小林秀雄 その九 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
酒を飲んでクダを巻いて、声がでかければ勝ち。
小林が酒を飲みだすと、知識人はすぐ恐れ入っちゃうw こないだたまたま小林の声初めて聞いたけどなんか意外だったな… 新潮文庫版の「学生との対話」を読むと
物質が精神に影響を及ぼすことはない、と断言して
学生から「本当にそんなことはあるんですか?」と突っ込まれて
慌てていたけどね
いや、私が言ったのはベルクソン流の心理主義に基づく唯物論批判であって
君はベルクソンを読んでいないのか?読みたまえ!
と言い逃れていた
これに限らず「精神」「魂」「物自体」といった
哲学用語の使い方や理解がけっこう適当
そういうことを突っ込まれても反省が無いからね
この人と議論しても無益だね
まあ、喧嘩は上手いんだけど
ただ、それだけ 昔のやりかたを踏襲することはない。だけど武器も消費しないと
いけないなんて行動律あるのかなあ? レベルがひくいな
。東大は。四国にあった東大の方がいいんじゃないの。本物そう。 帝みかどレベルだけのこして、インフラ出版出世止めさせた方が。 >>953
小林に論理も知性もないのは確かだが、「哲学用語」なるものがあると思うのもどうかと思う。
「精神」も「魂」も「物自体」も、なにか厳密な概念規定があるわけではない。
だから「哲学」からの反論もできなかったし、小林もベルクソンの恣意的で感情的に利用することもできた。
ちなみに、小林の強い影響を受けながら、その無限定さを徹底的に否定しようとしたのが吉本隆明。 >>960
>「精神」も「魂」も「物自体」も、なにか厳密な概念規定があるわけではない。
まあ、そうだともいえるし
それゆえ「物自体」とはなにか?とアディケスあたりが問題視をしている
カントは形而上学批判にあたってはまず「物」や「空間」を証明し
これによって世界を可知と不可知の領域に分割したうえで
可知の領域のみを論理によって把捉し得るとしている
これがカントの悟性哲学の基本方針
しかし、これは形而上学を棚上げしただけで
時間や認識活動の持続性についてのきちんとした解答は出していない
このあたりがベルクソンによるカント批判の中心なのだけど
全集を読破したと豪語するわりにはきちんと読みこなしてはいない
それと小林は形而上に属するであろう「精神」と「魂」が混同
する形で使用されていている
たとえば哲学界隈ではウイリアム・ジェイムズが
どうやらベルクソンは諸個人の実在をこえたところに「精神」を設定しているようだ
とベルクソン哲学の宗教的傾向に疑問符を呈しているのだけど
この種の問題点を小林は「魂」と混同する形で認めてしまっている
つまり神秘主義あるいは形而上学としてベルクソンを評価しているわけだ
批評家以前に読書人としての基本的読解力があるかどうかも疑われるレベル 「哲学にいちばん欠けているのは正確さである。哲学の諸体系は私たちが生きている現実の寸法に合っていない。現実よりも大きすぎるのである。」
(ベルクソン『思考と動き』序論第一部 原章二訳)
訳者による言い回しだけど、まるで小林の文章みたい。
でも、小林の批評に対する批判として、そのまま通用してしまいそうだ。
小林の場合は、「現実よりも大きすぎる」のではなく、現実よりも小さすぎるというべきだが。
もっとも、ベルクソン自身が正確に現実を捉えていたかといえば、それはそれで大きな疑問だ。
小林がベルクソンに傾倒したのは、その不正確さと現実乖離の故ではないのかと、揶揄したくなってしまう。 小林くらい頭のいいやつはいないよ。純粋な頭の良さを初めて金に換えた野郎なんだよ 小林が何で食ってたかってのは今も謎のままだって吉本隆明が言ってた。パトロンがいたんだろうと思うよ。それでいいじゃん ベルクソンって読んでて眠くなるくらい真っ当
論理的飛躍を凄んで誤魔化す誰かとは違う 色々批判も書かれているが、にもかかわらず死後数十年経過した現在でも読める、しかも
多大な刺激がある、それはレトリックも含めてだが、そういう批評家として君臨しているのも
確かである。
やはり初期の代表作である「様々なる意匠」、「批評の科学性について」、「マルクスの悟達」
などを読み返すと、〈作家の宿命〉〈血球に流れ〉という批評概念にせよ、〈マルクスもバルザ
ックもただありのままに書いた〉というレトリックにせよ、考えこませる力があるし、彼の全集が
年月を経て何回も再編集されていくというのは必然だしそれだけの力と才能を感じさせるね。
個人的には三島由紀夫が自決した翌年初頭に出た『新潮臨時増刊 三島由紀夫読本』に
書かれた「感想」が好きだね。三島の死について書かれているんだが、初期の「様々なる意匠」
で宣言した〈作家の宿命〉〈血球の流れ〉という概念を語彙を変えてそのまま三島の死に
当て嵌めている。「三島さんは反省的意識にかけては大家だっただろうが、あの人にとって
も、自分自身が透明だった筈はないだろう。やはり運命といった暗い力と一緒にいたのだよ」
という言い回し。これは「様々なる意匠」における批評宣言の焼きまわしであり、あの批評
の根底にあった作家への眼差しが、三島の死という事件に際して、改めて甦った、
独自な視線がある。そして三島の死に際した書かれた幾多の文章の中でも小林の
「感想」は、政治的な問題には一切触れずただ、三島という現存在に照明をあてたもの
として、その一点で書いたものとして、彼にしか書けなかったこれも名文だと思う。 たとえば岡潔との対談で時間概念を物理的時間と社会的時間に分けて
ベルクソンの時間概念は後者の方だ、と弁護していたけれどそれは違うね
ベルクソンはカントの空間の実在→人間の認識装置の制約→論証性
という論立てに対して
視覚中心の空間認識に依存していると批判しているわけだから
とうぜん物理学的批判も引き受けざるを得ない
だからアインシュタインの批判に対して自説をひっこめたと思うけどね
小林のように時間を歴史に、歴史を個人の思い出に、個人の思い出を心に
心を魂や神にスライドしていくようなトンデモ議論じゃないんだよ
それでこの神様もパスカルの唯一絶対神の話をしていたかと思えば
宣長風の八百万の神という風にコロコロ変わり
そのくせ湯川秀樹が非局所性の議論で空間の不安定さを指摘したら
「ニヒリズムだ」「虚無だ」と的外れなことを言い出す
この人の若い頃の小説は狂気と隣接したようなところがあるのだけど
それは若い頃だけの話では無いと思う
しかしその狂気はフロイト的なヒステリー気質のものに過ぎないような気もする 小林は簡単なことを文章をひねくり回して難解な文章にしてたタダのオッサン >>968
ほんとうに小さな思い付きを培養して文章化する能力と、無意味なことを考え続ける能力というのは、他の追随を許さない。
否定してるんじゃなくて、それが人間の精神というものだ、という意味なんだが。 小林か、僕はあまり読んでないけど、東大、京大とかの出版物が多すぎることと
関係のあることをあさってみないとなあ。 最近、小林秀雄の「歴史について」が妙なところで影響を与えているのを視た。小林の「歴史
について」は読んだ方にはお分かりのように、「一度起こってしまったことは二度と取り返し
はつかぬ」というところにポイントを置いている。歴史は二度と帰らぬということである。
これがどうもハイデッガーの本来的存在了解のことだと思いこんでいる研究者を視た。彼は
こう書いている。
《今も見たように、存在者の存在は、元来、周囲の存在者との関係の内にはめ込まれ、また
そのようなものとして、周囲の状況に応じて刻一刻と変化する。しかし他方で、われわれは
存在者をそうした関係性から切り離し、実体化して捉えてしまうという避けがたい傾向を
持っている。これが存在了解という観点から捉えた場合の、本来性と非本来性それぞれの
意味なのだが、》
このテキストは2017年7月に出た「ハイデガー『存在と時間』入門」(轟孝夫 講談社現代
新書)という本の48頁で、この研究者の言によれば、存在者を周囲の状況との移り変わる
時間と切り離してそれだけを捉えることが頽落的な存在了解、そうでなく周囲の状況と
ひとつになった、一回性のことと捉えるのが本来的な存在了解だとしている。
実はハイデッガーのいう本来性の問いにこのような議論が入ってくることはなく、負い目
の中で良心の呼び声に応え自己の経歴から見出す自立的自己-性、「善きもの」、没-交渉的
存在が本来性である。
この研究者はどういうわけか、小林秀雄の歴史意識を本来的存在了解だと捉えて書いて
しまっている。
ハイデッガーのテキストから読みとれなくて苦慮した結果こういうところに助けを求めた
のか、誤った連結をしてくれている。
たしかに木田元などがハイデッガーと小林秀雄の思想的酷似について話してもいるが、
だからといってテキストにもない連結をしていいわけではない。しかし、小林の「歴史について
」がこういうところに現出して、たとえ誤読というか誤連結にせよ、ハイデッガー読解に使用
されているのが興味深くもあった。 国立連合より相手への待遇が先。学歴は夜の世界でカモられろよ。 国立の書体も信仰を吸うからもっと書き直し編みなおした方がいいよ。 救済の書見たいのが若いうちは多いじゃん。変死した作家とか。 講談社といえば群像、群像といえば柄谷行人。
柄谷行人といえば、関係性の中にある個=単独性、とした人。
その研究者は、柄谷行人の単独性の線で、ハイデガーのいう存在そのものを読んだ、ということじゃないか。 >>978
柄谷の影響があると言われればそう感じるところもあるね。もともと『探究U』
のなかで小林の「歴史について」を引用もし、意識してみせているしね。
単独性は関係性の中でというより、関係の非対称性として、というほうが
適っているのではないかな。「教える-学ぶ」における関係。 小林秀雄 美しい花2017/12/8 若松英輔
新しい小説のために2017/10/26佐々木 敦
小林秀雄の超戦争―全釈『無常という事』を楽しむ 2017/8/25佐藤公一
屈託という思想――小林秀雄と井伏鱒二2017/6/23神林 尋史
反戦後論 2017/6/2浜崎洋介
小林秀雄と河上徹太郎2017/4/6坂本忠雄
小林秀雄の真珠湾攻撃妄想 : 《オタク》と戦争2016/8/24佐藤公一
ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて2016/7/20鹿島茂
小林秀雄のリアル: 創造批評の《受胎告知》2016/4/8佐藤公一
新版 小林秀雄 越知保夫全作品2016/1/28越知保夫
叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦2015/10/29若松英輔
小林秀雄の後の二十一章 (幻冬舎単行本)2015/9/25小川榮太郎
小林秀雄 骨と死骸の歌―ボードレールの詩を巡って2015/7福田拓也
反歴史論 (講談社学術文庫)2015/4/11宇野邦一
定本 小林秀雄2015/3/26前田英樹 新版 吉本隆明 1968 2017/11/13鹿島 茂
吉本隆明と中上健次2017/9/10三上治
吉本隆明 「言語にとって美とはなにか」の読み方2017/10/13宇田亮一
〈戦後思想〉入門講義――丸山眞男と吉本隆明2017/6/28仲正昌樹
震災後の日本で戦争を引きうける: 吉本隆明『共同幻想論』を読み直す (いま読む!名著)2017/2/15田中和生
批評の熱度 体験的吉本隆明論2017/1/20大井浩一
吉本隆明と『共同幻想論』2016/12/20山本哲士
吉本隆明という「共同幻想」 (ちくま文庫)2016/12/22呉智英
吉本隆明と柄谷行人 (PHP新書)2016/9/12合田正人
中沢新一と吉本隆明―亡きグルのためのパヴァーヌ2016/9/1土井淑平
吉本隆明 孤独な覚醒者 (叢書レスプリ・ヌウボオ)2016/1/20上村武男
再発見 日本の哲学 吉本隆明――詩人の叡智 (講談社学術文庫)2015/11/11菅野覚明
サラリーマンのバイブル・吉本イズム 吉本隆明と並走して来て (思想、評論)2015/8/11外山恭一
吉本隆明の逆襲 ― 一九七〇年代、一つの潮目2015/4/14渡辺和靖
無名なものの詩(うた)と革命~孫世代からみた吉本隆明 (テツガクのなる木)2015/3/16菊谷倫彦
吉本隆明 “心”から読み解く思想 (フィギュール彩)2014/10/16宇田亮一
吉本隆明の経済学 (筑摩選書)2014/10/14中沢新一
浄土からの視線 吉本隆明・狂気・自己慰安2014/7/31菅原則生 柄谷行人論
吉本隆明と柄谷行人 (PHP新書)2016/9/12合田正人
柄谷行人論: 〈他者〉のゆくえ (筑摩選書 111)2015/4/13小林敏明 吉本隆明2014/6田中和生
丸山眞男と吉本隆明 回想風思想論2014/2/20柳澤勝夫
吉本隆明初期詩篇論――我と我々と (新典社研究叢書 252)2014/2/6川鍋義一
闘う吉本隆明――六〇年安保から七〇年安保へ2013/10/4渡辺和靖
追悼吉本隆明 ミシェル・フーコーと『共同幻想論』2013/9/12中田平
異端論争の彼方へ―埴谷雄高・花田清輝・吉本隆明とその時代2013/9野崎六助
吉本隆明 煉獄の作法2013/8/20宇野邦一
吉本隆明はどうつくられたか (徳間ポケット)2013/7/24松崎之貞
吉本隆明がぼくたちに遺したもの2013/5/10加藤 典洋、 高橋 源一郎
吉本隆明『共同幻想論』の読み方 (テツガクのなる木)2013/3/12宇田亮一
吉本隆明論集―初期・中期・後期を論じて2013/3田中和生、 古谷利裕
文学者の「核・フクシマ論」―吉本隆明・大江健三郎・村上春樹2013/3黒古一夫
吉本隆明2013/2/22吉田純
知の虚人・吉本隆明―戦後思想の総決算2013/1/1土井淑平
最後の思想―三島由紀夫と吉本隆明2012/11富岡幸一郎
吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち (飢餓陣営叢書)2012/9/14瀬尾育生、 佐藤幹夫
原発と御用学者―湯川秀樹から吉本隆明まで― (さんいちブックレット008)2012/9/6土井淑平、 TETSUYA
吉本隆明の帰郷2012/8/25石関善治郎
吉本隆明『共同幻想論』を解体する──穴倉の中の欲望2012/10/13和田司
「語る人」吉本隆明の一念2012/7/19松崎之貞
宿業の思想を超えて―吉本隆明の親鸞 (Psycho Critique)2012/7/1芹沢俊介
次の時代のための吉本隆明の読み方 (飢餓陣営叢書)2012/5/29村瀬学 ランボーの翻訳が小林の最高傑作だろう
「もう秋か。―それにしても、何故に、永遠の太陽を惜むのか、
俺たちはきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか、
―季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。」 >>984
この詩は知らないんだけど、つまらない詩だねw >>985
そもそもお前に詩がわかるとは思えないんだがw >>986
ごめんごめんw
どこがいいのか教えてよ。 韻文の翻訳って難しいよな。
俺もどこがいいのかわからんw 詩の良さがさっぱりわからない人間が大半だろうね
小説的な物語の面白さしかわからない人が >>991
詩は感じるものだから、教えてわかるものではない
お前には無理だから、理解しなくてよろしい この俺、嘗ては自ら全道徳を免除された道士とも天使とも思つた俺が、今、務めを捜さうと、この粗々しい現実を抱きしめようと、土に還る。百姓だ。 韻文を翻訳で読んで
わかるもわからんもないだろ
バカバカしい このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 602日 6時間 48分 51秒 レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。