★★★大江健三郎スレ★★★ [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>118
スレチだけど、マジレスしてみる。
公的年金やナマポをなくすと、月額6万円では住むところもなく、路上生活の乞食になる人が大勢出てくるけど、それはいいの? >>116
大江のようなバカがいるから
憲法改正しようとしている安倍足を引っ張ろうという
恥ずかしい日本がまかり通ってるんだと思うけどな
ほんと大江は万死に値する男だと思うよ 新潮文庫で大江の本何冊あるかな
阿部とか平野なんて皆無だよ 安部公房なんか売れてるものだからカバーとかリニューアルされて売っているよね
この差が大きいよね >>120
恥ずかしいのは、加計も森友も逃げまくる安倍ちゃんだろ?
愛国を標榜する連中というのは、自分の利益しか考えてないこともわかっちゃったし。 講談社から全作品出るね
けどお金がないから買えないかな
図書館にリクエストしてもいいかな
この人死んでから決定版とか出そうな気がするから
そのほうがいいかな
お金があれば揃えたいけどね 大江のカバーもリニューアルされているが
される前の茶色い顔のほうが好みだったな 大江については疑問に思うところがあるがそれでも読んだ経験の大きさは否定できないし良いものだったと思う
取り替え子、懐かしい年への手紙は素晴らしいと思う 良いものじゃなくてとても良いものに訂正しておく
得がたい資質を持った人だと思う >>128-129
せっかくレスするなら、それぞれを具体的に書いたらどうだろう?
大江のどういうところに疑問を持ち、どんなところが得がたい資質だと思うのか、などを書いたらいいと思う。 >>114
違うんだよなあ
ゴッホにしてもカフカにしても作品がまったく売れないまま死んで行っただろ
>同時代であろうと後世であろうと、評価の基準があればまったく変わらない。
この命題はただ一つの反例だけでも否定されるってことに気づいてないのかな この大江健三郎というのはちょっとした一芸で評価されたんであって
その思想的なものはゴミクズそのものだろう
そのゴミクズであることを何とか誤魔化そうとしているから
その余波で世の中はどんどん腐って行くんだよ
ほんと万死に値する男だと思う >>132
荒らし相手になんだがマジレスすると
大江の歴史修正主義、天皇カルトの極右と真っ向対峙した姿勢は
気骨の知識人として後生評価されていくだろうね >>131
売れるか売れないかが評価だと思ってる?
埋もれていた作品を世に出した人は、死んだから高評価したと思ってる? ゴッホとかカフカはパラダイムの転換の狭間だからちょっと
違う議論かな
出版社の仕掛けもあるけど近年だと高橋和巳、中上健次クラスも再ブームになる
大江クラスは盤石でしょう >>135
頭悪いなー
こう言い換えればわかるかな?
ゴッホにしてもカフカにしても作品がまったく評価されないまま死んで行っただろ >>137
死んだから評価されたと思ってる?
生死にかかわらず、生前から評価する人がいて、その人が世に出したんだよ。
例えば、カフカは自分が発表を拒んでいたし、ゴッホは生前からスポンサーがいた。
こういう事実を教えてあげれば、君にもわかるかな? フローベール評価の毀誉褒貶ぶりを見ればわかると思うけど
死後に否定されてのちに再評価されている >>138
もし人間の寿命が300歳くらいなら生きてるうちに正当に評価されたんじゃないすかね
つまりそれだけ正当な評価を得るには時間がかかるってことだろ
「生きてる」「死んでる」って言葉に引っ張られすぎだからあんたはみんなに頭が悪いと思われてるし、否定されてんのよ まあ、そもそも大江の評価が崩れるほどの批評のパラダイムチェンジが
あり得るとは全く思わないけどね 批評にそんな力はなく徐々に読まれなくなる影響受けた作家がいなくなるとかだから
大江がそうなるかはともかく >>141
>正当な評価を得るには時間がかかる
根拠もなしにそういことを書くからバカにされるんだと思うよ?
評価の基準によって違うということなんだから。
評価の基準というのは、時代によって異なる場合もあるし、変わらない場合もある。
普通は、時代にとってのその作品というのが評価の基準になるから、そういう基準であれば、生死も時代の変遷も評価を左右しない。
生死によって(そう書いたのは君だが)とか、時代によって(君が慌てて持ち出してきたが)変わる評価基準というのは、商業的に作られた評価基準といえるだろう。
いずれにしても、評価というものを文学的にとらえるなら、生死とも時代とも関係がないということは、はっきりしていることだよ。 >評価の基準というのは、時代によって異なる場合もあるし、変わらない場合もある。
その通り
>普通は、時代にとってのその作品というのが評価の基準になるから、
それがあなたの中では普通なのか・・・
オレ定義は結構だけど、普通ではないと思うヨ? >>145
普通だよ。
時代との関係を見なくては評価はできない。
その時代の風俗や精神状況との関係はいうに及ばず、言葉の使い方一つでも、時代によって大きく変わる。
文学というのは、時代を離れて存在できるものではない。 なぜこういう単純な文学観の人が大江を読んでるのか不思議だな・・・ >>147
君の複雑な文学観というのは、作者が死なないと評価ができないという文学観のこと? 横だが
ギリシャ神話とかシェイクスピアとかは
>その時代の風俗や精神状況との関係
を超えて人間の普遍的真理、アーキタイプをあらわしているから偉大なんだろ
>文学というのは、時代を離れて存在できるものではない。
全く逆転
時代を離れても存在しえるのが偉大な文学で
そうでないものは一過性の時代の風俗として消えていく
ちなみに自分は個人的感触として大江は残ると思っているけどね >>149
>ギリシャ神話とかシェイクスピアとか
さらわれた妻が拉致した相手のために自分の夫を裏切る(「トロイアの木馬」)とか、金貸しは悪徳で特定の民族がやっている(「ベニスの商人」)とかの話は、時代を離れては評価のしようもない。
少しでも読んだことがあれば、「時代を離れても存在しえる」などといえるものではないことが、すぐにわかるはずだ。
もちろん、その中での人の感情の動きに、時代を離れた共通したものがあるから共感を呼ぶのだが、それはまた、評価基準の一面であるに過ぎないということでもある。 そう書くならほぼ同意
後半のものなしにいい文学は成立しないと思うんだが ついでに書くとホメロスやシェイクスピアの書いた当時の町並みや風習をそのまま受け取るわけにはいかんと思う
文学だから
それ踏まえてのレスかもしれんけど >>151
人の言動というのは、時間的(歴史的)でもあり、空間的(地域的)でもある。
それを合わせて人の状況とよぶべきだろう。
状況を描き、その中での人の心を描くのが一般的な文学作品。
状況にも人の心も、歴史性があり地域性がある。
歴史と地域を離れての文学はあり得ない。
人の心と状況を描くことで、文学が成立し、その的確さと、その時代としての新しさが、文学作品としての評価になる。 まあなあ
でもイリアスの最後すごく揺さぶられた者としては149に同情したい
どういう立ち位置でどう描き何を目指したか…それも153の枠内かもしれんがな 歴史と地域が与件なのはそれは単に当たり前で自明
固有の条件に制約されて作られたはずものが
それにもかかわらず普遍性を帯びる、それが文学の価値で
それは時のスクリーニングによって明かされるんじゃないか
新奇なものは耳目をひいて瞬間的には価値があるようにみられるが
その評価は永続的なものか?
たとえば石原慎太郎なんかはその時代の新しい文学だともてはやされたが
時代を経て今では陳腐なものとなってかえりみられない
>普通は、時代にとってのその作品というのが評価の基準になるから、
>そういう基準であれば、生死も時代の変遷も評価を左右しない。
こういう議論の典型的反証だろう >>154
遺体のことなら、それも時代と地域の風習による。
古代の日本では穢れたものとされたから、遺体を引き回すなどということは到底あり得ないが、信長の時代と状況では、どくろを杯にして酒を酌み交わしたりする。
どういう情景であれ、読んで感動するかどうかは読む人の価値観によるし、文学的な評価とは別のことになる。
自分がその立場であれば、そのように感じ、そのように行動したい、ということが作品に対したときの共感性の根拠だろう。 >>155
普遍性というのは、状況を離れることはできない。
たとえば、石原慎太郎の作品は、現在では読む人が多くはないとしても、文学作品として、十分に高い評価ができる。
その時代の、新たな精神の息吹を見事に描き出した。
評価が下がることはない。
売れるか売れないか、自分にとって面白いかつまらないか、という基準で評価をするのはもちろん自由だ。
しかし、それを基準とするなら、読者の数だけの評価が存在して、一般的な評価というものはなくなる。
ちなみに、陳腐という言葉を使うなら、ギリシャ神話もシェイクスピアも、ものすごく陳腐だということにも気が付かないといけない。 >>148
違うけど。いろんな人が反論してるからよく読むといいよ >>157
>売れるか売れないか、自分にとって面白いかつまらないか、という基準で評価をするのはもちろん自由だ。
だれもそんなことを言っていないのに勝手に人の主張を
書き換えないでほしいね
まあ、石原慎太郎が大変評価できて、ギリシャ神話が陳腐だというなら
もう何も話すこと無いわ >>156
遺体の扱いじゃなくて遺体取り戻しに父親が行くとこと
毎回武勇立てて戻ってきたやつが今回は遺体で戻ってきたってとこな >>158
人に頼らず、君が自分で書きなよw
僕に対する反論には、すべて答えているけど? >>159
では、慎太郎を高評価できない根拠をあげてみてくれ。
ギリシャ神話が陳腐じゃないとか、本当に読んだことがあるのか? >>160
遺体に対する感情は、時代と地域によって違うと書いたんだが?
引き回すのも受け取るのも、時代と地域の感性だ。 >>160
人の死に対する感性も、時代と地域による。
子の死を悼む人もいれば、子の死を鼓舞する人もいる。 >>163
いやウィキ見て書いてんのかなと思って
未だに疑いは解けてないw >>165
僕自身のことであれば、小学生のころから子供向けのギリシア神話を読んで、その後いろいろな人のギリシア神話としてまとめられたものを読んだ。
ひとつひとつの挿話で覚えているものもあるし、忘れているものもあるから、ネットでなんの話だったかを確認しながら書いている。
読んだ時の印象だけは薄れていない。
君はどのギリシア神話を読んだの? >>166
ホメロスを岩波文庫で読んだよ
君のイリアスの記憶は何に基づいてるの? >>167
山室静のギリシャ神話と、他も読んだけど手元にないから誰のだったか確認できない。
岩波文庫のは読んでないから、君の記憶とは違うかもしれないね。 >>167
一番初めは石井桃子さんの小学生向きのギリシア神話。
子供のときの印象が一番強いのは確か。 >>168
岩波のやつ読む限りじゃホメロスは陳腐とはとても言えないと思った
泣けるで >>170
僕は面白いけど陳腐だとだと思う。
君がそんなに感激したのは、具体的にはどこ? スレ違いだけど、どうせ過疎スレだから、少しぐらいはこんな話題でもいいだろ? >>161
俺も答えてるのに君がトンチンカンな答えしか返してこないからね
>>141をもう一度読もう >>173
>正当な評価を得るには時間がかかる
だからさ、この根拠を聞いてるんだよ?
時間がかかるという根拠はなんなんだ?
トンチンカンなのは、まったく根拠を示せない君だと思うよ? 勝手に一般化されてもねえ
独りで心のなかで思っていればいい 「万延元年のフットボール」はすごくいいよ。初期は確かに凄いけど、中篇が多いよね。芥川賞を確実に獲るための助走期間に見える。でも、あの徹底的に緻密な文字でしか表現できない世界はヤバいよな。大江はあの時期クスリを使っていたのではないか。 非人間的なゴミクズの作品を
緻密と言う馬鹿らしさでもっともらしく見せたのは
日本中をペテンにかけたぺてん師の所業と言える。 >>182
文学板なのに、非人間的だのごみクズだのと、知性のかけらもないレスをするのはなぜ?
小説を読むには、やっぱり知性が必要なんだよ? >>183
文学という特権を利用して逃げ切ろうとするゴミクズ大江健三郎。
文学の特権というのはまぁ日本の良い文化だったと思うけど
このゴミクズにはそれは適用するべきじゃないと思うよ
詐欺師を甘やかすのは本当に良くない。 >>184
なにが特権で、どこがゴミクズで、どうして詐欺師だと思うの? >>186
82になって、痴呆症じゃなくて神経症って、さすがということかもね。
凡人とは違うんだろうな。 作家自身を語る文庫版によれば本人
残り時間が少ないことを考え飲酒はやめたと言っていたと思うが
どーなってんの??
晩年様式集であそこまで大々的に大団円やって
次どうするか苦しいところだろうけど
もう一冊くらい書いてほしいねえ 大江の小説(主に「燃え上がる緑の木」や「宙返り」)にイカれてこの世に神はいると本気で信じ込んでしまった
それも全宇宙の総体としての神が自分の運命を予め決定づけていると
というか自分がよく理解しないまま経験してきたことの原理を大江に示された感じかな
今は本気で宗教家目指してる >>193
それ誤読
大江は神無き時代の救済、祈り
について書いている 大江の描写じゃテン窪周辺の位置関係や雰囲気がハッキリしないんだけど
礼拝堂や北岸の家含めどっかに視覚的にまとめた情報置いてないかしら こいつ、まだ日本にいるのかよ(怒
さっさと北朝鮮に行けよ。理想国家なんだろ(笑
秋目鞍のくせに政治に口出しやがって。
日本の恥だ、こいつは。
日本から出て行け! >>196
秋目鞍とか書いてる時点で、日本の恥はお前だろ?w >>198
北朝鮮を賛美するのも異常だが、戦後世界の戦争のすべての根源、アメリカを賛美する方がもっと異常だろw >アメリカを賛美する方がもっと異常だろw
・・・誰がアメリカを賛美した?お前馬鹿か? >>200
アメリカ的判断基準じゃなければ、北朝鮮を賛美したからといって、クズ呼ばわりはしないぞ? >アメリカ的判断基準じゃなければ
・・お前は低能だ!何で批判=アメリカが出てくる?
欧州だって批判してるけどな。お前は朝鮮人か? >>202
北朝鮮に対するアメリカの非難と視点は、西欧、中露とは明らかに違う。
安倍政権が、アメリカの指示に従った北朝鮮非難であることは言うまでもない。 大江健三郎はひとつだけ良いことをした
それは多くの朝鮮人を帰国させることに手助けしたことだ >>203
今、北朝鮮批判してるのは北朝鮮意外の国ぜんぶだろw
あの中国ですら批判声明だしてるんだからw >>205
中露は批判はしても、対策はまったく異なる。
批判の内容が違うということだ。
中露の北朝鮮避難は、核不拡散条約に違反しているイスラエル、インド、パキスタンに対する批判と同じようなのもの。
そもそも、中露を含めた核保有国に他国の核を批判する資格があるわけがない。
とくに戦後世界の戦争震源地のアメリカなど、批判の正当性は皆無だ。
非核保有国であり核被爆国でもある日本が、そのアメリカの指示通りに、核兵器禁止条約に反対しながら、北朝鮮の核開発を批判するのは、まったく「奇妙な仕事」だ。
本来であれば、日本は核兵器禁止条約の旗振り役になって、その一環として北朝鮮の核兵器開発を非難しなければいけない。 大江はなんで川端について語らないんだ? 伊豆の別荘とか出てくるが。燃え上がる緑の木(三部作)読んだぞ。ガラス細工のよう、と褒められていたから、ガラス細工のような文章が良いんだと思ってた。今はそういう人居ないかな? 思い出なんかについては折に触れて語ってるよ
ガルシア=マルケスに「眠れる美女」のモデルを紹介してくれと頼まれて断ったエピソードなんかもあって、「悲しき娼婦」を読んで断って正解だったと振り返ったりしている
まずは大江のノーベル賞受賞講演くらい読んでごらん
川端と自分との違いについて触れているから
>12月7日にストックホルムで行われた晩餐会での基調講演は川端の「美しい日本の私」をもじった「あいまいな日本の私」というものであった。
>ここで大江は、川端のいう美しいという概念はvague(あいまい、ぼんやりした)で実体が定かではない神秘主義に過ぎないとし、自分としては日本をambiguous(あいまい、両義的)な国としてとらえると述べ、前近代−日本と近代−西洋に引き裂かれた国、としての日本を語った。 古井由吉との対談本で文芸誌の新潮100周年につき
新潮に掲載された短編をふたりで寸評していくのがあったが
手元にないにで不確かだが川端も入っていたかも
この対談は大江の日本文学についての趣味や見方が開陳されていて
ファンには興味深い対談 >>209
川端の短編は三篇「挿話」「望遠鏡と電話」「さざん花」
大江は非常に川端には批判的
「望遠鏡と電話」はどうしようもない
「さざん花」は大作家川端康成が日本人にとっての最大の問題を捉えている小説である、が
感想で小説を終えるという日本独特の形式、本当は文学としては成立していないのではないかという疑いもある書き方を日本文壇の中心においた
僕にはこの形式は感心できない。しかし本当に複雑な心理が書かれており、深いことは深い
もし横光が生き延びて文壇のリーダーになっていたら日本文学はどのように違ったのだろうか
梅崎春夫の評価と牧野信一の評価が高くて、読み直した >>208 ありがとう。そうだったんだ。それは気になるなぁ。講演の方は読まないかも。小説が読むのが好きだから。
大江健三郎の芥川賞選評は10代の頃全部読んだよ。相変わらず小説の内と外では全然言語圏が別で、文芸評論家との評論語の別々さ加減に驚いたけど、
ガラス細工のような文章が良いと思って、けっこうがんばってたけど。今まだ新書をやっと読めるようになったくらいで、それまでずっと小説だったからなぁ。講演なんて読める日が来るのかなぁ。
近作も読んでるよ。魂に届く文章はまだ川端と大江しか居ないと思う。言葉が優しいんだよね。霊というか、横光利一も春は馬車に乗ってとか機械とかくらいしか読んだことないけど、好きだなぁ。
川端康成が横光死んだときに言った山河の魂を思って生きて行く? だっけ。あの言葉は感動した。魂に来る文学は大江と川端しか居ない、と言いたかった。漱石もかもしれないけどありがとうございました 川端は優れた作家と言ってるのも見たことあるな
これは雑誌か何かの発言だから少し表面的な発言だろうけど >>208 ノーベル賞なんて全然目指してないけど、「新しい日本の私」が良いとずっと思っていたけど、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・爆笑。
美しい日本の私は神秘主義なんだ。今の風潮も美しい日本! でしょ。テレビとか。首相もそんなタイトルの本出してるしさ。ノーベルはだれが取るんだろうなぁ。もう何十年も日本にはないかもね。 >>214
アジア枠を、政治的な思惑で中国人作家に使っちゃったからねえ・・・ >>212
いや多分大江は川端のことそれなりには尊敬してたと思う。川端存命中は派閥的に近づけなかったんじゃないかな。
大江が川端に批判的というほうが俺には表面的に思える。大作家なんて言わんだろう。ましてやストレートで殴り合える古井との対談なんだし。
横光が生きてたらどんな日本文学はどう違っていただろうかというのは、文脈から判断して批判として言っていないように俺には読めた。むしろ古井と一緒にほっとしてるって感じ。
>>210の書き抜き方はかなり恣意的、「文学の淵を渡る」に載ってるからちゃんと本文を読むべき。 >>216
じゃあ全文乗っけるから自分で判断してくれ
大江 川端康成が終戦直後に死に、横光利一が生き延びて文壇のりーダーになっていたら、どのように現代文学は違っただろうかと考えることがあります。
ここに川端康成の『掌の小説三篇』として三つの短篇が選ばれていますが、はじめの一篇と後の二篇ははっきり違う時期のものですね。最初の『望遠鏡と電話』は、どうしようもない。後の二つは、川端さんらしい世界の中に入り込んでしまっているという感じのものです。
古井 つまり、川端さんはかつて、『望遠鏡と電話』」のような作家であったわけですね。これが出発点なんです。これが川端康成の作品かと、ちょっと驚くんですが。
大江 『挿話』という作品は、戦争直後の雰囲気がよく出ていると思いますね。そして、『さざん花』となると、これはもう川端康成独自の世界です。最後に『戦争のためにこの世の光を見ないで失はれた子供達のことを私はふとあはれんで……』という感想がある。
感想で小説を終えるという日本独特の形式、本当ぱ文学として成立していないのではないかという疑いもある書き方を日本文壇の中心に置いた人のひとりか川端康成かも知れない。
古井 ただしし、この『さざん花』のテーマは、翻訳しても立つテーマですね。旧約聖書なんかに出てくる滅亡の民。女が孕んでも空気しか産まない。女が孕まないというのが神の一番の劫罰だということで通ります。あらゆる宗教に通じるんじゃないかと思いました。 大江 しかし、外国語に翻訳するんだったら、最後の四行を翻訳者に消されてしまうと思うな。
外国に自分の作品が訳される時、僕が興味を持つのは、特に短篇などが訳されて、ここはいらないと思うと翻訳者に言われると、それは僕個人の問題ではなくて、日本文学全体の問題として受け止めることができる場合かあるからです。
そこから言うと、この『さざん花』という作品は、大作家川端康成が日本人にとっての最大の問題をとらえている作品だとも言えます。彼は政治的でも社会的でもないと言われたけれども、実は日本人の運命をよく見つめていて、それがこの作品に表現されている。
しかも隣に咲いているさざん花などは、日本人しかとらえられないような美的世界です。僕には、最後に自分の感想を述べて小説を終えるつくりは感心できない。しかし、本当に複雑な心理が書かれています。川端さんの言葉の表現は曖昧なんだけれども、深いことは深い。
古井 われわれ日本人読者も、今読んでいて分裂するところかありますね。敗戦ということのユニバーサルな形が出ている。そっちの方を注目して読んでいくと、いろんなものが落ちるんですよね。
ところか、さまざまな心理の綾をたどって読んでいくと、どうしてもユニバーサルな形が読み取れなくなる。現在、文学愛好者か短篇を読んで、もっとも分裂するところじゃないですか。
大江 その通り。日本文学の独自性を感じると同時に、これから日本文学をつくっていく人たちの運命に対して、不安な感じもする。やりにくいんじゃないだろうかという気持ちがする。『さざん花』は、普遍性と日本の近代小説的という要素が二つ、両方とも表れている短篇です。
古井 世界的と言える短篇の形と、日本的な心理の綾を、その都度、力技で統合している。長い伝統の上でさらに自分の仕事をする場合、若い人の作品は明らかに分裂していますね。どっちにつこうか、迷ってますね
大作家と大江は書いているし、それこそ川端にはambivalentな視線であって、川端を読んでほっとしているなんて空気の対談ではないでしょう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています