小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>626
それはやはり、蓮実や柄谷、岡崎らが批判した部分でしょう。 >>628
具体的に書くことは、原稿料の問題が出てくる罠。 >>630
これ以上、具体的に掲示板で発言する程、お人好しな人はいないだろう。 秀坊は簡単なことを難解な文章にすることが得意なただのおっさん。 感性を研ぎ澄ますと難解な文になるんだ、なんて持ち上げる人もいるみたいだよ。
小林の文章を難しいと思う人は、感性が鈍いんだってさ。 >>634
そんなこと言ってかっこつけてる奴も理解できない奴のひとりだろ。 浅田や岡ア、蓮実、柄谷を通じて小林を理解することは取りあえず不可能なんだから、他のルートを探せば良い。
西洋の美術史の中では小林の言うことは、そんなに難しくも、変わってる訳でもない。
小林が理解されない大きな理由の一つは、日本にまともな美術史家が存在したことがなかったということが理由としてあげられる。 栗原のような無才は、下読みという特権を利用すれば、他人のアイデアなど簡単にただで手に入れられると思ってやがるが、それは栗原の大きな勘違いだ。 小林は難解じゃないだろ
答えを言わないで自分で考えろって感じの文だけど >>636
小林は理解されないんじゃなくて、同意されないんじゃない?
日本の美術史家という人たちについては、まるで知らないけど。 鹿島茂
@office_kashima
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鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』(朝日新聞出版・2016年7月20日発売)
「一冊の本」2008年1月〜2015年12月長期連載の「ドーダの文学史」より、小林秀雄分の書籍化です。 わかりやすく書こうと思えば書けるけど、書きたくないんじゃないの。小林秀雄は。 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 >>646
昔の日本人は、古人の教えを学ぶことが社会を安定させる礎だと考えていた。
それが、時代にそぐわないとみるか、時代を超えて守るべき人間の知恵とみるか、ということだろう。
資本主義社会で利益を追求するには、古人の教えは邪魔になる。
ごく一部の金儲けに都合のいい教えを強調する人はいるが。 ドーダの人、小林秀雄読んだよ、八重洲ブックセンターで平積で普通に売ってて手に入ったがどーもフライングみたいだな
小林秀雄のドーダの例
・ランボーとか外からの権威でドーダ、外ドーダ
・大した内容じゃないことを飛躍的なレトリックでついてこれないものを切り捨てるバッサリドーダ
・ほんとは小賢しい知識人より何も語らない市世の人のが偉いんだよの内ドーダ
内容はドーダを駆使した小林秀雄の文章は、若者のパーセントの多かった戦前戦後を絶頂に、
若者を中心としたドーダを必要とした時代、高度成長期までの日本には必要だったが故にこそ絶対の力を持ち、
現実のランボー、モーツァルト、ゴッホとは違うが可能性としてのランボーらを確かに再現したが故にこそ時代を呪縛した
しかし、サブカルチャーでパルコでおいしい生活以降のフラットな文化では権威に基づく小林秀雄的ドーダに意味がなくなった
更にその後の停滞や高齢化社会ではドーダ自体が陰にこもり意味をなさなくなった
ドーダ自体がなくなることはないがドーダの人が突出する小林秀雄のような例はなくなった
しかし、テロや貧富の差の劇的な拡大のありうる現在、小林秀雄的なものの再来はありうる 小林秀雄の元ネタはサント・ブーヴでだからユゴーを寝とるように中原から寝とったと
また詩や小説に行かないで批評に行ったのもユゴーがいたブーヴと同じだと 鹿島茂の本によると小林秀雄のランボー訳はランボーが色々な口真似しているところを、
わけもわからずにそのまま訳しているところが多いらしい
竹中直人がブルース・リーや松田優作や色々な有名人が降臨しているのに活字起こして、
それを松田優作達を知らない外国人が訳している
そういうものらしい
篠沢秀夫曰く、地獄での一季節はボシュエの説教を思わせる信仰の炎のように語るかと思うと、
卑語をまじえて教会を嘲笑う。
フランス文学科に在籍したばかりの日本人の学生でキリスト教に馴染んだ
フランス人が読めば容易に読み取れるシニフィアンの変化などわかるわけがなかった で、全てを平板化して俺が俺がのドーダの詩にしてしまったが故にこそ、
読者の心を鷲掴みにして時代を作ってしまった
訳としては誤訳もいいところだけど時代の中でランボーに求められていた、
インパクトをそのまま維持し加速できたのは小林秀雄だけであり、
単なる間違いと切って捨てられないある現象だった
ランボーもモーツァルトもドストエフスキーもゴッホも
小林の扱ったものは皆そういうものだ そろそろ小林秀雄を神様に祭り上げた日本の文壇、言論出版界の特殊な利権構造を
解説した本が出てもいいんだが。 そもそも、小林秀雄なんて昔からなんの影響力もないだろ?
亀井勝一郎と好一対の人世論者に過ぎない、というのが普通の評価なんだから。 でも小林秀雄も輝いていた時代があったわけで、
鹿島の本もそうだが、その真骨頂、一番の存在意義を見落としている
プロレタリア文学や左翼が文壇を制覇しようとした時に、
特に批評で一人で対抗できてたのが小林秀雄なわけで
(小説とかなら老大家がいくらでもいたが批評ではいなかった)
マルクスとフランス象徴主義を混ぜて、文学はそんな一元的決定論じゃないんだ、
存在が意識を決定しているんであって、お前ら薄っぺらい左翼みたいに、
イデオロギーで意識で現実を決定できると思うなよ
そんなしょうもないイデオロギー先行文学など下らない
お前らマルクスも読めてないのかとやった、やれたのは小林秀雄だけだから
存在意義があったのはその時だけで左翼文学自体が弾圧で消失したが
それでも小林秀雄はその他の批評家とは違う
鹿島茂は河上徹太郎と比較してるが比べられない
その一瞬の真骨頂の時代除けば確かにただの人生論の人だが
小林秀雄の真価はなめられてはいけない 柄谷や蓮実並に理論的に突出してた輝いてた時代があったわけで
柄谷たちがどう凄いか今はぼやけてよくわからないように
吉本隆明が教条的左翼全盛時代に、左翼前衛やスターリニストよくたばれ、
お前らは大衆の原像を見失っている、社会がその時になるまで害毒だ
自力本願の前衛どもよ死ねやとやって時代を鷲掴みにしたように
その自体を体験していないものには吉本隆明なんかただの爺にすぎない
批評家には役割があって役割終わったら殆どゴミだが、
それで評価したら可愛そうだ >>655-656
小林秀雄の価値を論じるのはいいと思うよ。
それが見当違いでも。
でも、吉本隆明の価値を論じるのは、スレ違いだよ。
見当違いでもあるし。 自分にとって気にくわないだけだろw
小林と吉本隆明との立ち位置の類似論じてるだけで、
吉本が主題じゃないことは一目瞭然で無視すりゃいいのに
馬鹿なのww 戦前の一時期マルクスとサンボリズムで左翼に一人対峙した小林秀雄と、
戦後の一時期自力本願否定や転向論で左翼前衛主義に立ち向かった、
吉本隆明との明確な類似性に何をケチつけてるんだか
わからんw
思想的には全然違うが批評家としての役割機能は良く似てた >>658
そう?
それなら、その主旨自体が見当違い、って指摘したほうが良かった? >>659
まったく、似てないよ?
小林は、自分の感覚だけを頼りに、というより、自分の感覚の正しさを確認したかっただけ。
吉本は、客観的な基準を求めることに全生涯を費やした。
社会的な役割も、それぞれの方向性も真逆といえる。 批評家として決定論的マルクス主義に一人対峙した、
立ち位置が似ているという話が読めない文盲なのか 何から何まで違う小林と吉本の立ち位置が重なってしまっているのが
面白いという話なのにな
何に噛みついているんだか >>662
小林が?
それとも、小林も吉本も?
決定論的マルクス主義ってなに?
もう少し、きちんとした文を書いて欲しいな。 >>663
たとえば、戦前のマルクス主義は日陰の思想だし、戦後の日本共産党に対しては、左右を問わず反対する批評家はとても多かった。
小林と吉本の日本共産党に対する立場など、その中の一つに過ぎないし、特に根源的というわけでもない。 そりゃ右ががった奴等とかマルクス主義をずっと叩いていたよ
相手にはされてなかったが
指導的批評家で大衆にも影響与えうる人間で、
有効なマルクス主義批判とか前衛批判やったのが、大衆に届かせたのが、
戦前では小林、戦後は吉本なのも歴史的事実だろ
宮本顕治とかが弾圧の中で非転向だったから誰も頭上がらない中で、
あいつらは大衆の現実無視した転向者だとやって度肝を抜いたのが、
吉本だし 小林だって相手にされないような小物ならともかく、
文壇の主流が左翼に牛耳られそうな一時期、一人気を吐いたのが小林だった、
そういった時が確かにあったわけで
その後、左翼は弾圧されて小林のやってたことが何が何だか、
よくわからなくなったけど 小林の話に戻すと
小林がマルクスやヴァレリー引っ張って存在が意識を決定するんで、
意識が現実を決めるんじゃない、
サンボリズムの詩は現実の多様さを表そうと試みている、
社会性、存在の多様さを再現できない困難を克服しようとしている
お前ら教条的マルクス主義者の描く文学みたいなイデオロギーの押しつけじゃない、
文学は多様なんだ、お前らは未熟なんだとやった時は、
柄谷のゲーデルみたいなもんで理論的にとんがってて最先端だったわけ
何が何だか凄いと
柄谷自身が言ってることだけどな 今の時代に小林秀雄の価値はゼロ
他人の物を批評するってのはそういうこと
だから知識人は今の時代には誰もいない 柄谷のデリダの脱構築の形式化理解も蓮実の表層批評も、
吉本の自力本願の前衛による指導への徹底批判も、
単純マルクス主義の経済決定論への文学への適用への批判がある
それは小林がヴァレリーからパクったサンボリズム理解と同型で、
立ち位置は重なる >>666
戦前は右翼全盛だ。
共産党関係者というだけで、太宰も投獄されたし、多喜二は惨殺された。
小林も当初はマルクスに頼ろうとしていたが、時代の空気に流されて非マルクスへと転向していった。
ことさら反共産党だったともいえない。
有効なマルクス主義批判なるものも見たことがない。
宮本顕治が非転向であろうとなかろうと、崇拝者はごく一部だ。
戦後の近代文学派でも宮本などを評価しているわけではないし、多くの左翼的な批評家が反共産党だ。
花田清輝でさえ、共産党一辺倒というほど単純ではない。
吉本の共産党批判は、政治的には、すでにある反共産党の流れの中での一部に過ぎない。
具体的には、黒田寛一、梅本克己、岩田弘などの共産党批判が前衛党のあり方をめぐっての批判であるのに対して、吉本は組織自体を否定したということになる。
どれも効果がなかったことは、現在の政治状況によく現れている。
小林秀雄は、たんなる風見鶏だから、戦前も戦後もちょっと気の利いたことを言っているだけだ。
政治的にも文学的にも、当時も現在も、社会的にはまったく影響を与えていないといえる。
それが、批評家としては、仲間褒めに終始している印象を振りまいている原因だ。 柄谷が小林秀雄の最良な部分はマルクスとサンボリズムを合体して、
プロレタリア文学に対抗したころと評価してる
それはほんの一時期だったことはさんざん書いてるだろ
マルクスとサンボリズムをそう読み込めたのは世界でも最先端だった
吉本隆明は関係の絶対性、転向論、大衆の原像、最後の親鸞と、
前衛左翼が大衆を引っ張り指導することを全否定し続けた人間だろ
自力本願の否定で首尾一貫してる
前衛左翼の否定で徹頭徹尾貫いている
それで大批評家になり偶像になった人間だ
何でそれを否定するかな >>672
めんどくさいから、間違いだけ指摘しとく。
小林秀雄はマルクスとサンボリズムを合体なんかしていない。
そもそもマルクスには、文学に触れた著作がない。
吉本隆明は、むしろ「自立」という、実存主義的な批評家だ。
「前衛左翼の否定で」「大批評家になり偶像になった」わけでもない。
吉本隆明の価値と評価は、学術的な3部作にある。 三部作だってあれは左翼決定論文学批判だぞ
それがわかってなかったから噛みついてたのか
なるほど
共同幻想論も幻想領域は独立している、
プロレタリア文学の想定する単純決定論には還元できないと言う話
言語美も心的現象論も同じ
理論的著作とか自分の主テーマの補完するためのもので、
だからこそがんばって書いてるのに
吉本の意図が読めてないなら話が食い違うはずだ
マルクスは文学論は書いていないのに勝手に文学論押しつける奴等に、
存在が意識を規定するんだとかましたのが小林秀雄の格好良さじゃないの?
更にそれが宿命に繋がっていく
宿命の人生論テーマがマルクスと繋がっているのが小林のねじくれた、
面白さだろ
単なる反動ウヨじゃないと主張できるのが小林の強み >>674
>三部作だってあれは左翼決定論文学批判
吉本スレでもないのに書くのは気が引けるが、読んでないなら、君が読み終わるまで待つから、読んでから書き込んでくれ。
まったく見当違いだということがわかるだろうから。
>存在が意識を規定するんだとかましたのが小林秀雄の格好良さ
なに言ってるのかわからないな。
「存在が意識を規定する」というのは、マルクス主義(文学)のテーマだぞ? 共同幻想論序
はっきりさせるために逆にいいますと、経済的諸範疇を取り扱う場合には幻想領域は捨象することができる。中略
ところが、幻想的範疇をその構造において取り扱う場合には、少なくとも反映とか模写じゃなくて、
ある構造を介して関係があるというところまでには経済的範疇というものはしりぞけることができる。
理論三部作の一貫した立場でマルクス主義文学や政治思想の単純な反映や模写を批判するために書いた
小林秀雄も同じでプロレタリア文学理論の単なる反映や模写じゃなくて、
そこには収まらない多様な文学を擁護するためにマルクスを利用した
モデルはサンボリズムであれは存在が意識を規定し、
貧しいプロレタリア文学のような反映や模写じよない、
多様な現実を表現するための苦闘の果てと捉えた
貧しいマルクス主義文学の否定を行った
プロレタリア文学に圧迫されている日本の老大家の作品を擁護するためなどに使った
マルクスとサンボリズムを結びつけた
それが初期小林の立場だよ 吉本隆明が序文で書いているのに読み飛ばしたのかね
よくわからないが >>676>>677
だからさ、『共同幻想論』を最後まで読んでから書き込んでくれよ。
序文でも、「単純な反映や模写を批判するために」なんて貧しいことが書いてあるわけではないよ。
負けず嫌いはいいけど、基本的な読解力は必要だ。
プロレタリア文学だと、同じものを見た人は同じことを感じると書いてあるとでも思う?
そもそも、そうじゃないから、文学に思想を導入すべきというのが、プロレタリア文学なんだよ?
反共のために書き込んでるんだろうが、つまらない視点からは、つまらない結論しか見えてこないんだ。 普通に小林秀雄がマルクス主義に対抗してた、する必要があった、
マルクスを読みながらマルクス主義批判に逆用してた時機があったのも、
鹿島茂の本にだって書いてある
吉本隆明が左翼前衛叩きをしてたことがあるのもわかるはずだけどな
それが似てるという話で事実なんだからどうしょうもない
最後の親鸞とかの自力本願批判とか転向論とか何だと思ってるんだ?
ある部分で似た立ち位置と言っただけで、それは事実だから仕方ない
それが小林や吉本の全てだとは言ってないのに何で噛みつくのかわからない >>679
>それが小林や吉本の全てだとは言ってない
それなら、僕のレスの趣旨も少しは理解できるだろう。
そこだけ取り上げても、その他大勢の左翼批判者との区別はできない。
必要なのは、なにをどう批判したかということと、その批評家がどういう価値を社会に提出したか、ということ。 共同幻想論とかなんでも幻想とか言って解決しようってしてるのか
そんなくだらない思想が流行るわけない 別に小林秀雄の評価として、柄谷や吉本と立ち位置を比較してるだけで、
そんな本格的な分析とかではないんだが
事実の指摘でそういう側面もあるなという話だろ
小林秀雄の一面を指摘しているので、
小林秀雄論でも吉本隆明論でもないんだが
よくわからない
何でそこまで噛みついてくるんだ
本格的な小林や吉本論をする場でもする気もないんだが
よくわからない 小林秀雄の評価の一環として、
吉本や柄谷とかのある側面の事実の指摘が何で悪いんだか、
さっぱりわからない
そういう側面は事実だからあるよねで終わり
それ以上は吉本スレとかでやれよ >>682>>683
反共宣伝のために、つまらないことを書き込むからだよw 小林秀雄にも吉本隆明にも左翼にもそんな興味はないよ
反共とか何言ってんだ?
小林がマルクス主義に吉本が左翼前衛に対抗したのは事実で、
そのこと以外に大して興味はない
反共宣伝とか何言ってんだ? 小林秀雄が右翼の大物で吉本隆明が左翼の指導層に対抗してたんだから、
そのことに基づいて書いてたら反共宣伝になるのか
わけがわからない
もういいから吉本でも共産スレでもそっちにいけよ >>685
だからさ、小林はマルクス主義に対抗なんかしてないし、できてない。
そして吉本は左翼前衛を否定したけど、むしろ根源的な左翼というべき思想家。
両者に共通点なんかないんだよ。
無理やり反共(反共産党)で結び付けるのが見当違いということ。 >>686
小林秀雄は右翼の大物でもないし、吉本隆明は左翼の指導層に対抗なんかしていない、というより、日本共産党は左翼の指導層であったのは吉本の登場以前。
どこまでも見当違い。 左翼に対抗した右翼の小林と、
左翼に対抗した左翼の吉本の類似性の指摘が何でいけないんだ
いいからスレから出ていけよ
小林秀雄と関係ないだろ
左翼批判の射程がどうこうは
こちらは一般大衆含めた社会的機能の話しているので
小林秀雄が左翼に対抗する立場だったのも、
吉本隆明が左翼指導層の、全否定で喝采浴びたのも
批評家の社会的機能としてそうだったんだし、
大衆に受け入れられたんだから否定されることではない >>689
関係ない話を始めたのは君だからw
そもそも、戦後の小林は、左翼を嫌ってはいても対抗なんかしていない。
吉本は左翼指導層(?)を全否定などしていない。
共産同も大学紛争の指導者たちも、左翼の指導層だ。
小林も吉本も、大衆に受け入れられたとは、とてもいえない。
君自身も受け入れてないし、大衆も受け入れていないことぐらいは知っておこう。 言葉遊びだろ
小林も吉本も人気ある評論家だったし、
それまでの指導層を否定したのに
受け入れられてないとか指導層を否定してないとか難癖もいいところだろ 鹿島茂の本読んだから全く小林秀雄のこととか忘れてたのに来たんだがな
ランボーとかの話したかった
全く静まりかえってるから冷やかしにネタを投入したら何なんだ
ウヨサヨが絡むとこんなになるんだな
全くそんな気はなかったんだが 反共とか妄想垂れ流す左翼は始末に負えないな
小林秀雄は対抗しきれてないとか、いいじゃないか、
小林のスレだから、ここは
そんなのは左翼のスレで小林の総括でもしててくれ 小林秀雄なり吉本隆明なり立ち向かわなければならなかった重要なテーマとして、
どっちかと言うと持ち上げすぎ気味に書いてるつもりだったのにな
国民レベル一般レベルだと失敗した完全に終わったもんだろ
護教者に絡まれるとわけがわからないことになる >>691-694
いつまでも愚痴ってろよ。
小林には、「立ち向かわなければならなかった重要なテーマ」などなかったんだよ。
戦後の小林は、戦争に精神を翻弄されたまま、生き返ることはなかった。
吉本についてはもう書いたし、スレ違いだからこれ以上は書かない。 マルクスとサンボリズムをそれなりに昇華した、
小林秀雄をそれなりに位置付けてやろうという話なのにな
怖い怖い
馬鹿はこれだから 小林秀雄のマルクス理解
ヴァレリーのパクりなんだろうが柄谷の言うように目のつけどころはいいわけで
そんなどこに注目できる奴はあの時代にいなかった 治安維持法 1925年(大正14年) 『様々なる意匠』 1929年(昭和4年)
小林秀雄は戦前も戦後も、一貫して権力に従っている。
だから、戦争賛美への反省などしない。
吉本隆明と比較したいなら、吉本が自身は徴兵回避のために工業学校へ進学しながら、徴兵回避の意志について一言も触れなかったことと対応させることが適切かもしれない。
たしかに両者とも、本質的な反権力を実践したことはなく、社会的には権力の補完として機能していた。
吉本の著作からは、小林の言い草が雨後の筍のごとく現れる。
吉本の3部作はとてもすばらしい論考だが、徹底しきれない甘さの理由は、実社会を捨てるという小林的な感性から逃れきれなかったところにあるのだろう。
このふたりが、日本の知識人の悲しい姿を象徴しているように思えてならない。 治安維持法は大正デモクラシーの補完として出て来たんだな
で藩閥から権力を奪ったブルジョワがその下のプロレタリアを
押さえ込もうとして、その対立から反動としてファシズムが出てくると 治安警察法 明治33年(1900年)
政治活動と労働運動の規制のために、言論・出版・表現・集会・結社の自由を制限。
治安維持法 大正14年(1925年)
組織的な活動だけではなく、個人も処罰の対象とした。
「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」
治安維持法 昭和3年(1928年)改正
「国体変革」に死刑を適用。
組織に参加していない協力者にも適用。
治安維持法 昭和16年(1941年)改正
取締範囲の拡大、予防拘禁の適用、重罰化。
刑事手続の簡素化による自由な検挙・処罰。 昭和8年(1933年)2月、警視庁特高が小林 多喜二を虐殺。 >>703
小林秀雄が登場する時代背景を確認するとキモいのか?
意味がわからん・・・ >>705
ただの事実を書くのが、君にとってはキチガイサヨなのか?
君は、一度カウンセリングを受けたほうがいい。
あまり変な妄想に憑りつかれていると、日常生活にも支障をきたすし、なにより周囲の人に迷惑をかけることになる。
戦前の日本が、左翼運動を徹底的に弾圧し、そして戦争にのめり込んでいったというのは、右翼であろうと左翼であろうと、すべての人が認める事実だ。
そうした社会情勢の中で、どういう立ち位置を取ったのか、あるいは取らざるを得なかったのか、ということは、小林秀雄の批評家としての根幹にかかわる問題だ。
他人の情念を斟酌するより、君自身の情念を変なところで発散しないように気をつけたほうがいい。 戦前の左翼って今でいうと在特会みたいなもんだろ
で小林は体制派なのは間違いないから宮根とかテリーみたいな感じか 右翼による要人テロが頻発し、一説によると昭和天皇廃位をもくろんだ2.26事件まで起こった。
その後、内乱を抑え込んだ平沼騏一郎や湯浅倉平による内務省独裁ともいうべき粛清劇が始まり、
左右両陣営ともに民間政治団体が壊滅させられた。
が、史上最大の悪手ともいうべき日独伊三国同盟を機に
平沼の失脚、湯浅の変死、近衛体制の崩壊が相次ぎ
一気に戦争に突入する。
皇弟秩父宮や貴族院議長の反対の中、
何故か松岡洋右、中野正剛という右派政治家の意見を汲むかたちで
昭和天皇が独断した結果、そうなった。
得体のしれない連中による暗躍が国政を動かし、
この連中との抗争が東條政権下でも行われていた。
天皇の意向を受けた東条英機がもっとも力を入れたのが
在野勢力の粛清であり、それは民間右派に対して苛烈だった。
で、小林が執筆を止めるのはこの時期なんだな。 小林秀雄とは関係ないよ
キチガイ荒らし
吉本隆明が真正左翼だあたりから全く荒らしでしかない >>709-710
小林秀雄の思考というのは、社会から隔絶されてて、社会情勢の影響なんか受けないってことかな?
まあ、そういう読み方をするのもいいけど、あまりに幼稚じゃないかな? 小林秀雄の思想におけるマルクスの影響について、ここで詳しく論じられているよ
近代日本の批評1 昭和篇(上) (講談社文芸文庫)
https://www.amazon.co.jp/dp/406197582X/ なんて言えばいいんだよ(笑)もうやめようよ不毛だから(笑) 麻薬礼賛者は去れよ。
相模原みたいな事件を起こさないことだけに注意して、くだらない妄想から離れろ。 >>721
大麻と相模原の事件に因果関係があると思ってんの? >>722
ほう・・・
大麻に関して、一家言を持ってると見えるw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています