>>647
なんだ、降参したのは君の方になっちゃったね。
しょうがないから、代わりに引用してみるよ。

「僕(漱石)先達て赤坂へ出張して寒月君と芸者をあげました。芸者がすきになるにはよほど修業が入る。能よりもむずかしい。」
(明治38年)

漱石も寅彦も、芸者遊びになじみがなく戸惑っている様子がよくわかる。
次男の伸六氏もこのことに触れていて、二人の顔を思い浮かべるとおかしくなる、」といったようなことを書いている。

「「君は舞子を知っているのですか。」と漱石氏は不思議そうに私に訊きいた。」
「私(虚子)たちはその夜は此の十三歳の二人の少女と共に此の一力の一間に夜を更かしてそのまま眠って了った。」
「暁の光が此の十三歳の二人の少女の白粉を塗った寝顔の上に覚束なく落ち始めた頃私たちは宿に帰る事にした。」
(明治40年)

他にあるかも知れないが、このくらいで十分だろう。
いくら明治の後半でも、虚子と漱石がよほどのロリコンでなければ、数えの13歳、満11歳ぐらいの子供に手を出すことはない。
ちなみに漱石は、この舞子に「もう四、五年立つと別嬪になるのだな」と言っていた、とも書いてある。

漱石周辺からの、漱石の女遊びの話を読んだことがない。