夏目漱石 八十四夜 [無断転載禁止]©2ch.net
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夏目漱石
1867年2月9日(慶応3年1月5日) - 1916年12月9日(大正5年12月9日)
本名 夏目金之助
牛込馬場下横町(現新宿区喜久井町)出身
前スレ
夏目漱石 八十五夜
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/book/1484799164/ それに対して漱石がなんの反応も示さなかったのはやっぱり不思議だね
漱石はある程度著名な作家や評論家などが自分について何か書いたら、公でなくとも誰かしらにその批評や賛辞に対して反応を示してた
しかしあらゆる書簡に目を通しても鴎外にだけは何故かまったく触れていないんだよな >>421
あったら弟子なり知人なりが漱石死後に書いてるでしょ
そんなようなものがないということはやっぱりないんだろう >>422
鴎外の漱石論以降は確認してないが、若いころ鴎外をほめて子規の反発を招いたようだ。
漱石も鴎外も互いに相手の作品を尊敬したように思える。 独逸と英吉利、互いの価値観の善き処を圧し減らすすまいと見ていただらうね。 明治24年8月3日 夏目金之助より正岡常規へ
鴎外の作ほめ候とて図らずも大兄の怒りを惹き申訳も無之、これも小子嗜好の下等なる故と只管慚愧致をり候。
元来同人の作は僅かに二短篇を見たるまでにて、全体を窺ふ事かたく候得ども、当世の文人中にては先づ一角ある者と存をり候ひし。
試みに彼が作を評し候はんに結構を泰西に得、思想をその学問に得、行文は漢文に胚胎して和俗を混淆したる者と存候。
嫂の死を報告しながら、子規の「一丈余の長文」の手紙の返事としている。
子規の手紙は失われているので、どう怒りを惹いたのかはわからない。
漱石の?外評は、型どおりの批評という感じは否めないが、適切だと思う。 漱石と太宰は思想が近いの??
漱石はよく自殺しなかったよ。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201705/CK2017050702000140.html
漱石記念館が来夏再開 ロンドン南郊
2017年5月7日 朝刊
【ロンドン=共同】文豪、夏目漱石(1867〜1916年)の英国留学に関する資料を32年にわたって展示し、
運営難で昨秋閉館したロンドンの「ロンドン漱石記念館」が来夏に再オープンする。
館長の恒松郁生(つねまついくお)さん(65)が明らかにした。
閉館後も研究者やファンから資料を閲覧したいとの要望が多く寄せられたため、
ロンドン南郊サリー州の恒松さんの自宅に展示スペースを設け、再開することにした。
以前と同様2〜9月の週3回に限って開き、メールでの事前予約制とする。
漱石が国費留学生だったのは1900年からの約2年間。
恒松さんは漱石がこの時期に購入したものと同じ書籍や、
当時の街並みの写真などを集め、ロンドン市内に記念館を開いた。
漱石の創作活動の原点とされる留学生活の様子が分かる施設として専門家に知られた存在だった。
※リンク先に予約メールアドレス載ってます >漱石と太宰は思想が近いの??
太宰は土人のカシラの価値観すら理解できなかった禽獣の類だからね。
芸人とかその類。 太宰は才能の塊だよ
東大仏文なのでの教養もある
それをひけらかさないところか
前代の教養主義を租借した上で茶化してると同時に
多大な影響を素直にパクった上で壊している
近代文学の集大成にして革新者 パクれてもいないし壊せてもいないけどな
太宰の小手先芸に騙されるバカっていまだにいるんだな笑 本屋で辛気臭い顔つきの芸人のポスターをやたら見かける。
ウザい。 漱石と鴎外は互いに何回も本を贈呈をしあっている。
森田草平に言づけることも、一度ならずあったようだ。
修善寺で倒れた時には、鴎外の使いとして一等軍医が見まいに来ている。
それぞれの家を訪問したことはなさそうだが、なにかの用で近くに来た時には、直接本を渡すことがあるいはあったのかも知れない、と妄想してみた。 >432
太宰を見下せる教養のある俺すげえっていう層
それこそ一番太宰に騙されてる典型じゃないか 太宰ヲタってやたらねちっこくて押し付けがましいやつが多いよな
だからどこでも鬱陶しがられるのよ 太宰のことは見下していないよ、眼中にすらないからね >>400
漱石(の作品)って意味で、サザエさん(って作品)って意味だよ。
漫画成立期における、日本近代文学の影響、みたいな。 太宰治はすごいだろ
日本の現代文学は太宰から始まったと言って過言でない やっぱ太宰ヲタって浅いよなぁ
おまえは一体なにを以って「現代」とやらを定義付けてるんだ?
漱石の作品に「現代」に通じていないものがあるか?
現代文学?なんだそりゃ笑
一体どうあれば現代文学なんだ?苦笑 太宰は個人々々限り眼中に無之、全体が一向みえて居らぬ。 日本近代文学のイメージの点でいえば
太宰は決定的だけどな
ゴミ男が自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄
浮雲から村上までそうだから おまえっていうけど
それはおれじゃないからな
おれは2番目のやつであってそれ以外はおれじゃないから
日本中で漱石好きで、太宰を評価してるやつはおれだけだと思ったら
大きな間違い おれは言ったのは近代文学の総決算といってるのよ
というのも単純な時系列的にみても
ファンとして模倣の対象となった作家一覧をみても
網羅してるってことさ
お手本自体が近代文学のアラカルト的なものになってるのが
太宰なんじゃないかなっていって
でもファン度でいうと芥川、夏目、志賀、室生あたりが四天王らしいけどね
鴎外、島崎、谷崎、武者、佐藤この辺も通過し吸収している
でようは、時系列的にいっても
最後の近代文学というか遅れてきた近代文学作家というかね
川端とか三島とかちょっと系譜がちょっと違うんだよね。
戦後の外人みたいな作家世代はもっとちがう。 俺は今も読まれている作家を
それなりに評価したいな
そう考えると漱石太宰はすごい あと、芥川に憧れた太宰と
実際、芥川のうち弟子の堀辰雄ってのも
戦後ちょこっと活動して近代文学をひっぱてるけどね
漱石に弟子が芥川として(作品の影響を受けたのは漱石でなく鴎外のほう)
これが中学〜高校
でその芥川に憧れたのが太宰で
中学の時に芥川の自殺があって人生観に大きな影を落とすという流れ
太宰 あと芥川の弟子に
立原道造もいたわ
自称芥川の弟子が太宰治で
実際の芥川の弟子が堀辰雄、立原道造で
このへんが中学時代の憧れで
その芥川の師匠が漱石であり、本当の憧れは鴎外という 芥川は当時の文壇や情報見ると
すごい次世代スターだったんだよな
岡潔もファンだっけ
俺は読んでも凄さがわからん
好みの作家だけども いうなれば
明治の黎明期に文語体から口語体でようやく近代文学の礎ができて
漱石逝去 フォロワーによる大正の隆盛期 昭和2年芥川自殺ときて
漱石鴎外藤村泉芥川谷崎志賀と近代文学史というものがかなり整理されたのが子供時代の太宰三島世代ときて
昭和23年芥川自殺でいちおう、明治から続く近代文学も一応一区切りていうの?
太宰が子供時代の憧れた志賀も戦後は作品書けなくなっちゃたし ↑訂正 昭和23年太宰の自殺ですた
太宰は近代文学の申し子も日本文学の分岐点である
戦後民主主義にはほとんど関われずに終了 そっかー
日本近代文学は
芥川自殺が区切りという見方があるのだな
って昭和2年でしょ 人間は年を経るごとに仙に近づくものだと漠然と考えていたが、そう甘いものではないようだ。
市井に過ごせば火宅の苦は年々より深刻に吾身を焦がしていく一方である。
愚かしくも今の私は降りかかる火の粉を打ち払うので精一杯だ。
こんなことでは何も成し遂げられはしないだろう。
焦燥は内面より魂さえも灰にかえんとする。
気が狂いそうだ。 >>449
酔っ払ってんのか単なるバカなのか知らんけど日本語で頼むわ
自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄?苦笑
君、はっきり言って読書向いてないよ 愚物の戯言を澄ましてスルーすることは大人なのではなく無責任なだけだ 認知症老人は噛みつく相手の言説が周囲に影響を与えるかどうかの判断さえできない。 >>456
>>445もおれじゃないから
爺さんは見えない敵と戦ってるんだろうけど
太宰ってワードが含まれていると
全部おれの書き込みにみえるんだな
>>431と昨日の連投とその上の人間失格の件でちょこっと触れてるのはおれ
それ以外はすべて別人
>>446でいってるのは>>428の太宰の話題から数えて2番目のやつって意味
ちなみに>>411森鴎外と面識ある?の上げレスもおれ
おれは基本あげるので。あげてないのはおれじゃないから あげてるけど>>441もおれじゃないね
>>445もおれじゃないから その下からだよおれは
>>自分勝手にウジウジするのが日本近代文学の真髄?苦笑
>>君、はっきり言って読書向いてないよ
真髄なんてことばおれは一回も使ってないのに
そことらえておれに説教してもさ(笑)
2人まとめておまえって行ってるのか
見えない敵をまとめてすべて一人称するような性癖なのか
認知症なのかしらないけど。 >>460-461
どうでもいいけど、太宰の話はスレチだよ・・・
それがわからないなら、認知症判定をされても、しょうがないよねw 人工的インスピレーションというのが好きだ
俳句を詠もうと歳時記を引いているうちに、言葉から情景が浮かび上がり自身を満足させるいい句ができる事がある
これも一種の人工的インスピレーションなのだろう >>463
なんだ、まだ気が狂ってなかったのかw
それとも、もう・・・? 好きな詩を口ずさむのはいいよな
俺は10くらい暗記してる
不春看渡
覚風花水
到江還復
君上看渡
家路花水 >>460
いや、おまえがどれとか微塵も興味ないから苦笑
単にアンカー先のやつに言ってるだけ
おまえが誰と戦ってんだよって話だわな >>466
ケチをつける気は毛頭ないんだが、中国語で読めるの? 漱石も漢詩が好きでいくつも作ったけど、中国語の平仄辞典を調べながら作ったそうだ。
訓読では平仄は関係がなくなってしまうが、翻訳詩だとすれば、それはそれで楽しめるんだろうな。 これは有名な考えだが
つまりは日本史を貫く唯一の
文語自由詩なんだな
ちなみに漢文そのものは
もともと朗読や演説に対応した言語ではない
これはラテン語との違い >>471
漢詩、というか、中国の詩は声に出さないとその美しさは出てこないだろ?
うっかり意味だけみると、白髪が三千丈かよ、って話になっちゃう。 しないと駄目という感じではないけど
味わい方に違いがあるということ >>473
翻訳詩を否定する気はないけど、味わいについては似ても似つかない。
日本の漢詩の場合は、たしかに、漢語(風の言葉)を使った独自の詩だとはいえるだろう。
中国の(古典)漢詩の朗読は、聞いてみたいとは思う。 >>474
ならいいじゃん
詩としての味わいは違うと書いている
訓読は翻訳だよ
ただ語彙のイメージは漢字として
ダイレクトに日本語と接続している良さはあるが >>475
日本は中国的感性を至上のものとしてきたから、国産漢詩は中国の感性を元にして作られている。
逆にいえば、中国的感性に一体化することでしか、日本の漢詩は成立しないともいえるだろう。
漱石が作ったものでも、漢詩には中国的な感性、英詩にはイギリス的な感性がまとわりついている。
俳句には駄作が多いが、いいものには、比較的自分の自由な感性が出ているとはいえそうだ。
小説や論理的な思考には、国境や言葉の壁をあまり感じないが、感性の直接的な表現である詩には、民族性といった抽象的な感性が表われてしまうような気がする。
やはり、漱石というのは、近代小説の人であり、「則天去私」の人ではないように思う。 >うっかり意味だけみると、白髪が三千丈かよ、って話になっちゃう。
「百万本の バラの花を 貴方に貴方に貴方に あげる」みたいなフレーズに
「どんだけ多いねん貰った方も大迷惑じゃ! あと何回貴方貴方言うとんねん!!」と
素で突っ込むようなものだからな。 >>478
三千丈というのは、音韻と平仄の問題だという説をどこかで読んだな。
確かその説では、三千丈以外に長いことを表わす表現はできなかったとか。 その点日本語の百万は、一千でも一万でも十万でも千万でも代替可能。
なんと自由度の高いポエム適性言語であることか。 ありえない数でいかにも比喩的に
大きな数を表すのは日本語の特徴とは
思えないけどな
ポエム適性というか漢文と棲み分けて
きたから、統治と学問の言葉としての
歴史は120年くらいしかないし >>481
別の見かたもできる。
日本語の定型詩が、音数による韻律でしか成立しないということが、自由であるのか不自由であるのか。
定型詩と否定形詩の問題は、どちらが良いか悪いか、どちらが自由であるか不自由であるかを論ずるのは難しい。
定型とは力と自由、であるともいえる。 茶道みたいに、まず型を作ってそこから創意工夫をするというのが王道だろう。
料理でも何でも、基本をまず押さえないととんでもない代物が出てきたりする。
まともに火が通っていない生臭い(自称)料理を出され、文句を言うと逆ギレして
ヒステリーを起こす女を嫁にしてしまった男は少なからずいるんだよ。
毎日が日曜日どころか、毎日が死の恐怖だ。
型は基本。そこさえ押さえれば可能性は無限大だし、型を押さえない奴は
百害あって一利なし。
その一方で、型に縛りが多すぎるのはまるでロッテンマイヤーさんの指導だ。
たかが娯楽であるポエム創作にガチガチの方など必要なし。味噌汁で顔を洗って
出直した方がいいレベルだな。 唐突に女批判は草しか生えないね
どれだけストレス溜めて生活してるんだっていう
まあ漱石も近代ストレス小説だけど 鏡子が漱石のストレスの種の一つではあっただろうけど、メシマズだったという話はないな。 >>487
夫人への悪口は、そのほとんどが漱石の遺産をめぐる奥さん(名目上は長男)と古参の弟子の感情的な対立から、古参の弟子の一部が夫人の悪口を言っていたことによる。
だから、子供たちは、漱石(父)を悪くは言っても、夫人(母)を悪く言ったことはない。 「朝起きられないから飯の支度が出来ていない」は当時としてはけっこうな悪妻だけどね。
男女の役割分担は明確だし、空腹のまま出勤だ。弁当は後で持ってきてくれたのかねえ。 >>489
夫人は上級官吏の家で何不自由なく育った。
家事一切は下女の仕事。
上級の学校には行かなかったが、自宅で勉学を続けた。
漱石に嫁いでからは、下女も少なく、自分でやらなければいけない家事もあっただろうが、本来は夫人のやるべきことではない。
夫人の姉妹は上流社会に嫁いでいるから、家事などは終生やることなく過ごしたことだろう。
漱石の一流学者としての立場で、上級官吏の娘と結婚した。
夫人も、自分が少しでも家事をやるとは思っていなかったことだろう。 夏目漱石「韓満所感」(抜粋)
「昨夜久し振りに寸(すん)閑(かん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、
筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、伊藤公が哈(は)爾(る)浜(ぴん)で狙撃されたと云ふ号外が来た。
哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツトフオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、
希有(けう)の兇(きょう)変(へん)と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」
「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、
余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に跼(きょく)蹐(せき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんとあるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、
満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、
日本人も甚だ頼(たの)母(も)しい人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。
彼等を眼前に置いて勝者の意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵(ちょう)児(じ)と云はねばならぬ」 >>491
夫人の父親自身も上級官吏で、上昇志向も強かった。
娘は東大卒にしか嫁がせないと豪語してたそうだ。
当時としては、上級官吏の娘と東大卒の高校講師(結婚翌月には教授)という、いい取り合わせだったのだろう。
ちなみに、妹の一人は東大卒の建築家に嫁いでいるし、もう一人の妹の相手は豪商の跡取りだそうだ。
孫の回想によれば、四姉妹はとても仲がよくて、よく漱石家にも遊びにきたという。
特に四女は美少女で、漱石のお気に入りだったということだ。 >>490
『道草』であるように、鏡子の父親は漱石が着崩した背広を有り難そうに貰って帰ったけどね。
今と違って明治大正期の官僚なんて、政権交代の度に顔ぶれが入れ替わったんだよ?
それから、漱石みたいな中流家庭でも主婦が下女を束ねて家事を取り仕切る。排便時の
清拭でさえ下女にやらせる江戸幕府の大奥の姫様みたいなのと勘違いしてないかね? >>494
夫人の父は野心があって、特定の政治家に強く肩入れしていたから、その政治家の失脚とともに没落した。
普通の官僚は、淡々と業務をこなしていたから、アメリカのような政権ごとに官僚が交代するシステムというわけではない。
結婚したころの漱石は中流ということになるだろうが、夫人の実家は上流に入れてもいいだろう。
複数の使用人がいたはずだから、家事などは女中頭格が取り仕切っているのが普通。
漱石に嫁いで、自分でやる家事があったことに驚愕したに違いない。
それでも気丈な人だから、寝坊の文句を言われても、「寝不足で不機嫌に家事をやるより、ゆっくり寝て気持ちよく家事をやったほうがいい」という正論で、漱石を言い負かしたという話もある。 私はその女に前後四五回会った。
メモ
この書き出しは英文の修辞的後方照応から来てるな
或るではない独特な効果があるが
当時は欧文脈の新鮮さと感じられた
のかもしれない >この手記を書き綴った狂人を、私は、直接には知らない。けれども、この手記に出て来る京橋のスタンド・バアのマダムともおぼしき人物を、私はちょっと知っているのである。 硝子戸の中の39好き
結構詰め込んであるけど
そう感じさせないのは素晴らしい
日頃それ情報カード溜めて並べて
書いただろみたいな文章に出会うから
そう思う このスレを読んで学んだのは、漱石を読むとバカになるということ。 読んでもいないのに一体何をしに来たのかな?
他人の心配をする前に君は自分の頭の心配をしたほうがいいよ 2ちゃんねるって変わったやつ多いよね
社会的に生きて生きていけているのか心配になるほどのレベルのね >>507
スレを見に来た
そんなこともわからない低知能なのか
このスレで夏目漱石の話なんてしてないし つまり、君は漱石になんとなく興味が湧いたからスレを開いてみたわけか?
ちなみに、漱石とはほぼ無関係な話をしてるのはいつも一人か二人だけだ
そんな一部を見て全体を知ったような気になるのは君の落ち度と言わざるを得ない
ちゃんとスレを遡ればわかるがそれなりに漱石の話をしている 顧みて他を言う
ここでは通用しない逃げ
まともにやりあうべし いずれにせよ、ルサンチマンの巣窟だ。
楽しく読ませてもらっている。 漱石を読んだことがある人はもちろん、読んだことがない人も、どんどんレスしてね。
政治ネタは荒れるからちょっと勘弁だけど、それ以外なら古典でも戦後文学でも西欧文学でも、少しでも漱石に関係がありそうならなんでもいい。
おれ、読んでないけどあの顔が偉そうで嫌い、とかでもいい。
レスの応酬はスレの消滅に優る、なんちゃって・・・ 猫から明暗まで長編は一応読んだが、まあよくもあれだけ
退屈な小説を次から次へと書けたもんだな。特に明暗なんて
最悪だよ。これが傑作だと持ち上げている奴がいるみたいだが
頭おかしいんじゃないか。無理に一作だけ挙げるとしたら『坑夫』
ぐらいか。 >>516
そんな退屈なのを
読めるお前がすごいわ
おれは大家でもつまらないと感じるのはよまない
だからたとえばトルストイなども多分1冊しか読んでいない >>518
最後まで読み切ってしまうぐらい退屈。
早く読み終わろうとして、一生懸命読んでしまう。 おまえのつまらん書き込みとおまえのあってもなくてもどうでもいい人生ほど退屈ではないけどな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています