434つづき

 大衆とは何か、国家とは何か、社会とは何か。考えることになった。
そこから彼の戦後は始まったと言っている。

 ちなみに敗戦後、吉本は戦中に敬愛していた文学者の一人、小林秀雄に
ついて、この人には文学を学んだけども、しかし世界とは社会とは何か
、吉本の言葉で言えば、「向こう側からくるもの」いわゆる
彼岸性、自意識の問題に解消されないもの、については何一つ教えては
くれなかった、言い換えれば彼岸性の問題については小林にはなかった、
それを自覚するようになった。

 それに関連して、小林のマルクス論について言えば、「達人」の「達観」
となり、意識と存在の相克となり、思想とその商品化の問題、となり
それは鋭利ではあるが、反面、社会とは何か、どうあるべきなのか、どう
変えていくべきなのか、労働者の窮乏や疎外をどうするのか、という
まさしくマルクスの出した問題には触れられることはない。

 吉本は数年前に『小林秀雄全集』が再編集された際のインタビューで、
「小林はマルクスを良く読みこんでいた」と評価している、とWikipedia
にあったが、それは上に書いたような、自意識に収まる「達観」「達人」
としてのマルクスに過ぎないという限定が付いてる。吉本がそこでそこまで
言ってはいないとしても、悪いが俺には分かるのでね。吉本の小林論を
一つではなく辿った人間としてはね。