まあ小林だって転向の問題はそれなりに考えていたわけで
小林の場合は林房雄という転向者のサンプルが身近にいた
から、それを基準に転向者の問題を考えていたといえるね。

吉本は少年時代は軍国主義少年だったそうだが、敗戦のショックで
考え方が完全にかわったそうで、ある意味転向者ともいえるねw
吉本が執拗に転向の問題をあつかったのも、敗戦の衝撃が
原因と言えよう。

小林は戦後の座談会で「俺は一切反省しない」という有名な啖呵を
きったわけだが、小林の場合は戦前戦時中戦後と考え方の大幅な
断絶はみられず、吉本はそこも評価していたね確か。 戦時中の
文学者のなかで、もっとも傷が少なかったのは小林といってるね。
なにしろ戦時中は戦争を翼賛してたのが、戦後は一転して民主主義
万歳になった例はたくさんあって、そういうのは吉本にとっては
嫌悪の対象だったろうからねw