映画の編集者が、首を回している女性のショットから、通りの向かいに並ぶ店の中距離ショットにつなぐとき、
我々はその女性のまなざしの動きをたどっている。みずからの意志でその動きに注意を向け、彼女とともに見ているのだ。
モンタージュを理解するということは、編集者の基準に従って、カットを逆方向に組み立て直すということだ。
見る行為として、モンタージュを動的に作り出すということだ。……
我々は写真の向こうを漁ってまわる。「ここにどんな世界が保存されているのか?」と問うのではなく、
「私はこれを保存した人間とどう違うのか、ここに保存された人間たちとは?」と問いながら。
他人を理解することは、おのれの自己像を修正することと不可分だ。ふたつのプロセスはたがいに呑み込みあう。
写真が我々を惹きつけるのは、何よりもまず、写真が我々を見返すからだ。

(リチャード・パワーズ 『舞踏会へ向かう三人の農夫』 柴田元幸訳 みすず書房)