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トーマス・ベルンハルト(Thomas Bernhard) [無断転載禁止]©2ch.net

0168吾輩は名無しである
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2016/07/31(日) 12:37:00.72
にゃおバス
数年前からピアニスト、フランチェスコ・トリスターノは私のイチオシで
来日したらコンサートは必ず行ってるんだけど最近私の周りで認知度が上がって嬉しい。
ちなみに彼のイチオシ小説はベルンハルト「消去」とインタビューで言っててこれはしばらく廃刊だったんだけど最近復刊されました。
2016年7月30日


フランチェスコ・トリスターノ・シュリメ インタヴュー
http://www.kojimacm.com/digest/100227/schlime_interview.html

私が最も好きな作家はトーマス・ベルンハルトです。彼の作品は日本語にも訳されているはずです。
『破滅者』はグレン・グールドと彼のゴールドベルク変奏曲のレコーディングを著しています。
この本と出会ったとき、私はおそらくまだ若すぎたように思います。でもこの本をきっかけに私はトーマス・ベルンハルトの小説はすべて読みました。
0169吾輩は名無しである
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2016/08/02(火) 19:46:49.03
”ブロイナーホーフではすぐに思考がもうもうたるタバコの煙と調理場の臭いと、
昼頃にやって来ては社会的憤激をぶちまけるウィーンの4分の3知識人、半知識人、4分の1知識人達のおしゃべりによって窒息してしまう。
ブロイナーホーフでは人々の話し声が私には大きすぎるか小さすぎるかのどちらかで、
給仕のサービスも私には遅すぎるかはやすぎるかのどちらかである。
よく考えるとブロイナーホーフは私が日々自分のために果敢に要求している全てのことに背反している。
ウィーンのカフェーハウスを嫌っていたにもかかわらず、あるいはまさにずっと嫌っていたがゆえに、
私はウィーンではずっとカフェーハウス通い病にかかっていたのである。
他のどんな病気よりもこのカフェーハウス通い病に苦しめられている。
そして私は今日でもなおカフェーハウス通い病に悩んでいる。”
「ヴィトゲンシュタインの甥」
http://images.derstandard.at/2011/02/03/1296698237343.jpg
0170吾輩は名無しである
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2016/08/04(木) 09:58:54.20
『Woodcutters ― 伐採 ―』ポーランドの巨匠が国と芸術のあり方に警鐘を鳴らす。
■タデウシュ・カントル、ピーター・ブルックにならぶヨーロッパ演劇界「現代演劇界の巨匠」クリスチャン・ルパの作品が日本初上陸。
■1984 年にオーストリアで実際に起きた話に基づいた小説をポーランドに置き換え、国と芸術のありかたに警鐘を鳴らした作品。
■ルパが仕掛ける退廃的でスタイリッシュな時空間に潜む、痛烈な4 時間20 分。

 ヨーロッパ演劇界「現代演劇界の巨匠」クリスチャン・ルパの作品がフェスティバル/トーキョー16でついに日本初上陸を果たします。
ルパが生涯にわたって取り組み続けているオーストリアの作家トーマス・ベルンハルトによる同名の小説を翻案・演出した本作
『Woodcutters ― 伐採 ―』は、2014 年ポーランド国内の演劇賞を総なめにし、フランス等で上演され、
世界的な成功を収め続けた上演時間4時間20分の大作です。

●あらすじ:舞台は自殺した女優の葬儀後に開かれた「アーティスティック・ディナー」会場。
女優の旧友たちであり、社会に翻弄され芸術的理想を忘れた過剰なエゴにまみれた芸術家たちが集う。
友人の弔いをよそに飲み続け、酔って互いの本音を吐露し、辛辣な批判や自虐、激しい怒りをぶつけ合います。
●作品概要
翻案・美術・照明・演出:クリスチャン・ルパ 作:トーマス・ベルンハルト
東京芸術劇場 プレイハウス / 10 月21 日(金)〜 10 月23 日(日)計3ステージ
http://prw.kyodonews.jp/opn/release/201608023096/
0171吾輩は名無しである
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2016/08/10(水) 11:22:05.74
俳優を演じる俳優 : ベルンハルト・ミネッティについて
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/DB00010137.pdf

ミネッティの晩年を華やかなものにしたのはベルン
ハルトの作品で収めた成功だが,ベルンハルトにとっても多作にして芳醇な
70年代から80年代にかけての活動をもたらしてくれたのは, ミネッティとの
出会いであったのだ。
0172吾輩は名無しである
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2016/08/20(土) 19:55:03.59
ゲルハルト・ランペルスベルク:室内楽作品集
http://honto.jp/netstore/pd-cd_85132977.html

シュライヤーマッハー率いるアーティストたちによるアヴァンギャルドな音楽
ゲルハルト・ランペルスベルクはウィーン音楽大学で作曲を学び、ヴェーベルン後の高度な12音階を使用した作曲家です。
特にトーマス・ベルンハルトの心理的な細密な独白と厭世的な世界観など、ウィーンの有名な前衛作家たちに大きく影響を受けました。
1950年代よりアヴァンギャルド的才能が開花し、特に「沈黙」「瞑想」「熟考」という基本表現をもつ室内楽の分野で高い評価を得ました。
 アンサンブル・アヴァンギャルドは、ジョン・ケージ全集などで有名な現代音楽専門ピアニスト、
シュテッフェン・シュライヤーマッハーによって設立されたアンサンブル。
詩と連携された感情的な衝突や、万華鏡のような光と沈黙など、当時の最先端の前衛音楽が収録されています。(ユニバーサルIMS)

Bernhard Portal / Portale Bernhard
http://bernhardiana.blogspot.jp/

alphabetisch nach Autorennamen
http://www.meine-lieblingsbuecher.de/AnfangeEinleitung/AnfangeB/anfangeb.html
0173吾輩は名無しである
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2016/08/23(火) 10:40:10.07
本を買う金はあるのに買いたい本がない。
ベルンハルト小説全集でも出れば全巻買うのに。
0175吾輩は名無しである
垢版 |
2016/08/26(金) 01:50:22.00
『石灰工場』新訳版出ないかな?
0176吾輩は名無しである
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2016/08/31(水) 01:54:39.52
消去の主人公はドイツ文学を馬鹿にしてるけど
カフカやパウルは好きなのか
0177P ◆.uKag/vUmY
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2016/08/31(水) 17:26:58.04
ドイツ文学自体をバカにしてはないんじゃないですか。ベルンハルトはドイツ語をバカにしてて、その困難な言語表現を通過したドイツ文学は素晴らしいものになり得るのだ、みたいに書いてなかったっけ。
0178吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/01(木) 12:56:36.54
ドイツ文学は他の国の文学より劣ること語ってたね
本心ではないと思う
0179P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/09/01(木) 14:29:37.35
ベルンハルトのオーストリア人に対する憎悪は凄まじいものがあるよね
0181P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/09/01(木) 20:21:26.17
オーストリア人を悪魔化してるよね(笑)
0182吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/02(金) 00:09:47.22
ヒトラーはオーストリア人
0183吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/02(金) 10:40:42.06
オーストリア人はドイツ人
0184吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/02(金) 12:10:30.22
トーマス・ベルンハルトは生まれがあれだからねw
捻くれたんだと思う。
Pも在日朝鮮人として生まれたから
トーマス・ベルンハルトを理解できるんだろうねw
チョンだからw
0186吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/08(木) 21:37:53.40
未訳小説の新訳を出してくれないかな?
6000円くらいなら買うからさ。
0187吾輩は名無しである
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2016/09/10(土) 00:20:12.13
age
0188吾輩は名無しである
垢版 |
2016/09/10(土) 08:16:24.42
ある子供の訳者解説で、売れ行き次第では残りの自伝4作品出すみたいなことを仄めかしとったぞ
0189吾輩は名無しである
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2016/09/11(日) 09:41:42.62
自伝はいらない。創作を読みたい。
0190P ◆.uKag/vUmY
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2016/09/11(日) 10:04:32.63
自伝が読みたい。自伝とは言え単なる自伝じゃないに決まってるんだから。
0191吾輩は名無しである
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2016/09/22(木) 20:40:49.58ID:Vrmelgb3
vol.4 クリスチャン・ルパの『伐採』    池田信雄
http://www.festival-tokyo.jp/16/ft_focus/vol4/

ポーランドの演出家クリスチャン・ルパは自ら翻案したトーマス・ベルンハルトの小説『伐採』を、
国立ヴロツラフ劇場の舞台に掛け、2014年のポーランドの演劇賞を総なめにした。
ルパがベルンハルトの作品を手がけたのは、1992年に小説『石灰工場』を翻案し演出したのが最初で、
次が1996年に戯曲『リッター・デーネ・フォス』、同じ1996年に戯曲『イマヌエル・カント』、
そして5年を隔てて2001年にベルンハルト最後の長編小説『消去』の翻案を舞台に乗せている。
『伐採』の上演の前年に小説『混乱』をフランスで演出し、
2015年には小説『伐採』にまさるとも劣らぬスキャンダルを巻き起こした戯曲『ヘルデンプラッツ』を上演している。
小説が4つ、戯曲が3つである。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、リルケの『マルテの手記』、ローベルト・ムジールの『特性のない男』、
ヘルマン・ブロッホの『夢遊病者たち』、ゴンブロビッチの『フェルディドゥルケ』等、
ルパはベルンハルト以外にも長編小説の傑作を舞台化するのに長けた人だが、
とりわけベルンハルトを自分の本領と考えていることは確実である。
0192吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/18(火) 22:36:33.80ID:AcxQdM5b
vol.7 『Woodcutters ― 伐採 ―』 鴻英良×ピョトル・ルツキ対談
http://www.festival-tokyo.jp/16/ft_focus/vol7/

ルパにとって、何より重要なインスピレーションの源泉となっているのはベルンハルトです。
『石灰工場』『英雄広場』など、ルパは多くのベルンハルト作品を演出してきました。
彼は非常にペシミスティックな小説家で、人間にも、芸術家にさえも希望を与えることはありません。
しかし、それは、これから変わっていくかもしれない道のりへの第一歩でもあるわけです。
ですからルパは、ベルンハルトが書く絶望こそを、
私たちが現在おかれている状況から外へと踏み出す唯一の希望だ、と捉えているのだと思います。

この芝居は、パーティーを開いたホストの妻と、(客人の一人であった)ベルンハルト本人との対話で終わります。
そこで妻は「ここで今夜見たことは書かないでください」という。しかし、ベルンハルトは実際にそれを書いていますよね。
リハーサルでルパは、このシーンについて「ベルンハルトはこの世界の外側にいるように存在する」と言っていました。
彼も芸術家たちのサロンの一員ではあったけれど、自ら身を売るようなことはしまいと意識していた。
だからといって彼が特別優れているわけではなく、多少はましだというだけですが。
0193吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/25(火) 17:22:31.94ID:CP5bMxmE
自己の発見

70年代には、多くのドイツ語作家が自己の個人的生活をその作品のテーマにした
(マックス・フリッシュ「日記帳」、ヴォルフガング・ケーペン「青春」、トーマス・ベルンハルト「原因」「呼吸」「寒気」、エリアス・カネッティ「救われた舌」)。
70年代半ば以来独自の女性文学も生まれ
(カーリン・シュトゥック「クラスの恋人」、ヴェレーナ・シュテファン「脱皮」、ブリギッテ・シュヴァイガー「どうして塩は海に入るか」)、
これらの作品は今日までその地位を保持している。一方ドキュメント文学では、政治的な要素と自己存在への反省が交差している
(ウーヴェー・ヨーンゾーン「年輪」、ヴァルター・ケンポウスキー「ターデルレーザー・ウンド・ヴォルフ」、ギュンター・ヴァルラフ「最底辺」)。
近年では、小説よりも詩(ヴォルフ・ヴォンドラーチェック、ニコラス・ボルン、ウッラ・ハーン)やドラマ(ボートー・シュトラウス「再会の三部作」)
のほうが日常性への傾斜の色彩が強いが、それと並んで、「ポエジーへの逃避」も常に存在している。
80年代末の「大家」の作品は、雑誌小説・評論の執筆依頼その他の生活のための仕事が主流となっている近年の文壇でも、
大量生産から超然とできることを示している。
例えば、1972年ノーベル文学賞を受賞したハインリヒ・ベルは「川のある風景の女性たち」を、ギュンター・グラスは「雌ねずみ」を書いている。
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/german/inst/yonei/yonei_info/kyozai_info/sonst/dtl_heute/www.doitsu.com/doitsu/reisen/doitsujouhou/culture02.html
0194吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/25(火) 19:33:17.88ID:2uaKs2Re
みんな伐採見に行った?
二幕目の罵倒大会ぶりは楽しかったなぁ
0197吾輩は名無しである
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2016/10/30(日) 16:19:34.41ID:cs/kb0ke
たまには自分の言葉で語れ
0198P ◆.uKag/vUmY
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2016/10/30(日) 20:08:51.41ID:N6rCwvxl
この情報貼ってくれてる人は本当に凄いと思う。
0199吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/31(月) 03:51:10.68ID:yKRa/OtK
よりにもよって、この作家のスレでインターネットで検索したお手軽な情報をコピペする
(しかも他のスレでも同じ事繰り返している同一人物らしい)
実際に読んでいるわけでもないやつと会話が成り立つ気はしない
他の書き込みも、到底読んでいるとも思えない、下らない読み方しているコテハン
この二人がほとんどの書き込みしているようなスレで、まともに書き込みする気にはなれない
結構マジでこの二人は嫌いだ
ベルンハルトの反ー物語性から著しく遠い
0200P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/10/31(月) 08:35:07.62ID:iLJCl4Dr
お前が書いたベルンハルトに関する情報「反ー物語性」ってとこしかないけど、偉そうに書いたんだから自分の言葉で何か語って見せろよ。
0201吾輩は名無しである
垢版 |
2016/10/31(月) 11:43:52.01ID:P9qBGs40
コピペさんの情報は有意義で優れているのでコテつけてくれるとうれしいな
0204118
垢版 |
2016/11/10(木) 20:08:15.04ID:YHYm1mgb
今日から『消去』を読み始めた。
いつ読み終わるか、数年先になるかもしれないが、
読み終えた時、このスレがまだ残っていたら、必ず感想を書く。
0205吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/15(火) 14:27:08.39ID:cmYYYiwy
「伐採」を翻訳出版してほしい。1万円以内なら買う。
0206吾輩は名無しである
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2016/11/16(水) 20:26:51.21ID:5R5P2LH4
Chiho Tamura
なんと。『伐採』、著作集で約200頁ある小説のほぼ真ん中100頁目でようやく晩餐が始まるのだが、
その後、アウエルスベルガー夫妻とブルク劇場の俳優、
ウィーンのヴァージニア・ウルフと揶揄される女性作家以外の人物が紹介され始めるのがさらにこの後半のちょうど真ん中、つまり150頁目辺り。
2016年10月29日

これ。1840頁!のペーパーバック(笑)。長編7冊分入ってる(笑)。「個別で買うより71%お得」と謳ってある(笑)。
聖書みたいな薄い紙に小さい文字びっしりだな(笑)。めまいが…買おうかな(笑)。Die Romane
https://www.amazon.de/dp/3518420003/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_YRIfybRFN9DEW

ちがう、9冊分か。『消去』、『伐採』、『石灰工場』、『破滅者』、『古典絵画の巨匠たち』、+4作。
2016年10月30日

面白い。『伐採』に続く小説が『古典絵画の巨匠たち』なんだけど、冒頭が双子のようにそっくりで、いずれも11時半に人と待ち合わせしてる。
ただし前者は夜の、後者は昼の。で、『伐採』の英訳はその数字をあっさり省略しているんで、なぜそんなことするのかなあと。
2016年11月13日
0207吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/16(水) 20:56:49.00ID:x5cEgeoM
たまには自分の言葉で語れ
0208P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/11/16(水) 21:16:26.39ID:3Pcbvhxs
>>206
探してリツイートしました!いつもありがとうございます!
0209吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/16(水) 22:09:19.57ID:5R5P2LH4
西ドイツ文学35年の展開
-西ドイツ文学特集にあたって-
早 崎 守 俊
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dokubun1947/70/0/70_0_1/_pdf

しかし, 70年代後半から80年代にかけての「西ドイツ」の文学でもっとも注目され
る作家は, フランスのヌヴォ・ロマンの影響をうけたオーストリア人ペーター・ハント
ケ, スイス文学の伝統を守りつづけるアドルフ・ムシュク, 死の都市ザルツブルクを舞
台に自閉的な自伝小説を書きつづけるオーストリアの作家トーマス・ベルンハル トであ
ることは皮肉な現象である。かれらの文学がオーストリアやスイスの風土に育ちながら
も,「西ドイツ」の70年代の諸傾向を内包し,「西ドイツ」の作家たちや詩人たちと同
様, 1977年に『アクツェンテ』誌上で論ぜられた, いわゆる「新主観主義」の作品系列
に並べられるのである。東ドイツにおいても, 70年代にはいって, クリスタ・ヴォルフ
やヘルマン・カント, 西ドイツに移ったユーレック・ベッカーなど, 自己形成に挫折し
ていく省察の文学が散見されるが, 内外を問わず, 総じて「新主観主義」の名のもとに
一括される「新しい内面性」の文学の多くは, なぜか個人の受難史とい う運命をもつら
しい。 この挫折感のあと, とりわけ40年代生まれの若 い作家たちの苦い自己省察が, い
つ, いかに開花するか-1980年代のそう遠くない年が開花への転換期となることはま
ずまちがいあるまい

ドイツ文学 (70), p1-9, 1983
日本独文学会
0210吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/16(水) 22:11:19.13ID:NMKVqLCg
ムキになるなよwwww
0211吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/16(水) 22:18:06.59ID:u0+x+baB
日本にも内向の世代があったな。
0212吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/17(木) 11:05:53.36ID:DHI/751+
『消去』は邦訳で1000枚ちょっとあるが、これより長い小説ってあるの?
0213吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/17(木) 14:57:29.82ID:tMos3U9S
釣り?たくさんあると思うよ
0214吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/17(木) 15:49:44.56ID:QiKW3yz0
作品名挙げてくれ
0216吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/17(木) 23:58:47.82ID:DHI/751+
>>215
アホか。ベルンハルト限定で『消去』より長い小説を挙げてみな。
0217吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/18(金) 23:56:05.00ID:P8b/NvXy
『フォーエヴァー・モーツアルト』を観るために
浅田彰
http://www.mube.jp/pages/JLG_11.html

実のところ、ヴィッキーも初めはこの旅に参加するのだが、途中で脱落することになる。
同行を求められたヴィッキーは、「提案」として「ヘミングウェイの家」に言及し、
ザルツブルグの作家トーマス・ベルンハルトにそこに招かれたことがあるかのようなことを言う。そこで落ち合うという「提案」だろうか。
0218吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/19(土) 15:47:11.65ID:FklMSRd8
Amazonで買おうとしたら「消去」も「ある子供」も品切れだった。
0219吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/20(日) 01:19:51.40ID:NOom701P
Amras 1964
Thomas Bernhard
http://meme0502.jugem.jp/?cid=1

作品紹介
戦後オーストリア文学を代表するトーマス・ベルンハルト(1931-1989)による初期の作品。
両親の自殺により、「私」と「ヴァルター」はおじによってアムラスにある塔に軟禁されてしまう。
なぜなら、その街の法律は自殺を禁じており、自殺者の出た家族も重罪となってしまうから。
2人の兄弟の狂気じみた生活、過去の回想、病気、自殺、あるいは人へ送った手紙などが作品の主な内容となっている。
現在、未翻訳。今後翻訳されることを切に望む。


感想
すごい作品。こんなの今まで読んだことない。

今日本で翻訳されているベルンハルト作品で一番古い『石灰工場』(1981 短篇除く)よりも、より密度が濃く、緊迫し、空気が張りつめている感じ。
文章全体が狂気じみている。読んでるこっちまで頭おかしくなりそう。…それくらい文章は力強い。

ベルンハルト作品全体に共通する自殺、病気や遺産などから、劇の衣装(Der Italiener Fragment.邦題「イタリア人 断片」に通じる)から
作中に出てくる「消去」という単語(Ausloeschung 邦題『消去』)まで、様々なベルンハルト的モチーフが散りばめられている。

塔の外から、ある人間の叫び声が聞こえてくるんだけど、それは最初誰だかわからなかった。
しかし、その声はだんだんと、しかしはっきりと両親の声だとわかったという箇所があるんだけど、
この箇所なんかはヘタなホラー小説読むよりも何倍も怖い。しかも「ヴァルター」は不思議にもこの叫び声に惹きつけられている…。
その他にも、「私」と「ヴァルター」の2つの異なった存在が一瞬境界が溶け合うような瞬間などなど、
注意深く読めば読むほどこの作品には発見が絶えない。

『石灰工場』からは彼の作品は、徹底的な間接話法や、祖国批判を繰り返すが、Amrasは一人称だし、政治的な内容は少ない気がする。
その分、死や狂気が全面に出され、読者を離さない。まさにこの作品が「死の鉤爪」のよう。

あ〜、こんな作品を翻訳できたらいいな。
0220P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/11/20(日) 08:28:33.29ID:n7ve/WOm
「消去」で五大ドイツ文学作品が挙げられるけど、そのひとつがベルンハルト「アムラス」じゃなかったでしたっけ。まじで訳してください(笑)
0221吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/20(日) 10:12:53.64ID:2pdpdC0R
5大文学とくくってはいないね。主人公が弟子に読んでおくように言った5作品だ。
パウル『ジーベンケース』、カフカ『審判』、ベルンハルト『アムラス』、
ムージル『ポルトガルの女』(短篇集『三人の女』の1篇)、ブロッホ『エッシュもしくは
無政府主義』(長編『夢遊の人々』の第2部)がそれだ。
パウルとベルンハルトのその作品は読んでいない。自分としては、カフカは『城』、
ムージルは『特性のない男』、ブロッホは『ウェルギリウスの死』の方が好きだ。
0222P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2016/11/20(日) 13:54:29.03ID:Sl0kumT7
まあ「五大ドイツ文学はこれだ」みたいな書き方はしてないけどさ。
0223吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/23(水) 20:36:55.92ID:WgTLQrB7
持っているベルンハルトの小説
『消去』『古典絵画の巨匠たち』『破滅者』『ある子供』
もっと集めた方がいいかな?
0225吾輩は名無しである
垢版 |
2016/11/30(水) 00:38:48.43ID:+zXPrkXF
喜劇の仮面をつけた不条理の英雄たち--戯曲作品にみるト-マス・ベルンハルトの世界観と実践 (ドイツ現代演劇<特集>)
桑原 ヒサ子
ドイツ文学 (75), p26-35, 1985
https://www.jstage.jst.go.jp/article/dokubun1947/75/0/75_0_26/_pdf

60年代後半ハントケが『観客罵倒』『カスパー』で全く新しい演劇形式を打ち
出し,1974年ベルンハルト,クレッツそしてシュトラウスが同時にハノーファー劇作家
賞を受賞するに到り,それぞれ独自性を見せながらも現代社会における人間を共通テー
マとする新しい世代がブリッシュ等の世代に取って替ったことは疑いない。

ここではテ
キストとして『大統領』(Der Prasident, 1975)を取り上げる。『ポリス』以来五年間ベ
ルンハルトが戯曲創作に専念し,拒絶と絶賛の入り混った評価を受けながら劇作家とし
て不動の地位を築いたこの時期の最後の作品である。

「アナーキストたちは/待っていればいいのよ/
何もせず見ていればいいのよ/だってあいつらが殺そうとしてる人たちは/自然に死に
絶えるんだから/死に絶える/死に絶える/(真珠のネックレスを再びあててみる)/順
番に/政府の偉い人は死んでゆくわ/無理矢理殺すことなんてないのよ/自然に死んで
いくんだから」

「何言ってるの/何か言って
ごらんなさいよ/ネェ言ったらどうなの/(ミセス・フレーリヒは一歩退く)/私を苦し
めてるのよ/あなたの存在は/私を苦しめるためだけにあるのよ」「だけど何か嫌悪
させるものがあるのよ/あなたが私の髪をとく様子/私が服を着るのを手伝う様子/あ
なたがドアから入って来る様子にはね/あなたが入って来ると/いつでも考えるの/何
故あの人は今入って来るのかって/だけどあなたは一言も説明しない/二十年間/一言
だって説明したことはなかったわ/(繰り返しアクセサリーを手に取っては化粧台に戻
す)/あなたは私を苦しめてる/私があなたを苦しめてる様にね/(大統領の方に向い
て)/そして私たち二人共彼を苦しめてるわ/あなたは無意識に/私は意識して/
(…)」「私たちの間にはなんて大きな違いがあるのかしら」
0226吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/01(木) 20:32:17.02ID:FTZ723Ih
The Philosophical Worldview Artist
Weltanschauungskunst für alle Weltanschauer
http://shirtysleeves.blogspot.jp/search/label/Thomas%20Bernhard


The Genius of Bad News
Tim Parks
http://www.nybooks.com/articles/2007/01/11/the-genius-of-bad-news/


Thomas Bernhard’s Women
POSTED ON OCTOBER 15, 2014 BY ANATHANWEST
https://anathanwest.com/2014/10/15/thomas-bernhards-women/


THEATER 20. OKTOBER 2016
Eine Stunde lang saß unsere Autorin mit dem Theatermann Claus Peymann am Grab von Thomas Bernhard.
http://sz-magazin.sueddeutsche.de/texte/anzeigen/45146/Er-erscheint-mir-immer-noch-im-Schlaf
0227吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/02(金) 21:28:14.79ID:KQDcisxf
トーマス・ベルンハルトの場合 「伐採」について
佐藤俊哉
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/14289/1/jinbunkagakukiyo_b10_211.pdf

このことは故人の希望によるものであるというが,1968年のオーストリア国家賞並
びに文部大臣奨励賞の受賞席上で述べた,感謝の辞が当時の文部大臣の激怒を招いたのを皮切りに,
スキャンダル,センセイションを常に身の周りに起こして耳目を集めた作家にふさわしい最後とも
いえる。
 この国家賞授与の顛末に関して1982年の小説「ヴィトゲンシュタインの甥」の中で触れられてい
る。少し引用してみる。「本省の引見の間で大臣が私へのいわゆる祝辞を述べたが,この祝辞は私
についてナンセンスなことばかり並べていた。それもそのはずで彼はただ,文学担当の役人の一人
が書きつけた一枚の原稿を棒読みするだけだったのである。たとえば私が南太平洋についての長編
小説を書いたというのであるが,むろん私はそんなものを書いたおぼえは一度もない。変わること
なくオーストリア人であったのに,大臣が言うには私はオランダ人だった。まったく思い当たるふ
しもないのに,大臣の申したてによれば私は冒険小説のスペシャリストだった。(省略)それから
私が,いわば賞に対する感謝の言葉として,ほんの少しばかりの文章を,それは受賞式の直前に大
急ぎで,しかもまったくいやいや紙に書きつけておいたもので,ちょっとした哲学的余話だったが,
それをいわば話して聞かせた。そこで私が述べたのは,人間はみじめであり,確実に死ぬのだ,と
いうことにほかならず,全部合わせても私の話は三分にもならなかった。するとこの話に,かの大
臣が,私が言ったことなどそもそもまったく理解できなかったのに,憤慨して席を立ち,私の鼻づ
らにげんこつをつきつけたのだった。そして怒りに息も荒げ,出席者全員の前で私を犬呼ばわりし,
広間から出て行った。ものすごい力でガラス扉を閉めたので,ガラスが粉々になって砕け散るあり
さまだった。
0228吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/04(日) 08:47:57.52ID:pe5ClWp3
S. KNZW
ベルリナーアンサンブルでトーマス・ベルンハルトの遺作「クラウス・パイマンはズボンを買って私と食事に行く」。
「クラウス・パイマンはボーフムを去りブルク劇場の舞台監督としてウィーンへ行く」と
「ズルツ草原のクラウス・パイマンとヘルマン・バイル」もセット。

クラウス・パイマン役は現在ベルリナーアンサンブルの座長であるパイマン本人だが、
そもそも役者ではないので台本を見ながらの演技、さらに高齢のせいか常に息を切らしており、観てて心配になる。

内容は文字通りの意味での楽屋ネタ。
セルフパロディーすれすれの、あたかも手癖で書き散らしたような相変わらずのベルンハルト節だけど、
見方を変えれば熟練の極みに達したテクストとも言えるか。

つまりこれを楽しめるかどうかは、本人出演という権威(あるいはパイマンに対する「キャラ萌え」)およびベルンハルト的お約束という、
極めて限定されたコンテクストの理解に掛かっている。

のパイマンと本人のパイマンが一致することで生まれる(譬喩的な意味での)ロゴス中心主義の原理によって支えられた上演ということになる。
一方でシャウビューネの『石灰工場』は、主体の死んだエクリチュールと対決し、誤配の可能性に賭た。
どちらも演劇であるし、演劇のみが両者の併存を可能にする。
26 Mar 2015

http://twilog.org/ChisonKim/date-150327

Thomas Bernhard
https://twitter.com/dailybernhard

Beril Odile Ünal
Thomas Bernhard 😊
Fotoğraf: Sepp Dreissinger -Viyana,1988
http://pbs.twimg.com/media/Cyb12SrW8AA6Xub.jpg
2016年11月29日
0229吾輩は名無しである
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2016/12/04(日) 23:48:46.66ID:pe5ClWp3
DATEN DER DEUTSCHEN LITERATUR
https://www.lehrer.uni-karlsruhe.de/~za874/homepage/bernhard.htm

トーマス・ベルンハルト(1931〜1989)
座長ブルスコン(1984)
池田信雄訳
ハントケやイェリネクと並んでオーストリアを代表する作家、劇作家であるベルンハルトの作品は、長大なモノローグをもってなる。
よほどのヴィルトゥオーゾ級の役者でなければこなせない長台詞が延々と続く。
『座長ブルスコン』は、そのベルンハルトの代表作であり、そもそも演劇とは、悲劇とは、はたまた喜劇とは何ぞやを問うメタドラマでもある。

ヘルデンプラッツ(1988)
池田信雄訳
オーストリア併合から50年を迎える年に、ヒトラーがかつて演説をした英雄広場でユダヤ人教授が自殺。
それがきっかけで吹き出すオーストリア罵倒のモノローグ。半世紀前の悪夢が甦る。ベルンハルトの最後の作品。
http://theaterprojekt.a.la9.jp/gikyokusen30.html

トーマス・ベルンハルト『座長ブルスコン』
http://d.hatena.ne.jp/sl-st/20080531/1212262453

ガキのころから罠ばかり仕掛けてた(38ページ)
 座長ブルスコンは妻と二人の子供を連れて各地を巡り、自作の芝居『歴史の車輪』を上演している。
田舎の村ウッツバッハの宿のダンスホールで、上演前の準備をしつつ、ブルスコンは宿の亭主や家族を相手にしゃべり続ける。
 240ページの戯曲のほとんどをブルスコンの台詞が占める、おそろしく饒舌な劇。役者は台詞を覚えるのに苦労しただろう。
 台詞の中身は演劇論から政治風刺まで。腹を立てたと思えばすぐ機嫌を直してしまうブルスコンのキャラクターはすこぶる喜劇的。
宿屋の亭主やブルスコンの家族による、淡々とした応答や合いの手とブルスコンのお喋りの長大さの対比もなんともおかしい。
 とはいえ、愚にもつかないことを喋っていると思えば、いきなり鋭い警句が混じったりもするのでなかなか油断できない。
演劇に関する演劇という面も強く、

そしてわしの喜劇の
台詞ときたら尋常の長さではないのだ(23ページ)
 こんなふうにセルフパロディもお手の物。
0231吾輩は名無しである
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2016/12/08(木) 21:57:56.11ID:V/cxE8ay
トーマス・ベルンハルトの『寒気』について
熊沢秀哉
http://www.shotoku.ac.jp/data/facilities/library/publication/gaigo53-3.pdf

『寒気』はこの1962
年初頭に書き始められたと推定されており、ベルンハルトはかなり追い込まれた状況にあったと
言えるだろう。実際彼はこの原稿の出版が拒否された場合には発展途上国援助奉仕員としてガー
ナに赴くプランを立てており、その後の自らの人生設計の根幹に関わる作品だったと見なし得る。

『寒気』は批評家、文壇からはセ
ンセーショナルな作品として扱われたにも拘わらず、そして出版元もドイツでは一流所であるに
も拘わらず、最初の2年間でようやく3000部を売り上げるに留まったことがそれを端的に証明し
ている。

これらの要素が作品全体の中に占める割合は極僅かだ。しかしこれらの描写は、Strauch のモノ
ローグや彼の主観性に彩られた観察を相対化する機能を持っている。 Strauch の見ている世界は、
ほぼ暗黒の世界だ。「私」が戸外ではなく、宿の Strauch の部屋で彼と相対する時、その姿は暗闇
とほとんど同化して見える。Strauch にとって、またベルンハルトにとっても、リアルな対象に向
かおうとする試みは、主観性の暗闇の中を行く行為を通じて以外にはない。しかしそのような言
語行為も言語外の現実にたどり着くことはない。Strauch の、さらには人間一般の存在性も言語の
外にあるものだ。『寒気』のテクスト全体は多層的な複合体である。言葉によって一つの見方が提
示されれば、常にそれを相対化する視線が示される。そのことによって接近が試みられる対象が
逃げていくことになる。研究にとってはテクスト自体も同じ性質を持つ「対象」となる。

1963年 Julius-Campe 賞。1965年 Bremer Literatur 賞。特に後者の「ブレーメン文学賞」は大きな賞であり、賞
金の1万マルクを元にしてベルンハルトは上部オーストリア、グムンデン近郊に古い大きな農家を購入する。

ベルンハルトは自らの作品の主人公たちとは異なり、文学によって「成功」するための青写真を持っていた。
これに従って小説の原稿はいずれもドイツの一流所の出版社に持ち込んでいる。
0232吾輩は名無しである
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2016/12/08(木) 22:00:43.63ID:V/cxE8ay
「彼らの放縦性は知られているところだ。彼らが性的であることは嗅ぎつけられている。彼らの
考えていること、計画していることは感づかれているし、どのような許されないことが常に彼ら
の内部で発生しているかについても同様だ。彼らのベッドは窓の下かドアの後ろにある。あるい
はそもそもベッドが問題ではないのかも。すなわち、ベッドの中で彼らは次々に怖ろしいことを
行っているのだ……充分に叩かれた肉を扱うように、男達は彼らの妻を扱い、逆もまた然りだ。
彼らは互いに相手が自分より格下の精薄であるかのように振る舞う。それら全ては大きな犯罪で
あると思われるかも知れない。原始的なものは共有財産なのだ。協定に応じるものがいることは
いる。またある者は全てのことを生まれながらにそうであるかのように良く知っている……ズボ
ンは彼らにはきつすぎ、上着は荒々しくズボンの中に入れられている。晩は長引いていく、そう
は行かないぞ!2、3歩中へ外へ、あちらこちらへ、凍死しないためだ……口は閉じられている、
他のものは暴れる……朝がある者の顔の上を過ぎていく、そしてどこが上で下なのかも最早分ら
ない。全てを殺すのは性的なもの。性的なものと、その本性において殺すものである病気。遅か
れ早かれそれは最も深い内面性をも破壊する……あるものから別のものへの変化を生じさせる。
善から悪へ、そこからあそこへ、上から下へ。神は不在だ、何故なら全てに先だって現われるか
らだ……道徳的なものから非道徳的なものが生じ、かつて没落した全てのものにとってのモデル
となる。自然の二枚舌と言えるかもしれない。この辺りをうろついている労働者は、他のほとん
どの人間同様、全ての人間同様、性的なものによってのみ生きている……恥と時間に逆らって彼
らの最後まで続く野蛮なプロセスを生きる、そして逆もまた然りだ。すなわち廃墟だ」と彼は言っ
た。「時間は彼らに打撃を与える。それから後は、彼らの道はただ淫行によってのみ舗装されてい
る。ある者はそれをうまく抑え、誤魔化し、別の者はそれ程うまくやらない。うまくやる者につ
いては、全てが無駄になってから初めてそれと気づかれる。しかし全ては常に無駄だ。彼ら全て
は性的生活を送っている。それは生活ではない」
0234吾輩は名無しである
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2016/12/11(日) 13:07:49.17ID:ua+q0or/
ニコラス・マーラーの『古典絵画の巨匠たち』: グラフィック・ノベルの可能性 木川 弘美

ドイツの大手出版社のひとつ、ズーアカンプ社による最初のコミックである『古典絵画の巨匠たち』は、原作もこの出版社が版権を持っていた。
20 世紀のオーストリアを代表する作家であるトーマス・ベルンハルトが著したこの小説は、主人公のレーガーが、
ウィーン美術史美術館の〈ボルドーネの間〉にあるティントレットの《白ひげの男》の前に坐り、
友人であるアッツバッハーに、オーストリア人の特徴として知られる辛辣さで芸術や音楽などの文化を語っていく。

「〈ボルドーネの間〉のティントレットの《白ひげの男》」以外に所蔵作品名が登場するのは、
ティフリスから来た画家が見たがっていたトマス・ゲインズバラの《サフォークの風景》だけである。

「それだって一つの方法なんだよ、何もかもカリカチュアにするというのもね。/
素晴らしい名画はただそれをカリカチュアにしたときにしか僕らには耐えようがない。/
でもねえ、たいていの人々はカリカチュアにするってことができないんだ、最初から最後まで恐ろしくきまじめに何でも観察してしまうんだ。
(…es ist ja auch eine Methode, alles zur Karikatur zu machen. /
Ein großes bedeutendes Bild halten wir nur dann aus, wenn wir es zur Karikatur gemacht haben. /
Die meisten Menschen sind aber zum Karikieren unfähig, sie betrachten alles bis ans Ende mit ihrem fürchterlichen Ernst.)」

「賛嘆をコートのように階下のクロークに預ける勇気もない
(sie haben nicht den Mut, ihre Bewunderung genauso an der Garderobe unten abzugeben wie ihren Mantel.)」

「ヨーロッパでは、絵はいつもただカトリックの神の手の中に、そして神の頭に描き込まれるばかりだった、と彼は言った、/
カトリックの神とそのカトリック的な 神々のね。
(In Europa haben sie immer nur einem katholischen Gott in die Hände und an den Kopf gemalt, sagte er, /
einem katholischen Gott und seinen katholischen Göttern.)」

レーガーが 1 日おきに美術館に通うのは、妻を亡くした悲しみから立ち直るためである。
0235吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/11(日) 23:07:10.45ID:ua+q0or/
エルヴェ・ギベール関連作家リスト
http://leparadis.fc2web.com/herve01.htm

――ぼくはこのトーマス・ベルンハルトが大嫌いだった。ぼくなんかよりも明らかにすぐれた作家だけれど、作品に古
色をつけたり、アレンジしたりするだけの男、原稿を水増しする屁理屈屋でしかなかった。三段論法による自明の理
の大ファン。肺病病みの童貞。相手をじらして、物事をはぐらかす男。重箱の隅をつついて、ザルツブルク人を攻撃す
る男。……(中略)……ぼくは無謀にもトーマス・ベルンハルトとはげしいチェスのゲームをはじめていた。ベルンハル
トがぼくに転移したのである。それは血液内のリンパ球を破壊し、免疫機能、T4細胞を崩壊させるHIVの進行に似
ていた。
『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』  

 
『ぼくの命』の「73」でHGが、トーマス・ベルンハルト(TB)をエイズ・ウィルスにたとえた、というのは有名な話で、ここ
で指摘するまでもない……のだけれど、やっぱりTBに関しては、この個所の引用しか考えられなかった。とにかくこ
の悪態の羅列ぶりがTBへの傾倒を物語っている。

――或る日グレン・グールドが「ゴールドベルク変奏曲」を弾いているのを聴き、ピアノの名手になることを諦めた作中
人物ヴェアタイマーとは逆に、ぼくは天才の明晰さにたいし負けを認めたくなかった。
『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』  

 
『破滅者』はグレン・グールドを扱っているおかげで日本でもある程度売れていたようだが、実は小説全体がバッハの
「ゴールドベルク変奏曲」と同じ構造になっていて、しかしも原文には改段落がほとんどない……という難物。また、作
中のグールド像も実在のグールドとは少し違う、という虚実ないまぜのしろもの。けれどそのあたりがHGとの共通
点。また、スキャンダル作家であったことも似ている。全編、他人の非難で固められているにもかかわらず、どういうわ
けか読んでいてまったく不快感がない、という不思議な作風。ちなみに上記の引用にある「ヴェアタイマー」という名前
は岩下訳では「ヴェルトハイマー」になっている。
0236吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/13(火) 00:18:40.86ID:a2hThvIP
まずは、、、オーストリアの2008年について。
http://voeslau-akiko.jugem.jp/?eid=268

流行語大賞
1位:Lebensmensch(人生を楽しむ人)


2008年新語・変語(オーストリア)
http://litrans.g.hatena.ne.jp/dokunichi/20090405

【新語】
1.Lebensmensch
かけがえのない人:もともとはオーストリアの作家トーマス・ベルンハルト(1931-1989)が使った言葉だそうですが、
これが息を吹き返したのは、10月に事故死した有名な極右政治家イェルク・ハイダー氏絡みで発言されたから。
オーストリア未来同盟党首の座を引き継いだシュテファン・ペツナー氏が、
彼について「かけがえのない人」と涙ながらに語ったことから、
2人は同性愛の関係にあったのではないかとメディアが騒ぎ立てたのでした。
感情的な発言はオーストリア政界では珍しいので、妙に目立ってしまったらしいです。


Lebensmensch
https://de.wikipedia.org/wiki/Lebensmensch

Die Eingeweihten wissen, was alles sich hinter diesem Wort Lebensmensch verbirgt,
von und aus welchem ich über dreißig Jahre meine Kraft und immer wieder mein Überleben bezogen habe,
aus nichts sonst, das ist die Wahrheit.“

- Thomas Bernhard: Wittgensteins Neffe - Eine Freundschaft
0237吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/13(火) 01:27:04.39ID:a2hThvIP
tamanoir
とあるジャンル専門の評論家が、私は文学史を踏まえて作品を叩いている
(で、その権威故にある作品群を葬り去る権利がある)と豪語していた時には腹抱えて笑ったよ。
そりゃまたどういう文学史だね。だってその作品群は現にそこにあり、あるということは、それもまた文学史の一部な訳だからね。

作品や作品群を巨視的に俯瞰して位置付ける、というのが、知的には非常に刺激的で楽しい営みであることは事実だろう。
それを読むのもまた刺激的で楽しい。その意味では、私は評論というものを否定しない。
ただ、そこにおいて評価の基準となるのは、どれだけ幅広い現象を解釈できているのか、だ。
2016年12月9日

日本語は美しい言語なんかじゃない。というか、そもそも無前提に美しい言語なんてものは存在しない。
醜い社会においてはどんな言語も醜く使われる。ほぼ全ての人間の社会は救い難く醜い。故に、どんな言語も現実には等しく醜い。

綺麗綺麗な絵空事を綺麗綺麗な言語で書いたものほど醜いものはない。言語の醜悪さが剥き出しになって吐気を誘う。
ああ、こんな醜い言語の中で自分は生きているのか、と。

忌避されるような醜い、汚い言葉で呪詛を吐く方が美しいことがある。
綺麗綺麗の愛好家は眉を潜めるだろうが、そこには醜悪の力がある。
綺麗綺麗に封印された怒りや恨みの怨霊が堰を切って溢れ出すのは、間違いなく、美しい。
2016年12月10日
0238吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/15(木) 20:02:31.91ID:UQ+ymLBC
サーカスと朗読会――ザルツブルク便り
山本浩司
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/30786/1/WasedaBlatter_13_00_011_YAMAMOTO.pdf

しかしザルツプルクに来て痛感させられたのは, ベンヤミ ンのいう物語とはいささか質
が異なるにせよ, ヨーロッパの朗読文化はなお死に絶えていないということだ。 ザルツプ
ルクに限らず, ミ ュンヘンでもウィーンでもベルリンでも書店の大きな一角を朗読CD
コーナーが占めている し, 文学館や劇場ではさかんに朗読会が行われている。 俳優による
朗読だってばかにできない。 例えばベルリーナー ・ アンサンプルの稽古場で行なわれた劇
場監督クラウス ・パイマンの盟友ヘルマン・バイルによるベルンハルト 『ヴィ トゲンシュ
タイ ンの甥』 の朗読は, 原作の配列を微妙に変えながら, それでもたぶん割愛という暴力
は振るわずに, 原稿を淡々と読み上げたものだったが, ミ ュンヘンのレジデンツ劇場 (『演
劇人』), ウィーンのブルタ劇場 (『習慣の力』), ヨーゼフシュタ ッ ト劇場 (『痴愚と狂人』),
フォルクス劇場 (『退官を前にして』) といくつか見ることの機会のあったベルンハルト劇
の演出が罵倒のユーモアやナチズム批判の政治性を前面に出すなか, 奇をてらった演出は
何もないのに, というよりもないがゆえに, 芸術通の狂人とその狂気につきあう 「わたし」
の悲しみがじわっと胸に しみ込んでく るのだった。 やはりベルリーナー・ アンサンプルで
は, ベルンハルトお気に入りのウィーンの俳優たちに捧げられた『リ ッター, デーネ, フォ
ス』 (パイマン演出) が, 初演と同じ舞台装置で再演されたけれど, こちらも, バイル演出
による小説 『古の名匠たち』 の舞台化 (ライヘナウ演劇祭のベルリーナー・ アンサンプル
客演) と並んで, オーソ ドックスな演出ゆえに. テクストのもっている力を十全に発揮さ
せた, といえそうだ。 どうやらベルンハルトのテクストは, 演出家の独裁に抗する力を
持っているとしか思えない。
0239吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/17(土) 00:10:11.08ID:XrO7MyB1
そのスキャンダルのゆえに、Die Ursacheはベルンハルト作品の中では、珍しくベストセラーとなった作品である。
自伝小説5部作の巻頭を飾るこの作品は、そのリアリスティックな描写により多くの読者を獲得した。
同時期に発表された「哲学的な」小説Korrekturと比べると読みやすいのもその一因であった。
この作品の意味は歴史的事実の文学的な普遍化にある。
舞台となっているザルツブルクは、ホフマンスタール以来の世界的演劇都市(ザルツブルク祝祭都市)
として有名な美しい景観を持った都市であるが、
ベルンハルトはそれをナチズムとカトリックが教育システムとして同様に機能した戦争犯罪都市として断罪する。
空襲を受けた戦中のザルツブルク体験は、ベルンハルトの心に大きなトラウマとなって残り、
忘却に対抗する記憶作業としてこの作品に着手したのである。
空爆された街の描写は擬人化や動物に擬せられたオーソドックスな身体的描写となっている。
こうした屠殺や窒息のメタファーはベルンハルト作品に頻出するモチーフであり、彼の個人的な経験に基づいており、
それが防空壕で身を寄せ合う人々の無力感へと拡張されている。
少年時の感情は、もは当時の感情を再現しているのではなく、距離を持った語り手の現在(30年後)から再構成される。
このような少年の素朴な恐怖感情と後年の審美的距離化という語りの亀裂が見られる。
(自伝小説の文学史的系譜からみて、ここにベルンハルト文学の新しさがある。)
空襲でバラバラにされた人形の手が子供の手へと変容するシーンには
子供の遊びとパラレルに置かれた大人の戦争の遊びが重ねあわされた観念遊戯が見られるが、
これはそのグロテスクな残酷さにおいてエルンスト・ユンガーの戦争小説を想起させる。
http://www.hum.nagoya-cu.ac.jp/~tsuchiya/log/2003.html
0240吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/17(土) 00:11:35.36ID:XrO7MyB1
前半部のおよそ3分の2は破壊と死の諸形象の絶え間ない凝集と高揚に満ちている。
つまり駅前に並べられた死体の列、祖母との墓参りによる死の光景への馴化(メランコリーのバロック的アレゴリーと結びつく)、
語り手のメランコリーを奏でる楽器たるヴァイオリンの破壊、空襲、学校寄宿舎の寝室崩壊、
そして最後にこうした経験が合葬墓の形象に焦点化していくのである。
こうした根源的な犯罪としての戦争の凄まじさ、つまり破壊された美しい街の黙示録的なタブローのなかに、生き延びる力の諸形象が現出する。
ベルンハルトの全作品において見られるこの最後の形象、つまり死の攻撃に対する生の詩的な符牒が現出している。
戦争直後語り手が庭師として働き始める話において、この職業こそ自然な生を維持する形象であり、死をもたらす猟師と対峙している。
前半部は寄宿舎の破壊で終わっているが、彼ら生徒たち自身、
大ドイツの人間教育ないしは人間否定教育の諸規則に従った国家ファシズム的サディズム的な教育原理によって破壊されている。
寄宿舎寝室の破壊(および寄宿舎長グリューンクランツの失脚)はトラウマの起源の抹消を意味する。

・・・キーワードSchuhkammer,Geige、Selbstmordの連関と統語構造の分析、戦争経験と芸術の問題性という二つのモチーフの指摘等々

討論では、(メランコリーや死、カトリシズムと結びつく)バロック的なメタファーとは何か、
さまざまの事情が学問化された観察眼によって冷徹に描写されることにより、悲劇が喜劇化されている(グロテスク喜劇)のではないか、
ネストロイなどウィーン民衆劇との関連は、言葉遊戯よりもバロック的演劇伝統との関連で考えられるのではないか、
文学史的な系譜における自伝小説というジャンルでの当作品の位置付けはどうか、
70年代のオーストリア反郷土小説(インナーホファ、シャーラング、イェリネク、トゥリーニ、バウアー)の系譜に入れることができるのではないか、
といった疑問や、オーストリア周辺住民のハプスブルク王朝への帰属意識と郷土意識の関係、
少年と大人の二重化された語り手の視点の問題とリアリティの「本物性」をめぐる問題(現実と虚構の関係)などが出てきました。
0241吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/17(土) 13:22:47.79ID:XrO7MyB1
Great novels about wasting time.
Jessica Winter
http://www.slate.com/articles/life/procrastination/2008/05/procrastination_lit.html

The cruel bard of procrastination lit is Thomas Bernhard,
the late Austrian writer whose forte was case studies in failed mono- and megalomania.

“Words Ruin One’s Thoughts” — William Gaddis Quotes Thomas Bernhard
https://biblioklept.org/2012/02/07/words-ruin-ones-thoughts-william-gaddis-quotes-thomas-bernhard/

Late in his life, William Gaddis became a big fan of Thomas Bernhard
who he quoted at length in a letter he sent to critic Gregory Comnes (that’s Gaddis’s handwriting).

nibuya
・・・トーマス・ベルンハルトの仕事を見ていると不意に、
この人はウィトゲンシュタインよりもむしろカルナップの裏張りではないかという気がして来る・・・
茫洋とした「スコラ的ウィーン学団」の陰影と光芒・・・そこに置く時、クリプキは・・・スピノザ+スコトゥス+α? 相変わらず無責任な感想。
2013年9月23日

"der Untergeher"が一番お勧め出来ます。
グレン・グールドに接点を持つ若いピアニストの話で、ドイツ語もそこまで難しくないです。
もちろんオーストリア人らしく、熟れて洒落たドイツ語の使い方ですが、
有名な音楽家が登場する事もあり、親しみを持って読み切れるでしょう。彼のロマンで短編は存じ上げません。

余談ですがDVDでも素晴らしい彼の作品がありまして
" der Theatermacher" ドイツの大スターJosef Bierbichlerを迎えてのテアター作品で、
Bernhardの劇作家としての素晴らしい才能が発揮されます。
既成の概念での構成ではないので、新しいフォルムが堪能出来ます。

クラブDJの大御所・WestbamはBernhardの大ファンとして知られ、彼の作品についての講演会でパネリストを努めたり、
朗読会で音楽を担当したりしています。それだけ、多方面に影響を与えた作家と言えるのでしょう。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1294428582
0242吾輩は名無しである
垢版 |
2016/12/17(土) 23:58:21.28ID:XrO7MyB1
1931年生まれのベルンハルトは、50年以降、トラークルやホイットマンを想起させる詩集「地上と地獄と」や「月の鉄の下で」など発表した後、
32歳の時、処女作の長編小説「霜」を書き、これがツックマイアーによって激賞されると、広く名が知れ渡ったのであるが、
それはこんな内容である。:即ち、

この小説は或る医学生の報告の形をとって書かれているのだが、外科医S.医師の下で助手を務めた主人公は、
この外科医の兄弟の画家を監視するため、辺鄙で荒涼としたアルプス山中の村V.に赴任していく。
それはこの画家が病で気ふれていると思われていて、世間からは冷たく見られ苦しんでいるからなのである。
ベルンハルトは長いモノローク/独白/で、訪問者らの注意をそこへと向けていくのだが、
そこからこの画家が次のような確信を持っていることがわかってくる。
即ち、<すべては地獄だ。天上も地上も、すべてこの世は地獄に他ならないのだ と。 

ところで、1969年発表の散文集、クルツプローザ、「出来事」と
78年の「声帯模写」はトラウマ性の諸要素を短い文章で作品化した。
即ち、罪、不安、嫌悪、病気、死、狂気そして、絶望などなど、。。
これらはアネクドーテ形式で書かれたため、クライストやヘーベルの
逸話や物語と、また、寓話や比喩形式のゆえに、カフカに比較
されているクルツプローザといえるのである。。。
http://blog.livedoor.jp/herrsommer3251/*%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E3%81%AE%E7%BE%A4%E5%83%8F%E2%9D%BF%E3%80%80/T.%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88archives/28361853.html
0243吾輩は名無しである
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2016/12/20(火) 17:31:34.64ID:Zo2kTm9t
十禅師
訃報:慶応大名誉教授の岩下眞好さん死去 ドイツ文学者
15日、脳出血で死去。66歳。著書に「マーラー その交響的宇宙」、訳書にトーマス・ベルンハルト「ヴィトゲンシュタインの甥」など。

HODGE
トーマス・ベルンハルトの『ヴィトゲンシュタインの甥』、訳注もすごく詳しくて、
これで『南ドイツ新聞』と『フランクフルター・アルゲマイネ』という「高級日刊紙」を知ったんだった──細かいところにどうしても目が行って。

そういえば、トーマス・ベルンハルト『ヴィトゲンシュタインの甥』の解説で岩下眞好氏は
「バロックとは本質的に反宗教改革の運動にほかならず、バロックの芸術は、
新教に対抗して自己をアピールする旧教側のいわば宣伝芸術だった。バロックの特質は、すべてここから生まれる。」と書いていた。

MIZU
ヴェルザー=メストの取材とレビューの第一人者だった。音友の連載「アンダンテ」はウィーン時代を知る貴重な資料。好きだったなあ。合掌。
2016年12月17日

岩下 眞好(1950年 - 2016年12月15日)

著書
『ウィーン国立歌劇場』音楽之友社 世界の歌劇場 1994
『マーラーその交響的宇宙』福井鉄也写真 音楽之友社 1995
共編
『200CD ウィーン・フィルの響き 名曲・名盤を聴く』佐々木直哉共編 立風書房 2000
翻訳
F.ツォーベライ『ベートーヴェン』理想社 ロロロ伝記叢書 1983
ハインリヒ・クルカ編『アドルフ・ロース』佐藤康則共訳 泰流社 1984
フォルカー・シェルリース『アルバン・ベルク 生涯と作品』宮川尚理共訳 泰流社 叢書ムジカ・ゼピュロス 1985
ヘルムート・キューン,ゲオルク・クヴァンダー共編『グスタフ・マーラー その人と芸術、そして時代』共訳 泰流社 1989
アンドレア・ゼーボーム編『ウィーン・オペラ 栄光と伝統の350年』監訳 リブロポート 1990
トーマス・ベルンハルト『ヴィトゲンシュタインの甥 最後の古き佳きウィーンびと』音楽之友社 1990
トーマス・ベルンハルト『破滅者 グレン・グールドを見つめて』音楽之友社 1992
ヴォルフガング・シュライバー『マーラー 大作曲家』音楽之友社 1993
0244吾輩は名無しである
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2016/12/20(火) 19:22:22.92ID:Zo2kTm9t
トーマス・ベルンハルトの諸相─── 没後十周年を記念して
http://www.jgg.jp/modules/archiv/index.php?content_id=13

司会:竹内 節、神野眞悟

1.事実と虚構     三上雅子
初期から晩年にいたるまで常に同一のテーマを扱い続けてきたと評されるベルンハルトの作品世界においても、
70年代を境にある変化が認められることを多くの研究者は指摘している。
同じく死や狂気を描きながらその語り口は喜劇性を増し、活動の比重は散文から劇作へと移っていくのである。
さらにこの時期以降作品中には実在の地名・人名が頻出するようになり、
それが名誉毀損をめぐる幾多の裁判事件となって世上にスキャンダルメーカーとしてのベルンハルトの名を広めていく結果となる。

2.狂気と死と笑い ── トーマス・ベルンハルトの戯曲作品について──     桑原ヒサ子
ベルンハルトは『ボリスのためのパーティー』(1970年)で劇作家としてデビューして以来、18年間に18の作品を執筆したが、
この作品にはすでにその後の戯曲に共通する特徴が数多く確認できる。

3.詩人としてのトーマス・ベルンハルト     瀧田夏樹
だが、より主体的な「死」は、すでにそれ以前から存在し、希望のない日常に、自殺を思った体験が、
自伝的散文作品に繰り返し述べられている。
その、病気による死の凝視は、詩集『死のとき(In hora mortis)』のなかで興味ある展開を示している。
その、神を呼ぶ声は、同郷の先輩詩人トラークルの「詩篇(Psalm)」を念頭において読むとき、明らかな意味を表す。

4.ベルンハルトと音楽     岩下眞好
ベルンハルトは、すでに少年時代に、ヴァイオリンや歌唱、音楽美学を学び、
のちにはザルツブルク・モーツァルテウム音楽院で本格的に音楽を勉強している。

5.狂気によって古都を衝く「ウィーン小説」:『ヴィトゲンシュタインの甥』     平田達治
この作品は、その題名にあるように、著者トーマス・ベルンハルトの親友だったパウル・ヴィトゲンシュタインの、
世の人々には狂気と恐れられる、「敏感すぎる感性をそなえた一つのノーブルな精神の滅び行くさま」(岩下眞好氏)を見届け、
それを形象化して、今亡き友に捧げた小説である。
0245吾輩は名無しである
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2016/12/20(火) 22:51:49.03ID:Zo2kTm9t
Summer in the City 1970 - Wim Wenders -Complete with subtitles
https://www.youtube.com/watch?v=Hum_wGNjuTw#t=84m44s

「私の善良なアウグスブルク出身の妻に、ルター風の動詞変化を自由にやらせてやって下さい。
彼女が口にするそのような不規則変化の動詞は私の耳には本当に心地よく響くのです。
それらの動詞はアウグスブルクの信仰告白中のシュマルカルデン条項なのですね」 『ジーベンケース』

健康な人々が病人たちに寛大であるということはこれまで一度もなかったし、
当然のことながら病人たちが健康な人々に寛大であることもけっしてなかった。このことは忘れてはならない。

哲学者というものは、ルートヴィヒのように自分の哲学を書いて公表してはじめてそう呼ばれうるのだとは言いきれない。
自分が哲学した内容を公表しなくても、ということはまた、なにも書かず、なにも公表しなくても、その人もまた哲学者なのである。

そしてその片手さえ、もし私たちが正直ならばこうした人間を数えるのにおそらく一本の指すらいらないはずなのに、
五本の指全部を使わねばならないと考えてしまう異常さに、じつにしばしば抵抗するのである。

私はできるだけ文学を避ける。できるだけ自分じしんを避けたいからだ。

たったいちどだけパウルは、自分のおじのルートヴィヒは一族の中でいちばん狂っていた人だったと言った。
億万長者が村の小学校の教師をしているなんて、やはり異常だとは思わないかい。パウルはそう言った。

哲学のヴィトゲンシュタインを私たちは、彼が狂気をではなくその哲学を紙の上に書き記したから哲学者だと信じ、
もう一人の方、つまりパウルを、彼が哲学を発表せず、ただその狂人ぶりを人目にさらしたから狂人だと信じているだけかもしれない。

最終的には明らかにひとつの死の物語にほかならなかった。/
私がパウルと出会ったのは、そう私はいまは思うのだが、明らかにパウルが死んだ、その時点からだった。
『ヴィトゲンシュタインの甥』
0246吾輩は名無しである
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2016/12/22(木) 23:55:50.92ID:mDiy20Ml
"Understanding Thomas Bernhard", by Stephen D. Dowden
http://kinkanon.blogspot.jp/2007/07/thomas-bernard-understanding-thomas.html

Holocaust Representation: Drama
http://htc.miami.edu/holocaust-representation-drama/
Thomas Bernhard in Eve of Retirement (1979)
Rainer Werner Fassbinder in Garbage, the City and Death (1975).


I volunteered to direct another production at Brush Creek Playhouse in January 2007,
and thought about the following short list of plays that I have been wanting, more or less seriously, to direct:

“Otherwise Engaged” by Simon Gray
“The Knights of the Round Table” by Jean Cocteau
“Who Are We This Time?” (suggested by Dennis Pinette)
“Spring’s Awakening” by Frank Wedekind
“Histrionics” by Thomas Bernhard
“Garbage, the City, and Death” by Rainer Werner Fassbinder
“Abingdon Square” by Maria Irene Fornés
“Victor, or Children in Power” by Roger Vitrac (trans. MS)
http://michaeltownsendsmith.com/brush-creek-players

David Lang (composer)
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Lang_(composer)
the loser
Lang's one-act chamber opera for solo baritone is based on Thomas Bernhard's novel, The Loser.
Lang first read Bernhard's novel in 1998 and immediately sensed it was something he wanted to set to music.
Lang served as composer, librettist and director of the loser.
Produced by Bang on a Can, the loser opened the 2016 BAM Next Wave Festival.
Its unusual staging placed the singer Rod Gilfry on a platform above the orchestra seating and at eye level with the theater's balcony.
The only other person visible was pianist Conrad Tao, on a platform far behind Gilfry. A small ensemble was heard offstage.
The orchestra seating was removed for the production. Lang and the loser were awarded the 2016 Richard B. Fisher Next Wave Award.
0247吾輩は名無しである
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2016/12/23(金) 01:32:57.73ID:L1lhBR5H
Historische Bilder zu Thomas Bernhard
http://austria-forum.org/af/Bilder_und_Videos/Historische_Bilder_IMAGNO/Bernhard%2C_Thomas

Historische Bilder zu Gerhard Lampersberg
http://austria-forum.org/af/Bilder_und_Videos/Historische_Bilder_IMAGNO/Lampersberg%2C_Gerhard

Gerhard Lampersberg (eigentlich Gerhard Lampersberger; * 5. Juli 1928 in Hermagor (Kärnten); † 29. Mai 2002 in Klagenfurt)

André Müller, Texte, Gespräche
http://andremuller.com-puter.com/

Thomas Bernhard: Erinnerungen seines Lektors Raimund Fellinger
https://www.youtube.com/watch?v=L-YfTOB27pc#t=2m27s

Raimund Fellinger (* 1. Oktober 1951 in Dillingen/Saar)

Thomas Bernhard for life
The interview, conducted in 1986, originally appeared in German in the Autumn 2006 issue of Kultur & Gespenster .
http://www.signandsight.com/features/1090.html

Thomas Bernhard and his Prizesan essay review by Gabriel Josipovici
http://www.thomasbernhard.org/essays/gjmyprizesns.shtml

Setting a Rant to Music: On Adapting Thomas Bernhard’s ‘The Loser’ for the Opera
David Lang
http://www.themillions.com/2016/09/setting-a-rant-to-music-on-adapting-thomas-bernhards-the-loser-for-the-opera.html
0248吾輩は名無しである
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2016/12/23(金) 17:42:16.33ID:L1lhBR5H
The Art of the Long Sentence — Frank Richardson
http://numerocinqmagazine.com/2014/11/08/the-art-of-the-long-sentence-frank-richardson/

In the following excerpt from the novel Correction,
Thomas Bernhard uses repetitive syntax to symbolically represent the protagonist’s mania for perfection, viz.
he corrects himself while explaining the process of correction:

We’re constantly correcting, and correcting ourselves, most rigorously,
because we recognize at every moment that we did it all wrong (wrote it, thought it, made it all wrong),
acted all wrong, how we acted all wrong, that everything to this point in time is a falsification,
so we correct this falsification, and then we again correct the correction of this falsification . . . (242)


James Wood on five great novels of consciousness
http://www.telegraph.co.uk/culture/books/9887988/James-Wood-on-five-great-novels-of-consciousness.html

@The Portrait of a Lady (1881)Henry James
ATo the Lighthouse (1927)Virginia Woolf
BThe Loser (1983)Thomas Bernhard
CToo Loud a Solitude (1976)Bohumil Hrabal
DMortals (2003)Norman Rush


The Prose of Thomas Bernhard: A Graphic Essay
https://rhystranter.com/2015/05/28/thomas-bernhard-prose-graphic-essay-comic-espen-terjesen/
0249吾輩は名無しである
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2016/12/23(金) 22:08:46.04ID:L1lhBR5H
THE RUMPUS INTERVIEW WITH GARTH GREENWELL
http://therumpus.net/2016/02/the-rumpus-interview-with-garth-greenwell/

Woolf is an important writer for me, someone I read often and who forms part of my ideal of what literature can do.
I think the more immediate influences on that second section come from other traditions—
Thomas Bernhard, Imre Kertesz, Teodora Dimova, Reinaldo Arenas.
I often say that Bernhard, W.G. Sebald, and Javier Marías are my stylistic holy trinity,
prose writers who amaze me with their notation of consciousness and voice.
In general, I hope that I’m working within a tradition of the novel of consciousness
that extends through Proust and Henry James and Thomas Mann and Virginia Woolf,
a queer tradition of novel writing that blurs boundaries between fiction and essay and autobiography.

Dag Solstad (born 16 July 1941)
http://lithub.com/norways-greatest-writer-is-actually-dag-solstad/

1960s: Existentialism. Solstad’s breakthrough novel examines freedom and tyranny, and is inspired by Polish writer Witold Gombrowicz.

1970s: Political writing. In the aftermath of the student revolts of 1968 Solstad takes up writing “in the service of the revolution.”

1980s: Postmodern experiments, sprawling novels with a touch of metafiction.

1990s: Minimalism, Thomas Bernhard-styled misanthropy.

2000 to now: Formally experimental novels. Solstad calls these books “footnotes” to his major works.


Archive for the ‘Thomas Bernhard’ Category
http://blog.theater-nachtgedanken.de/category/theater/thomas-bernhard/
0250吾輩は名無しである
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2016/12/25(日) 11:13:16.59ID:3HjwXJfg
オレたち外文リーガーの自信の1球と来年の隠し球vol、5(2016.12.23)
http://www.asahi-net.or.jp/~jh4m-ykt/yontomo/2016-12-23yontomo.pdf

【松籟社】
その他
トーマス・ベルンハルト、今井敦訳『原因』
オーストリアの作家ベルンハルトによる自伝的五部作のひとつ。今年、そのうちの『ある子供』を刊行しましたが、
二冊目を来年夏〜秋ごろに。

【河出書房新社】
★来年の隠し球
トーマス・ベルンハルト『霜』(池田信雄訳)
オーストリアの寒村へ医学生として研修中の私は、画家として挫折し、病のため山奥に篭ったシュトラウヒのもとに
赴き、研修の一環として彼を観察することを依頼された一一陰諺の極限に共感を漂わせる巨匠の長篇
0251吾輩は名無しである
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2016/12/25(日) 13:56:12.27ID:3HjwXJfg
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1070227495/

260 :名無シネマ@上映中:04/02/13 02:14 ID:exd2HM6W
Fassbinder’s Favorite Books
1. アルノー 『ヴァン・ゴッホ―社会が自殺させたもの(Van Gogh, der Selbstmoerder
durch die Gesellschaft)』
2. ショーペンハウアー 『意志と表象としての世界(Die Welt als Wille und Vorstellung)』
3. セリーヌ 『夜の果ての旅(Reise ans Ende der Nacht)』
4. フロイト 『人間モーゼ(Der Mann Moses)』
5. デーブリーン 『ベルリン・アレクサンダー広場(Berlin Alexanderplatz)』
6. ユイスマンス 『彼方(Tief unten)』
7. ジャン・パウル 『ジーベンケース(Siebenkaes)』
8. ゲーテ 『親和力(Wahlverwandtschaften)』
9. スキナー 『ウォールデン・トゥー(Futurum II)』
10. バーンズ 『夜の森(Nachtgewaechs)』
ちなみに、「意志と表象としての世界」という題名は、『第三世代』のテロリストたちが
隠語として用いていました。

264 :名無シネマ@上映中:04/02/14 03:40 ID:G0oMC+Uq
うろおぼえですが『13回新月のある年に』で
ショーペンハウアー『自殺について』が使われていませんでしたか。
1.アルトー『ヴァン・ゴッホ』筑摩書房
2.ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』白水社
3.セリーヌ『夜の果ての旅』中央公論社
4.フロイト『モーセと一神教』筑摩書房
5.デーブリーン『ベルリン・アレクサンダー広場』河出書房新社
6.ユイスマンス『彼方』東京創元社
7.ジャン・パウル『ジーベンケース』九州大学出版会
8.ゲーテ『親和力』講談社
9.スキナー『ウォールデンツー/森の生活 心理学的ユートピア』誠信書房
10.バーンズ『夜の森』国書刊行会
0252吾輩は名無しである
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2016/12/27(火) 01:33:18.30ID:nPHNRkhg
the films of rainer werner fassbinder
http://www.jclarkmedia.com/fassbinder/index.html

"Under the Iron of the Moon" (1959):

A flower,
a white flower
has sipped my anger
in this forsaken city
and wants to know nothing more
about clouds and trees.
In its eyes wilt the children
of restless flesh
and sad songs
that are not sung anymore ...
http://www.sfgate.com/books/article/Austrian-writer-simply-will-not-forget-Thomas-2486345.php

排泄と猥褻と暴力 ヴェルナー・シュヴァープの三位一体
http://www.h7.dion.ne.jp/~deli/schwab.html

シュヴァープ作品に現れる、社会の底辺層でうごめく悲惨な「どん底」生活を、あえて舌足らずな言語的なリアルさで描くという姿勢は、
1960年代のフライサー再評価に伴うもので、例えばトゥリーニ、クレッツ、ファスビンダー等々の「民衆劇」と呼ばれる作品群を形成している。
彼らの社会批判劇においては、欠陥言語が貧困層の教育欠如の表現として用いられ、
俗語、卑猥語、方言、外国人労働者の奇妙なドイツ語等が、内容と対応して効果的に使用される。
あるいは教養語的な不自然なクダクダシサも顕著で、ホルヴァートの似非教養主義的な決まり文句の繰り返し、
あるいはネストロイ等の「ウィーン民衆劇」における意識的な官僚語表現の皮肉な多用にまで遡ることができるだろう。
しかしシュヴァープ劇の特性は、「民衆劇」的な一種の欠陥言語による社会批判劇だけにはとどまらないのが、「シュヴァープ語」の地平である。
 例えば三人の女たちの対話が、実は相互の妄想とモノローグの闘争であることは、
同じオーストリアのベルンハルトやイェリネクの徹底的なモノローグ劇の可能性をも想起させる。
それを高度に様式化された言語レベルで理解すれば、シュヴァープ劇の破壊的文体は、
ハントケの純粋言語劇や、あるいは言語実験に意識的なウィーン・グループ、とりわけヤンドゥルの言語破壊的滑稽さにも通ずるだろう。
0253吾輩は名無しである
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2016/12/27(火) 21:56:07.62ID:nPHNRkhg
Schwab's most immediate influence, however, was fellow Austrian playwright (and novelist) Thomas Bernhard,
who also portrayed people as fundamentally brutal, stupid, and intolerant.
What separates these writers' work from the adolescent self-indulgence of a Bret Easton Ellis or Sarah Kane is a buoying,
paradoxical faith in the beauty of the human morass. As Bernhard wrote in his autobiography,
he believed the world was
0254吾輩は名無しである
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2016/12/27(火) 21:57:30.48ID:nPHNRkhg
Schwab's most immediate influence, however, was fellow Austrian playwright (and novelist) Thomas Bernhard,
who also portrayed people as fundamentally brutal, stupid, and intolerant.
What separates these writers' work from the adolescent self-indulgence of a Bret Easton Ellis or Sarah Kane is a buoying,
paradoxical faith in the beauty of the human morass. As Bernhard wrote in his autobiography,
he believed the world was "a cesspit, but one which engendered the most intricate and beautiful forms if one looked into it long enough."
http://www.chicagoreader.com/chicago/cruel-to-our-kind/Content?oid=917909


Thomas Bernhard and the Art of Agitation
Jeremy Klemin
http://blog.pshares.org/index.php/thomas-bernhard-and-the-art-of-agitation/

Thomas Bernhard, Beton Kitabından Bir Bölüm
http://www.izdiham.com/thomas-bernhard-beton-kitabindan-bir-bolum/

« Place des Héros » mis en scène par Krystian Lupa – espaces entre
http://www.laparafe.fr/2016/12/place-des-heros-mis-en-scene-par-krystian-lupa-espaces-entre/

El ladrido del fin del mundo, por Thomas Bernhard
https://milinviernos.com/2012/12/21/el-ladrido-del-fin-del-mundo-por-thomas-bernhard/
0255吾輩は名無しである
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2016/12/27(火) 23:29:46.83ID:nPHNRkhg
60 年代とゼロ年代のオーストリア反郷土文学
徳永恭子
http://ci.nii.ac.jp/els/110008914068.pdf?id=ART0009872928&;type=pdf&lang=en&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1482843979&cp=

1. 仮装が暴く暴力─ゲルハルト・フリッチュ『謝肉祭』(1967 年)

女装によって偶然にも村をソ連軍の攻撃から守り、戦争を無事に生き延び
たフェリックスは、ソ連に抑留された後、12 年ぶりに故郷の村に舞い戻る。
ヴィットリアは今や教会の活動に従事し、女装の老人ライムントは教会の合
唱団を率いている。オーストリアを「カトリック的、ナチス的」katholisch,
nationalsozialistisch と呼んだのはトマス・ベルンハルトであるが、ここでもナ
チズムからカトリシズムへの住民たちの見事な変貌が描かれている。

2. 即物的な不気味さ─ゲルト・フリードリヒ・ヨンケ『幾何学的郷
土小説』(1969 年)

3. 欲望の交わる汚染地域─オルガ・フロア『谷の終わる所』(2005 年)

4. 炬火が照らし出す国境地帯─リディア・ミッシュクルニク『地方
での出会い』(2009 年)

「炬火」Fackel という言葉を聞くと、オーストリア文学に親しんでいる者
は、カール・クラウスが自ら執筆、編集し、出版した雑誌『炬火』Die Fackel
やエリアス・カネッティの自伝『耳の中の炬火』Die Fackel im Ohr がすぐ
に思い浮かぶだろう。しかしこの作品の背後に見え隠れするのは、作者と
同じクラーゲンフルト出身の女性作家インゲボルク・バッハマン Ingeborg
Bachmann(1926〜1973)の『あるオーストリアの町での青春』Jugend in einer
österreichischen Stadt という散文作品だ。
0256吾輩は名無しである
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2016/12/28(水) 23:01:17.80ID:K/EuFtRd
Absurdes Theater
https://de.wikipedia.org/wiki/Absurdes_Theater

Deutschsprachige „Verwandte“
Max Frisch (1911-1991)
Friedrich Dürrenmatt (1921-1990)
Wolfgang Hildesheimer (1916-1991)
Thomas Bernhard (1931-1989)
George Tabori (1914-2007)
Martin Walser (* 1927)
Franz Xaver Kroetz (* 1946)
Christoph Schlingensief (1960-2010)

Victory for Austria’s far right will send ripples across Europe
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:pwO37cG-uHIJ:https://www.ft.com/content/28c26668-b0d5-11e6-a37c-f4a01f1b0fa1+&cd=120&hl=en&ct=clnk&gl=jp
NOVEMBER 23, 2016 by: Tony Barber
The late Thomas Bernhard, a mordant Austrian author,
once likened the mentality of his compatriots to punch cake, a rum-soaked national dessert.
On the outside it is red, like the left; inside it is brown, like Nazism; and it is always a bit drunk.

THOMAS BERNHARD / Krista Fleischmann: Interviews. DVD-TRAILER
https://www.youtube.com/watch?v=l6FXL2p2cuU

“グレンは三日間というもの、この町の魔法に骨抜きにされてしまった、ということだった。
ところが急に、この魔法が世に言う見え透いたペテンであり、この美しさは本質的には嫌悪感を催させるものであって、
そうした中にいる人間達も低劣な人間達なのだということが分かった、と言った。
・・・ここにやってくる人間達も、これにすぐ気づく。あれらの鈍くて虚ろな住人達、
あれらの情緒生涯のザルツブルク人達になりたくないと思ったなら、手遅れにならないうちにここから立ち去るしかない。
・・・こんな所で育ったらなんと素敵だろう、と最初はグレンも思ったという。
だが着いてからもう二、三日すると、この土地で生まれ育ち成人しなければいけないことが彼には悪夢に思えてきたのだった。
この風土、そしてこの壁達が感受性を殺すんだ、と彼は言った。
私はもうそれに付け加えることは何もなかった。”(トーマス・ベルンハルト「破滅者」)
0257吾輩は名無しである
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2016/12/30(金) 22:21:52.17ID:DjP8pvDo
クリスチャン・ルパの演劇――2009年欧州演劇賞イベントで上演された三本から/野田学
https://spice.eplus.jp/articles/82130

ルパの一番の特徴は、長大で観念的な中欧・東欧小説を多く舞台化していることだろう。
ロベルト・ムーシルの『特性のない男』、ヘルマン・ブロッホの『夢遊の人々』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、
リルケの『マルテの手記』、トーマス・ベルンハルトの『石灰工場』などに題材をとっている。
その中でも特にムーシルやブロッホのような、
20世紀前半の価値観の激変期を描いたオーストリアのモダニスト小説には何度も立ち返っているし、
20世紀後半のベルンハルトは小説・戯曲ともに多数上演している
(これは、ベルンハルトが糾弾するオーストリアのカトリック−ナチズムの世界が、
ルパの国ポーランドでも適用可能であるとルパがみなしているからだろう)。
これら作品の丹念な読み込みから、ルパは人間性の暗部をあぶり出す大作舞台を作り上げてきた。
0258吾輩は名無しである
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2016/12/30(金) 22:29:57.26ID:DjP8pvDo
2,エクリチュールとか、書物とか。
 「エクリチュール」というと、日本では圧倒的にフランス現代思想の影響が強いと思うのですが、
どういうわけか私がエクリチュールや書物について気になるのは、ドイツ文学(からの翻訳)なんですよね。
 トーマス・ベルンハルト『消去』とか、ペーター・ハントケ『反復』、W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ』など。
 たぶん私の発想に一番近く、影響も受けてるのが原克『書物の図像学』かな。
 これに関しては、みんな大好きベンヤミンをちゃんと読めばいいんでしょうか。
あとは、図書館や読書、書物に関する歴史やメディア論を押さえればよい。
どういうわけか私、メディア論的な本が苦手ですぐ眠くなってしまうので、ちょっと頑張らなくちゃいけないです。

3,「山」のイメージ
 これはあんまり大きくないテーマですが。
 『源氏物語』の宇治十帖に関しても「山」が重要な意味を持つ(恋と道心)し、
ベルンハルトの『ウィトゲンシュタインの甥』の冒頭で、非常に上手に「山」のイメージを使ってたんですよね。
精神病と肺病のサナトリウム。『魔の山』的な(笑)。正確に言えば、『ウィトゲンシュタインの甥』はサナトリウムではないですが。
山のこっち側とあっち側で、語り手と主人公とが、一方は肺病のために死にかけて、一方は精神的な危機のために死にかけてる。
 いつか書いてみたいテーマです。
http://blog.goo.ne.jp/omarihajoto/e/a3b53a8d510b327f9aa69abaeb0360b5
0259吾輩は名無しである
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2016/12/30(金) 22:37:08.20ID:DjP8pvDo
A CHATWIN READING LIST
https://togetter.com/li/459088

ヤスミ
ニコラス・シェイクスピアのブルース・チャトウィン伝記の巻末の A CHATWIN READING LIST を眺めてたらもうこんな時間、、

LIST5 トーマス・ベルンハルト『Gargoyles』『ウィトゲンシュタインの甥』/ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝記集』/
イワン・ブーニン『暗い並木道』『サンフランシスコから来た紳士』
19 Feb 2013
0260吾輩は名無しである
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2016/12/30(金) 22:52:38.25ID:DjP8pvDo
クラシック板・教養学部ドイツ科
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1356970747/
23 :1:2013/01/03(木) 00:21:57.77 ID:3UEUFS/U
オーストリア
名目GDP:381,084(100万米ドル)(23位)
1人当たりGDP:45,563(米ドル)(9位)
過去10年間のGDP成長率:1.72%(67位)

一人あたりのGDP9位というのはすごいね。
人口が800万人強と国内の市場規模には限りがあるオーストリアは、
日本同様輸出型の経済で、特にドイツへの輸出が重要なファクターとなっている。
近年はドイツ経済が好調なので、引っ張られている側面が大きい。
あと、移民の流入も経済成長にはプラスに働いているようだが、政治的には不安定要因となっているのは周知の通り。
日本と違ってお金が貯蓄に回ってしまわないところが大きい。福祉の充実はやはり重要だ。
ウィーンに全人口の20.2%が集中しているおり、またオーストリア全体のGDPの26.7%がウィーンで生み出されている。
地域格差が大きく、移民を中心として経済格差も存在する様である(まあ、これはオーストリアに限ったことではないで
すね)。

文化レベルが高いのは当然として、経済的に豊かであるかはどうだろう。
僕には判断がつかない。もう少しじっくり考えてみよう。

許光俊氏じゃないけど、ウィーンは二重性を秘めた街のようだ。夢と現実、豊かさと悲惨さ。
かつて作家のトーマス・ベルンハルトはそうしたウィーンの欺瞞性を、僕に言わせれば「反語的な愛」をもって描写して
いた。ベルンハルトは同様にスイスの欺瞞性もかなり辛辣に描いていた。
大学時代、音楽評論家でもある岩下眞好教授のベルンハルトの講義に出たことがあるが、
岩下氏は実際に会うと見かけは怖いというかかなり怪しいし、ベルンハルトを好みそうな人物という印象を持った。

おっと、長文になりすぎましたね。
>>16さんご指摘のように「スレ主の一人語り」になるのはよろしくない。
しばらく引っ込んでスレの進行を眺めていたほうがよさそうですね。

さて、久しぶりにホーフマンスタールの「六百七十二夜の物語」でも読むことにしよう。
0261吾輩は名無しである
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2016/12/31(土) 22:42:05.13ID:iYlGaoxp
Woodcutters - フェスティバル/トーキョー16
『伐採』の物語とそのモデルたち

ランパースベルク夫妻(アウアースベルガー夫妻)のパトロ
ン活動は1950年代の半ばから始まる。妻のマーヤは歌手、
夫のゲアハルトは作曲家。自宅のトーンホーフには、H.C.ア
ルトマン、ゲルハルト・リューム、ゲルト・ヨンケ、ウォルフガン
ク・バウアー、ペーター・トゥリーニ、ペーター・ハントケ、トー
マス・ベルンハルトが出入りした。1960年7月、トーンホーフ
の倉庫を劇場にし、夫のゲルハルトの作曲によるベルンハル
トの短編オペラ『Köpfe』、短編戯曲『Erfunden』『Frühling』
『Rosa』を初演するが、その内容をめぐって衝突、ベルンハ
ルトとの関係は断絶。予定されていたヨアナ・トゥールの振付
のバレエ『rosen in der einöde』も中止となった。

ヨアナ・トゥルはマックス・ラインハルト・セミナーで俳優の訓練
を受け、世界的な美術家フリッツ・リードルと結婚する。オース
トリア国営放送協会やメルクの夏の演劇祭で、演出や振付
を担うなか、セバスチャン広場のリードルのアトリエでベルン
ハルトと知り合う。アルコール中毒で、たびたび禁断療法を
受けるが、1976年に自殺。
0262吾輩は名無しである
垢版 |
2017/02/08(水) 12:33:47.11ID:aA8q3L/b
次の小説の新訳はいつ?
0263吾輩は名無しである
垢版 |
2017/02/10(金) 19:59:36.41ID:0YgLhs/K
Re: イタリアルネサンス - KS@管理人
2011/10/29 (Sat)

ウィーンは行きましたか? 美術史美術館。
いまトーマス・ベルンハルトの『古典絵画の巨匠たち』という小説を読んでいて、
ちょうど美術史美術館(この本の中では美術史博物館ってなってますが)が舞台なんで、
昨日も図録見てました(古くなって紙がやられていて、くっついているページがあって焦りました)。
ブリューゲルといえば美術史美術館、というイメージあります。ここは建物がものすご〜く豪華だったのが印象に残ってます。
あと、突然中央の大階段でバレエがはじまったのにもびっくりしました。(ウィーンではよくあることらしいですが)
http://unkei.bbs.fc2.com/
0264吾輩は名無しである
垢版 |
2017/03/09(木) 17:16:44.39ID:2N3D5lBh
「終始私の最大の関心事であり続けた私の頭脳が求める理想都市は、結局リスボンではなかった。
ローマがつねに理想都市であり続けている。ローマは頭脳のための町だ。」

『消去』
0265吾輩は名無しである
垢版 |
2017/03/12(日) 00:26:56.31ID:mfxCocz0
*ルイ・フェルディナン・セリーヌ『なしくずしの死』(河出文庫)

エーメとは正反対の「暗いフランス文学」代表がこのセリーヌです。
生き続けるのは残酷なことだ、他人とともにいるのは不幸の源だ、というのは文学の大きなテーマの一つ。
「不思議なのは、どうして誰も自殺しないでいられるのかということです」と、トマス・ベルンハルトの芝居の登場人物は呟きました。
セリーヌの『なしくずしの死』は、まさに自殺を回避するための戦いの記録です。
http://frenchbloom.seesaa.net/archives/20070221-1.html

なお、トーマス・ベルンハルトの小説『ヴィトゲンシュタインの甥』は、
ワーグナーの残した珠玉の遺産、あのアム・シュタインホーフの教会が登場するので、興味深い参考文献である。
http://mirabell.be/C5_1.htm

shinnarita78
邦訳されたベルンハルトは全部持ってる者です
http://scontent.cdninstagram.com/t51.2885-15/s640x640/sh0.08/e35/13413478_571033483077217_1267928589_n.jpg

「毎日は調子の狂った振舞いとともにめざめ、
 わが祈りのなかに取り囲まれる
 (…)
 居酒屋でお前ははぎ取る
 お前の悲劇という趣味の悪い服を、
 森はなく、戦利品はなく、大天使たちはいない…」

 トーマス・ベルンハルト『こんにちはウェルギリウス』
0266吾輩は名無しである
垢版 |
2017/03/16(木) 12:26:03.67ID:yKIMwqJl
『消去』を読んでいるが、マリアという詩人が登場した。
このモデルはインゲボルク・バッハマンだっけ?
0267吾輩は名無しである
垢版 |
2017/03/23(木) 01:47:06.20ID:lCKzpBpq
『消去』がベルンハルトの最大長編なのだろうか?
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