『白鯨』を一緒に読もう! [無断転載禁止]©2ch.net
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オレが最初に読んだのが【田中訳】。
二回目に読んだのが【阿部訳】。
三回目は【Guerne訳】。 捕鯨船に乗組員全員3年分の飲料水を
瓶詰めで積み込んだってあるけど、
本当なのかな?
「万本」単位の量だよね。
【八木訳】【富田訳】では「瓶詰め」、
【千石訳】では「樽詰め」としている。 http://goo.gl/RQMz9Z
私はフランツ・カフカも海辺のカフカも好きなもので、このカフカと名乗る青年実業家の始めたビジネスに妙な縁を感じ、彼のビジネスパートナーとなりました。
結果、今ではいつでも好きな場所で生活できる経済力と、自由な時間を手に入れました。最初のインスピレーションを信じることって結構大事なんだな、と思いました。
文学好きの皆さん。
ハワイのビーチでピニャ コラーダを飲みながら、あるいは雪深い山奥の別荘で暖炉の火に照らされながら、思う存分読書に耽りたいと思いませんか?
このビジネスで結果を出せば、そんな生活が夢ではなくなります。 She has a whole lake’s contents bottled in her ample hold. この箇所の翻訳。
明らかに【八木訳】は誤訳。
【富田訳】は直訳調だが比喩としての翻訳。
【千石訳】は意訳。後続の文章を踏まえての訳だが、
踏み込みすぎのきらいあり。
このなかで好きなのは【富田訳】。 約「3分の2」読んだわけだけれど、
翻訳なしに原書を読むことは困難だな。
「鯨学」の部分は読み飛ばしてもいいとの主張があるが、
『白鯨』を読んでいないことの証左だと思う。
「鯨学」の部分こそ、この小説の餡子だと思う。 『高慢と偏見』
【富田訳】を読んでみたくなった。
【阿部訳】の校正者は、『白鯨』のとは違うのだろうね。 今回、読了したら機会を得て、
【阿部訳】【田中訳】【坂下訳】も読んでみようと思う。 岩波文庫の【湯浅芳子訳】(ロシヤ文学)には誤訳があるが、
訳者が存命ではないからか訂正は行われていない。
【八木訳】にもあきらかな誤訳がいくつかあるが、
訂正は行われないであろう。
【千石訳】にも誤訳、誤植はあるが、
訳者存命だから行われる可能性はある。
でも、行われてはいない。
指摘する読者はいないのだろうか? 読了したら、
『ドン・キホーテ』か『神曲』を読もうと思う。 マッコウ鯨のチンポの包皮を剥いで裏表ひっくり返して法衣にするとき、
腕を出すためのスリットはチンポの先端側だったのか、
チンポの根元側だったのか解り難い。
【八木訳】は明解な訳で先端側。
【千石訳】【富田訳】は根元側と思われる訳。
先端側ととれなくもないが。
翻訳は難しい。
原書も難解。
『白鯨』は読み飛ばすことができない小説だと思う。 常識的に考えて【八木訳】が正しいと思う。
読むの疲れるよ。 読了後に再読の必要ありだけれど、しんどいと思うよ。 マッコウ鯨のチンポの包皮でつくる法衣。
マッコウ鯨のチンポの亀頭のかわりに
水夫の頭が出てくるように着るんだよな。 注意深く読まないと暗喩を理解できない。
1年経ったら再読すべきだと思う。
もう少しで読了できる。 わからないことは調べるようにして読んだ。
ちょっとした発見があった。
米文学の最高峰であることを再認識した。 友達が読んだらしく、購入したが、…まだ読んでおらず。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 『神聖喜劇』大好きなんだけど、こんな俺は『白鯨』も好きになれそう? >>246
『白鯨』は筋らしい筋のある物語ではない。
蘊蓄とレトリックを愉しむ作品。
不明点をできる限り調べるようにして読みつづけると
いろいろと収穫があると思いますよ。 原書があると翻訳の不明点を調べることができます。
翻訳は【千石訳】か【八木訳】がいいと思います。
両方あるとなおよし。
【千石訳】は解りやすいですが、
【八木訳】の下巻は【千石訳】よりいいと思います。 んまぁ、焦らずゆっくり読み進めてください。
本当に読了している人の少ない作品です。 できるならランダムハウス版の原書を取り寄せて
その挿絵とともに見た方がいいよ
あれがあると印象が1.5倍ぐらいアップする 【富田訳】
話者を取り違えているところがあった。
【千石訳】【八木訳】と異なるところがあったので調べたら、
【富田訳】はよく調べての翻訳だった。
いくつかの翻訳を揃えると、それなりの効用があるものだ。 >>213
こりゃまるでイカれたクーガーの
しっぽにつけた薬缶みっつ。 坂下昇って今年で100歳なんだな
そりゃ独特な訳書くわ 千石先生の造語ちょっと変!
翻訳を見直したほうがよいと思う!
【八木訳】(上)(中)(下)の下巻部分は【千石訳】よりいい。
【八木訳】の訳注は優れている。
【富田訳】もよいところがある。 新潮文庫も参照したかったが、
また研磨本を読まなければならないと思うと萎えてやめた。
使用すれば、それなりの収穫はあったかもしれない。 終盤の【千石訳】における訳語の選択は乱れている。
【八木訳】が特に優れているわけでもないが、
【千石訳】は切れ味が悪い。
翻訳は翻訳者の綜合的教養が露呈する。 だからもりうちからの地球の低レベル化がテーマだろ。もう可能だったかもしれないけど。 読書するということは畢竟自分への挑戦なんだと思う。
利口になりたいものだ! 記述内容をイメージし難いからね。
最後のほうで、白鯨が口を開けて襲ってくる場面も解り難い。
【千石訳】には挿絵があるからいいんだけれど、
【八木訳】にはない。
翻訳が微妙に異なる。
【千石訳】は挿絵を参考にしているのだと思う。 なんかあっけない終わり方だよね。
集団自殺みたいで。
もっと濃厚な描写を期待していたのだけれど。 千石訳と八木訳で面白いことがあった。
同じ語の日本語訳が前の方と後の方で変わっている。
【千石訳】 A ⇒ B
【八木訳】 B ⇒ A 白鯨なんてホモ小説じゃん。
クイウェグと同衾したとか書いてある。 交響曲の章は散文詩といえるが、阿部知二訳が格調高さとリズム感があって素晴らしい >>269
ごめん。
レス見落としていました。
「舷窓」のことだと記憶している。
ペーパーバックの頁に付箋紙をつけたはずなんだけれど、
見つけられない。 新潮文庫の田中西二郎ですね>>277
鉞(まさかり)とか銛(もり)のような言葉(要するに常用漢字以外)は、
一回ルビを振っただけでは読み落としてしまうので
カタカナ表記にしてほしいですね。
あとは、文句無いかな あとは、注釈を本文ページ内に書いてほしい。
文庫だとチマチマしちゃうから、大型版にして 岩波文庫のは冨田訳でしたか?
旧約聖書(ユダヤ書)マタイ伝ヨナ書とピノキオを思い出しました やっと、一巻が、あと残すところ50ページというところまで来ました。
一か月と20日 あと30ページで上巻終了
ガムという隠語が出てきました。
雅夢といえば「愛はかげろう」 >ガムという隠語が出てきました
記憶に残っていないw
調べてみよう。 上巻の最後の章まで来ました。
五大湖周辺生まれの男が、彼を嫌いな上官に掃除を命じられるくだり。 下巻のヤリイカが出てくるあたりまで読みました
二月から始めて
2ヶ月でちょうど半分くらいだから
あと2ヶ月あれば読了するかな
できれば五月中旬までに読み終えたい インディアンが樽(クジラの頭)の中に落ちる話まで読んだ。 山本さんが餌を投げた瞬間、カモメに餌を取られて「ヤーイ、ヤイヤー」と嘆いたところまで読みました 新潮文庫版下巻の180頁台あたりに出てくる
ドラグという道具(二つの木を直角に組み合わせて銛に結び付けたもの)は、もしかしたら、
PCのマウスのドラッグと同語源か?
Wikipediaに出てくる「スタブ」も、語源はここの登場人物かな
コーヒー屋のスタバ(スターバックス)は当然ここからだけど、
ナウい言葉にけっこう影響与えてるのか。 『白鯨』は完読している人が少ない作品。
苦労してでも読んでおくと、
アメリカ文学の作品タイトルに
『白鯨』のなかの文言が使われているのがわかったりする。 いま、新潮文庫下巻の半分を超えたところ。一か月で四分の一のペースだから5月中には
全部読めるだろう。
俺も「完読した人」の一員になれるぞ ピップエレキバンのピップは白鯨の黒人坊やから取ったのか
北海道の比布はアイヌ語語源だろうな
ピップ君が海に放置されて発狂したところは、凄く怖い。ここだけでも、読んだ甲斐があった 読了後2年くらい経って記憶も薄れつつあるが、
日本列島の「噴火湾」ってどこだと思う?
鹿児島? 静岡?
俺は北海道苫小牧沖じゃないかと思う。
樽前山は活火山。 キュヴィエの鯨がかぼちゃなのかぐにゃぐにゃなのか、実際の挿絵見てみたい 俺は今岩波版上巻の鯨学のところまで来た
クィークェグと仲良くなってるのが笑えるな Moby-Dick; or, The Whale
ひさしぶりに読むか 学生時代は挫折して
社会人になって営業サボりながら初読了。
それから30年余。
二回目の途中、鯨学のところで脳出血w
急にページがめくれなくなったので、
あ、脳でナンかあったとすぐ分かった。
人生、思い出の書となろう。 再読了
やはり不思議な「小説」である
象徴の塊として読もうとすると極々具体なものに嘲笑われ
その極々具体なものたちは(人も物も神も)影絵のように別の層で躍動している
妙なものわかりの良さを振りまく語りの中に陥穽へと導く囁きが輻輳し
いつのまにか死などという想念さえもが話の筋に奉仕するだけの事実として復唱されている
そして不意に虚構を終わるという虚構の無効がなにかの誤解のような気軽さで立ち現れてくる
冗談では済まないような気もする何かが不確かに終わったような始まったような
つまり単なるお話ではあるまいと思いつつではそれ以外の何なのだと言われたら答えられぬ
敢えて言うなら観念的な(無形の)動線が文字化けしてしまったような「小説」だ、これは 新潮文庫版はもっていないんだ
今度読んでみようかな 角川文庫で16章まで読んだけど面白いじゃんこれ
キャラの濃い変人ばかり出てくる 白鯨って西洋古典や宗教についての前提知識ないとキツくないか >>312
そんなことは気にせず読み進めるべし
知らない知識があっても読み飛ばせ 読み飛ばしてページ進めることが読むことだったらいくらでも洋書読めちゃうね 角川文庫上巻400ページあたりでようやく生身のクジラ登場、それまでは
クジラに関する情報だけが延々と続く、面白いヘンテコ小説だなこれ 角川文庫下巻99章まで読了。
これは小説というよりも1851年発表当時の著者の主観的なクジラに関する考察ですね。
当時のクジラ大百科事典というのか、それでも面白い。
読んでいるとクジラ肉が無性に食べたくなる。それから子供の時に近くのスーパーマーケットでやっていた
クジラ解体ショーを思い出す。今は条約があって無理か。 角川文庫・読了
この小説が1851年発表で、1853年にペリーが浦和に開国を迫って来航。
その目的の一つが捕鯨船の燃料や水、食料の供給「基地」としての日本なのだから、
なかなか感慨深い小説である。ラスト三章の追跡シーンはやはりハリウッド映画並みの緊迫感と迫力がある。昔も今もアメリカ人の考えていることは何も変化していないということがよくわかる。 白鯨最後の三章、追跡と闘いだけ切り取って、クジラをサメに置き換えれば
そのままスピルバーグのジョーズになる。 うーん、また白鯨に戻って来てしまった
どうも暑い時期になるとこうなってしまう
語源から静かに読もう 肉体という本質でないもの
教会と世界と捕鯨の関係の歪み方がエグイ イシュちゃんとキューちゃんとのアツアツぶりがエグイ キューちゃんの断食
この厳粛なものが生み出す混乱(明るいやつ)と
その周辺に形作られる妙な空虚(色のないやつ)
逸脱して戯画になるのではなく
戯画が出鱈目な手順で脱色されてしまう不気味さ
確認だが
不気味なのではない
不気味なのかどうかこの時点では定かでないのだ
が、明るいだけに気味の実体がまるで見えないのだ エイハブの隠しボートの銛撃ちフェダラー
この者の出自を勝手に考察する部分の原初へのファンタジーが恐ろしい
簡単に言えば善悪の彼岸なのだが
そもそもこの世に存在しているものというのは
最初の人間の幽霊でしかないというのはほぼ確信である 〉〉327
岩波文庫の八木訳だよ
タウンホー号の挿話で白い鯨はますます神らしくなる たとえば鯨の図像を見るという一事にせよ
その図像そのものよりも
それを見つめる視線の執念が図像という幻を成立させているのである
貫徹しているというよりも遍在している力
重力のように大きくかつ妨げようのない執行 ヨナ書を捕鯨者の視点から解釈する必然性は
もちろん無い
のだけれど
捕鯨者以外の人間などこの世にはいないのだ
と言い張る無軌道をここまで辿ってきた以上
そこにあるのは船などではなく
どうしたって鯨でしかないのである 鯨に銛を撃ちましょう
で、問題はここから
所有に関する法的な寓意に留意しなければならない
これは海の上であろうと
海の底であろうと
法廷であろうと
閨房であろうと
つまりは地球全体を覆っているのであるからして
所有されずにこの世にあることの不可能性に思いを致すべきなのである 読めていないものについて何かを書いてしまうと
まったく訳の分らんものになってしまうんだなあ
ほんとうだなあ
ピップの思考が天上的なものへと昇華されたところで
人間の理性からすれば狂気なわけだし
それを読みこむだけの超越的な経験というのは
これは逝ってしまった人にしか備わっていないわけで カーペンターにもいろいろある
この人の場合はひとりでいろいろだから
万能ナイフ型なのだ
エイハブの幻肢痛に引きこまれてるんだか
はぐらかしてるんだか
身軽な地獄の他人杖がコツコツ鳴るばかり 1年余振りに読み返したのだけれど
あらためて分らない「小説」である
前回はジョークとして読んでみた棺桶の線は
今回は逸脱を促しながら棺桶それ自体の象徴性へと
結果的に回帰させる荘厳な構造物として立ち現れたのだった
しかも、そういう部分は実は大したことではないのだと
妙な寛大さ、あるいは尊大さとでもいうようなものが
つまりこちらを間違いなく威嚇してくる全体性への信仰めいた確信が
非常に逆説的な言い方になってしまうのだが
いちいちの細部から感じられるのである
バラバラなのになんだ、これは、と一瞬思うのだが
バラバラであることが全体=世界であるのかもしれないと
どうにも錯誤以外の読みに辿りつけない自分の限界を思い知らされるのであった
まる 三連休なのにだれも遊んでくれる人がいないので
バカの一つ覚えでまた白鯨を読むのであったw
今回は少しは分かるようになればいいのだが・・・
まあ、あまり自分に期待せずによみすすめてみよう youtubeでled zeppelinのmoby dickでも聴いて、気分転換。 エイハブに似てる人について考える
父?
異邦人?
異教徒?
賢くないなあ 船の構造や機能
あるいは鯨の腑分けを並行して鑑みるに
取り込むこと、すなわち分解・解釈するということは
取り込む側の強度と有効性が
取り込まれる側の許容度に置き換わって行く工程でしかない
獲物が獲物たるゆえんはまさにそこにしかないのであって
別物になってしまっては元も子もないのである 白鯨とか、読むのがしんどいやろw
スケールやダイナミック感が19世紀半ばのアメリカ人と、六本木ヒルズよりずっと体積のデカイ巨大貨物船が世界に数十も海上を走って
いる現代の我々では全然、違う。ゴジラですら小さくなった。 亀さん、「神父」って変だと思わなかったの?
「牧師」じゃないとおかしいと思わなかった?
講談社の翻訳の方がいいと思うよ
ただし、残り四分の一からは岩波の八木訳の方がいい ようやく読み終わった
共感という点では隔絶していたエイハブが
何故か今回はこちらに近づいてきたような気がした
まあ、錯誤ではあるのだけれど
たまには船にでも乗ってどこかに行こうかと
思わなくもない
でも船酔いが酷いからなあ
もっとも最近の船はそうでもないのかもしれんが >>1
Oh,Babe, Oh,Babe,
Extreme Ways
Moby 笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています