夏目漱石 八十四夜 [無断転載禁止]©2ch.net
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十五夜
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1484799164/ >>120
舞台や時代背景を楽しむことと
言語的な側面を考えるのが好きなので
それはとても楽しめるかな。それほど
心理面を読み込んだり感情移入をしない
から漱石の読み手としては邪道なのだろう >>121
せっかくだから、「言語的な側面」というのを、具体的に書いてみて。 こころの先生の自殺の原因が同性愛の精神異常によるものってマジなの!? >>123
言語というか語彙か。言葉を調べるのだな
一丁も二丁も
って長さどれくらいだろとか。町であるとか 人間失格読んだけどめちゃめちゃ良くできた小説だわ
漱石の感想ききたい >>126
石が大嫌いな作品だということだけは間違いない。
おまえ漱石がどういう人かまるでわかってねーな。 >>125
辞書的なことか。
「舞台や時代背景を楽しむこと」の補完ということになりそうだ。
厳密にやれば、江藤淳や荒正人とは違った面から、漱石とその時代へのアプローチができるかも知れないね。
暇なら、やってみたらいいと思う。 >>129だが付け足すと
俺は清子の他に門のお米とかもタイプだしな。
坊ちゃんの清なんかも好きだ。
したたかでも、理屈ばっかのやかましい女よりは好みなだけ。 そうかな坊ちゃんの要素とそれからの要素と明暗の要素と後期芥川の要素も入ってて
人物描写はひたすら可笑しい
文学マニアこそこれ読むべきだろ
しかもメタな構造になってすげえ巧妙な仕掛けもあって
タイトルと魔逆の小説自体はハッピーエンドで作者の遺作というねじれのねじれの構造で
127はもう一回読み直してみな しかも、小説の中に
「我輩は猫である」という固有名詞がでてくるという ヒラメとかああいうとぼけたあだ名のつけ方なんか坊ちゃんへのオマージュかな
人間に対する風刺描写とかね
あと、こころの影響もあるね
作者を投影した手記を読む人間がいてその人間を描写してるというのが第三者の作者という 人間失格は近代文学の旨味自体が小説に
なっている感じかな
自他の心理に思いを巡らすうちに価値の転倒する
ような自己否定に突き当たるっていう怖さ 読後感が坊ちゃんにそっくりなの
若い頃は若さゆえにいろいろあったが
白髪も増えたが
今もこうして生きていますみたいな
今は昔を相対化できる余裕が多少なりともできたようですみたいな
ただ、坊ちゃんと違ってその
手記を読むこれまた作者の投影らしき男が
もう一層はさまれているという構造で
3重構造になっているという >>131-133
他人の小説はどうでもいいな。
パロディとしてのおもしろさはあるのかも知れないけど。 こころが同性愛小説ってのが文芸評論界ではすでに定説なのか? よく指摘されるけど、実際にはホモソーシャル程度じゃないか。 >>140
戦前までは、男と女は別の社会を作ってたんだよ。
男女は、友人の妻とかいう関係でしか交流しない。
もちろん、不倫という意味じゃなくて。
師弟であれ、友人であれ、同性が基本という本来的な意味でのホモソーシャル。
だから、漱石の友人にも弟子にも女はいない。
大塚奈緒子は、あくまでも友人の奥さん。 女が男の師匠の弟子になるケースはあるけど、その場合は女の弟子はたいてい愛人になるんだよな。
頼山陽なんかもあちこちで女の弟子を愛人にしてる。 頼山陽は漱石が太刀打ちできない
ほどのキチガイだからなあ こころの最初に出てくる鎌倉の西洋人の男が実は先生の男娼相手らしいんだがまじ?
何気なく読んでたがそういう暗喩があったのか。漱石の才能がそら恐ろしくなったわ。 >>144
あれは欧米から入って来た個人主義的な精神文化の暗喩でしょ
だから不自然な猿股を履いてるし、先生との出会いは偶然で、引き込まれそうなところを私にとめられる
これは先生が自殺の道を選ぶのとも一致してる ”漱石の「則天去私」と「明暗」の構造”という本を読んでいるが、
これは面白い。今までの漱石への疑問などが一気に解決できている。
これは本当にお勧めの作家研究本だと思う。 則天去私も名詩にはなっていないよ。四字熟語か熟語で売れない読まれない
どまり。しかも出版法とか電波法、新聞法からも怪しい。
やっぱ漢字源なら日本の作家は小説家はぼぼ捨てたい。
新聞小説なんて無理な信仰被害、あまり良いものを書いたとは思えない。
喧伝力もないし、ネタバレもつまらない、隠す力もないし、レア度にも欠ける駆け引き。
ロリコン目に見えるしさあグラビアも。旧紙幣たかが五校教授どまりか。
神も長髪じゃないし、それじゃあ映らない部分も怪しい。 テクストに映らない良さがあるのが、ストラスブールや
ソルボンヌだろうなあ。卒。 >>150
こころは題名が優れているけど
内容はダラダラしてるよね
裸の王様小説の代表
その点太宰のウジウジはかなり読ませる 単なる自分の好みを奉じる馬鹿な裸の王様にはウジウジがお似合いらしい。 そのうじうじの仕方がおかしいのよ
漱石のギャグセンスをうじうじに混合させて
うじうじを中和してるというかいっそう際立たせてるというか
その境界線もみえないように構築されている。
こころで消化不良だった部分を克服してるって感じなんだな
こころも、手記を物語に差し込むって人称をまたぐって
当時としては斬新な実験的手法うを試みるも
こころって漱石研究者の間でも失敗作っていう人はいるね
やはりどこか破綻してるというか、かなり気合を入れて取り組んだが
なんつうか上手くいかなかったというか回収しきれなかったというか
時間がなかったというか。 >>154
句読点のない文章は、確かにウジウジして見えるね。
文章を整えて書くことが面倒だという理由で、ただ、だらだらと書いた印象をあたえる。
整理されない文章というのは、思考の幼稚さの表われに違いない。
閉鎖性と幼児性しか自慢できるものがない文系が、日本語を書くことが苦手な、理系の書き方を真似しているのかも知れない。 >>154
こころは新聞連載で次の島崎藤村が書き始められないというので強引に引き延ばした作品だっての。
そんな基本を知らん奴が変な主観を振り回さんで呉れ玉へ。 漱石は子規にすすめられるまでは建築家を志していたくらいで理系的な思考は備わってる。
漱石による英文法の整理は非常に高い評価を得てただろ。
文系にありがちな単なる博覧強記のバカとは別物だよ。
英文学に進んでも、池田菊苗や弟子の寺田寅彦のような理系人間との交流を楽しんでいるしね。 寅彦といえば、ペヤングのカップ焼きそばのチョコレート味を食ったときに、さぞや
気に入ることだろうと思った。たまに売れ残りが店頭で安売りされてるんで、
漱石好きは一度体験したらいいと思う。 あの分量は難しいよな
二部構成も難しい
他の文豪でも扱いにくい内容だと思う
長さに比して先生の秘密がショボイのが致命的
だけども 何はともあれ
評価のはっきり分かれる著名作品として注目できる 時代は変われど悩みのコアのコアは親子と男女。これ以上のものはない。あとはアレンジだけ。
手本に対して陳腐だなんだと言ってること自体、手本の下で吠えてるだけの陳腐な存在だよ。 そういえば世紀の名作で二部形式そのものは
響かないと言えば春の祭典があるな
一幕でも名作判定されてたに違いない
その意味では二部形式について
深く考えるのは面白そうだ >>159
それは子規じゃねーよ
オマエみてーな嘘つきっていまどきいるんだな?
死んじまえ
嘘つきしったか馬鹿物めが 明暗て漱石はどうやって話を終わらせるつもりだったんだろう。俺はお延と離縁して実家からも絶縁されちまうって結末だったんじゃないかと思うんだが。
で、小林と朝鮮にいく。 ↑おまえも呆れた馬鹿物だな。
最終的には漱石と鏡子のような関係になるんだよ。
この意味わかるか?無理だな。低脳には 漱石はストーリーを決めて書き出すタイプじゃなさそうだからねえ。
さまざまな場面に出くわした登場人物たちが、それぞれの性格や関係のもとに動いていく。
漱石自身も、書いてみなければわからないんじゃないかな。
三四郎以降の漱石は、猫や藤尾みたいに、話を終わらせるために殺してしまうことはなさそうだ。 >>171
先生の死は、話を終わらせるためじゃなくて、明治という時代の死だと思う。 その場合
先生が明治の擬人化だという記号に
もう少し鮮やかさが欲しいね
明治だと解釈した時に全体の尺が
有意味になるということね >>173
作品としての象徴性という意味なら、乃木希典の殉死だろう。
漱石自身が衝撃を受けたんだろうし、その衝撃で「こころ」を書いたともいえる。
それは、一人の人間の生き方への驚きであると同時に、日露戦で喧伝された兵士の犠牲の美化に対する、漱石からの明治の倫理の総決算でもあったと思う。 バカはペヤングのカップ焼きそばのチョコレート味を食え。
必死で探して食え。命令だ。馬鹿め。 うーん
総決算的な思想的深さとか歴史の象徴化が
構築されてはないよね。明治的という内実
が分からない。やはり漱石の人間関係の
心理的な葛藤の描写でどこまで読ませるか、
という手腕に「かかり過ぎている」。
似たふたりの人物の私小説的な苦悩告白が
並べてあって、
まあこれはしょうがないけど
現代の読み手は大体の筋を知って読まざるを得ない
殉死の衝撃は事実としてあっても、
小説の舞台の時代そのものはいつでもいいでしょう。 確かに小津作品の鑑賞後感と近いよね
色々あるけど
ひとつには舞台空間描写が密度としては
希薄なのだけど、つまり書き込む余地がいくらでも
ある、人物の動きはどうも練られているのだよね >>177
先生とKの倫理というのが、それぞれの死をもって成就している。
これは日露戦で美化された、塹壕に飛び込む兵士の特攻と軌を一にしている。
それを、乃木希典が子供と自身の死を引きかえにした。
そうした明治的な倫理を断ち切る〈こころ〉を追究したのが、漱石。
その意味で、明治的倫理の総決算を目指した作品ということ。
〈倫理〉はどこから来るのか?
漱石は追求してやまなかった。
そのテーマは、漱石から太宰に引き継がれたということもできる。 >>177-178
「堅物」を「人格障害」として阻害する時代の勘違いに過ぎない。
学閥学歴至上主義の反動か何かのコミュ力至上主義の類かね。
それ、単なるポピュリズムだからね。アホの多数決の結果だ。何やってるの?? >>179
そこがどうも繋がらないんだよね
イデオロギーも体制も思想も描いていないし
個人的悩みで死ぬ。
漱石の発想の源泉はとにかくも
小説として明治の死を描いて、そのテーマの書きぶり
優れているとは言えないと思うな
こじれた人間関係や悔恨を、必要以上に
重々しく描いてそれほど不自然ではない腕の冴え
とは言えるけどね。 死ぬ理由他人に説明する時の
支離滅裂がよく描かれているという意味では
やはり力の篭った心理描写と言えるかな
他人の殉死が呼び水になって自殺に至る心理
にはリアリティがある。 >>181
アズマエビスが毛唐に染まったら禽獣以下ですやん。 >>182
倫理というものが、時代と分かちがたいものだということを、漱石は強く感じている。
個人と個人の関係の中の倫理においても、社会というものが隙間なく纏わりついているということによる。
わかりやすいのは、女の貞操かもしれない。
江戸時代には、事実上は女の貞操などまるで重視されなかったが、明治になると非常に重いものな変わった。
現代では、女の貞操という概念すら消え去っている。
男はいつの時代にも貞操が問題にされたことはないがw
塹壕に自身を埋める兵士が、倫理として褒め称えられる時代もあれば、とにかく生き延びたことが褒め称えられる時代もある。
漱石は、そうした倫理の根拠を探し続けていた。
倫理は、いずれにしても個人の問題として出てくるほかはないから、漱石の作品の舞台は、個人の〈こころ〉の動きを描くしかなかった。 >>185
なるほど
塹壕のくだりは君のこだわりのように
思うが前半はそうかもと前よりは思える。
どうも >>188
日露戦は、漱石のいくつかの短文にも出てくる。
日露戦における兵士の死、というのは、漱石にとって倫理的な大きな課題だったと思う。 戦争と平和が交互に来ることも理解できないバカが男女の貞操を語る愚。
漱石批評でさえよく見かけるよね。 >>182
そもそもイデオロギーや思想は文学の本質ではないでしょ
文学の本質は文字を通して仮想的に欲求を満たすことだと漱石考えていたと思う
そして漱石は人類の普遍的なテーマである個人と他者、世界との二者択一的な欲求の衝突を軸に作品を作り
その中の『こころ』は明治の精神を手段として人間の心理を描いた
つまり、多くの人が『こころ』登場人物に共感し読み継がれて来た時点でなんと言おうが名作なんだと思う ID:khrBIDm
↑嘘つきやろう
謝罪せや!!!!!!!
糞馬鹿めが >>192
言い草がコリアンそのもの。火病ってそんな感じなのか。 みんな書いてる内容が凄いなあ。
どうせ誰かの評論か解説本をそのまま書いてるんだろうけどw >>194
君が自分の言葉で語れない子供なだけだよ。 >江戸時代には、事実上は女の貞操などまるで重視されなかったが、明治になると非常に重いものな変わった。
平時である江戸時代前中後期あたりでさえ武家ではごく当たり前に女の貞操は重視されたし、
庶民でも不義密通は死罪。訴訟に金がかかるから公に訴える者が少なかっただけ。
>現代では、女の貞操という概念すら消え去っている。
へえ、DQNの世界ではそうなんだね。まあ皇室でさえビッチが出ちゃったからね。
それでも不倫は男でも女でも有責離婚の原因になるよ?
>男はいつの時代にも貞操が問題にされたことはないがw
戦時中だと「下らない女で童貞を捨てた」みたいな言葉に代表されるような価値観はあったよ。 >>196
明治以降の感じ方としての貞操の一つである、結婚するまでは処女であるということから説明しよう。
江戸時代は、収入の糧である家を重視していただけなので、兄が死ねば、弟が兄の未亡人と結婚して家を継ぐのは普通だった。
結婚に際しても、家同士の格は重視されたが、その分、再婚も多かった。
妻が処女であるかどうかなどまったく問題にならずに、同格の家、もしくは格上の家との婚姻が重視された。
江戸時代というのは、不思議なくらい女が自由であって、結婚相手が嫌ならすぐに離縁になった。
形の上では、夫が離縁状を書くわけだが、妻に嫌われて離縁状を書かないような世間体の悪いことはできなかった。
これには、妻の財産は夫のものにはならないという家同士の利害も絡んでいる。
武家だけではなく、百姓、町人でも同じだ。
まして、江戸府内では慢性的に女不足だったから、吉原の遊女といえども、年季さえ開ければ普通に町人と結婚した。
地方であれば、若者宿、夜這いなどで結婚前に複数の男と性行為を経験することは、むしろ当然のことだった。
明治以降も、その夜這いの風習が残っていた津山で、その風習から除外された男が大量殺人をしたことは有名だ。
「処女」という言葉は、家にいる女、つまり結婚していない状態の女という意味だが、それがもともと性経験のない女という意味で使われていたのかどうかは知らない。 >>196
不義密通は重罪とされていたが、不義をされる男は甲斐性なし、という見られ方をされたので表ざたになることは少なかった。
夫は黙って三下り半を渡し、あとは好きにしろという許可を与えた。
三下り半をもらった妻は、大喜びで不義相手と結婚したり、妾になったりした。
ちなみに、粘着質の夫が強情を張って三下り半を書かないとき、女は縁切寺に逃げ込んだ。
縁切寺に駆け込めば、事実上、それで離婚が成立した。
現代の妻の不倫でも、男が大騒ぎするのはみっともないので、静かに、離婚、修復、黙認ということになる。
不倫は、まさに文化かも知れないw
男の童貞などは非倫理要因だし、既婚男の貞操は妻の嫉妬に多寡によるだけ、といえるくらい、社会的にはまったく問題になっていない。 >江戸時代は、収入の糧である家を重視していただけなので、兄が死ねば、弟が兄の未亡人と結婚して家を継ぐのは普通だった。
武家と庶民とをごっちゃにした主張は論外。
近代をイメージする場合、経済力の向上とともに庶民もかつての特権階層たるの道徳を理想とするように
なった。ここは漱石スレだから、その前提すら理解できないのは論外。
>結婚に際しても、家同士の格は重視されたが、その分、再婚も多かった。
武家を念頭に置く場合、×有り同士や格下初婚との再婚を婚前交渉や不義密通と同列に語るのは論外。
>妻が処女であるかどうかなどまったく問題にならずに、同格の家、もしくは格上の家との婚姻が重視された。
無知蒙昧な土民の野合を武家の初婚にあてはめるのは論外。
>江戸時代というのは、不思議なくらい女が自由であって、結婚相手が嫌ならすぐに離縁になった。
縁切り寺の存在すら知らない無知蒙昧な人間の妄想は他所でどうぞ。
>形の上では、夫が離縁状を書くわけだが、妻に嫌われて離縁状を書かないような世間体の悪いことはできなかった。
>これには、妻の財産は夫のものにはならないという家同士の利害も絡んでいる。
単に家同士の力関係の話を女の自由とはき違えるのは論外。 >武家だけではなく、百姓、町人でも同じだ。
なんだ、武家の話のつもりで見当外れの話を列記していたのか。脱力感全開だわ。
>まして、江戸府内では慢性的に女不足だったから、吉原の遊女といえども、年季さえ開ければ普通に町人と結婚した。
武家の妾や土民の正妻で武家の正妻の貞操を語ろうとするのは論外。
>地方であれば、若者宿、夜這いなどで結婚前に複数の男と性行為を経験することは、むしろ当然のことだった。
>明治以降も、その夜這いの風習が残っていた津山で、その風習から除外された男が大量殺人をしたことは有名だ。
無知蒙昧な土民の習慣で現代人を語ろうとしても、「だったら現代人は禽獣並みの道徳心しか持たない
土民かよ草一面」という皮肉が返ってくるだけ。どんな土民根性の輩が増えてきているようだね。
>「処女」という言葉は、家にいる女、つまり結婚していない状態の女という意味だが、それがもともと性経験のない女という意味で使われていたのかどうかは知らない。
古代から権力者が他所の男の種を排除するために未通女を嫁にしたのは当然の話。
子供が他所の種だと権力者は嫉妬するし、間男や嫁が政権簒奪を企むのは歴史が証明している。
そんな不安定要素を権力者が排除するのは馬鹿でも分かる話。 >不義密通は重罪とされていたが、不義をされる男は甲斐性なし、という見られ方をされたので表ざたになることは少なかった。
>夫は黙って三下り半を渡し、あとは好きにしろという許可を与えた。
>三下り半をもらった妻は、大喜びで不義相手と結婚したり、妾になったりした。
江戸期では訴訟が高額だからそれを控え、間男八両二分を私裁の一般的条件としたのは有名な話。
私裁だから間男と嫁の開き直りはしばしばあったが、それは貞操とは全く無関係の反社会的行為に
過ぎない。もう少し常識をわきまえよ。
>ちなみに、粘着質の夫が強情を張って三下り半を書かないとき、女は縁切寺に逃げ込んだ。
>縁切寺に駆け込めば、事実上、それで離婚が成立した。
縁切り寺の数はごくわずかで、このシステムで救われた女が全体のどれくらいかは常識レベルの
想像力を及ばせよ。
>現代の妻の不倫でも、男が大騒ぎするのはみっともないので、静かに、離婚、修復、黙認ということになる。
>不倫は、まさに文化かも知れないw
それは貞操とは全く無関係の反社会的行為に過ぎない。もう少し常識をわきまえよ。まるで禽獣だ。
>男の童貞などは非倫理要因だし、既婚男の貞操は妻の嫉妬に多寡によるだけ、といえるくらい、社会的にはまったく問題になっていない。
既婚男の不倫は民事訴訟の妻への慰謝料という形で制裁を受ける。反論の前にまず現代日本人としての
常識を身につけよ。 既婚男の不倫は民事訴訟の妻への慰謝料という形で制裁を受ける。
↓
既婚男の不倫は有責離婚の理由になり、民事訴訟で妻への慰謝料という形で制裁を受ける。 >>199
「兄が死ねば、弟が兄の未亡人と結婚して家を継ぐ」というのは、特権階級である武家のことだぞ?
妻は嫁いだ家にいるから、その家の経営を続けるには、家督を相続する弟が嫂と結婚するのが一番スムーズ。
当時の武家というのは、夫と妻の両方の親戚によって成立してる。
武家は基本的に家格が最重要視される。
離婚歴も性経験も、まったく考慮されなかった。
武家最高峰の徳川秀忠の正室(形の上では継室)江は、3度目の結婚。
さらに遡って平安貴族まで見れば、ほぼフリーセックスで、婚姻形態すら曖昧。
縁切り寺のことは簡単に説明しておいたが?
駆け込みさえすれば、事実上離婚が成立。
最長でも2年間(足かけ3年)、寺に属しているだけでいい。
尼になる必要もなかった。
特に武家の結婚は、女が嫌がればすぐに実家に戻り、夫が謝罪するか離婚するかしかなかった。
夫の側からも同じだ。
家同士の婚姻という不自由さは、離婚の自由という形でカバーされていた。 >>200
武家も「無知蒙昧な土民」も、婚姻や性関係についてルーズなことは変わりない。
武家の場合は、家の経営が優先され、「無知蒙昧な土民」の場合は人々の自然な感情が優先されたという違いがあるだけだ。
>古代から権力者が他所の男の種を排除するために未通女を嫁にした
そういう史料があるなら、教えて欲しい。
繰り返しておくが、重要なのは家の経営であって、血統ではない。
まるで血縁のない、あるいは極めて遠い血縁(事実上の他人)を養子に迎える例も多い。
>>201
江戸時代の実態も現代の実情もまるで知らないようだから、もう少し知識を得てから反論してくれ。
モテない独身男の処女崇拝など、誰も相手にしない。
そういう奴が、ロリコン犯罪を犯したり、ロリコンを正当化したりするのかも知れない。
ロリコンはそれだけで反社会的な存在だが、不義だの不倫だのというのは社会的な問題ではなく、個人と個人の関係とそれに伴う感情の問題だ。
だから、漱石が三角関係を追求している。
漱石は、男女の関係を社会的な問題として考えているわけではまったくない。 >「兄が死ねば、弟が兄の未亡人と結婚して家を継ぐ」というのは、特権階級である武家のことだぞ?
ああ、戦国期のような政略結婚で嫁の代替がきき難いケースのことか。
江戸時代であれば次男以下は分家当主か部屋住み。兄が早世して弟が当主になれば兄は系図上の
義理の親の名目になるから、兄嫁を娶ると義母と通じることになって大問題になるっての。
>武家は基本的に家格が最重要視される。
>離婚歴も性経験も、まったく考慮されなかった。
豊臣の秀吉に対する織田(旧主筋)係累の淀君のように、女性の家が格上ならもちろんそう。
それをまるで女性の貞操一般のごとく主張しようとするから詭弁になる。
>さらに遡って平安貴族まで見れば、ほぼフリーセックスで、婚姻形態すら曖昧。
平安時代は一夫多妻および不義密通であって乱婚じゃない。婚前交渉は一般的だったけど、
格下の男が格上の娘のもとに通うのは無理。実力があれば格上の家からアプローチがあって
引き込まれるだろうけどね。
基本的には光源氏みたいな格上のモテ男が玉の輿を狙う女たちの足を開かせていただけだ。
>縁切り寺のことは簡単に説明しておいたが?
少数の例外で全体を語るのは詭弁だと繰り返さなければ理解できないのかね。
>特に武家の結婚は、女が嫌がればすぐに実家に戻り、夫が謝罪するか離婚するかしかなかった。
>夫の側からも同じだ。
離縁は互いの家のメンツを潰すから、同格の家同士なら夫婦の好悪でそう簡単に離縁なんか
できるわけもないことすらわきまえていないわけか。
なぜ「家格が最重要視」と自ら主張しながら、「格上が離縁を申し出る権利がある」という一般的でない
条件を持ち出して詭弁を振り回すのかねえ。単なる思考停止か?? >>205
無知すぎw
少しは調べて書けよ。
自分の好みと歴史上の事実は関係ない。
ちなみに、「格上が離縁を申し出る権利がある」なんて、どこにも書いてないぞw この話は、自分の好みを離れて少し調べていけばすぐわかることばかり。
処女が好き、なんていうのは、変態でしかないがw
明治以降のキリスト教的道徳と、日本の性風俗を混同してはいけない。
武家でも武家以外でも、日本の性が奔放だったことは、西鶴や宮本常一を読めばすぐにわかることだ。 >>206
君は虚勢を張るばかりで、聞きかじった知識を振り回すことしかできてないよね。
ちなみに君の主張は、いまから5〜10年ほど前にこの板とか日本史板で私が書いていたことばかりだ。
今回私が突っ込みを入れまくったように、フェミニズムにとって都合のいい部分ばかりのいいとこ取りの
パッチワークだから、フェミニストたちがどうブラッシュアップするかを期待してたんだけど、何年経っても
何の進歩もないようだね。
さすが慰安婦問題で「証明責任は問題を追及する自分たちでなく言いがかりをつけられた国の側にある」
と言ってのけた運動なだけはある。やってることは学問じゃなくて単なるマイノリティ利権の拡張のための
ゴネでしかない。こんなことならバカの群れに加担するんじゃなかったよ。
>ちなみに、「格上が離縁を申し出る権利がある」なんて、どこにも書いてないぞw
バカは実例を知らないようだけど、例えば川路聖謨は御家人の養子になって最後には勘定奉行や
外国奉行にまで登りつめた。言い換えれば急激に身分が上がってしまったために、格下となった
妻を離縁し同格となった家から初婚の妻を迎えるということを数回繰り返さざるを得なくなってる。
秀吉がねねと添い遂げたのは乱世だからこその異例なケースだ。
>>207
他人の理屈を借りて利権を拡大してるだけだから、まともに学問やってる人間に突っ込まれて
返答に窮すると、そうやって相手の人格批判と先入観に基づく俗説に逃げざるを得ないんだよね。
西鶴や宮本常一なんて、私が今回徹底的にお前さんを論破した武家の初婚の話とは全く無縁の
庶民の話でしかない。
そしてここで、>>199で書いたような
>武家と庶民とをごっちゃにした主張は論外。
>近代をイメージする場合、経済力の向上とともに庶民もかつての特権階層たるの道徳を理想とするように
>なった。ここは漱石スレだから、その前提すら理解できないのは論外。
という指摘につながるわけだな。私の手のひらで踊るアホの子には理解できないようだけど。 バカは源氏物語を読んで「男は好きな女の屋敷に自由に忍べた」とか勘違いしちまうんだよな。
光源氏は貴い血筋で好き放題やらかすことを時のみかどからさえ黙認されてて、忍んだ相手の
女が嫌がってるのにその身分を盾にして押し切っちまうような男だぞ。
そんな男の子供を産めば自家の格が上がるから、家の主も女本人も大抵は受け入れるけどね。
少し考えればわかる話だけど、当時は盗賊も多かったから屋敷の警護はきっちり固めてる。
そんな中に家の主人の意にそぐわん格下の男が盗賊のような身軽さもなく忍び込めるわけが
ねえだろと。
最低限でも女の合意と女によるその家の家臣たちの懐柔を経て手引きしないと無理。もし女の
目論見通り格下の男の種を孕んでも、家の主人の不興を買えば女は傷物として格下の他所の
男のもとに放り出される。娘ってのは立身出世のための重要アイテムだから、そういう見せしめまで
やって守ろうとしたわけだ。
伊勢物語の主人公のモデルの在原業平は臣籍降下した元皇族の家系だけど、藤原家の
娘と駆け落ちしようとして阻まれ、作品では鬼に食われたと表現されてるだろ。
ちなみに身分差ゆえの悲恋ってのは江戸期でも当たり前にあった話。商家の娘が奉公人と
通じた場合、主人(娘の父あるいは代替わりがあれば兄弟)がそれを認めなければ奉公人が
「主君への反逆」に準ずるとして重罪に問われた。奉公人よりは刑は軽いとはいえ家の主人に
背いた娘も罪に問われた。
この程度の一般常識くらいはわきまえろってこった。 バカは女の貞操を語るのにキリスト教のイメージに直結させるけど、イスラム教でも
ヒンズー教でも仏教でも儒教でも当たり前にある概念だってことから目をそらしている。
もうね、アホかとバカかと。 >>208-210
ついに発狂か・・・
ロリコンを指摘したのが図星だったかw
ここまで無知で、読んでもいない本を読んだことにして、聞きかじってすらいないことを並べ立てる奴も珍しい。
どの話も、ちょっと歴史を勉強すれば、誰でも正否がわかることばかりだ。
明治以降のキリスト教のモラルを日本の江戸期以前にあてはめても、まるで意味がない。
繰り返すが、武家の妻に(同格程度の相手との)離婚歴があることなど珍しくもなんともない。
なにしろ武家のトップ、徳川秀忠の正室は、処女どころか、3回目の結婚だったくらいだw
家格と経緯を重んじる江戸時代の武家が、それに反するような感覚を持っているわけないだろ?
日本は、昔も今も、実はフリーセックスの国なんだよ。
男が女を強姦するのがフリーセックスではなく、両者の恋心に基づくことがもちろん最低条件だ。
処女にこだわるロリコン変態は、それすら理解できないから、犯罪に走るわけだが。
おまけで指摘しておいてあげるけど、格上話は君が自分で書いてるだけだぞ?
>「格上が離縁を申し出る権利がある」という一般的でない条件を持ち出して詭弁を振り回すのかねえ。単なる思考停止か??
僕は格上デンデンなどと書いたことはないから、まったく無関係だw
君が、自分が思考停止している(というより思考がはじまっていない)というなら、よくわかる。 釣り針がデカすぎる。やり直し。
自分で無理だと思ったら、まともに議論できる人間を呼んで来い。馬鹿め。 >>212
それはお前のことだよw
事実も史料も無視して、処女処女言いたいだけの変態ロリコンなのかよw >僕は格上デンデンなどと書いたことはないから、まったく無関係だw
これは自分の(周囲の狭い世界の)言葉のようだね。
君も分かっている通り、一般論が君の環境にそのまま当てはまるわけじゃない。
土民が土民のままでは決して武家の価値観は理解できない。
フェミニズムを弱者利権とくくるのは問題が多すぎる。日本のフェミニズムが
異常なだけだと思いたいところだ。
一連の君(たち?)のアホな書き込みは、「一部の例をそれに当てはまらないことが多い全体に
あてはめようとする詭弁」に満ち溢れているんだよね。それでうまくいくわけがないわな。バックラッシュは
アホには分からん必然だよ? 君たちみたいな。 >事実も史料も無視して
レッテル貼りだけは元気なのが借りた知恵で吠える系の特徴。
でもね、借りた相手に吠えるってちょっとどうよ。 >事実も史料も無視して、処女処女言いたいだけの変態ロリコンなのかよw
処女を好んでつまみ食いするDQN男は少なくないけど、今では初めて同士の結婚カップルをそそのかして
不倫に引きずり込む友人がいたりするらしいね。
特に女で。私はビッチ化なんて企図してなかったのにね。数百年かけて磨り減るというスタンスだから。 >>214-215
「デンデン」というのは、日本国総理大臣が、国会という公式の場で発っせられた言葉だぞ?
狭い世界の言葉とか、失礼にもほどがあるw
君の日本語はどんどん怪しくなってくるね。
ロリコンを指摘されて、本当におかしくなっちゃったのか?
「借りた相手」とか、なんの妄想?
大丈夫かい? バブル崩壊前後からの数十年は戦国幕末みたいなもの。価値観のぶれがおさまらない。
だから「思慮浅くして果断」な女が使嗾された形かね。
それを観察し軌道修正してきた人間が死んだら面白いことになるかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています