小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>527
>歴史の新しい見方とか新しい解釈とかいう思想からはっきり逃れるのが、以前には
>大変難しく思えたものだ。そういう思想は、一見魅力ある様々な手管(てくだ)めいたものを
>備えて、僕を襲ったから。一方歴史というものは、見れば見るほど動かし難い形と
>映って来るばかりであった。
魅力ある手管を備えているのは、「歴史の新しい見方とか新しい解釈という思想」であって
歴史の新しい見方や新しい解釈が魅力的に見えたから、そのような思想が備えている
「手管」も自分にとって魅力的に映ったと、そういうことだよね。 ここでいう「歴史の新しい
見方」というのは、もっぱらマルクス主義による歴史の新たな解釈のことを指しているのでは
ないかと思われるね。まあトレルチなどの新カント的な歴史哲学、ヘーゲルの歴史哲学も
おそらくは含まれているのだろうね。 >>524
困るな。勝手に「吉本のコピー」みたいに決めつけるのは。
俺は>>517>>518では吉本の小林論など引用もしてなければコピー
もしてないぞ。あれが吉本の小林論なら俺はちゃんとそう書いてるよ。
貴方の勘繰りに過ぎない。というかあれくらいのことならば小林の批評
をいくつか辿っていれば視えてくることだろう。吉本の論を援用するまで
もなく。「刷り込み」されるほど読むなら大変なものだが生憎そこまでは
読みこんではいないなあ残念ながらw
俺は吉本の小林論は読んでるが、それに全面的に依拠してここでは
書いてるわけではない。また小林については柄谷行人も書いたり喋ったり
もしている。貴方がどれだけ知ってるか知らないが、小林批判においては
柄谷や蓮実や浅田あたりのほうが吉本よりも峻烈だ手厳しいぞ。
柄谷はかつて中上健次と『小林秀雄を超えて』という対談集まで出して
おり、ちなみにこれははっきりまるごと駄目だしのための一冊だ。よって
全編手厳しい批判で埋め尽くされている。
小林にたいする駄目だしは吉本だけではないし、むしろ吉本は柄谷たち
に比べれば一部批判しながらもかつての愛読者としての思い入れのこもった
論をいつも展開している。比べてみれば分かるよ。 >>528
御丁寧にありがとうごさいます・・・!
助かりました よって
>>525にあるような>吉本の「図式的読解」などあるのかどうかも記憶にないし、
吉本の小林論よんだときに「図式的」など感じた事はないし、また元々
いちいち参照になどしてはおらぬし、変な
勘繰りもほどほどにしてもらいたい気がするんだがな。
>吉本以外の多くのひとの小林論
は上記のようにとっくに読んでいるよ。読んでて俺の方が「あんたらの言う
ほど小林の批評はひどくはない」と思う事も屡ある。
柄谷行人や浅田彰が昔やっていた『批評空間』には小林秀雄研究家が
結構いたし、のちにあの雑誌休刊後に小林論で一冊出した山城つぐみなども
いただろう。悪いが俺はそれは読んでないが。
あなたはどうも都合の悪い論は勘繰りで済ましてしまう悪癖があるん
じゃないかね。これも勘繰りには違いないがw
>多くの小林論にも目を通す
作業は「ファン」でもないがやっているし。 >>529
>小林の批評は同じところに留まって発展はしない、対象にぶち当たった
>〈私〉、天才の秘密に行きあたった自己に湧きおこる感動。
>知的営為があることはあるが、作品や作者に没入した〈私〉における
>〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上
>の価値は見出せないという理念があったと思える。
これなんか全面的に吉本のコピーにしか見えないけどねw 小林の
批評は同じ所にとどまって発展しないとか、<私>と作品や作者の感動的
邂逅という以上の意味は小林にはないとか、やはり吉本のコピーでしか
ないねw
なんか哲学板のマルクススレにサルトルの「弁証法的理性批判」を評価
すべきって書いてるようだが、やはりそう簡単に賛同は得られなくて
「今更?」っていわれちゃってるねw まあ世の中そんなに甘くは無いという
ことだねw >>532
横だけど、引用の5行は、誰それのというより、誰でも感じる小林に対する普通の感想じゃないの?
小林好きな人はどう読んでるの? >>532
あ、それから、「弁証法的理性批判」読んでないのに批判しちゃまずいんじゃない?
それとも読んでるの? >>533
まあ多くのひとが小林について感じる感想といえばそのとおりであるが、別様に
書いてある感想もあるね。「同じ所にとどまって発展しない」という表現をやってるのは
やはり吉本と柄谷で、ふたりの小林についての問題意識には同じようなところが
あったと推察されるねw
>>534
マルクスのスレの住人だって、「弁証法理性批判」読まずに、サルトルのマルクス解釈に
もとづく、>>529の批判やってるわけで、別に弁証法理性批判よまずとも、批判は可能と
いえるねw マルクス読んでるやつなら、サルトルはしらずとも、マルクス解釈についての
批判はできるわけだろうからねw >>535
>多くのひとが小林について感じる感想
それなら、「吉本のコピー」とか決めつけるのは変だろ?
>サルトルはしらずとも、マルクス解釈についての批判はできる
できてもできなくても、おまえとは関係ないんじゃないの?
「今更?」というのはあまえの判断じゃないんだろ?
世の中が甘いとか辛いとかとなにか関係があるの? サルトルの「弁証法的理性批判」はマルクスのテキストをサルトルが読んで
その解釈をおこなったわけだが、マルクスの解釈学というのは別にサルトル
だけがやってるわけではなく、柄谷もやってるね。 まあサイードにおいて
マルキシズムの新たなる解釈をなした批評家としてあげられているのは
ルカーチ、グラムシ、アルチュセールであって、サルトルのマルクスの解釈に
ついては目下海外においてもあまり評価はされてないといえるねw >>536
書いた本人は吉本を非常に評価してて、吉本信者といえるくらいであり
それでその小林の評価が吉本にそっくりならば、吉本のコピーと
いったって、何もおかしくないよねw
「今更?」って書いたのは俺じゃ無くて、マルクススレの住人でねw
これが第三者による評価といえるねw 俺は哲学板でも名無しでは
書かないんでねw 単にマルクススレにあった名無しの書き込みを
こちらに転載したまでのこと。 小林秀雄のアシルと亀の子なんか読むと、この男は一体全体誰に向かって
書いているんだろうかとクビかしげるような文章なのである。
曰く、どいつもこいつも通俗小説ばかり書いている、しかし小林の批評そのものが
通俗的な啖呵とハッタリで埋め尽くされているのである
今でいう毒舌タレントなんだろうね。 >>538
吉本は>>532の引用5行みたいなことを書いているのか?
書いてるなら、その部分を引用してみてくれよ。
おまえの論敵が「第三者」に批判されてるのを見て、ざまあみろって言ってるのか?
おかしいんじゃないか? >>532
困ったなwまあ貴方がどうしても吉本のコピーだと言いたいならいいがね。
問題はそれが誰の論かじゃなく当たっているかだと思うしね。貴方は
当たっていると認めているわけだから。
>サルトルの「弁証法的理性批判」を評価
>「今更?」っていわれちゃってるね
「今更」どころかアレを読んだこことのある輩などあのスレには居ないわ。
レス読んでいればすぐ分かる。何も知らないと。マルクスについては護教的
なことしか言えないし。ここでも小林の護教が居座って…いや失敬w
とにかく「甘くない」もヘチマもない。甘くない読書を日頃してるのは
俺なんだから。「無知が栄えたためしはない」。 >>539
「アシルと亀の子」ではいろんな作家や批評家をまな板にあげてるので
誰に向かって書いてるかと言えば、とりあげられた作家や批評家、および
読者といえるねw
>>540
んじゃあ、吉本の「『本居宣長』を読む」からひいてみようか?
>小林は宿痾を再発させているともいえる。じぶんの経験に還元できるだけが
>思想だ、伝統生活の是認、体認に回帰する思想だけが不易な実理だという
>主張が繰り返しあらわれる。そして読者はいいようのない停滞感におかれる。
>私は宣長にも、それに追従し「訓詁」する小林にも哀しい盲点をみつけだす。
>日本の学問、芸術がついにすわりよく落ち着いた果てにいつも陥るあの
>普遍的な迷蒙の場所を感じる。そこは抽象・論理。原理を確立することの
>おそろしさに対する無知と軽蔑が眠っている墓地である。「凡庸」な歴史家たちや
>文学史家たちや文芸批評家たちが、ほんとうの意味で論理を軽蔑したあげく
>原理的なものなしの経験や想像力のまにまに落ちてゆく誤謬・迷信・袋小路に
>小林も陥ち込んでいるとしかおもえない。 >>541
まあお互い護教者ということは認めざるえないかもねw
日本におけるサルトル読解の現在の第一人者ったら、一般的には
海老坂武じゃないかと思うが、海老坂だってサルトルのマルクス解釈には
ほとんど触れてないようであるしねえ。もっぱら実存主義者として
扱ってるね。 やはりサルトルは戦後フランスの激動期にフランスにおいて
ある思想的方向性を示した思想家であって、原理のひとというよりは
状況のひとに思えるねw
まあ吉本の小林評価については>>542で主たる評価を示したが、もちろん
俺はこの評価に全面的には同意しないし、吉本の小林についての考え方も
変化してるわけで、いずれにせよ俺の小林評価には吉本の考え方は
それほど影響はないわけだねw まあ唯物論者だろうとテキストの解釈はやはりやらざるえないわけで
当然唯物論者が解釈学的循環におちいることもあるといえるねw >>542
吉本の文と>>532で引用しているレスの内容を同じにしか読めないのが、おまえの浅薄なところだ。
>作品や作者に没入した〈私〉における〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上の価値は見出せないという理念
>じぶんの経験に還元できるだけが思想だ、伝統生活の是認、体認に回帰する思想だけが不易な実理だという主張
この違いが解らないなら、なにを読んでも無駄だ。
まあ、なにを対象にしても浅い理解しかできないところは、おまえの論敵も同じだけどなw
横から出てきて悪かったな。
好一対の二人で楽しく語り合ってるといい。 >>548
偉そうにするのが好きだから。
冗談ではなく、そのまんまだと思う。 平民ですね。町工場の息子じゃなかった?Nさんに訊いてみよう。 白洲次郎とかしょーもないけど、徹ちゃんはイイじゃん。 ふう、ずいぶんとレスが遅くなったが一応レスしておこうw
>>545
そりゃ吉本の感想は否定的だし、君の感想は吉本のよりは肯定的って
違いはあるがね。小林の批評は同じところにとどまって発展しないという
基本モチーフは共通してるといえるねw 吉本における「経験に還元できる思想」や
「体認」や「是認」というのは、結局のところ、作品や作者との出会い、邂逅が
もたらす感動というのは否定できないわけで、やはり見取り図はほぼ一致
してるといえるねw
俺の相手してたのは、ふたりとも吉本ファンだとおもってたが、数少ない吉本ファン
同士なのに、頭が悪いって一方的に同好の士を切り捨てるとは、これは吉本の
将来の読者が増えることは期待できないといえるねw >>548
偉そうかいなそんなに? 俺はあまり感じないけどねw
偉そうといえば、正宗白鳥が小林相手に島崎藤村は実に偉そうな
態度の男で結構嫌われていたという話をしていたのを思い出したねw
しかし白鳥は、島崎の偉そうな態度はうまれつきで仕方ない、島崎
文学の価値とは関係ないと述べていたねw まあだから偉そうな
態度だからといって、文学的価値がないということにはならんわけだ。
>>551
系図を見ると、小林の親父は元々農家の生まれだったが、下級藩士の
家に養子にはいったそうな。 >>553
小林は親父のこと、職人だといっていたねw ベルギーでダイヤモンド研磨技術を
学び、日本で初めてダイヤモンド研磨会社を設立したんだそうな。 >>556
読んだよ。小林本人はセザンヌ論が一番できがいいといってるが
俺は他のもそんな悪くないと思ったよ。 まあ専門の美術評論家で
いろいろ小林の問題点指摘してるのはいるけどねw >>559
なら、僕が書いた話だいたい合ってた(笑) >>559
全部嘘らしいよ
裏が取れない
まあ先祖や自分の幼年時代捏造しるのは皆やってるけど >>562
裏をとれないというのは、裏をとろうとした人間がいうことであって
そもそも一切裏をとってない人間がいえる言葉ではないねw
日本ダイヤモンド株式会社
http://www.nippondiamond.co.jp/profile.html
大正06年(1917) 東京銀座に資本金50万円にて小林豊造が創業
宝石加工とダイヤ工具(ダイス、ドレッサ、バイト等)の開発に着手
日本ダイヤモンド(株)のページにも小林豊造が創業って書いてあるんでね。
裏がとれなかったというからには、日本ダイヤモンド鰍ノ電話くらい
したんだろうねw そんなこともせずに全部嘘だなどというのは、おまえが
嘘つきのデマ野郎ということだねw 小林の戦前戦後の発言の変遷について:
…たとえば、戦争ということでも、これは非常時に大きな政策であるが、けっして巧い政策とは言えない。
しかし、この拙い政策でも、招来実際の平和を実現するために行なわねばならぬとあれば、行なわねばならぬ。
…戦いが始まった以上、いつ銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が来たら自分は喜んで祖国のために銃を取るだろう…
(「文学と自分」と題する「文芸銃後運動」のために行われた小林秀雄による講演 1940年11月)
…僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した…僕は無智だから反省なぞしない。
(「近代文学」(二号、1946年2月号)の「小林秀雄を囲んで」という座談会) >>566
言い訳はするけど、反省はしない、か。
ハイデガーと同じだな。 小林秀雄の全集ダンボールでもらったんだが、なにから読めばいい? >>569
開戦時の感想。
何巻に入っていたかは忘れた。 坂口安吾 文人囲碁会
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42831_26848.html
蓮實重彦スレに貼ってあった。「教祖の文学」と同じことが書いてあるけど、初めて読んで面白かった。 文学者の戦争責任は重大だ
国家が存亡の危機のときに、反戦とか共産主義とかとんでもない。 小林秀雄の評論の中では実朝が一番好き
何回も読んだし、これからも読み続けると思う。 >>575
僕は共産主義とかよくわからないけど、歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。 それで先の大戦で日本は滅びかけたんだよな。それに対する小林秀雄の責任はもちろんあるよ。 >>578
俺は不勉強なので最近日本が 追い込まれて
仕方なく戦争を始めたということを知った。
ハルノートを承諾すれば国内で何百万何千万という餓死者
が出るということだったらしい
そもそもハルノートを承諾できるわけないし、承諾すれば暴動が起きただろう
小林秀雄が言うように言わば振って沸いた災害みたいなものだ
だから勝たねばならないーーーと彼は言っているがそのとうりだと思う。
日本国民として戦意の高揚に役目を果たすのは文学者としても当然のことと思う。 >>579
ここまでの文学板における僕のレスを読めばわかると思いますが、僕はそれを知った上で小林秀雄はかっこいいと言っています。 >>577
> >>575
> 歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。
(* ̄- ̄)ふ〜ん
怪しいもんだね。 ナチスも大日本帝國も共産主義を弾圧した、という知識しかないけど(笑) 小林秀雄が「亡国の徒」だった事は確か。でもそれで彼の文章が無価値になるわけではもちろんないと僕は言っている。セリーヌの小説に間違いなく文学的価値があるのと同じ。 >>579
侵略した地域から撤退して餓死者が出るなら、現在の日本に餓死者がいないのは奇跡ということになる。
たんなる財閥利権の拡大を日本の利益と言い張る右翼の世迷言だ。
小林も、その他の多くの文学者も、その冷静な視点をもてない教養のない知識人というに過ぎない。
社会を見ることができないというところが、小林の生涯変わらなかった大きな欠点だ。 小林秀雄が語ってる「社会」というのは結局男女関係の非対称性という部分に集約されるんだけど、まあ乱暴であるのは確かだな。 でも、それが本質的でないとは言えないよ。やはり慧眼だとは思うよ。 >>583
アメリカもレッドパージ(赤狩り)といって
盛大に共産主義弾圧してるんだけど…
それで自由の国アメリカがファシズムになったかというと別になってない >>588
うん、それはそうだな。子ブッシュ政権とかファシズムだったと僕は思っているけど。 178 名前:住人B ◆04IPYV3Pv6 :2016/06/07(火) 22:24:22.53
小林が「読書について」で助言している。
5カ条書かれてあるけど、特に気になったのは以下の助言。
【つねに一流作品のみを読め】
文芸誌を読み続けるのはいかにって悶々とする。 小林は読んでも分けわからんことが多いよ。
極められることはないだろう。
ただ、触れられてる作品の8割は読みたくなる。
「Xへの手紙・私小説論」「小林秀雄集 井伏鱒二編」は読んだ。
他に「考えるヒント1〜3」「人生について」「ドストエフスキイの生活」
を読んだら解脱しようと思う。
俺がいくら小林読んでも無駄な部分もあると解かるからなw うん、小林秀雄だけ読むのもよくないよね。僕は「Xへの手紙」を印刷・製本して真っ赤になるまで注釈をつけたノートを持ってるけど、まあ読み返す気はしないよな(笑) 他に、小林は「これはという作家を見つけたら、全集で読め」と助言している。
あああ、全集で誰かの作品読んだことない。
来年、誰かの全集買います! まあ、常に一流作品だけ読むったって、それは現実には難しいし、小林
だって文芸時評やってたときは、そんなこといってられなかったわけでね。
理想と現実はやはり違うね。 小説というのは現代小説に限るって、小林は
別のところではいってるわけで、現代を描いた小説に価値があるなら
小説読者は一流ばかりは選んでられないといえるねw 小説というのは現代小説に限るって
そんなこと言っているのか
ドストエフスキー、トルストイは現代小説でないと思うが ドストエフスキーやトルストイは19世紀末に19世紀末を活写しているから「現代小説」という事? 「徒然草」の「批評家は批評家らしい偶像を作るのに忙しい」とはどういうことでしょうか?解説お願いします! 小林秀雄は稀有の批評家だが、
文の調子を整えるために、結構いいかげんな表現をすることがある
一つ一つの意味を、まじめに考えても時間の無駄なのだ。
物事の本質を見抜けずに、あれこれわかったようなことを言う
似非批評家が多いということだと思う >>595
白鳥との対談でいってるよ。ドストやトルストイが一流小説家というのは
これはまた別の話。
文芸作品における唯一の価値は後世に残ること、歴史的評価のふるいに
かけられることだといったのはオーウェルであるが、一流の作品、古典と
いうのは歴史的評価のふるいにかけられたものだといえるね。みんなが
あんまり古典を読まないのに小林はいらだって、読むなら一流の作品を
読めといったまでで、これも発言の背景を考えないと、表面的な矛盾に
ばかり足をとられてしまうといえるねw >>597
その文は単独で文章ぬきだしてあれこれ解釈してもあまり意味ないね。
その前の文章からの流れのなかで意味をとらないと。その前の文章では
西欧から近代的な批評理論が導入されて、多くの批評家が批評文の精緻を
競う有様になったが、彼らの性根を見れば皆おめでたいのである、と
書いてあるわけで、「批評家の偶像」というのは、精緻な批評文を書くための
理論であろうと、ひとまずいえるねw
かの荻生徂徠も本居宣長も文章の読み方について指南を述べているが
わからないところは最初から全部理解しようとしてはいけないと述べているねw 栗りんが、小林についての評論の連載が、新潮で2本、文学界で1本あるってことは、
小林で評論は終わったってwマジっすか?
>言の背景を考えないと、表面的な矛盾に
>ばかり足をとられてしまう
関連書籍を読まないと言質に迫れないだろうと思ったよ。
やっかいだぞ、小林は。 そーだ、分からないことがあったらここで聞けばいいんだな。 >>601
それってネットの影響でしょう
後マスメディア ドーダの人、小林秀雄 新刊
鹿島 茂 (著)
2,160円
発売日:2016/07/20 出版社:朝日新聞出版 ISBN:978-4-02-251391-5
「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」である。作家はそれぞれ「ドーダ」を表現欲として書き続けてきた。
小林秀雄の文章は難解である。「なぜ、小林秀雄は分かりづらいのか」。そこから本書はスタートし、小林のコンプレックスを突き止め、偉大な文学者の本質を軽やかに衝く。
難解な小林秀雄の文章が身近に感じられる、読みはじめたら止まらない文学論、かつ、コンプレックスにがんじがらめになった小林を身近に感じ、苦手意識が薄らぐ、読み応えのある小林秀雄論。【本の内容】 栗原裕一郎
@y_kurihara
あ、鹿島茂の小林秀雄論『ドーダの人』ついに出るのか!
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いいね 小沼洋太樫原辰郎
4:36 - 2016年6月9日
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樫原辰郎 @tatsurokashi 2 時間2 時間前
@y_kurihara これを機に、小林秀雄にまつわる全てを終わらせましょう!いない方が良かったという方向で…
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栗原裕一郎 @y_kurihara 2 時間2 時間前
小林に限らず悟性といより信仰に近い問題なのでなかなか難しいでしょうね… @tatsurokashi
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樫原辰郎 @tatsurokashi 2 時間2 時間前
@y_kurihara 野蛮で土俗的な信仰ですねぇ。どうやって博物館にしまい込めば良いのやら。 ドーダの人、小林秀雄 鹿島 茂は連載終了
新潮 2016年7月号
批評の魂[第七回]/前田英樹
小林秀雄[第三十四回]/大澤信亮
文学界 2016年7月号
若松英輔 美しい花 小林秀雄 第十七回 正宗白鳥と「架空の国」
三田文学No.125(2016年春季号)
小林秀雄と河上徹太郎 [十] 坂本忠雄
月刊誌「祖国と青年」
甦る歴史のいのち 小林秀雄ノート 占部 賢志 >>601
日本の文学批評家というのは、俺について書いてばかりいるそうじゃないか。
そんなレベルの低いことでは駄目だ、俺のことなど乗り越えていかないと、と
生前に小林は語っていたそうだが、どうも日本の文芸批評というのも、あまり
小林のときからそれほど進歩発展してないようであるねw 小林について
書くことは日本の文芸批評の進歩に寄与しない、というのは、これもひとつの
パラドックスであるから、俺も小林についてあれこれ書くときは、どうしても
このパラドックスにたびたびぶつかってしまうんだね。
まあ「徒然草」について書かれたエッセイ読んで、読者が「徒然草」を読みたい気に
なったら、小林の企みは成功したといえるねw まあエッセイごとにテーマとなった
作品を読んでたら確かに大変であるね。 日本の文学批評家のトップは小林秀雄でこれには異論はないが、
世界だと誰にんるんだ
ティボーデとかサントブーブ、スタイナーとかいるが 小林秀雄は同時代のフランスの批評家を撃っていたけど、彼らではダメなの? 609です
撃っていたって攻撃とか批判したって意味?
たとえば誰ですか
その人は小林さんに匹敵する人ですか サルトルは、たしかにbignameだし、文芸評論でも大きい仕事をしているらしいが、
ガチの無神論者(最晩年は変わったかも)で、ドストエフスキーの中心命題である
神の存在がどうのこうのというは、一笑に付しただろうと思う
さらに、小林秀雄の実朝のような磨きぬかれた美しさを彼の評論に期待することは
できないのではないか(読んだことはないが) サルトルと小林秀雄とでは視野も才能の大きさも違い過ぎる
一時蓮実重彦が盛んに小林を滑稽と言っていたが、適切の評言であるな ずば抜けて頭は良かったがやっぱりベルグソンが躓きの石だったとしか思えない。
なんでベルグソンなんかにハマったのか? >>615
頭が悪いからだろ?
もっとも、ベルクソン自体はとても優れた考察を残しているとは思うが。 小林ってやっぱり難解なんだね。
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」である。
作家はそれぞれ「ドーダ」を表現欲として書き続けてきた":鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』
honto.jp/netstore/pd-bo…
23:13 - 2016年6月8日
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"小林秀雄の文章は難解である。「なぜ、小林秀雄は分かりづらいのか」。
そこから本書はスタートし、小林のコンプレックスを突き止め、偉大な文学者の本質を軽やかに衝く"
23:14 - 2016年6月8日
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"難解な小林秀雄の文章が身近に感じられる、読みはじめたら止まらない文学論、
かつ、コンプレックスにがんじがらめになった小林を身近に感じ、
苦手意識が薄らぐ、読み応えのある小林秀雄論"
23:14 - 2016年6月8日 蓮實も小林も東大受験に一度失敗している
つまり東大受験に失敗するのが批評家になる条件だ >>609
まあクリエイターである小説家や詩人については、創造者のオーラと
後光がさすが、文学界においてはどちらかといえば寄生的で賤しい
身分とされる批評家という存在は本来日陰の存在であるなんて
意見も昔から根強いから、みんな最高の批評家は誰かなんて話には
あまり熱心にならないわけだね。このようなことをいったのは、これまた
文芸批評家のサイードであったね。
>615
小林がベルクソンにはまったのはかなり早い時期からだよ。
>>617
小林本人も人からしょっちゅうおまえの文章は難しいって文句いわれるって
ある講演で述べていたねw で、それに対する小林の答えが、易しい文章
なんてものはないってものだったねw 文章の奥にあるそれを書いた作者
人間に到達しようとすると、どんな文章もたちまち難しくなるという、これまた
小林的レトリックの一例といえるね。 小林秀雄につぃての小さな発見で本を書き、千部売れますかね。
保守勢力からの強い要請があるんだろうが。
大局的に言って、小林の文学的な評価の復活はあり得ないから、書かされる方は辛いだろう。
蓮実の小林批判は、現代の美術批評家や美術史家から見れば、発想が古臭すぎるし、むしろ小林の意外な現代性に俺は気付くが、蓮実にはまるで分からない。 >>625
「小林の意外な現代性」ってどんなこと? >>626
それはやはり、蓮実や柄谷、岡崎らが批判した部分でしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています