小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>562
裏をとれないというのは、裏をとろうとした人間がいうことであって
そもそも一切裏をとってない人間がいえる言葉ではないねw
日本ダイヤモンド株式会社
http://www.nippondiamond.co.jp/profile.html
大正06年(1917) 東京銀座に資本金50万円にて小林豊造が創業
宝石加工とダイヤ工具(ダイス、ドレッサ、バイト等)の開発に着手
日本ダイヤモンド(株)のページにも小林豊造が創業って書いてあるんでね。
裏がとれなかったというからには、日本ダイヤモンド鰍ノ電話くらい
したんだろうねw そんなこともせずに全部嘘だなどというのは、おまえが
嘘つきのデマ野郎ということだねw 小林の戦前戦後の発言の変遷について:
…たとえば、戦争ということでも、これは非常時に大きな政策であるが、けっして巧い政策とは言えない。
しかし、この拙い政策でも、招来実際の平和を実現するために行なわねばならぬとあれば、行なわねばならぬ。
…戦いが始まった以上、いつ銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が来たら自分は喜んで祖国のために銃を取るだろう…
(「文学と自分」と題する「文芸銃後運動」のために行われた小林秀雄による講演 1940年11月)
…僕は政治的には無智な一国民として事変に処した。黙って処した…僕は無智だから反省なぞしない。
(「近代文学」(二号、1946年2月号)の「小林秀雄を囲んで」という座談会) >>566
言い訳はするけど、反省はしない、か。
ハイデガーと同じだな。 小林秀雄の全集ダンボールでもらったんだが、なにから読めばいい? >>569
開戦時の感想。
何巻に入っていたかは忘れた。 坂口安吾 文人囲碁会
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42831_26848.html
蓮實重彦スレに貼ってあった。「教祖の文学」と同じことが書いてあるけど、初めて読んで面白かった。 文学者の戦争責任は重大だ
国家が存亡の危機のときに、反戦とか共産主義とかとんでもない。 小林秀雄の評論の中では実朝が一番好き
何回も読んだし、これからも読み続けると思う。 >>575
僕は共産主義とかよくわからないけど、歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。 それで先の大戦で日本は滅びかけたんだよな。それに対する小林秀雄の責任はもちろんあるよ。 >>578
俺は不勉強なので最近日本が 追い込まれて
仕方なく戦争を始めたということを知った。
ハルノートを承諾すれば国内で何百万何千万という餓死者
が出るということだったらしい
そもそもハルノートを承諾できるわけないし、承諾すれば暴動が起きただろう
小林秀雄が言うように言わば振って沸いた災害みたいなものだ
だから勝たねばならないーーーと彼は言っているがそのとうりだと思う。
日本国民として戦意の高揚に役目を果たすのは文学者としても当然のことと思う。 >>579
ここまでの文学板における僕のレスを読めばわかると思いますが、僕はそれを知った上で小林秀雄はかっこいいと言っています。 >>577
> >>575
> 歴史をひもとく限り、共産主義に対する弾圧からファシズムが始まるんだけどね。
(* ̄- ̄)ふ〜ん
怪しいもんだね。 ナチスも大日本帝國も共産主義を弾圧した、という知識しかないけど(笑) 小林秀雄が「亡国の徒」だった事は確か。でもそれで彼の文章が無価値になるわけではもちろんないと僕は言っている。セリーヌの小説に間違いなく文学的価値があるのと同じ。 >>579
侵略した地域から撤退して餓死者が出るなら、現在の日本に餓死者がいないのは奇跡ということになる。
たんなる財閥利権の拡大を日本の利益と言い張る右翼の世迷言だ。
小林も、その他の多くの文学者も、その冷静な視点をもてない教養のない知識人というに過ぎない。
社会を見ることができないというところが、小林の生涯変わらなかった大きな欠点だ。 小林秀雄が語ってる「社会」というのは結局男女関係の非対称性という部分に集約されるんだけど、まあ乱暴であるのは確かだな。 でも、それが本質的でないとは言えないよ。やはり慧眼だとは思うよ。 >>583
アメリカもレッドパージ(赤狩り)といって
盛大に共産主義弾圧してるんだけど…
それで自由の国アメリカがファシズムになったかというと別になってない >>588
うん、それはそうだな。子ブッシュ政権とかファシズムだったと僕は思っているけど。 178 名前:住人B ◆04IPYV3Pv6 :2016/06/07(火) 22:24:22.53
小林が「読書について」で助言している。
5カ条書かれてあるけど、特に気になったのは以下の助言。
【つねに一流作品のみを読め】
文芸誌を読み続けるのはいかにって悶々とする。 小林は読んでも分けわからんことが多いよ。
極められることはないだろう。
ただ、触れられてる作品の8割は読みたくなる。
「Xへの手紙・私小説論」「小林秀雄集 井伏鱒二編」は読んだ。
他に「考えるヒント1〜3」「人生について」「ドストエフスキイの生活」
を読んだら解脱しようと思う。
俺がいくら小林読んでも無駄な部分もあると解かるからなw うん、小林秀雄だけ読むのもよくないよね。僕は「Xへの手紙」を印刷・製本して真っ赤になるまで注釈をつけたノートを持ってるけど、まあ読み返す気はしないよな(笑) 他に、小林は「これはという作家を見つけたら、全集で読め」と助言している。
あああ、全集で誰かの作品読んだことない。
来年、誰かの全集買います! まあ、常に一流作品だけ読むったって、それは現実には難しいし、小林
だって文芸時評やってたときは、そんなこといってられなかったわけでね。
理想と現実はやはり違うね。 小説というのは現代小説に限るって、小林は
別のところではいってるわけで、現代を描いた小説に価値があるなら
小説読者は一流ばかりは選んでられないといえるねw 小説というのは現代小説に限るって
そんなこと言っているのか
ドストエフスキー、トルストイは現代小説でないと思うが ドストエフスキーやトルストイは19世紀末に19世紀末を活写しているから「現代小説」という事? 「徒然草」の「批評家は批評家らしい偶像を作るのに忙しい」とはどういうことでしょうか?解説お願いします! 小林秀雄は稀有の批評家だが、
文の調子を整えるために、結構いいかげんな表現をすることがある
一つ一つの意味を、まじめに考えても時間の無駄なのだ。
物事の本質を見抜けずに、あれこれわかったようなことを言う
似非批評家が多いということだと思う >>595
白鳥との対談でいってるよ。ドストやトルストイが一流小説家というのは
これはまた別の話。
文芸作品における唯一の価値は後世に残ること、歴史的評価のふるいに
かけられることだといったのはオーウェルであるが、一流の作品、古典と
いうのは歴史的評価のふるいにかけられたものだといえるね。みんなが
あんまり古典を読まないのに小林はいらだって、読むなら一流の作品を
読めといったまでで、これも発言の背景を考えないと、表面的な矛盾に
ばかり足をとられてしまうといえるねw >>597
その文は単独で文章ぬきだしてあれこれ解釈してもあまり意味ないね。
その前の文章からの流れのなかで意味をとらないと。その前の文章では
西欧から近代的な批評理論が導入されて、多くの批評家が批評文の精緻を
競う有様になったが、彼らの性根を見れば皆おめでたいのである、と
書いてあるわけで、「批評家の偶像」というのは、精緻な批評文を書くための
理論であろうと、ひとまずいえるねw
かの荻生徂徠も本居宣長も文章の読み方について指南を述べているが
わからないところは最初から全部理解しようとしてはいけないと述べているねw 栗りんが、小林についての評論の連載が、新潮で2本、文学界で1本あるってことは、
小林で評論は終わったってwマジっすか?
>言の背景を考えないと、表面的な矛盾に
>ばかり足をとられてしまう
関連書籍を読まないと言質に迫れないだろうと思ったよ。
やっかいだぞ、小林は。 そーだ、分からないことがあったらここで聞けばいいんだな。 >>601
それってネットの影響でしょう
後マスメディア ドーダの人、小林秀雄 新刊
鹿島 茂 (著)
2,160円
発売日:2016/07/20 出版社:朝日新聞出版 ISBN:978-4-02-251391-5
「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」である。作家はそれぞれ「ドーダ」を表現欲として書き続けてきた。
小林秀雄の文章は難解である。「なぜ、小林秀雄は分かりづらいのか」。そこから本書はスタートし、小林のコンプレックスを突き止め、偉大な文学者の本質を軽やかに衝く。
難解な小林秀雄の文章が身近に感じられる、読みはじめたら止まらない文学論、かつ、コンプレックスにがんじがらめになった小林を身近に感じ、苦手意識が薄らぐ、読み応えのある小林秀雄論。【本の内容】 栗原裕一郎
@y_kurihara
あ、鹿島茂の小林秀雄論『ドーダの人』ついに出るのか!
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4:36 - 2016年6月9日
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樫原辰郎 @tatsurokashi 2 時間2 時間前
@y_kurihara これを機に、小林秀雄にまつわる全てを終わらせましょう!いない方が良かったという方向で…
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栗原裕一郎 @y_kurihara 2 時間2 時間前
小林に限らず悟性といより信仰に近い問題なのでなかなか難しいでしょうね… @tatsurokashi
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樫原辰郎 @tatsurokashi 2 時間2 時間前
@y_kurihara 野蛮で土俗的な信仰ですねぇ。どうやって博物館にしまい込めば良いのやら。 ドーダの人、小林秀雄 鹿島 茂は連載終了
新潮 2016年7月号
批評の魂[第七回]/前田英樹
小林秀雄[第三十四回]/大澤信亮
文学界 2016年7月号
若松英輔 美しい花 小林秀雄 第十七回 正宗白鳥と「架空の国」
三田文学No.125(2016年春季号)
小林秀雄と河上徹太郎 [十] 坂本忠雄
月刊誌「祖国と青年」
甦る歴史のいのち 小林秀雄ノート 占部 賢志 >>601
日本の文学批評家というのは、俺について書いてばかりいるそうじゃないか。
そんなレベルの低いことでは駄目だ、俺のことなど乗り越えていかないと、と
生前に小林は語っていたそうだが、どうも日本の文芸批評というのも、あまり
小林のときからそれほど進歩発展してないようであるねw 小林について
書くことは日本の文芸批評の進歩に寄与しない、というのは、これもひとつの
パラドックスであるから、俺も小林についてあれこれ書くときは、どうしても
このパラドックスにたびたびぶつかってしまうんだね。
まあ「徒然草」について書かれたエッセイ読んで、読者が「徒然草」を読みたい気に
なったら、小林の企みは成功したといえるねw まあエッセイごとにテーマとなった
作品を読んでたら確かに大変であるね。 日本の文学批評家のトップは小林秀雄でこれには異論はないが、
世界だと誰にんるんだ
ティボーデとかサントブーブ、スタイナーとかいるが 小林秀雄は同時代のフランスの批評家を撃っていたけど、彼らではダメなの? 609です
撃っていたって攻撃とか批判したって意味?
たとえば誰ですか
その人は小林さんに匹敵する人ですか サルトルは、たしかにbignameだし、文芸評論でも大きい仕事をしているらしいが、
ガチの無神論者(最晩年は変わったかも)で、ドストエフスキーの中心命題である
神の存在がどうのこうのというは、一笑に付しただろうと思う
さらに、小林秀雄の実朝のような磨きぬかれた美しさを彼の評論に期待することは
できないのではないか(読んだことはないが) サルトルと小林秀雄とでは視野も才能の大きさも違い過ぎる
一時蓮実重彦が盛んに小林を滑稽と言っていたが、適切の評言であるな ずば抜けて頭は良かったがやっぱりベルグソンが躓きの石だったとしか思えない。
なんでベルグソンなんかにハマったのか? >>615
頭が悪いからだろ?
もっとも、ベルクソン自体はとても優れた考察を残しているとは思うが。 小林ってやっぱり難解なんだね。
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"「ドーダ」とは「自己愛に源を発するすべての表現行為」である。
作家はそれぞれ「ドーダ」を表現欲として書き続けてきた":鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』
honto.jp/netstore/pd-bo…
23:13 - 2016年6月8日
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"小林秀雄の文章は難解である。「なぜ、小林秀雄は分かりづらいのか」。
そこから本書はスタートし、小林のコンプレックスを突き止め、偉大な文学者の本質を軽やかに衝く"
23:14 - 2016年6月8日
悪漢と密偵
@BaddieBeagle
"難解な小林秀雄の文章が身近に感じられる、読みはじめたら止まらない文学論、
かつ、コンプレックスにがんじがらめになった小林を身近に感じ、
苦手意識が薄らぐ、読み応えのある小林秀雄論"
23:14 - 2016年6月8日 蓮實も小林も東大受験に一度失敗している
つまり東大受験に失敗するのが批評家になる条件だ >>609
まあクリエイターである小説家や詩人については、創造者のオーラと
後光がさすが、文学界においてはどちらかといえば寄生的で賤しい
身分とされる批評家という存在は本来日陰の存在であるなんて
意見も昔から根強いから、みんな最高の批評家は誰かなんて話には
あまり熱心にならないわけだね。このようなことをいったのは、これまた
文芸批評家のサイードであったね。
>615
小林がベルクソンにはまったのはかなり早い時期からだよ。
>>617
小林本人も人からしょっちゅうおまえの文章は難しいって文句いわれるって
ある講演で述べていたねw で、それに対する小林の答えが、易しい文章
なんてものはないってものだったねw 文章の奥にあるそれを書いた作者
人間に到達しようとすると、どんな文章もたちまち難しくなるという、これまた
小林的レトリックの一例といえるね。 小林秀雄につぃての小さな発見で本を書き、千部売れますかね。
保守勢力からの強い要請があるんだろうが。
大局的に言って、小林の文学的な評価の復活はあり得ないから、書かされる方は辛いだろう。
蓮実の小林批判は、現代の美術批評家や美術史家から見れば、発想が古臭すぎるし、むしろ小林の意外な現代性に俺は気付くが、蓮実にはまるで分からない。 >>625
「小林の意外な現代性」ってどんなこと? >>626
それはやはり、蓮実や柄谷、岡崎らが批判した部分でしょう。 >>628
具体的に書くことは、原稿料の問題が出てくる罠。 >>630
これ以上、具体的に掲示板で発言する程、お人好しな人はいないだろう。 秀坊は簡単なことを難解な文章にすることが得意なただのおっさん。 感性を研ぎ澄ますと難解な文になるんだ、なんて持ち上げる人もいるみたいだよ。
小林の文章を難しいと思う人は、感性が鈍いんだってさ。 >>634
そんなこと言ってかっこつけてる奴も理解できない奴のひとりだろ。 浅田や岡ア、蓮実、柄谷を通じて小林を理解することは取りあえず不可能なんだから、他のルートを探せば良い。
西洋の美術史の中では小林の言うことは、そんなに難しくも、変わってる訳でもない。
小林が理解されない大きな理由の一つは、日本にまともな美術史家が存在したことがなかったということが理由としてあげられる。 栗原のような無才は、下読みという特権を利用すれば、他人のアイデアなど簡単にただで手に入れられると思ってやがるが、それは栗原の大きな勘違いだ。 小林は難解じゃないだろ
答えを言わないで自分で考えろって感じの文だけど >>636
小林は理解されないんじゃなくて、同意されないんじゃない?
日本の美術史家という人たちについては、まるで知らないけど。 鹿島茂
@office_kashima
【新刊案内】
鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』(朝日新聞出版・2016年7月20日発売)
「一冊の本」2008年1月〜2015年12月長期連載の「ドーダの文学史」より、小林秀雄分の書籍化です。 わかりやすく書こうと思えば書けるけど、書きたくないんじゃないの。小林秀雄は。 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 >>646
昔の日本人は、古人の教えを学ぶことが社会を安定させる礎だと考えていた。
それが、時代にそぐわないとみるか、時代を超えて守るべき人間の知恵とみるか、ということだろう。
資本主義社会で利益を追求するには、古人の教えは邪魔になる。
ごく一部の金儲けに都合のいい教えを強調する人はいるが。 ドーダの人、小林秀雄読んだよ、八重洲ブックセンターで平積で普通に売ってて手に入ったがどーもフライングみたいだな
小林秀雄のドーダの例
・ランボーとか外からの権威でドーダ、外ドーダ
・大した内容じゃないことを飛躍的なレトリックでついてこれないものを切り捨てるバッサリドーダ
・ほんとは小賢しい知識人より何も語らない市世の人のが偉いんだよの内ドーダ
内容はドーダを駆使した小林秀雄の文章は、若者のパーセントの多かった戦前戦後を絶頂に、
若者を中心としたドーダを必要とした時代、高度成長期までの日本には必要だったが故にこそ絶対の力を持ち、
現実のランボー、モーツァルト、ゴッホとは違うが可能性としてのランボーらを確かに再現したが故にこそ時代を呪縛した
しかし、サブカルチャーでパルコでおいしい生活以降のフラットな文化では権威に基づく小林秀雄的ドーダに意味がなくなった
更にその後の停滞や高齢化社会ではドーダ自体が陰にこもり意味をなさなくなった
ドーダ自体がなくなることはないがドーダの人が突出する小林秀雄のような例はなくなった
しかし、テロや貧富の差の劇的な拡大のありうる現在、小林秀雄的なものの再来はありうる 小林秀雄の元ネタはサント・ブーヴでだからユゴーを寝とるように中原から寝とったと
また詩や小説に行かないで批評に行ったのもユゴーがいたブーヴと同じだと 鹿島茂の本によると小林秀雄のランボー訳はランボーが色々な口真似しているところを、
わけもわからずにそのまま訳しているところが多いらしい
竹中直人がブルース・リーや松田優作や色々な有名人が降臨しているのに活字起こして、
それを松田優作達を知らない外国人が訳している
そういうものらしい
篠沢秀夫曰く、地獄での一季節はボシュエの説教を思わせる信仰の炎のように語るかと思うと、
卑語をまじえて教会を嘲笑う。
フランス文学科に在籍したばかりの日本人の学生でキリスト教に馴染んだ
フランス人が読めば容易に読み取れるシニフィアンの変化などわかるわけがなかった で、全てを平板化して俺が俺がのドーダの詩にしてしまったが故にこそ、
読者の心を鷲掴みにして時代を作ってしまった
訳としては誤訳もいいところだけど時代の中でランボーに求められていた、
インパクトをそのまま維持し加速できたのは小林秀雄だけであり、
単なる間違いと切って捨てられないある現象だった
ランボーもモーツァルトもドストエフスキーもゴッホも
小林の扱ったものは皆そういうものだ そろそろ小林秀雄を神様に祭り上げた日本の文壇、言論出版界の特殊な利権構造を
解説した本が出てもいいんだが。 そもそも、小林秀雄なんて昔からなんの影響力もないだろ?
亀井勝一郎と好一対の人世論者に過ぎない、というのが普通の評価なんだから。 でも小林秀雄も輝いていた時代があったわけで、
鹿島の本もそうだが、その真骨頂、一番の存在意義を見落としている
プロレタリア文学や左翼が文壇を制覇しようとした時に、
特に批評で一人で対抗できてたのが小林秀雄なわけで
(小説とかなら老大家がいくらでもいたが批評ではいなかった)
マルクスとフランス象徴主義を混ぜて、文学はそんな一元的決定論じゃないんだ、
存在が意識を決定しているんであって、お前ら薄っぺらい左翼みたいに、
イデオロギーで意識で現実を決定できると思うなよ
そんなしょうもないイデオロギー先行文学など下らない
お前らマルクスも読めてないのかとやった、やれたのは小林秀雄だけだから
存在意義があったのはその時だけで左翼文学自体が弾圧で消失したが
それでも小林秀雄はその他の批評家とは違う
鹿島茂は河上徹太郎と比較してるが比べられない
その一瞬の真骨頂の時代除けば確かにただの人生論の人だが
小林秀雄の真価はなめられてはいけない 柄谷や蓮実並に理論的に突出してた輝いてた時代があったわけで
柄谷たちがどう凄いか今はぼやけてよくわからないように
吉本隆明が教条的左翼全盛時代に、左翼前衛やスターリニストよくたばれ、
お前らは大衆の原像を見失っている、社会がその時になるまで害毒だ
自力本願の前衛どもよ死ねやとやって時代を鷲掴みにしたように
その自体を体験していないものには吉本隆明なんかただの爺にすぎない
批評家には役割があって役割終わったら殆どゴミだが、
それで評価したら可愛そうだ >>655-656
小林秀雄の価値を論じるのはいいと思うよ。
それが見当違いでも。
でも、吉本隆明の価値を論じるのは、スレ違いだよ。
見当違いでもあるし。 自分にとって気にくわないだけだろw
小林と吉本隆明との立ち位置の類似論じてるだけで、
吉本が主題じゃないことは一目瞭然で無視すりゃいいのに
馬鹿なのww 戦前の一時期マルクスとサンボリズムで左翼に一人対峙した小林秀雄と、
戦後の一時期自力本願否定や転向論で左翼前衛主義に立ち向かった、
吉本隆明との明確な類似性に何をケチつけてるんだか
わからんw
思想的には全然違うが批評家としての役割機能は良く似てた >>658
そう?
それなら、その主旨自体が見当違い、って指摘したほうが良かった? >>659
まったく、似てないよ?
小林は、自分の感覚だけを頼りに、というより、自分の感覚の正しさを確認したかっただけ。
吉本は、客観的な基準を求めることに全生涯を費やした。
社会的な役割も、それぞれの方向性も真逆といえる。 批評家として決定論的マルクス主義に一人対峙した、
立ち位置が似ているという話が読めない文盲なのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています