消去を読まずに語っている人間ばかりだが、今井敦訳の「ある子供」はすばらしい!
自伝という「物語」に強く傾斜する形式を、ひたすらに「物語」や「言葉の自律性」に対する距離をとろうとし続けたベルンハルトの「特性」が現れている。

蓮實重彦が、「消去」の翻訳者である池田信夫の達成に静かに感嘆していたことを思い出す。
言語の自律性に抗った時代の空気を吸って生きた作家たちであり、それでもなお言葉から離れて物語的説得力を持ってしまう説話論敵装置への抵抗を表現しながら、言語によって真実を表現できないことを主張しながら「真実へ向かうことの態度」だけは放棄しなかった作者なのだ。
言語と表現されるもの、達成されるものの間にある絶望的な齟齬はあらゆるベルンハルトの主人公に共有されており、にもかかわらず作品を完成させない彼らは無意味ではない。

ありふれた、といっていいこのような読解においてもなお「新しいもの」を持っているベルンハルトの新しさはテキストの総体においてのみ現れる。