>>529
>小林の批評は同じところに留まって発展はしない、対象にぶち当たった
>〈私〉、天才の秘密に行きあたった自己に湧きおこる感動。
>知的営為があることはあるが、作品や作者に没入した〈私〉における
>〈震撼〉がすべてであり、作品や作者の歴史と〈私〉という歴史の邂逅以上
>の価値は見出せないという理念があったと思える。

これなんか全面的に吉本のコピーにしか見えないけどねw 小林の
批評は同じ所にとどまって発展しないとか、<私>と作品や作者の感動的
邂逅という以上の意味は小林にはないとか、やはり吉本のコピーでしか
ないねw

なんか哲学板のマルクススレにサルトルの「弁証法的理性批判」を評価
すべきって書いてるようだが、やはりそう簡単に賛同は得られなくて
「今更?」っていわれちゃってるねw まあ世の中そんなに甘くは無いという
ことだねw