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小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
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0497N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/02(月) 22:38:11.97
>>495
まあ吉本には一般教養に収まらない深度があるったって、具体的な
引用によってそれを示す手続きがないと、他の読者にその深度が
伝わらないねw

>>496
まあ君ひとりで吉本を背負ってる自信があるんならそれはそれでいいが
いろんな論があれば、いろんな角度からの見方が得られるわけで
そういう様々な視点からの評価というのは、再評価に伴う余禄といえるねw
まあ、吉本はマルクス、ハイデガー、サルトルに匹敵する総合的知識人
というのはかなりの評価といえるが、吉本はハイデガーやサルトルを
そんなに読んでたようには思えないけど、そのあたりはどうなの?
「言語美」や「共同幻想論」にどのくらいマルクスについての言及があるのか
表題からしてマルクスに大幅に依拠した理論書にも見えないしね。
0498吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/02(月) 23:35:09.01
>>497
 たとえばハイデガーを読んでいれば、彼が人間の精神の歴史にたいし
疑問符を投げ、どこでどういう欠損を歪み生じたのか、知の歴史を一個一個
掘り崩していく手法がある。彼が哲学史家でもあり遡行するのは有の意味
が消えていく中で客観性信仰が台頭し、同時に主体性の根本が見失われていっ
た。有の意味は主体に収斂されていった過程を示したかったからだ。
 彼の『有と時』ってそういう書物だよあれは。
 そこで人間の精神・知の歴史全体を問い直す視線が生まれてくる。

 吉本の心的現象論を紐解けば、人間の内部に人間以外の植物や魚類、
鳥類、爬虫類の精神が宿っていることが解剖学を引用し謂われている。
同時にここには人間を理性や合理性に同値する思想への反命題がある。

 人類史を相対化する視線が上の両者にはある。
0499N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/02(月) 23:46:24.07
>>498
>人間の内部に人間以外の植物や魚類、鳥類、爬虫類の精神が
>宿っていることが解剖学を引用し謂われている。

へ〜ユングの元型論みたいだな。ユングの元型論も人間精神の基底に
おける進化論的基礎を明らかにしようとした試みであるが、魚類、鳥類
爬虫類の精神というのは、なにかオカルトめいて、ユングの理論は
非科学的とされたが、吉本の理論にもそのような危険性があるように
見えるねw
0500吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/02(月) 23:52:37.87
498つづき

 同時に両者には理性や合理性に収斂する人間への反命題としての脱理性への
視線がある。ハイデガーでは1930年代中期の草稿で理性的動物をどう超えられ
るのかという問いをし、有は拒絶として底無しの深淵を開く、慣れ親しま
れた振る舞いから退去する、それは畏怖と驚愕をもたらす。しかしそれは
有にとっては窮迫からの防衛である、とする。

 また吉本では親鸞論で造悪論を論じ、悪をやればやるほど浄土に近くなる
という思想をオウムのサリン事件と関連付けて論じている。人間的な徳や
知や善やに価値を置くべきではないという思想であって、これまた人間存在
にたいする根本的な視線変更が為されている。
 
 両者ともに学校教育的な知からはみ出す過激さと深度を保有している。

 吉本はサルトルもハイデガーも相当読んでるし心的現象論では批判的な
引用も屡されてるぞ。
 マルクスについては60年代中期にまとまった論考を書いてる。
しかもその読解は消化した上で出てくる。〈共同幻想〉
というのは『ドイツ・イデオロギー』の一節に出てくる〈幻想的な共同性〉
から取ってる。十分読み込んで消化しそこから新しい展開をしている。
あれは民話や神話や漱石の分析は入ってるが、始まりはヘーゲルとマルクス
の思想だ。ヘーゲルとマルクスとの関係が気になって考えていたという
のは吉本とフーコーとの対談で自身が説明しているところだ。
0501吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/02(月) 23:56:43.06
500つづき

 それと具体的な言及がなければ「読んでたように視えない」、というのは
余りにも浅はかだなあw俺は読んでてがっかりしたよ。たとえばフーコーは
ハイデガーについてはまとまった論考は遺さなかった。しかし、彼の論を
読んでいればハイデガー有論のいわゆる外堀としての制度・理性の牢獄を
描きたかったことは後期に発表した「主体と権力」で、人間を主体に
変え、服従させていく力こそ権力であり、制度であり理性の実体である。
それを言いたがっていたと分かるし、それはハイデガー有論からすれば
外堀に該当すると分かる。

 フーコーはハイデガーについては自分の有名な論考の中で名前は出さない。
死の直前のインタビューで若いときに相当読み込んでノートを作ったことを
告白しているだけだ。

 著述家が名前を出さないからと言って読んでないとか影響されてないとか
言えないはずだが。

 貴方は読書家な割には読み方が浅はかだなあw
0502N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/03(火) 00:03:51.75
まあ小林はすくなくともサルトルはフランス語で読んでると思うが
吉本は文献はほとんど日本語で読んでたわけかいな? 吉本が
フランス語やドイツ語できたとも思えないし。 翻訳通じてもそれなりに
深い読みはできるというのは、俺も認めるけどねw
吉本が誰かのことを「翻訳業者」と罵倒していたことをふと思い出したねw

小林もハイデガーはそれほど読んでないだろうが、マルクスやサルトルは
それなりに読んでたわけで、マルクスやサルトル読んでれば総合的
知識人といえるなら、小林も総合的知識人といえるねw
0503吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/03(火) 00:04:56.82
Nさんはいろいろ読んでるんだけど、自分の問題意識のない単なるディレッタントなだけだと思う。
悪いことではないと思うし。だから他人の評判でしか価値判断できない。
全然小林的じゃないけど。
0504N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/03(火) 00:05:27.66
>>501
こっちは吉本ほとんど読んでない以上、読みの深さ浅さ以前の話で
吉本について単に知らないだけでねw そっちは吉本はよく読んでるんだろうが
小林については俺ほどは読み込んでないだろうから、小林については
こっちにアドバンテージがあるわけさw
0505N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/03(火) 00:10:01.18
>>503
俺は小林は自分の評価で読んでるわけでねw 別に他人の評価に
たよって小林を読み進めたわけじゃないんでねw 君の勘違いに
すぎないねそれはw
0506N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/03(火) 00:13:12.12
まあ小林読むのが面白いから読んでただけで、面白いから読むのがディレッタント
というならば、俺はディレッタントで十分だけどねw つまらなくて退屈なものを
読まなければいけないのは苦痛であるし、小林読んでる間は退屈しなかったのでねw
0507N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/03(火) 00:26:41.61
フーコーがハイデガー読んでたってのは、理解できるけどね〜
戦後のフランス哲学にハイデガーが与えた影響は大きいからねw
0510吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/03(火) 11:32:23.58
>>506
>まあ小林読むのが面白いから読んでただけで
>小林読んでる間は退屈しなかったのでね

 それを言うならこの世には面白い、退屈させない本はほかにもありますと
いうことね。無論小林の書くものは面白いし、ハマるのもわかるんだけどw
 
 それと、小林は確かに面白いんだけど、同じ「宿命」といっても、
ハイデガーも同じタームは使うし、より構造的に「宿命」を浮かび上がらせる
手法がある。また作品と読者の実存の邂逅を謳歌するのが小林の批評の眼目
だったという気がするが、実存そのものの解明はやらないでもいい。
作家が作品を誕生させ、読者である小林と出会う、その偶然にたいする
驚異への視線はあるけども。じゃあ実存とは、一個の人間が何を求めて
生きていくのかという問いを構造的普遍的に問うことはしない。
 小林の流儀ではそこまで突っ込む必要もない。何故そこで差異が
出てくるのかというのが重要だと思う。

 小林の批評は面白いが、あれは一種の批評という名前の美。作品であるし
、批評という形式の美であり詩であり作品である、という特徴は
美点でもあればそこから先へは行けないでいた行き止まりでもあったことを
意味している。

 だからあれはあれで完結しているし、読ませるし感服させるが、発展性は
なく、「批評家という名前の作家」という評価が妥当だと思いますね。
彼の独自性もそこにあった。彼にハマッた読者に停滞感が匂うのもそのせい
だろうと思っていますね。
0511吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/03(火) 11:57:50.48
小林の批評を高く評価する人もいるが、僕はその中に下品さを見るだけだな。
自分の思い付きを強い言葉で断定する。

たまに見聞きする中小企業のオヤジと同じ下品さだ。
小林が一時期骨董品で商売していたというのも、本当かも知れない。

「これは贋物です」
「贋作でも真作に劣らぬ力があるじゃないか。お前にはそれがわからないのか」
「力はわかりませんが、お金にはなりません」
「ばかやろう、このど素人が!」

安吾の競輪事件もこんな感じだっただろうな。

酒を呑み、オダあげてクダを巻く。
そんな光景も真実の姿に近いのだろう。

断定の強さは、心の弱さかもしれない。
開戦の報に触れたときのふやけた文章を読者は忘れるべきではない。
0512吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/03(火) 21:18:19.03
 批判だけじゃなく小林の残した文章で心に残ったものも挙げておきたいの
で。

 小品だが三島由紀夫自決の際に書かれた「感想」ってのがある。『新潮 
1971年2月号臨時増刊』に掲載されてるんだが。この雑誌は今でも文学
関係の古書店で出回ってるし、探して読むのは容易だと思うが。たった2頁
の文章で、出版社からの電話に答えたかのような体裁で、談話のように
書かれている。

 三島が内省では飛びぬけていただろうにもかかわらず、全てが視えていた
わけではなかろう、やはり自分でも良く分からぬ運命とともに生きたのだ、
「謹んでお悔やみ申し上げる」というような決まり文句が昔から人の死に
さいしては言われるが、死に際して人が感ずる謎がいつもあるからだろう。

 自分が三島さんの死に対して右翼とか、そういう政治的意味で受け取る
ことはない。ひどく孤独なものを感ずるからだ。
 
 というのはその後、胎児論や乳児論で吉本も取り上げた三島の生育史を
予感させる。この時点で小林が三島の生育史を知っていた訳ではなかろう
から、直感的感想だとしても素晴らしいし、三島への哀悼の句としていまだに
胸に迫るものがある。
0513N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/04(水) 01:21:59.39
>>511
小林はもう死んじゃったから、小林の批評はあれでいきどまりだが
読者がそれ読んで参考にする分には、未来への発展性はあると
いえるねw そもそも作者が死んだ後誰も読者がいなければ、作品に
しろ批評にしろ、生きながらえることはできないわけでねw 誰か
読者をあらたに獲得する旅に、作品というのは再生するわけさw
0514N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/04(水) 01:26:10.20
>>511
中小企業の親父については偶に見聞きするだけで、あまり
知らないようだが、中小企業の親父たって、いろんな性格のが
いるわけでねw 俺が知ってる中小企業の親父と小林はほとんど
似てないねw

開戦の報に触れたときの小林の文章は、小林のすべての文章の
なかで一番グダってる文書ではあると思うが、他の連中は開戦の
ときにもっと勇ましいこといってたわけで、あそこでグダったのは
小林の良さをむしろ示しているといえるねw 戦後の発言のほうが
むしろグダってなくぶれてないので、そこは吉本も評価してたねw
周りが勇ましいときはグダり、周りがグダってるときはハッキリもの
いう、これが小林の反時代的流儀といえるねw
0515N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/04(水) 01:29:20.35
あの開戦についての文章のグダりかたは、確か橋本治が分析してたね。
吉本隆明はあの小林の開戦の文章にはそれほど感銘受けなかったのでは
ないか?あれだけグダってる文章ならば。むしろ高村光太郎などに影響
受けたのではないかと想像されるねw
0516N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/04(水) 01:36:26.73
>>512
小林と三島といえば、その「感想」と、小林と三島の対談、それと小林と
江藤との対談において出た三島についての話、この三点がメインといえるねw

まあこの三つがあれば、小林の三島観については大まかな見取り図が書けると
いえるねw
0517吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/04(水) 11:27:40.79
>>513
 実存的であるということと、実存を解析するということ。また言い換えて、
己の実存に居座るということと、実存的とは何かを解析しうること。
 実存的というのは内省はしない。自己解析はしない。解析した末に普遍ま
で行きつくことをしない。

 天才の作法や作品、達人の流儀や生涯を知る〈私〉の感動と生体験。
対象にぶち当たる自己意識のナマな体験。

 小林の批評は同じところに留まって発展はしない、対象にぶち当たった
〈私〉、天才の秘密に行きあたった自己に湧きおこる感動。
 知的営為があることはあるが、作品や作者に没入した〈私〉における
〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上
の価値は見出せないという理念があったと思える。

 よって「様々なる意匠」では邂逅の末に〈私〉の内部で沸き起こる詩に
批評の理念が見出されている。小林の批評の意味はここで宣言され、
そしてそのまま動かずにいた。

 これは「死んでしまったからもう先へは行けない」という決まり文句で
掴まれるようなものではない。死ぬ前から上記の場所で止まっていたし、
それで本人は何ら不自由はしてなかった、此処以外の批評の場所はないと
されていたという意味だから。
0518吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/04(水) 11:28:18.34
517つづき

 小林の批評にあるいつも漂ってくる、小林に紡がれていく詩とは、
上記のような、邂逅の詩であり、思想や作品の根底にある秘密に行きあたった
〈私〉が紡ぐ詩である。秘密に行きあたるまで知的な直感が突き進む。
行きあったところで〈私〉の詩が始まる。

 これは「様々なる意匠」での宣言と同じであり考えてみれば三島の死に
たいして語られた追悼文「感想」は、小林の批評の理念そのままの様式で
語られた典型的な小林秀雄批評。隠れた代表作だ。しかしそこでの三島の
死を悼む方法は「様々なる意匠」での宣言そのままなのだ。

 1970年の時点でまだあの宣言のままの批評を駆使し、そしてしかも感動的な
批評を小品だが書ける。しかしそこには自己の方法的発展は相変わらずない
。しかし同時に三島の生涯の秘密に行きあたった〈私〉における詩はある。
詩の感動はある。

 だからあの「感想」は三島の追悼をしながら奇しくも小林の批評の典型を
露わにもしてみせていた。変わらない、または変われない方法を露わに
してみせていたと言える。
0519吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/04(水) 12:02:26.78
518つづき

 死ぬまで変わらない方法を理念を駆使した批評家はそれはそれとして
措いといて。しかしそれに後続する批評家が同じことをしても意味はない。
後続した吉本や柄谷の意識としてはそうだったはずだ。小林と同じことを
しても意味はない。小林が出来なかったことをやるしかない。二人の
方法をみてるとその意識は色濃くみえる。そこに批評の歴史がみえる。

 目を転じて文学愛好家は小林の批評に惹かれ易い。何をみても自己の内部
に沸き起こる生体験と詩情を書ける批評家は魅力的だ。同時にしかし
その愛好家と小林の関係には入り難いものがある。蓮実重彦ならば
「文学という制度」と言ったかもしれないが、小林の批評にある方法には
盲目なまま愛好家に留まる事の中にはそれもまた停滞しかないし、
発展性はない。それこそが文学だと言うなら、それはやはり文学の囲い込み、
制度化というしかない。
0520P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/05(木) 00:35:17.90
図とかにしてくれるとわかりやすいんだが、パワーポイントとか使えますか?
0522P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/05(木) 01:00:35.17
出来ないというなら、それを文章で示す力も「文学」を構成している力の中に含まれると思いますよ。
0524N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/05(木) 04:54:04.62
>>517
まあ結局、吉本の図式的理解をこえるものは何一つないわけで
ピースが図にしてくれるとわかりやすいといったが、図式的理解
なんだから、図解すれば確かにわかりやすくなるだろうねw

インプリンティングという現象があって、ひな鳥は生まれて最初に
見た動くものを親と思い込んでついていくという現象なのだが
文学の解釈でも似たようなことはあって、最初に与えられた解釈から
抜け出る読みをするというのは、大抵の場合無理なわけだねw
つまり吉本の解釈が最初にあって、その解釈にあうように小林を
読んでいくだけだから、結局どこまでいっても図式的理解の枠内に
とどまる解釈しかできないわけだねw まあ刷り込みされた図式に
逆らう読みなど大抵は不可能なわけで、こちらも不可能なことは
そちらに要求しても意味は無いと達観してるわけだねw
0525N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/05(木) 05:07:25.12
まあ吉本の図式的読解をこえる読解をするためには、吉本以外の多くの
ひとの小林論を読んでみるのが有益と言えようが、小林の本文以外に
多くの小林論にも目を通すというのは、小林ファンにしかできないわけで
つまり他の読者にそのようなことは要求し得ないというアポリアにぶつかる
わけであるねw
0526P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/05(木) 08:54:05.34
結局、江藤淳「小林秀雄」は読めなかった😭

図書館に一旦返却して、また借りてきます。
0527吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/05(木) 21:02:47.60
無常といふ事 にある「一見魅力ある様々な手管めいたもの」とはどういうことでしょうか?誰か解説お願いします・・・!
0528N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/05(木) 22:35:08.87
>>527
>歴史の新しい見方とか新しい解釈とかいう思想からはっきり逃れるのが、以前には
>大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管(てくだ)めいたものを
>備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と
>映って来るばかりであった。

魅力ある手管を備えているのは、「歴史の新しい見方とか新しい解釈という思想」であって
歴史の新しい見方や新しい解釈が魅力的に見えたから、そのような思想が備えている
「手管」も自分にとって魅力的に映ったと、そういうことだよね。 ここでいう「歴史の新しい
見方」というのは、もっぱらマルクス主義による歴史の新たな解釈のことを指しているのでは
ないかと思われるね。まあトレルチなどの新カント的な歴史哲学、ヘーゲルの歴史哲学も
おそらくは含まれているのだろうね。
0529吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/05(木) 23:38:47.74
>>524
 困るな。勝手に「吉本のコピー」みたいに決めつけるのは。
 俺は>>517>>518では吉本の小林論など引用もしてなければコピー
もしてないぞ。あれが吉本の小林論なら俺はちゃんとそう書いてるよ。
貴方の勘繰りに過ぎない。というかあれくらいのことならば小林の批評
をいくつか辿っていれば視えてくることだろう。吉本の論を援用するまで
もなく。「刷り込み」されるほど読むなら大変なものだが生憎そこまでは
読みこんではいないなあ残念ながらw

 俺は吉本の小林論は読んでるが、それに全面的に依拠してここでは
書いてるわけではない。また小林については柄谷行人も書いたり喋ったり
もしている。貴方がどれだけ知ってるか知らないが、小林批判においては
柄谷や蓮実や浅田あたりのほうが吉本よりも峻烈だ手厳しいぞ。

 柄谷はかつて中上健次と『小林秀雄を超えて』という対談集まで出して
おり、ちなみにこれははっきりまるごと駄目だしのための一冊だ。よって
全編手厳しい批判で埋め尽くされている。

 小林にたいする駄目だしは吉本だけではないし、むしろ吉本は柄谷たち
に比べれば一部批判しながらもかつての愛読者としての思い入れのこもった
論をいつも展開している。比べてみれば分かるよ。
0531吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/05(木) 23:57:43.52
 よって
>>525にあるような>吉本の「図式的読解」などあるのかどうかも記憶にないし、
吉本の小林論よんだときに「図式的」など感じた事はないし、また元々
いちいち参照になどしてはおらぬし、変な
勘繰りもほどほどにしてもらいたい気がするんだがな。

>吉本以外の多くのひとの小林論

は上記のようにとっくに読んでいるよ。読んでて俺の方が「あんたらの言う
ほど小林の批評はひどくはない」と思う事も屡ある。
 柄谷行人や浅田彰が昔やっていた『批評空間』には小林秀雄研究家が
結構いたし、のちにあの雑誌休刊後に小林論で一冊出した山城つぐみなども
いただろう。悪いが俺はそれは読んでないが。

 あなたはどうも都合の悪い論は勘繰りで済ましてしまう悪癖があるん
じゃないかね。これも勘繰りには違いないがw
>多くの小林論にも目を通す
作業は「ファン」でもないがやっているし。 
0532N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 00:00:07.41
>>529
>小林の批評は同じところに留まって発展はしない、対象にぶち当たった
>〈私〉、天才の秘密に行きあたった自己に湧きおこる感動。
>知的営為があることはあるが、作品や作者に没入した〈私〉における
>〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上
>の価値は見出せないという理念があったと思える。

これなんか全面的に吉本のコピーにしか見えないけどねw 小林の
批評は同じ所にとどまって発展しないとか、<私>と作品や作者の感動的
邂逅という以上の意味は小林にはないとか、やはり吉本のコピーでしか
ないねw

なんか哲学板のマルクススレにサルトルの「弁証法的理性批判」を評価
すべきって書いてるようだが、やはりそう簡単に賛同は得られなくて
「今更?」っていわれちゃってるねw まあ世の中そんなに甘くは無いという
ことだねw
0533吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:10:39.77
>>532
横だけど、引用の5行は、誰それのというより、誰でも感じる小林に対する普通の感想じゃないの?

小林好きな人はどう読んでるの?
0534吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:12:51.36
>>532
あ、それから、「弁証法的理性批判」読んでないのに批判しちゃまずいんじゃない?
それとも読んでるの?
0535N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 00:22:00.32
>>533
まあ多くのひとが小林について感じる感想といえばそのとおりであるが、別様に
書いてある感想もあるね。「同じ所にとどまって発展しない」という表現をやってるのは
やはり吉本と柄谷で、ふたりの小林についての問題意識には同じようなところが
あったと推察されるねw

>>534
マルクスのスレの住人だって、「弁証法理性批判」読まずに、サルトルのマルクス解釈に
もとづく、>>529の批判やってるわけで、別に弁証法理性批判よまずとも、批判は可能と
いえるねw マルクス読んでるやつなら、サルトルはしらずとも、マルクス解釈についての
批判はできるわけだろうからねw
0536吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:29:42.02
>>535
>多くのひとが小林について感じる感想

それなら、「吉本のコピー」とか決めつけるのは変だろ?

>サルトルはしらずとも、マルクス解釈についての批判はできる

できてもできなくても、おまえとは関係ないんじゃないの?
「今更?」というのはあまえの判断じゃないんだろ?
世の中が甘いとか辛いとかとなにか関係があるの?
0537N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 00:33:26.19
サルトルの「弁証法的理性批判」はマルクスのテキストをサルトルが読んで
その解釈をおこなったわけだが、マルクスの解釈学というのは別にサルトル
だけがやってるわけではなく、柄谷もやってるね。 まあサイードにおいて
マルキシズムの新たなる解釈をなした批評家としてあげられているのは
ルカーチ、グラムシ、アルチュセールであって、サルトルのマルクスの解釈に
ついては目下海外においてもあまり評価はされてないといえるねw
0538N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 00:36:38.37
>>536
書いた本人は吉本を非常に評価してて、吉本信者といえるくらいであり
それでその小林の評価が吉本にそっくりならば、吉本のコピーと
いったって、何もおかしくないよねw

「今更?」って書いたのは俺じゃ無くて、マルクススレの住人でねw
これが第三者による評価といえるねw 俺は哲学板でも名無しでは
書かないんでねw 単にマルクススレにあった名無しの書き込みを
こちらに転載したまでのこと。
0539吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:48:22.73
小林秀雄のアシルと亀の子なんか読むと、この男は一体全体誰に向かって
書いているんだろうかとクビかしげるような文章なのである。
曰く、どいつもこいつも通俗小説ばかり書いている、しかし小林の批評そのものが
通俗的な啖呵とハッタリで埋め尽くされているのである
今でいう毒舌タレントなんだろうね。
0540吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:49:30.82
>>538
吉本は>>532の引用5行みたいなことを書いているのか?
書いてるなら、その部分を引用してみてくれよ。

おまえの論敵が「第三者」に批判されてるのを見て、ざまあみろって言ってるのか?
おかしいんじゃないか?
0541吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 00:57:24.57
>>532
 困ったなwまあ貴方がどうしても吉本のコピーだと言いたいならいいがね。
問題はそれが誰の論かじゃなく当たっているかだと思うしね。貴方は
当たっていると認めているわけだから。

>サルトルの「弁証法的理性批判」を評価
>「今更?」っていわれちゃってるね

 「今更」どころかアレを読んだこことのある輩などあのスレには居ないわ。
レス読んでいればすぐ分かる。何も知らないと。マルクスについては護教的
なことしか言えないし。ここでも小林の護教が居座って…いや失敬w

 とにかく「甘くない」もヘチマもない。甘くない読書を日頃してるのは
俺なんだから。「無知が栄えたためしはない」。
0542N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 01:04:26.06
>>539
「アシルと亀の子」ではいろんな作家や批評家をまな板にあげてるので
誰に向かって書いてるかと言えば、とりあげられた作家や批評家、および
読者といえるねw

>>540
んじゃあ、吉本の「『本居宣長』を読む」からひいてみようか?

>小林は宿痾を再発させているともいえる。じぶんの経験に還元できるだけが
>思想だ、伝統生活の是認、体認に回帰する思想だけが不易な実理だという
>主張が繰り返しあらわれる。そして読者はいいようのない停滞感におかれる。

>私は宣長にも、それに追従し「訓詁」する小林にも哀しい盲点をみつけだす。
>日本の学問、芸術がついにすわりよく落ち着いた果てにいつも陥るあの
>普遍的な迷蒙の場所を感じる。そこは抽象・論理。原理を確立することの
>おそろしさに対する無知と軽蔑が眠っている墓地である。「凡庸」な歴史家たちや
>文学史家たちや文芸批評家たちが、ほんとうの意味で論理を軽蔑したあげく
>原理的なものなしの経験や想像力のまにまに落ちてゆく誤謬・迷信・袋小路に
>小林も陥ち込んでいるとしかおもえない。
0543N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 01:10:40.35
>>541
まあお互い護教者ということは認めざるえないかもねw

日本におけるサルトル読解の現在の第一人者ったら、一般的には
海老坂武じゃないかと思うが、海老坂だってサルトルのマルクス解釈には
ほとんど触れてないようであるしねえ。もっぱら実存主義者として
扱ってるね。 やはりサルトルは戦後フランスの激動期にフランスにおいて
ある思想的方向性を示した思想家であって、原理のひとというよりは
状況のひとに思えるねw

まあ吉本の小林評価については>>542で主たる評価を示したが、もちろん
俺はこの評価に全面的には同意しないし、吉本の小林についての考え方も
変化してるわけで、いずれにせよ俺の小林評価には吉本の考え方は
それほど影響はないわけだねw
0544N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/06(金) 01:26:14.97
まあ唯物論者だろうとテキストの解釈はやはりやらざるえないわけで
当然唯物論者が解釈学的循環におちいることもあるといえるねw
0545吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/06(金) 12:18:08.09
>>542
吉本の文と>>532で引用しているレスの内容を同じにしか読めないのが、おまえの浅薄なところだ。

>作品や作者に没入した〈私〉における〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上の価値は見出せないという理念
>じぶんの経験に還元できるだけが思想だ、伝統生活の是認、体認に回帰する思想だけが不易な実理だという主張

この違いが解らないなら、なにを読んでも無駄だ。

まあ、なにを対象にしても浅い理解しかできないところは、おまえの論敵も同じだけどなw
横から出てきて悪かったな。
好一対の二人で楽しく語り合ってるといい。
0546P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/07(土) 00:40:47.19
良スレage
0547吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/17(火) 18:27:28.06
過疎
0551吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/22(日) 17:46:11.73
小林秀雄は士族?平民?
0552吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/22(日) 20:39:48.35
小林秀雄はものすごく頭の悪い人だと思う。
0553P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/22(日) 22:08:01.96
平民ですね。町工場の息子じゃなかった?Nさんに訊いてみよう。
0555P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/22(日) 22:59:38.08
白洲次郎とかしょーもないけど、徹ちゃんはイイじゃん。
0556吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/22(日) 23:43:25.53
近代絵画論買いました
読んだ方いる?
0557N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/22(日) 23:55:20.55
ふう、ずいぶんとレスが遅くなったが一応レスしておこうw

>>545
そりゃ吉本の感想は否定的だし、君の感想は吉本のよりは肯定的って
違いはあるがね。小林の批評は同じところにとどまって発展しないという
基本モチーフは共通してるといえるねw 吉本における「経験に還元できる思想」や
「体認」や「是認」というのは、結局のところ、作品や作者との出会い、邂逅が
もたらす感動というのは否定できないわけで、やはり見取り図はほぼ一致
してるといえるねw

俺の相手してたのは、ふたりとも吉本ファンだとおもってたが、数少ない吉本ファン
同士なのに、頭が悪いって一方的に同好の士を切り捨てるとは、これは吉本の
将来の読者が増えることは期待できないといえるねw
0558N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/23(月) 00:00:41.80
>>548
偉そうかいなそんなに? 俺はあまり感じないけどねw

偉そうといえば、正宗白鳥が小林相手に島崎藤村は実に偉そうな
態度の男で結構嫌われていたという話をしていたのを思い出したねw
しかし白鳥は、島崎の偉そうな態度はうまれつきで仕方ない、島崎
文学の価値とは関係ないと述べていたねw まあだから偉そうな
態度だからといって、文学的価値がないということにはならんわけだ。

>>551
系図を見ると、小林の親父は元々農家の生まれだったが、下級藩士の
家に養子にはいったそうな。
0559N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/23(月) 00:02:37.67
>>553
小林は親父のこと、職人だといっていたねw ベルギーでダイヤモンド研磨技術を
学び、日本で初めてダイヤモンド研磨会社を設立したんだそうな。
0560N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/23(月) 00:08:40.93
>>556
読んだよ。小林本人はセザンヌ論が一番できがいいといってるが
俺は他のもそんな悪くないと思ったよ。 まあ専門の美術評論家で
いろいろ小林の問題点指摘してるのはいるけどねw
0562吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/23(月) 07:53:18.08
>>559
全部嘘らしいよ
裏が取れない
まあ先祖や自分の幼年時代捏造しるのは皆やってるけど
0563◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/05/23(月) 09:20:23.94
>>562
裏をとれないというのは、裏をとろうとした人間がいうことであって
そもそも一切裏をとってない人間がいえる言葉ではないねw

日本ダイヤモンド株式会社

http://www.nippondiamond.co.jp/profile.html
大正06年(1917) 東京銀座に資本金50万円にて小林豊造が創業
宝石加工とダイヤ工具(ダイス、ドレッサ、バイト等)の開発に着手

日本ダイヤモンド(株)のページにも小林豊造が創業って書いてあるんでね。

裏がとれなかったというからには、日本ダイヤモンド鰍ノ電話くらい
したんだろうねw そんなこともせずに全部嘘だなどというのは、おまえが
嘘つきのデマ野郎ということだねw
0566吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/23(月) 13:07:59.54
小林の戦前戦後の発言の変遷について:

…たとえば、戦争ということでも、これは非常時に大きな政策であるが、けっして巧い政策とは言えない。
しかし、この拙い政策でも、招来実際の平和を実現するために行なわねばならぬとあれば、行なわねばならぬ。
…戦いが始まった以上、いつ銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が来たら自分は喜んで祖国のために銃を取るだろう…
(「文学と自分」と題する「文芸銃後運動」のために行われた小林秀雄による講演 1940年11月)

…僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した…僕は無智だから反省なぞしない。
(「近代文学」(二号、1946年2月号)の「小林秀雄を囲んで」という座談会)
0568P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/05/23(月) 23:23:15.18
>>563
さすが!
0569吾輩は名無しである
垢版 |
2016/05/28(土) 14:57:15.81
小林秀雄の全集ダンボールでもらったんだが、なにから読めばいい?
0575吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 16:03:36.97
文学者の戦争責任は重大だ



国家が存亡の危機のときに、反戦とか共産主義とかとんでもない。
0576吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 17:57:45.97
小林秀雄の評論の中では実朝が一番好き
何回も読んだし、これからも読み続けると思う。
0577P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 21:19:30.78
>>575
僕は共産主義とかよくわからないけど、歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。
0578P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 21:21:02.96
それで先の大戦で日本は滅びかけたんだよな。それに対する小林秀雄の責任はもちろんあるよ。
0579吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 22:22:27.34
>>578
俺は不勉強なので最近日本が 追い込まれて
仕方なく戦争を始めたということを知った。
ハルノートを承諾すれば国内で何百万何千万という餓死者
が出るということだったらしい
そもそもハルノートを承諾できるわけないし、承諾すれば暴動が起きただろう
小林秀雄が言うように言わば振って沸いた災害みたいなものだ
だから勝たねばならないーーーと彼は言っているがそのとうりだと思う。
日本国民として戦意の高揚に役目を果たすのは文学者としても当然のことと思う。
0580P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 22:30:34.66
>>579
ここまでの文学板における僕のレスを読めばわかると思いますが、僕はそれを知った上で小林秀雄はかっこいいと言っています。
0582吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 22:32:09.28
>>577
> >>575
> 歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。

(* ̄- ̄)ふ〜ん 
怪しいもんだね。
0583P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 22:33:33.66
ナチスも大日本帝國も共産主義を弾圧した、という知識しかないけど(笑)
0584P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 22:35:06.28
小林秀雄が「亡国の徒」だった事は確か。でもそれで彼の文章が無価値になるわけではもちろんないと僕は言っている。セリーヌの小説に間違いなく文学的価値があるのと同じ。
0585吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/06(月) 22:56:53.78
>>579
侵略した地域から撤退して餓死者が出るなら、現在の日本に餓死者がいないのは奇跡ということになる。
たんなる財閥利権の拡大を日本の利益と言い張る右翼の世迷言だ。

小林も、その他の多くの文学者も、その冷静な視点をもてない教養のない知識人というに過ぎない。
社会を見ることができないというところが、小林の生涯変わらなかった大きな欠点だ。
0586P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 23:01:41.17
小林秀雄が語ってる「社会」というのは結局男女関係の非対称性という部分に集約されるんだけど、まあ乱暴であるのは確かだな。
0587P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/06(月) 23:02:08.92
でも、それが本質的でないとは言えないよ。やはり慧眼だとは思うよ。
0588吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/07(火) 01:58:18.67
>>583
アメリカもレッドパージ(赤狩り)といって
盛大に共産主義弾圧してるんだけど…
それで自由の国アメリカがファシズムになったかというと別になってない
0589P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/07(火) 08:39:53.70
>>588
うん、それはそうだな。子ブッシュ政権とかファシズムだったと僕は思っているけど。
0590P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/07(火) 22:29:36.05
178 名前:住人B ◆04IPYV3Pv6 :2016/06/07(火) 22:24:22.53
小林が「読書について」で助言している。

5カ条書かれてあるけど、特に気になったのは以下の助言。

【つねに一流作品のみを読め】

文芸誌を読み続けるのはいかにって悶々とする。
0591住人B ◆04IPYV3Pv6
垢版 |
2016/06/07(火) 23:13:28.62
小林は読んでも分けわからんことが多いよ。
極められることはないだろう。
ただ、触れられてる作品の8割は読みたくなる。

「Xへの手紙・私小説論」「小林秀雄集 井伏鱒二編」は読んだ。
他に「考えるヒント1〜3」「人生について」「ドストエフスキイの生活」
を読んだら解脱しようと思う。

俺がいくら小林読んでも無駄な部分もあると解かるからなw
0592P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/07(火) 23:36:11.21
うん、小林秀雄だけ読むのもよくないよね。僕は「Xへの手紙」を印刷・製本して真っ赤になるまで注釈をつけたノートを持ってるけど、まあ読み返す気はしないよな(笑)
0593住人B ◆04IPYV3Pv6
垢版 |
2016/06/08(水) 00:08:22.66
他に、小林は「これはという作家を見つけたら、全集で読め」と助言している。
あああ、全集で誰かの作品読んだことない。
来年、誰かの全集買います!
0594N ◆.a7VUr.VD.
垢版 |
2016/06/08(水) 00:53:48.64
まあ、常に一流作品だけ読むったって、それは現実には難しいし、小林
だって文芸時評やってたときは、そんなこといってられなかったわけでね。
理想と現実はやはり違うね。 小説というのは現代小説に限るって、小林は
別のところではいってるわけで、現代を描いた小説に価値があるなら
小説読者は一流ばかりは選んでられないといえるねw
0595吾輩は名無しである
垢版 |
2016/06/08(水) 04:25:50.86
小説というのは現代小説に限るって
そんなこと言っているのか
ドストエフスキー、トルストイは現代小説でないと思うが
0596P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/06/08(水) 21:54:22.14
ドストエフスキーやトルストイは19世紀末に19世紀末を活写しているから「現代小説」という事?
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