文学理論 10 [無断転載禁止]©2ch.net
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※入門書
テリー・イーグルトン 『文学とは何か―現代批評理論への招待』
田辺保〔ほか〕編 『文芸批評を学ぶ人のために』
ジョナサン・カラー 『文学理論』
ラマーン・セルデン 『ガイドブック現代文学理論』
ピーター・バリー 『文学理論講義』
フランク・レントリッキア、トマス・マクローリン『現代批評理論―22の基本概念』
フランク・レントリッキ、トマス・マクローリン『続:現代批評理論―+6の基本概念』
フランク・レントリッキア『ニュー・クリティシズム以後の批評理論』上下
廣野由美子 『批評理論入門』
西田谷洋 『学びのエクササイズ文学理論』 >>962
文系が小林秀雄で代表されてはいけないね
文系にもきちんと手続きを踏んで提示された議論はある
それを流用する人、けちをつけられると思う人がなぜか多いだけ 正解がもう出ているのに正解を書くことに何の意味があるんだと思ったが、
出題の時にはまだ正解がない問題にははまれるのが文系頭脳。 理系においてもひとつの手法においての正解しかない
手法の選択=価値観
これは文系においても同じ
手法を理解せずに、あるいは曲解してあげると簡単にツッコミ入れられる
手法の選択なんてたくさんあるんだから、今の時代にはいくらでもツッコミができる
この手法の提示を「でもそれってそもそも・・・」っとまぜっかえすのが文系脳
手法の有効性、限界性を問うのと、その手法による論理の正当性を問うのは別
ごっちゃにしては駄目
手法に文句つけても仕方ない小林秀雄持ち出してもなーんもいいことない
>>964
理系頭脳はまだ正解がない問題にはまれない?
んなわきゃないない
「が」と言う言葉と対偶の使い方を「べんきょう」しよう ラウトレッジ君は叩いても響かないが、
小林秀雄に勝てないとかそういう発想の爺も要らん。
小林は「ものを書いているうちに少しうまく書こうと思ってきた」だから。
最初から方法が違う。 >>965
「手法の選択=価値観」だというのは、研究方法の価値観に過ぎないと思うよ。
僕の指摘した価値観というのは、人間としてどう生きたいかということ。
例としては、共産主義社会を作りたいとか、自由な資本主義を確立したいとか、いう意味での価値観だ。
手法というのは視点の一つに過ぎない。
イーグルトンが指摘したとおりだ。
だからこそ、(「でもそれってそもそも・・・」っとまぜっかえす)「文系脳」が必要なのだ。
「理系脳」の、なにごとにも正解があり、どの本でも正しい読み方があるという単純な思考では、人間と社会の複雑さに迫ることはまったくできない。
人間というのは、お前がそう言うなら俺はそれに反対だ、というわけのわからない反応をする。
君のレスにも、僕に対して、ただ反対したいという感じがないわけではない。
「理系脳」には、文学や哲学の、つまり人間の理解は、残念ながら無理だ。 >>966
僕が例に挙げた小林秀雄という言葉に反応して、爺とか書いちゃう君の余裕のなさが、君の視野を狭くしてるんじゃないかな。
もう少し余裕を持って、世界を広げよう。 >だからこそ、(「でもそれってそもそも・・・」っとまぜっかえす)「文系脳」が必要なのだ。
手法の有効性、限界性を問うのと、その手法による論理の正当性を問うのは別
ごっちゃにしては駄目
視点を捉えなおすのは「手法の有効性、限界性を問うこと」
イーグルトンの提示した視点の内部できちんとその真価を問う「手法による論理の正当性を問う」こととごっちゃにしてはいけない
この混同をしてしまってはいけないということ
たとえばモレッティの論理を小林秀雄の論理で否定しても何の意味もない
モレッティを「小林秀雄」で否定することも、モレッティで小林秀雄で否定するのも正しくはない
そのあたりを混同している「いわゆる文系脳」と実際の文系の考え方とは関係ないし、ましてや理系の考え方とも関係ない
「男脳」「女脳」とか「複雑な社会」みたいな粗雑な二分論はだめだめ、ということ
君を馬鹿にするつもりもないし、反対したいから反対しているわけでもないんだけど、結果として君の考え方を否定しているね
それは仕方ない モレッティのdistant readingの論争が生産的なのは、きちんと論争相手たちが「批評家の言うことを二次引用するなんてとんでもない」なんてことではなく、彼の論理の中で反駁をしようとしたから
実際に、そうしてモレッティの論理もブラッシュアップされている
サイエンスの「文学の抜粋読むだけで心理テストが上がる」という論文は話題になりすぎたから、「同じ実験をして否定された」
こういうのは文系でも理系でも同じ考え方で、こうでなくては議論ってのは意味がない
「常識で考えて」文学の抜粋一回読むだけで心理テストの点数が上がるか?なんてのは説得力がありそうで「科学的には」説得力がない
学術的でない学術さんのように、学術的ではない「説得力のありそうな」ものに食いついてはいけない
「まだ答えがない問題」とか、「人間と社会の複雑さ」は「文系の思考」とかっていうのは、きちんとした思考をなめているものだと思う
実際にきちんと論理をブラッシュアップし、改定し続けることに「文系」も「理系」もない ちなみにこういう「論証」と「手法」の関係と言うのももとを正せば文系領域の考え方だね
アリストテレスからヴィーコ、近代においてはマックス・ウェーバーの理念型にもつながっていく話
レトリックとはそもそも何か、最近アダム・スミスの文学論・修辞学を読んでいるのだけれど討議型弁論や訓辞隊弁論、演示型弁論などにおける立証において重要な議論をしている
(スコットランド啓蒙の科学哲学に対する役割と言うくくりでもいいけど)
あんまりころころ理論を求めず、腰を据えて古いかもしれない理論的思考に沈潜するのも悪くないと思いますが >>970
手法自体が間違っていれば、「その手法による論理の正当性」などを問うのはまったく無意味。
それを、哲学を否定する哲学者ウィトゲンシュタインは指摘した。
もし君が自然科学を経験しているなら、そのことは直感的にもわかるはずだ。
イーグルトンには、手法自体をあざ笑うシニカルなところがあることも、読み取れたほうがいい。
小林秀雄には論理などないことも、読み取らないといけない。
それは「理系脳」だろうが「文系脳」だろうが訓練しだいで、つまり読書量しだいでできることだ。
残念ながら、君は読書量が足りないようだ。
正しい間違い以前に、「文系」の文章を理解するには一定量の読書が必要だということを知っておいた方がいい。 >>971-972
>「人間と社会の複雑さ」は「文系の思考」とかっていうのは、きちんとした思考をなめているものだと思う
僕の指摘がそんなに気になったのなら、それが君の思考方法の転回点にできるはずだ。
君自身を否定されたように感じて、言葉に縋りついて、むきになって反駁するよりは、自分の思考を顧みる機会にする方が役に立つ。
「文系」に論理があることは重要ではない。
ヘーゲルの弁証法は論理であるのかないのか。
論理ではなく、社会と人間の観察の結果だ。
「文系」とは、まず見ること、そして読むこと。
論理も正解も求めずに、現実を理解すること。
そこから価値観の評価が生まれる。 正直、俗っぽい理系脳文系脳の話はどうでもいい
そういうのを嬉々として語り出すやつがバカ >>973
困った人だ
たとえば間違った手法ってのは誰が決めるの?
マルクス主義文学批評ってのは間違った手法かい?
>>975
「文系」とはって語るのは馬鹿だよと言っても理解してくれない >>975
男脳、女脳というのは、俗っぽい脳科学にはちゃんとあるんだよね。
理系脳、文系脳というのも、たぶん俗っぽい脳科学にはあるんだと思う。
俗っぽくても正しい、ということは、この世にたくさんあるな・・・ 爺は、ぼくのがんがえたさいきょうのていぎ
を演説しだすからアホくさい。
するならもっと魅力的な話ができないと駄目。 >>976
>間違った手法ってのは誰が決めるの?
人間はなぜ宇宙であるのか、という命題を、人間の心理分析という手法で解決しようとするようなこと。
命題自体が間違っているから、当然その手法も意味がない。
極端な例だが、手法というのは命題とセットになっている。
>「文系」とはって語るのは馬鹿
さて、文系脳だとかと言い出したのは君ではなかったか・・・ >>980
じゃあ文学理論ではマルクス主義批評とかは間違った手法ではないんだよね?
すると君が言う間違った手法ってのは非常に応用性がないもののようだけど
「人間社会の複雑さ」を「理系脳」で分析するが「間違っていて」
「人間社会の複雑さ」を「文系脳」で分析するが「間違っていない」ということなのかなぁ
えーと、これ馬鹿らしくない? どうやら「理系脳」とか「文系脳」というものが実体として彼の中ではあるらしくて、「理系脳」で「読書量が少ない」と烙印を押されてしまった自分は「人間社会の複雑さ」を理解してはいけないそうだ
「文系脳なんて考え方をからかっただけじゃないか!」「理系脳とか文系脳なんてないよ!」と叫んでも聞いてくれない
あぁ、彼の書き込みが追い詰めてくる!
「お前は文系の文章を理解できないのだ〜」「理系脳には文学も哲学も人間の理解もできないのだ〜」
あぁ、この牢獄から救ってくれるメシヤはありやなしや まあそれはそうかもしれないな。答えもみんなで作り上げたり、訂正される余地はあるのだから。 たしかに掲示板では文系学部サゲが
目立つけど、そこで誇り高く文系は
「現実を理解すること」
って言い出すのはセンスないです
ヘーゲル好きだからとどんな話題でも
唐突にヘーゲル言い出すのと同じくらいセンスない >>981
>文学理論ではマルクス主義批評とかは間違った手法ではないんだよね?
もちろん間違いではない。
ある価値観によって文学の評価を定めようとする試みだから。
>間違った手法ってのは非常に応用性がないもののようだ
僕が言ってるのは、間違った手法は応用以前に存在価値がないということ。
>「人間社会の複雑さ」を「理系脳」で分析するが「間違っていて」
>「人間社会の複雑さ」を「文系脳」で分析するが「間違っていない」
間違いかどうかではなく、できるかできないかということ。
短文でも、相手の文章を理解することは大切なこと。
君に欠けているのは、まず文章の理解。
そして、現実の理解。 >>982
>どうやら「理系脳」とか「文系脳」というものが実体として彼の中ではあるらしくて
文系脳とか言い出したのは君じゃないかw
僕はからかい半分で「文系脳」「理系脳」と、カッコつきで書いたw
しかし、理系礼賛の人がいるから、それを「理系脳」と呼ぶのは適切だとも思ってる。
たしかに、「理系脳には文学も哲学も人間の理解もできない」とも思ってる。
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