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>>396
無駄に?
少年の心理の追及が?
バカウヨは自分の心情をえぐられているような気がするから、大江を嫌うんだよねw
左右中間どの人間を扱うにしても、心情にメスを入れない文学こそ存在価値がない。 だいたい流れとしては
性的人間→セヴンティーン→政治少年死すであり
これは大江がエッセイなどで述べていた
政治的人間/性的人間という図式を作品化したものだから
バラバラにして読ませるのは良くない
痴漢や右翼テロリストを扱っているのでキワモノ扱いされるのだけど
「敗戦」や「冷戦」で去勢されて私生活(特にセックス)に埋没していく
日本人の姿を上手く描いている
まあ、そういうメッセージを読み取れない人間が多いのだけど
いわゆる右翼の心情を道徳的にではなく
セクシュアリティの側面からとらえたのは鋭いし
これは後年の「M/Tと森のフシギ」にもつながる
たしかに一連の作品はちょっと露悪的だとは思うけど
わりと重要な作品群です >>398
勝手に心理の追求と決められても
右翼と決められても
大江を嫌ってると決められてもまとめて全部困るし
そういう書き込みに反論する気にもならんわなー WWW >>401
政治少年死すが右翼少年の心理の追求であることは間違いない。
心理というより心情という言葉の方が適切だとは思う。
なぜ右翼であるのか、なぜ自分を客観視することができないのか、そういう主題だ。
君が右翼でもなく、大江が嫌いでもないのに、「いい作品でもない」「その部分がなくても成り立つと思う」なら、小説の読み方に欠陥があるんだろう。 >>401の肩もつわけじゃないけど
心理小説としか読めないって19世紀で止まってる 大江は20世紀的な読みで満足できるような作家ではない レイテ戦記(一) (中公文庫 お 2-13)
大岡 昇平 (著)
出版社: 中央公論新社 (2018/4/20)
解説 大江健三郎(岩波書店版全集より再録) 古井氏との対談、文学の淵〜、文庫になってたんだね
遅ればせながらもとめてきた 全集発売決定記念で今日の読売新聞に略歴載ってたんが、
「実妹と結婚」ってマジか!? >>409
伊丹十三の妹だろ?
大江の姉の夫の妹だから、血縁もない。 あ、なんだ伊丹って人名か。
地名の方だと思った。
時代の混乱でなんか抜け道でもあったのかと、 >>411
あなたは近親相姦マニア?
普通はそんな読み方しないし、伊丹十三のことを知らない人も珍しい。 韓国の文統領はバカですか?
南北会談後韓国教育部また北朝鮮を配慮し、歴史教科書に北に関する不利の部分を削除、
北朝鮮は正当な政権と改悪するそうです。
この民族は何の信条を持ってるか?分からない、何れにしても、ご都合の良い時、調子に乗る、ご都合の悪い時、嘘歴史を作る、兎に角お金が欲しい。
なのにパヨクな作家は北や韓国の批判はしないし書きませんよね >>416
それぞれの国にはそれぞれの歴史があり、それぞれの歴史に対する見かたがある。
もちろん、日本にも日本の歴史と見かたがあるが、日本は、国際的には偏狭な歴史の見かただと思われている。 spartacus
大江健三郎、友人の編集者の話だと、アル中が進んでいて、もうたぶん新作は出ないだろうとのこと。
『全小説』買おうかという気にもなるが、やはり淋しい。
「ファシスト」にも「過激派」にも(オウムにまで?)
あれほど同伴しつづけた大江の「戦後民主主義」って何だったのか、と思う。
2018年5月16日 >>418
アル中になったら戦後民主主義が否定されんのかよ
どういう思考回路してんだ >>419
晩年アル中になってんのが受け入れられないだろ戦後民主主義まで持ち出すのは大げさ 受け入れられるかは個人の感想だろ
もともと大江は若い頃睡眠薬中毒だったんだから不思議な話ではないし受け入れられないなんてことはないけどな
戦後民主主義云々というのは大げさとかそういう話ではなくただのバカ 大江自身が薬物中毒であれアル中であれどうでもいいだろ?
大切なのはその作品と思想。 自分のやってきたことがアル中どころでは済まないものだと分かれば
そんなものどうでも良いことになるだろう。
むしろ薬物中毒にでもなって懺悔して死んでもらいたい。
こいつは所詮安部公房に認められなかったら外道の人間なんだよ。 >>424
戦後の文学者の中では最高峰の作品と思想を持ってるいる。
特に右翼の少年の犯罪性向を性欲と結び付けて見せたのは秀逸だ。
右翼がいかに幼く、貧しい感性の持ち主であるかを、余すところなく描き切っている。 >>425
まさにデマゴーグだろ
なんの証明しようもない。郷土愛からの行動かもしれないだろ。
ほんと大江は万死に値する。 >>426
「セヴンティーン」と「政治少年死す」
君がその2作を読んでから、意見交換しよう。 大江の小説は本人アル中だけにアルコール関係の描写はいつも真に迫っていて良い
いちばん好きなのは
さようなた私の本よで、ビールをハーフアンドハーフにしてそこにウイスキーを注ぐやつ >>430
サンクス
うちは日経なので助かる
今度図書館で読んでこよう
画像で読めるかぎりだと、400字詰め原稿用紙〜は近代のスタイル云々というところが気になった
まあもう、新作はないだろうな確かに >>429
>大江の小説は本人アル中だけにアルコール関係の描写はいつも真に迫っていて良い
たとえば「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」の頃は
普通にヤバイ状態だったと思いますが
『「雨の木」を聴く女たち』とかの頃はわりと精神的に落ち着いてきたようだけど
渡辺一夫が忠告したように異常な精神状態の人間が書く異常な名物語はダメです >>430の記事を図書館で読んできた
「政治少年死す」って、ドイツで2015年に先に出版されてたんだな 宮崎駿は長編に復帰し
大江はもう新作なしか
まあそんなもんだろうな >>431
文学に関心があるなら朝日新聞がいいよ。 >>434
俺も読んできた
セカイ系に通じる〜の部分をもう少し突っ込んで欲しかったかな
まあ大江さんがイマドキのセカイ系小説を読んでるとは思えんし
そもそもセカイ系自体、もういささか古いカテゴリーな気もするけど >>437
読んできたというのは新聞記事のこと?
それもいいけど、「政治少年死す」も読んでみるといいと思う。 「政治少年」は今度の全集の売りになってるみたいだけど、
数年前はネットで読めたけど、今見たらみつからないなあ。
出版社が消させたのかな?
まあ趣味だし、長い間伝説的な存在になってた作品なので
面白がるやつもいるだろうけど、他作と比較して特別いいとは思わなかった。
むしろ無駄に煽ってる気がした。その意味でだったら
これもネットにあった風流夢譚の煽りは壮絶で、こちらのほうが印象は強い。
大江は個人的な体験以後、文章も内容も大きく変化し、
懐かしい年への手紙以降が完成形に感じられ、それを面白く感じだすと
前期は子供っぽいアイドル時代のように思えてつまらない。 多分読者の年齢層によっても違ってくると思う。ノーベル賞もらった時よりも初期の短編書いてた時の方が天才青年って感じで世間的に大江が一番輝いてた頃だろ。
大江で好きなのはキルプの軍団か水死だな 社会に対する視線という意味では、圧倒的に初期、中期の作品が優れている。
息子のことを書き出してからの大江は、緊張感が失われて文体も平板になってしまった。 俺はやはりセブンティーン、政治少年死すの頃が一番かっこよくて好きだな
まぁ全時代いいのはもちろんだが
大江を批判してる小林よしのりも、この時代の大江はいろいろ読んでたらしいね 万延元年のフットボール 1967
同時代ゲーム 1979
懐かしい年への手紙 1987
それぞれ10年ごとの総決算みたいに作家が力をいれた大作はやはり優れている 『万延元年のフットボール』15万部
「『同時代ゲーム』は、わずかながら十万部は越えたのを、
かつてはそれだけの部数に達すると特別に装釘した本が二部もらえる、という楽しみがあったのが、
この本の場合なんともいってこなかった寂しさとともに覚えています」『小説のたくらみ、知の楽しみ』
『懐かしい年への手紙』とほぼ同時に、同じ講談社から村上春樹さんの
『ノルウェイの森』が出た。僕の小説も、五,六万部は売れたんですが、
村上さんの本は百万部を超えるベストセラーになった――。
これが僕の作家人生を決めた「『ノルウェイの森』事件」です(笑)。 万延元年が15万部って凄いよな
そのうちどれだけがあれを読みきったのか?
懐かしい年の売り上げは大江の鉄板の自虐ネタだけどそれでもかなり売れてるんだね 万延元年の蜜が鷹のヒロイズムを糾弾し、鷹が死に至る場面って
大江から三島への批判に感じるんだけど違う? 東大でも出版社も場所が違うのに東大文學関係が残ると女性に不評。
近所付き合いだけがインターネットじゃないし、
ノーベル賞なんて取れた当たり前なんだから、はやく大学出身ポイ雰囲気
構成フォントのスレッドじゃないモノを立てようね。 >>446
万延元年執筆時の大江には、三島はただの道化にしか見えなかったんじゃないかな?
もちろん、自殺の後でも、死に方に道化の要素がないとは思っていないだろうが。 >>445
文庫も入れた今までの累計(日本のみ)だと何万部くらい行ったのかね
まさか累計15万部ではないと思うが。それだと少なすぎる
なんだかんだで50万部くらい売ってそうだが
ちなみにノルウェイの森は文庫含む上下合わせた累計で千数百万部売ったらしいね 当時はまだ出版点数が少なく出せば売れた時代なんですな
小松左京がデビュー作「日本アパッチ族」を出したら15万部売れたけど、全然だめと言われて
「日本沈没」の連載をやらされた話を書いていた >>448
三島も道化は承知で最後まで役に徹したんじゃないのかな
その道化に唯一実体を持たせてくれるのが自刃だったのかなって 小松左京(1931年1月28日 - 2011年7月26日)
1963年『オール讀物』に「紙か髪か」が掲載され、中間小説誌デビュー。吉田健一や扇谷正造に絶賛される。
同年、短編集『地には平和を』を刊行し、1963年度下半期の直木賞候補となった。
小松が、妻のために書いた物語は1964年3月に初の長編小説「日本アパッチ族」として光文社から出版されました。
光文社では10万部を目指した広告展開をしたが、7万5千部しか売れず、続編か別のものを書くよう促されたため、
「日本沈没」を執筆することになります。
1964年(昭和39年)から執筆が開始され、9年がかりで完成した。
当初は複数巻となる予定だった長編を出版社の要請で短縮し、上下巻とした。
1973年(昭和48年)3月20日に光文社カッパ・ノベルスより書き下ろしで上下2巻が同時刊行された。
当初は3万部ずつだったが、版数を重ねるごとに出版数が増え、
上巻204万部、下巻181万部の計385万部まで伸ばし「空前の大ベストセラー」とも評された。 >>451
あの道化のような一連の行動を、三島自身がどう感じていたかということなんだろうな。
解明はなかなか難しそうだ。 >>453
ダンディズムや陽明学への傾倒は文学の実体のなさへの反動って気がするな
三島は葉隠礼賛をしといて行動しない事への欺瞞は一番理解していただろう
それを知り抜いた大江が鷹の死を通じて世界中に彼の欺瞞を暴き、永続的な批判をしたように感じる
だとすると三島が批判を無効にし、言説を正当化する道は自刃しか無かったように思う >>454
吉本隆明もそんな感想を書いていた。
いずれにしても、そのあたりのことを実証的に(三島の文章から)導き出したいものだ。 >>455
「対談・人間と文学」/文学者の死について
このなかで三島は『…自殺すると文学全体が行動化される…』
『文学者は、生きていては自分の作品行動自体を行動化しようというのは無理だね。
ぼくはそういうことを試してみたけれど、ただ漫画になるばかり…』
と語っている >>457
なるほど。
それをほんとにやって見せたわけだ。 >>458
ちなみに
「対談・人間と文学」父と息子の問題
このなかで三島は『こんどは大江君の「万延元年のフットボール」を読みました。非常にいい作品で、
好きですけれども、どうしても上昇的な理念へ向う人間を表現するのに、自分のほうは衰亡…
そういう立場でしかとらえられないのか、とても歯痒くてしようがない。』
とある。 >>459
>どうしても上昇的な理念へ向う人間を表現するのに、自分のほうは衰亡…
>そういう立場でしかとらえられないのか
その図式は後年の「治療塔」にも当てはまります
というか大江作品はだいたいそんな図式で組み立てられています
エリート/非エリートという対立は大江の最も好む図式です >>460
三島『日本文学は、太宰治じゃないけれども自分がアウト・ローになる、あるいは社会から
見捨てられてゆく、そういう降下の感覚においてはじめて権威とか行動とか力とか権力とか
すべて上昇的なものを否定できる』
『…それはまた実に受けいれられやすい。非常に難解な装いをしているけれども、受け入れられやすい形の文学。』
だそうだ。 つまりは聖書だな。キリスト教的といえるかもしれない。 >>459
その対談は読んでいないので、意味がとりにくい。
「自分のほうは衰亡」の自分とは誰のこと?
蜜三郎?
そうだとすると、三島の読み方に疑問が湧いてしまう。 >>463
三島はここで日本文学が鴎外、露伴以外はみな青春の文学だとしている。
だから万延元年が『文学的には成功する』けど日本文学の範囲の外に『絶対に出てない』と語る。
ここの衰亡とは父の文学と対比してだと思う。「個人的な体験」も父の物語だけど結局は青春文学だもの。 >>464
「対談・人間と文学」を読まないまま疑問を呈するべきではないことは承知している。
ただ、青春の文学といっても、そうではない文学といっても、なんの意味もないとしか思えない。
鴎外、露伴が青春の文学ではないという根拠も分からない。
三島自身、そういう意味では青春の文学で、戯曲を除けば大江より下手だ、というに過ぎないのだから。 >>465
三島が言いたいのはエウリピデスのヘラクレスやカラーゾフの大審問官のような権力の問題が日本文学で扱われないってこと。
確かにそれには意味はないかもね。
『いまだにぼくの文学を含めて石原君でも大江君でも、みな息子の文学をずっとやってきている。
そうすると、文学をやりながらどうして父親になれないのだろうか…』
『権力の内面の荒廃…それをほんとうに迫真的に描いたものはない。』 ドストエフスキーにも基本的に父はいない
一連の長篇は父なし子による親探しのようなものであって
日本のドストエフスきーとも言われる大江の場合は
父無し子である「僕」が重度の障害児である息子との対話によって
「父」に育っていくという物語を書いている
一種の「天使」ともいうべき息子を介して語られる言葉によって
「父」である「僕」が子供のような存在になるので
旧約聖書の記述の様な絶対的関係には発展しない
傷の舐め合いで終わってしまうからね >>466
権力が父親・・・
三島がもしそう捉えているなら、やはり社会と個人の関係が理解できなかったということだろう。
生育環境から見て、三島が家族の関係というものを理解できずに成長したことはよくわかるが、それをそのまま引き摺っているのでは文学者として幼稚に過ぎるだろう。
それは同時に、権力そのものの理解を妨げているのではないかと思う。 >>468
ラカンでいう大文字の他者みたいなイメージだったんじゃないのかな >>469
大文字の他者・・・
言葉の遊びになるね。
たんなる言語的な状況であり関係であり構造。
家族とも権力とも、触れ合うところはない。 『権力の内面の荒廃…それをほんとうに迫真的に描いたものはない。』
山崎豊子が権力の内面の荒廃を完璧に描き
歴史に残る記憶に残る偉大な作家になっていますが 山崎豊子
「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」「沈まぬ太陽」「仮装集団」で社会と権力と人間を描ききり
のべ3000万部以上売りあげ、ドラマ、映画化で誰もが知っている国民作家となった
これにならぶ大江の作品は一つもない >>472
権力の内面の荒廃を描いても、文学としては優れたものにはならなかったんだよね。 村上龍の愛と幻想のファシズムも権力を描いているね
権力批判もいいけど、本当に革新を求めるなら結局権力は必要になる >>475
あなたは気のきいた風な言い回しが好きなんだね。 >>466
権力の内面の荒廃ということで言えば今の大江健三郎の存在そのもので
体現してるんだと思うね。
人を殺したいという子供が次々に出てくる大江が作ったといって良いこの日本で
大江健三郎が首をくくって死ぬことは何より待たれること。 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V >>477
>権力の内面の荒廃ということで言えば今の大江健三郎の存在そのもので
>体現してるんだと思うね。
それはみんなが感じている事です
大江の権力性と腐敗というのは
たとえば元いじめられっ子の在日韓国人であり
それを売りにしてデビューした柳美里が
創作上のプライバシー問題で
同じ在日韓国人である元友人から訴えられた際に
柳さんは人を傷つけたのだから反省しなさい、とお説教をするような事ですね
大江健三郎がそこまで他者に配慮して書いていたとは思えないんですけどね
どちらかというと柳美里に近いでしょう
弱者としての立場を強引に強者に転換しようとするようなタイプで
三島由紀夫が嫌悪していた太宰治にも似ています
もっとも太宰治の場合はキリストを引き合いにするだけの恥じらいがありますが
大江の場合は創作上の人物であるギー兄さんがキリストになってしまいます
という事は救世主の創作者である大江健三郎が事実上の「神」になる
まあ実際はパウロでしょうけど >>479
その意味での権力なら、大は森元総理から小は街の爺さんまで、なんの権力も持っていない社会人を探す方が難しい。
専業主婦だって、友人や夫に一定の相互の権力を持っているし、外に出ないニートだって、たぶん親には一定の権力を持っている。
フーコーが分析してみせた権力も、その程度のもの。 権力を描く文学としては、松本清張も有名だ。
山崎豊子にしても清張にしても、とても面白い。
でも、精神になにかを訴えてくるということはあまりない。
なんとなく正義感を煽られる程度か。
人の心の動きを単純化して、それぞれの役割に合わせてしまうようなところがあるからだろうか。
作品の出来とは別に、いわゆる純文学といわゆる大衆文学の違いではあるのだろう。 山崎豊子と大江健三郎どっちが偉大か
文学者、批評家は絶対タブーのテーマだろうね
「純文学だから偉い」「小説の企み(笑)」があるから偉いとか色々正当化しようとするだろうけど説得力があるとは言えない
ガチで勝負したら、議論したら、負ける可能性はあるよね >>482
マジレスすれば、一つ一つというか一行ずつというか作品全体というか、比べて読んでごらん。
登場人物の心の動き、表に出た言動、読者である自分の心が読みこまれてる気がするのはどちらの作品か。
文体、作品構成などを持ち出すまでもなく、優劣は明らか。 >>明らか
果たしてこの程度の議論で正当化できるかな
全然明らかではないと思うが
文章も大江がうまいと言えるのかな
「なんでわざわざ読みにくく書くの?」
「何がテーマなの?」
「全然感動しないんですけど?」
「社会に一切影響力ありませんよね?」
「ドラマ化映画化で成功したものないよね?」
こういう議論に巻き込まれて反論できるかな >>484
評価の基準は明確に書いておいた。
登場人物の心の動き、表に出た言動、読者である自分の心が読みこまれてる気がすること。
あなたの反論は基準を変えているだけ。 登場人物の心の動きも敗けているだろうね
全然「明らか」ではない 三島は大江の才能を評価していたからこそ、大江が権力を描かないのが歯痒いんだろう。 >>486
読み方の違いとしか言いようがないから、議論しても無駄だろうね。
ところで、山崎豊子というのは、盗用騒ぎを繰り返したことでも有名だ。
瀬戸内寂聴に、あの人の盗用は病気だ、とまで言われたとか。
そんな盗用だらけの文章だと評価はしずらいよねw >>487
三島自身、権力を描いたのは宴のあとぐらいしか思いつかないんだが、どんな作品をイメージしてるんだろう? 大江も権力的なものは書いてると思うよ
万延元年のフットボールだってそうじゃない? 山崎豊子は通俗大衆小説として
三島の絹と明察や宴のあとと比較すりゃいいよ
どっちも非常に図式的でドラマ化向きだろね >>489
三島は自身が青春の文学から離れられないと発言しているから、それが描けなかったんじゃないかな >>488
大江もパクリの常習でしょ
アップダイクからパクリ、ノーマン・メイラーからパクリ、もとはサルトル、フォクナー、ガルシア・マルケス
そのとき時の流行追っかけた人なんだから >>487
大江がどう言う人生を歩むバカやろうか目に見えていたんだろ。
さすが評論には定評がある三島。 >>489
権力と反権力というようなヒステリーな関係ではない
あらゆるところから見て人を感動させることができる
彫刻のような小説を作ることを目指した
それはつまり日本を描こうとした
日本の悲しさを描こうとした
金閣寺に出てくる青年はいわゆる反権力だが
なぜかその青年に金閣寺を燃やさせた。
それは一応実際にあった事件はあったんだけどそれとは違う理由で
燃やさせた。 >>493
せっかくだから、どういうところがパクリ(盗用)なのか指摘してよ。 >>494
大江はいい人生を歩んでいると思うよ?
どこがバカやろうだと思うの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています