そーいや昔、薬のディーラーの様な事もしていた。ほとんど持っていたから、
俺を通すような感じだった。お金のピンハネとかは無し。向精神薬以外はほとんどかな。
かなり多く持っていたので、イラン人の番号を回しあったりしていた。
ハッパ(93)が一番多くて続いてマジックマッシュルーム。MDMAなども。
ディーラーと言っても知り合い専門だけど。人気の品だった。しゃぶもあったかな?

イラン人のディーラーカムバック!と言いたくなるのは、イラン人の携帯は顧客の
番号が多く詰まっているらしく、一台何百万でその携帯がイラン人の間で取引されて
いたそうで、固定の顧客が付いていたとか。それをイラン人は回しあって細々と地道に
販売ルートをネットの無い時代から信頼”で築いていったと思う。

またバイヤーのこちらもその番号を仲間内で、確認をしながら回しあっていたんだよ。
それでもイラン人は気軽に売ってくれたそうだが・・・。
この時代街で中東系のイラン人をよく見るのは当たり前で、若者なら誰もが知ってる
イラン人だった。(イメージ悪いけど。)たどたどしい日本語で話す彼らは異国からの
上質な贈り物を忍ばせキッズたちを喜ばせていましたが・・・。

ある年から販売ルートが変わり販売方法も変わり危なくなったのか、街でもどこでも
見なくなりました。イラン人(いらん)などとダジャレのような感じだけど、日本で
あれだけ悪さをしていたイラン人は日本で何のために、ディーラーやったりして捕まっていた
のだろうか?異国で不慣れな日本語を使い、闇ルートでの信頼を築き、日本のキッズの
為に互いに(社会的に)死んでいった功績は、個人的には賞賛に値する価値があったが・・・。