【漱石】「坊ちゃん」を改めて考える【ごめん】 [無断転載禁止]©2ch.net
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坊ちゃんはよく分からん。
DJあおるが言ってる様に文学的価値は低いような気がする。
http://tinpoji.blogo.jp/archives/6758258.html
そもそも清はいるの? >>44
だから・・・、高校までの授業で「猫、坊ちゃん」の一部紹介位は良いが、
教科書に乗せるのはダメだって。
乗せるべきは「草枕の」冒頭で、これは暗記させて、試験に出すべし。 さらに・・・
マークトウェインと比較すると。
「とむ」の序文が参考になる。
「大人のために書いた。」とある。
漱石も「猫、坊ちゃん」は大人むけに書いたと思う。
子供が読んだって無意味。 大人になってじっくり・・が大吉。
案の定、「とむ、はっく」も子供の頃に存在を知っちゃうから、読みゃーしない。
まったくもって、勿体ない事である。 >>43
>文学って奴は何がしか読者に感銘・人生指針を与える物と定義出来、
私見だけど(笑 文芸書は、面白いから読むだけ。単なる娯楽の一つ。 >>47
「草枕」の最初の一頁の再読をお勧めします。
文芸書の定義は何か分かりませんが、「芸」は芸術を意味してはいない、
と思われます。
おっしゃる通り「面白い読み物は」一杯有りますが、涙が流れる「読み物」は
「娯楽」とは一線を画す物とかと。
古本屋に叩き売らず、書架に死ぬまで置ける本に出会えます様に。 >>48
そこで一線を引いてしまうのは視野を狹めるだけかと。
涙腺は緩むものだから、若い時には涙しなくとも年寄ればそうあることもあるだろうし。
定義がお好きなようなので、これも一言。
文芸書⊇文学書、でしょう。一般に。
読書の取り組み方の視点の一つとして、没頭するのと、客観的に読む、の二通りがある。
漱石絶対、ほかは漱石以下、と言うのと、漱石よ、肩に力が入りすぎじゃないか?などと考えながら読むのと。
とは言っても、読み方はそれこそ千差万別なので、あまり一致点を模索するのは徒労かな。 1989年改版(第77刷り以降)の「坊ちゃん」では平岡敏夫の解説がある。
最後のしめくくりに・・・
「坊ちゃん」の前作「趣味の遺伝」中の以下の一文が紹介されて居る。
『滑稽の裏には真面目がくっ付いている。
大笑の奥には熱涙が潜んでいる。雑談(じょうだん)の底には
啾々たる鬼哭が聞こえる』
「趣味の遺伝」は少しく難解だが、シェークスピアをよく引き合いに出してる。
漱石はシェークスピアを研究した位であるから、「文学」とはどんな
者であるかが骨の髄まで染みこんでいた者と思われる。
第77刷り以降の平岡氏解説の再読をすすめます。
>>26 文学論なんて不要ですよね。
昭和2年頃の絵地図上げます。 (初三郎、鳥瞰図)
http://i.imgur.com/1oWupOl.jpg
漱石が住んだ時代とは違いますが、小町の停車場、愚陀佛庵、
山城屋・・・を地図で楽しんで下さい。
絵地図元。→http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002233054_o.html
(クリックで拡大できます )
三津港は大分発展しちゃってて、この時代、艀なんてもう有りません。 スレの趣旨とはずれますが、敗戦より昔のわがこく人民は実によく歩きます。
漱石鴎外二葉亭の作品だはもちろん、のちの文芸作家や登場人物もも
じつによく歩く。寅彦や井伏の随筆を読んでると足がいたくなる。久保万の
芸人は当然、里見トンのお坊ちゃん主人公も実に健脚です(材木座から稲村ヶ崎
まで平気で歩くんだから。現代人ならタクシーや江ノ電に乗る距離です)。
私の家は川端が死んだマンションの近所で(わけあっていまは単身都会で
暮らしています)、ここへは今はただのバスが走っていますが、近所の住民は
鎌倉駅まで奥方の運転か、片道200円のバス、900〜1200円のタクシーを
使って通勤しています。
川端「山の音」には、主人公が毎日鎌倉駅から歩いて帰宅する風景が描かれて
いますが、現在この距離を毎日歩くのは、貯蓄に熱心な若夫婦か、出席して
あとは健康にしか興味のない重役出勤の人くらいです(どうせ鉄道は毎日
グリーン車で座りっぱなしなのだ。歩いて当然)。
東京て町は、鉄道やバスタクシーが発達して随分街どうし離れているようですが、
車を運転する方ならおわかりの通り、下町はたいした大きさではありません。
こんにち私たちは、本郷駒込上野浅草や、世田谷渋谷青山赤坂から麹町四谷
内藤新宿かいわいを回るのに、かんたんに都バスや地下鉄、タクシーを
利用します。私は都内に住んでるとき、晴れた日は専ら自転車で通学通勤
していました。で気づいたのですが、わがこく現代文芸や、近代を扱った
娯楽読み物を楽しむのに、この自転車や徒歩きでうろつくということがじつに
役に立ちました。今と違って、書籍や資料の地図は縮尺も方角もまちまち。
高低差がわかるのは国土地理院の地形図だけで、読み物を鑑賞しながら
勉強机の前で総合的な土地勘を想像することには限界がありました。
今は、江戸図の縮尺を読み替えて現行の住宅地図に対比することのできる
資料がたくさんあります。衛星航法と実写を使った検索もタップリある。
ずいぶん便利です。それでもなお私は、谷中から上野を抜けて吉原まで、
または新宿四谷や青山から赤坂へ、そして見附の坂を昇るのを体で感じることを
お勧めする。作者や時代との距離が一気に縮まり、馴染みが生ずるのです♪ 文学論をもう少し。「文学は大衆の物」←→日本の劇作。
シェークスピアに比するものとして考えられるのは、藤山寛美の
松竹新喜劇かなと思う。
喜怒メイン、楽と哀少々で笑い中心。
楽・哀を盛れば、日本型芸術劇が完成すると思うが、ハナトコバコ以降の劇作家に
良い人居ないんだろなー。
「坊ちゃん」は、テレビドラマ化は続いて居て望ましいが、「子供向け」から
脱する事が無い。
原作に近づけた者を、二年に一度くらい、お正月にテレビで見たいものだ。 ようつべで「マンタン」なる動画が面白い。 日本人女性がマンチェスターの
日本びいきを紹介してる。
今日初めて、マンタンのHP(@)を見たら、あらびっくり。
漱石研究者のダミアンさん(ブログ・・・A)が紹介されてた。
(彼女が翻訳してるとの事。)
そして、ダミアンさんが言うには・・・・・
「日本文学で、100回読みたいのは『坊ちゃん』だ。 ヤッパリナー!
@マンチェスター探検隊 → http://mantan.org.uk/
Aダミアンさんブログ → http://damianflanagan.blogspot.jp/ 54続き
更に以下も参考にして下さい。
Bはダミアンさんの「漱石とシェークスピア」講演。
Cはマンタン女子とダミアンさんの対談。
色々漱石を深く知る事が出来るので、お勧めします。
B https://www.youtube.com/watch?v=DWqMSlZAbkQ
C https://www.youtube.com/watch?v=bmdAW_msf38 54続き#2 大いにスレチだがこれも良い話。
まんたんーー「マンチェスターで、日本の和尚さんから袈裟について学ぶ!」
欧州の座禅・・・
https://www.youtube.com/watch?v=xZ-i7Q7HNgM 43の続き
文学=芸術・・・論考。
「美術」、「音楽」、「文学」は「芸術」だと思う。
・・・・・がなぜか「文学」は「学」で、まなぶ者として表記してる。
まあ、「芸術」って言葉も、芸人を見下していた時代の産物で、変てイヤー変だが、
美術は「術」であり、音楽は「楽(しい)」・・であれば、「文学」は
「文楽(がく)」、「文芸」、「文術」・・どちらもシックリ来ない。
少なくとも、我々一般成人には「学ぶ」ものじゃあ無い。
(「文楽(らく)」は何故にブンラク?)
Literature を日本語に旨く変換した外国人が居たら、教えて下さい。 河原乞食って知らないか?
昔は芸人ってのは、さげすまれる存在だった。
吉本興業だって、ヤクザが作ったのを知らないのか?
芸人ってのは、今でもカスのほうが多いんじゃないのか?よくは知らんけど。
漱石の時代だと、美学ってのはまだ普通に使われた言葉だろう。
音楽は音学とは言わないけれど、音響学や物理などで、学問的に扱われている。
論考と言うなら、もうちっと学問的なデータくらいは漁ってから書けよ。 >>58
57です。 貴方の論が分かりません。
>河原乞食・・・よく知らんけど。
「芸」という言葉は(ヌケ)芸人を見下していた時代の産物・・・同じ事言ってる。
>漱石の時代だと、美学ってのはまだ普通に使われた言葉だろう
美学は学問で、小生は「芸術としての絵画、工芸品・・」を美術(品)と言ってる。
>音楽は・・・・学問的に扱われている
その通り。だが小生の言ってるのは、芸術としての音楽、という言葉。
そして、言いたいのは、「文学」という言葉についてです。
これに関して、ご意見が有ればお聞かせを? >>60
そんな辞典持ってない。
ところで、「坊ちゃん」と貴方はどんなご関係で? >>62
え!?
「文学モドキ」ー「笑(ユーモア)」=純文学・・・・って
勘違いして無いだろーなあー。
純文学・・・って、何? 考えたこと事、無い。 63です。
純文学と言う言葉を知らなかったので、調べた。 WIKIによると・・・・
「純文学は、大衆小説に対して「娯楽性」よりも「芸術性」に重きを置いている
小説の総称」
そんで、芥川賞は純文学で、直木賞は大衆小説が対象だそうだ。
何だかナーーー。 日本人はこんなバカだったのか!
「(純)文学」も大衆の物だし、所謂大衆小説との間に「芸術性」,「娯楽性」
だのの境界を設ける必然性は無いと思う。 約100年前の文章から
なぜ働かないかってそれ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いのだ。もっと、大袈裟に云うと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。(中略)そうして、無理にも一等国の仲間入りをしようとする。
だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が避けるよ。その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。こう西洋の圧迫を受けている国民は、頭に余裕がないから、碌(ろく)な仕事は出来ない。
悉(ことごと)く切り詰めた教育で、そうして目の廻る程こき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。話をして見給え大抵は馬鹿だから。自分の事と、自分の今日の、只今の事より外に、何も考えてやしない。
考えられない程疲労しているんだから仕方がない。精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴っている。
のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ。
その間に立って僕一人が、何と云ったって、何を為たって、仕様がないさ
1909年 夏目漱石「それから」 >>67
漱石関連スレに、多く出没してる貴君。
「坊ちゃん」はお好き? 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 IPv6何チャラで書き込みできなかったが・・(5ch移行の影響?)
「コントロールパネル⇒ネットワークと共有センター
接続のプロパティの中で IPv6のチェックをはずす。 IPv4の
チェックは残す。」・・・↑のTEST書き込みで来た。
ただし、小生のPCの場合・・「コントロールパネル→ネットワークとインターネット→
ネットワークと共有センター→左欄の「アダプターの設定の変更」→
ローカルエリア接続のプロパティー・・の中の「インターネットプロトコルバージョン6・・の
チェックを外した。 5ch もIPv6に対応したようで、これまで通りでOK. 以下のWEBより・・・井上ひさしも中々気の利いた事を言ったらしい。
68. 井上ひさしは『坊っちゃん』の最後の 1行の「だから」は
日本文学史上最も美しく最も効果的な接続語と評した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171002-00190991-toyo-soci&p=1 また大いにスレチでごめん!
GYAO トム、ハックのちゃんちゃか映画。上映時間:1時間半
原作の1800年代の良き面影も薄いが、本読むきっかけ位にでもなれば・・・。
ぐうぐるで見てね。yahooはだめ。
↓
https://gyao.yahoo.co.jp/player/00603/v12310/v1000000000000000676/ 最後にぼちゃーんがstorm of mountain と赤シャツに振るった
暴力は明らかに刑事訴追に値する。明治は無法国家だったのだなあ!
障害罪は親告罪ではないよ。 >>76
>明治は無法国家だったのだなあ!
基本的に文明開化にまい進する明治国家と国民を蔑視する
昔気質の無頼漢を描いた作品で
作者本人も主人公を正義派とは考えていない
ただ、開化の啓蒙対象とされる地方の土民や
啓蒙者たる当時の紳士階層も是とはしない
「乱暴者」の主人公の唯一の倫理的担保として
「清」が設定されるのはそのためだが
当然、そのような存在は実在しない
「だから」お墓の中にいる、と最後に明かされる
この墓は将来主人公が入るべき場所であり
主人公が倫理的に救われるのは死によってでしかないことも
暗示されて物語は終了する
「坊ちゃん」もその精神的伴走者たる「清」も
旧時代から新時代への過渡期に生まれたバグに過ぎないし
それは作者もよく分かっていた 日清製粉ぐらいだよ。目からうろこ。賠償金ふんだくってるノリじゃあなあ。 >>76,78
斜め上から読んで、評価・分析しちゃうから、何時まで経っても
文学が何かが分からんし、自分に自信が持てないんだと思う。
「手放しで、感じる」事が出来るようになった方が人生断然お得。
絵画を見る・・なんて若い頃には良い訓練になる。
「どんな色にビビっと来るか」とか。
そして、三十才手前であれば、「自分の好きな事百」を書いてみると良い。
小生、大学に入った時の自己紹介にこの「百」を書いた。 百もあれば、大体どんな人間かは推測できる。
自分が「誰だか分からん!」76,78の様な人に是非お勧め。
ちなみに、上の「百」の最初と最後はビートルズだったのを覚えてる。 ↑
×「自分の好きな事百」
○「自分の好きな物事 百」 80 続き ・・・好きなモノ
サウンドオブミュージックの My favorite thingsのモノには賛同しづらいが、
清少納言の「春はあけぼの・・・!」なんて書いてみたいよね。 74 続き
井上ひさしは「最後の 1行のだから」を絶賛したが、
小生グッ・・と来るのが・・・
「しかしもう少しで泣くところであった。」・・である。 85 続き
続いて 「何だか大変小さく見えた。」で涙がツツーーーー。
そんで、「ぶうと云いって汽船がとまると、・・・」へ展開。
この映画の様なテンポ・・・明治のあの時代で・・・、天才だね。
今日は脚韻について・・・・。
坊ちゃんの↓の 「た」の韻が本当に心地よい。
随分ご機嫌きげんよう」と小さな声で云った。
目に涙なみだが一杯いっぱいたまっている。おれは泣かなかった。
しかしもう少しで泣くところであった。
汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、
窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。
何だか大変小さく見えた。
西洋(中国はもちろん)の詩の韻律は規定だが、ポールのイェスタデーも見事・・
I said something wrong
now I long for・・・・ 漱石の漢詩
題:無題 (横書き 勘弁 良い詩らしい)
の脚韻 ●印 ジン、コン、シン、リン、ギン・・七言律詩の規定
眞蹤寂莫杳難尋 ●
欲抱虚懷歩古今 ●
碧水碧山何有我
蓋天蓋地是無心 ●
依稀暮色月離草
錯落秋聲風在林 ●
眼耳雙忘身亦失
空中獨唱白雲吟 ● 坊っちゃんの英訳は "Botchan"なんだそうです。
他スレで猫のタイトルが "I am a cat"はおかしいと書いたが、
さすがに、英語に坊ちゃんは無いらしい。
↓ 参照 たいして、面白いことは書いては居ないが・・・。
http://bungaku.matrix.jp/comparison/botchan.html
彼我を比べると、いかに我々が豊かな言語を持っているかを思い知る事が出来る。
我々はハックを堪能できるが、彼らは猫も坊ちゃんも我々ほどは楽しめないのだろう。
私、わたくし、アテクシ、わし、おい、おいどん、オイラ、みども、拙者、わい、あて、
うち、あたし、それがし、小生、小職、あて、吾輩、・・・みんな違うワタシ。
これが 英語では I !
昔読んだ井上ひさしの本で、京都では、〜して欲しい・・を表す言葉が二頁にわたって
書いてあったのを思い出した。
(〜してくれはらしまへんかcf) 結局、坊ちゃんは、赤シャツや野だいこに勝てなかったんだよな。
暴力振るって憂さ晴らしをしただけ。そして、事実上クビだ。
赤シャツは卵ぶつけられひどい目にあうけど、坊ちゃんを退職に追い込み、きっちり報復している。
赤シャツは相変わらず教頭の椅子にふんぞり返ったまま、「フン、ばかなやつだったな」とせせら笑っていることだろう。
坊ちゃんは、松山の地に、何を残したのだろうか?
せめて教え子たちの心に何かを残していたら救いになるのだが、作品からはそれもあまり感じられなかった。 漱石が坊ちゃんで何をやろうとしてたかは、逍遥の「小説神髄」を読んでると分かりやすい
要するに、脱・勧善懲悪をやりたかったんだと思う
赤シャツを倒してめでたしめでたしになってないのも、たぶんそのせい >>91
>>92
モナリザを見て、後ろの山を論ずるがごとし。
坊っちゃんは水墨画の味わい・・・で読む人の心を映す。 漱石が書いたんだから凄い作品に決まってるって態度は一番良くないよ
まさに愚の骨頂 立春大吉
>>94
漱石好きの古今東西の人々を代表して、
申し上げます。
おとといきやがれ! ・・・・・パラパラ :豆の音 一日遅れ。 ほしゅ
以前上げた松山の古地図に漱石・坊ちゃんゆかりの
中学校、蕎麦屋等を書き入れて見ました。
WEB版古地図(昭和2年)で追認しながら楽しんでください。
例の団子屋は遊郭の入り口に書かれてます。
中学、山城屋、愚陀仏庵、蕎麦屋(坊ちゃんで郵便局の隣とある)
↓
https://i.imgur.com/VEi6VCF.png
WEB 松山古地図
↓
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002233054_o.html
松山の現在と比べると蕎麦屋の位置がちょっと変。 郵便局の位置が違ってるのかも。
漱石が学校に通ったり、蕎麦食ったり・・・・、道後温泉には裁判所前から汽車に乗った
ものと推測できます。 普段小説読まない人間だが最近40年ぶりに読んだ
子供の時読んで感じた、正義感の強い坊ちゃんの痛快な話というイメージと全然印象が違うのな
親父にも兄貴にも疎まれ、それを開き直って受け止めるような坊ちゃんの独語が哀れで、前半だけで悲しくなってきた
ラストも赤シャツを改悛させるでもなく論破するでもなく、暴力で一時的に溜飲を下げるだけというのも虚しい
清と、想像される松山の美しさだけが救いの話; 坊っちゃんほど人間関係の醜さ(真実)を表現した本を知らない。 みんな似た印象をもつんだよな
清々しいと思いきや独り善がりっていう
その闇がいいんだけど >>97
あなたの
こころが
きれいだから
なんでもきれいに
見えるんだ
なあ
みつを
やっぱり坊ちゃんは読む人の心を映すね 98,99さん! >>100
世の中にはこころの汚い、悪い奴がごまんといるという真実 みんな一生懸命に生きているんだもんなあ、大変なんだよなあ…ってこと、
コドモを持つくらいの歳になって、人にさんざんひどいことをしたり
言ったりしたあとにならないと、なかなかわからなかったりしますものねえ。
でも、コドモのころに読んで、分別がついてからまた読む、っていう風に、
何度でも読める、いろんな切り取りかたで読める、ってのは、いいもんですよ♪
そういう意味で、全年齢向きの、素敵な中編だと思いますね。 ボチャーンとmoutain storm の最後の暴行事件
刑法に触れる問題、どうなった?
暴行罪は親告罪ではないよ
東京に帰って市電の技手に採用されたそうだが
前歴は詐称したのかな?
応募の時に教員(明治の中学教員)なら高給で
なぜやめたのか聞かれるはずだが 明治だからいい加減だったは通用しないね。
すでに法が整備されていた。(地方)公務員の採用も
きちんと明文化された規定があった。
だから
帰ってからある小さな出版社に採用された
とすればよかったw 帰ってから清と菓子やを開いた。越後の笹もちだけは
置かない。団子と汁粉はある。 はせを 古池や蛙飛び込む水の音
こりゃ大嘘、かえるは「そろり」と水の中に入る
藤村 、、、、、、、、元の樹は生いや茂れる枝はなお影をやなせる、、、、
椰子の樹に枝があるかよ
文学は大嘘のかたまり、ぼっちゃんが暴力をふるって、結果、
東京に帰り東京市の技手に採用されたってありえない話
それでいいのだw >>103
辞めた理由は不便な田舎暮らしが嫌になったからでいいんじゃないか。
本当は田舎の人間関係が嫌になったからだろうがこれはチトまずい。
都会でも人間関係のわずらわしさはあるからね。 >>107いよいよ真相に近づく。
金ちゃんは江戸育ちで米がイネから採れるのを知らなかった
という子規のはなし。 てんから「田舎」を馬鹿にしていた
東京人の小説、ぼっちゃん。バカにされていたのも知らず
坊ちゃん電車なぞ走らす松山の田舎の馬鹿どもw >>108
坊ちゃん電車てwwww
坊ちゃん読んでねーだろ!? トンチキ!
宮澤喜一の父親である宮澤裕が
旧制中学卒でやっとありついた職が市電の車掌で
これが中学を卒業した1906年から数年間の経歴だから
ちょうど「坊ちゃん」の時代と同じころ
「坊ちゃん」はそれよりも10年前の愛媛県尋常中学校赴任時の
経験をベースに書かれているが発表は
日露戦後の好景気から恐慌に突入する1906ー1907年
あの当時としてはエリート層に属する中学教員が落ちぶれて
車掌になってもおかしくはない、のかもしれない >>112
今の坊ちゃん列車はディーゼルだわ! まぬけ! そしてヂーゼルの一等の切符をかった。油のにおいが強い。 >>115
なんだー、露伴の信者じゃ無いじゃん!
単なるアンチ漱石かーー。
薄気味悪りーー。 暑いけど。
>>117 クーペさんへ
「坊ちゃん」を改めて考える・・で鴎外が出てきたら誰でも
背筋が凍るよ。 これはどうだ?w
瀬戸内晴美は最大の女流作家で漱石の
取りすました姿勢とは対照的に人間の存在
の根源たる性の問題と真剣に取り組んだ。 >>119
コスプレ尼がどーしたって? 性の問題てなんだよwwwww
坊ちゃんスレで、クソ偽坊主の話はもはや怪談だぞ、おい! 仕掛けたもんどりに夜の内に二匹の泥鰌が入った
最近の不漁には困った 大分前に紹介した坊ちゃん映画
ツベのURLが変更になってたんで・・・・メンテ。
↓
新
https://www.youtube.com/watch?v=AeTF9LMmYOM これはどうだ?w
曽野綾子は最大の女流作家で漱石の
取りすました姿勢とは対照的に人間の存在
の根源たる宗教問題と真剣に取り組んだ。 だうやら平成最後の年に「国民的作家」「文豪」さうせきくんは
完璧に化けの皮を剥され,
ぼちゃーんと池に落ちたやうだなw 坊ちゃんの原稿版読んでて不思議に思い、ちっと調べました。
赤シャツ・野だと釣りに行き、内緒話を聞かされる場面で・・・・
「バッタだだらうが足踏だらうが・・」を「バッタだろうが雪踏(せった)だろうが・・」と出版されてる。
漱石が文字間違いをするはずも無し、ちょい調べると「織機でバッタン機、足踏機が明治初期に
輸入されたらしい」・・・漱石は足踏機の織る音がバッタンで、バッタン機なる織機の名を混同し
バッタ→バッタン(機)≒足踏(機)→足踏・・・と筆記したものと思われる。
皆さん、如何か? 18です。
3年前作った坊ちゃん列車、ちょこっと解説。
坊ちゃん好きが嵩じて、模型探ししてたら、キッチリ1/150(Nゲージ)が無かったので、
津川洋行の宮崎コッペルを改造。
・・・と言っても動輪ー動力部分はスケールオーバーのままですが・・
( 客車は既製品の台車だけ流用。) 3年たっても、かっちりNゲージ坊ちゃん列車は未発売。
漱石が三津港に艀で上陸し、この列車で城下まで行ったんだなー!
・製作途上→ http://i.imgur.com/fo0fgLx.jpg
・大きさ → http://i.imgur.com/cTUMAQt.jpg
・寸法(松山の実車画像と模型) → http://i.imgur.com/cFc54o3.png
坊ちゃんで模型好きの諸兄・・是非1両作ってみて!
なお、坊ちゃん列車ミュージアムに、同じ模型を改造した坊ちゃん列車が展示されているらしいので、
見た方は小生のと比べてみてちょ。(負けは認めてますが・・・) 八十二夜にも同様の書き込みしましたが・・・。
坊ちゃん 「ホトトギス」初出本文・・・勉誠文庫86 入手。 (ホトトギス第九巻第七号付録)
確認した所、
例の箇所は・・・「雪踏」!
解説に、原稿とホトトギスと鶉籠で異なる表記の一覧有って面白い。
汽船の汽笛音は以下・・・
原稿 :ぶうと
ホトトギス :ぷうと
鶉籠 :ぷうと
岩波文庫現行:ぶうと
ついでに、坊ちゃん列車製作資料2 : http://i.imgur.com/UC1r1C0.png 1935年の坊ちゃん映画がつべから消されて久しいけど、
今日、dailymotinで、尻切れ版を見つけたので、UPします。
https://www.dailymotion.com/video/x3pfu6o 持ち出せる、坊ちゃん原稿、『直筆で読む「坊ちゃん」』・・集英社新書を購入。
それが予想外に良かった!
秋山 豊氏の序文がGOOD!
以前の「雪駄」は「謎」と書いてある。
岩波書店で、漱石の新版の編集者だったようで、プロですなー。
amazonで、100円(送料別)なのでおすすめ。
でも写真印刷なんで頁めくりがちょっと・・・。 繊維産業の栄えた愛知県一宮では女工の事を通称バタンコまたバタン娘 というらしい
でも足踏(織機)→バタンと一般読者に連想させるせることはまず無理
えあるのならバッタ→セッタと韻を踏んだほうがまだ分かりやすい >>135
>坊ちゃんの本は 最後まで読めず挫折したことがあります。 この本は 楽しく読めてこうゆう話だったのねーと大満足です。
泣けてくる 「坊っちやん」・・・が漱石の原稿での題。 我々坊っちゃ好きは注意せねば・・・。
× 坊ちゃん
× 坊っちゃん 坊っちゃて・・・もう間違えてるトホホ
で、坊っちやん石鹸。
今でもこれ売ってる不思議。 宮城県でつくってるらしいが・・。
http://www.botchan-sekken.jp/about.html 坊っちゃんは何度も読んでいるけど本質は悲劇だと思う。 清はフローベールの『三つの物語(純な心)』のフェリシテだと思う。 >>140
>本質は悲劇だと思う。
古きよきものを力技で回復しようとして
結果として混乱に陥るお話です
まるで明治維新そのものですね 漱石の本は本質的にユーモアがあるけど暗い。
最近は谷崎潤一郎を再読している。 >>140
>>142
どーしても、分析しないと気が収まらないのね。
OR 分析・解析が性分なんでしょうなーー。 科学技術には必須だけど・・。
すればするほど、作品から精神が遠ざかるよ。
>>143
坊ちゃんも暗いイメージをお持ちですか? んで・・
谷崎潤一郎の作品には、ユーモアのある奴がありますか?
(何にも読んだ事無いんで、おせーて) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています