールにたいし、やはりこれもまた生体験としては尊重されるべき
と言いたげに膨大な論考を書いてる。

 サルトルのスレみたいになったけどまあ勘弁を。