三島由紀夫Part54 [無断転載禁止]©2ch.net
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>>794
三島の処女作は『花盛りの森』だろうし、自身の思いも詰まっているように見える。
『仮面の告白』は、いかにも太宰治の影響が強すぎる。
その執筆開始の日に合わせたたとすれば、まるで太宰への後追い心中だ。
さすがに、一度しか会っていない、嫌いだと公言してきた相手の後追いはしないんじゃないだろうか? >>796
何説か知らんなあ
猪瀬のは確かに読んだけど
昔あるだけいろんなのを読んだから
て言うか年号的なものを自身の人生と重ねた信仰的な
思いがあったというのは周知の事柄ではないかな
東大の討論は見る人にもよるんだろうけど
かなり馬鹿にされてる感じがしたし
最後に、現場で対決だなみたいなことを言いあっていて
俺にはとても和やかには見えなかったな
また政治的な立場云々ということよりも
当時の騒然とした中、愛国心で殉死する自分の姿
みたいなナルシズムが根底にあったということ
そうした中で機があっけなく去ってしまい
自分で強引に機会をつくりだしたというのが俺の解釈
これは思想的なことを否定するものではなく、重なりながら
互いを強めながら現実の行動を推進して行ったのではないかと >>798
>年号的なものを自身の人生と重ねた信仰的な思いがあったというのは周知の事柄
そうなの?
まったく知らなかった。
出典は?
>かなり馬鹿にされてる感じ
学生が三島をバカにするのは当然だが、三島自身は百も承知というか、自分で右翼三島をバカにしてたと思うよ。
知識人には左翼が多いから、自分は右翼になったと公言してたくらいだから。
これも、太宰の『パンドラの匣』の一節を思い起こさせる。
>とても和やかには見えなかった
中には本気で三島を右翼だと思って敵対する学生もいたけど、大半は三島の右翼は冗談だと受け止めていた。
三島自身は学生たちに、天皇という言葉が飛び交ったことこそが言霊の力だとか言って煙に巻いていた。
学生の主流は、そうだよね、天皇という指標さえ外してくれれば共闘できるんだよな、といった感じ。
どこをどう見ても、闘いではなく和気あいあいの慣れ合い討論。
僕は三島が愛国心で死んだとは全く思わない。
もっとずっと個人的な感覚にとらわれていたんだと思う。
その意味では、三島は最後まで、太宰の後を追ったといえるかも知れない。 >>799
無理に話を合わせようと思ったけど
やっぱ無理だわwww >>800
なんだかわからないけど、無理しなくていいよ。 要はさ、裸の王様になりたくなかったわけよw
だって、あれだけ時代を批判してるのに、その実、そこからゼニ貰ってるわけだから >>802
>時代を批判してるのに、その実、そこからゼニ貰ってる
論理的にいうと、どういうこと? 口では何とでも言えるけど、行動としての死は難しいからな 人が自ら死を選ぶのは、現実的な困窮や恐怖からでなければ、生育環境を含めた周囲の状況の関係によるんだろうな。
三島は、第一には自分の成育環境への反逆かな。 ノーベル文学賞は、はじめ八〇人が選ばれさらに六人に絞られていた。その中に三島がいる
選考委員は「宴のあと」を英訳で読んでいる。日本文学を理解する人はおらず、一冊の英訳本(しかも都知事選に関連した作)は代表作にはほど遠いもので、その文章までを評価しようとしている。大丈夫か、心もとない。 11月25日から49日が自分の誕生日になる
だからこの日を選んだ説のが好き、豊饒の海読んだ後だと
全集でコラムとか日記読んだけど三島のイメージがいい意味で軽くなった
小説や太陽と鉄だけ読んだり三島研究家の本だけだと重く固いイメージのままだと思う >>810
小説でも太陽と鉄などの評論でも、三島に重く固いイメージはないけどな。 >>812
全く三島知らない頃、初めて見た画像がふんどしに刀、映像だと自決前の演説だったからかも
自分の作品が映画化したの見てつまらなかったとか日記が自分のイメージとはちがって面白いです >>814
三島の右翼的な言動というのは、どこまで本気だったんだろうね?
行動を共にした人たちは、本気そのものだったんだろうが。 思想は人を殺さない
誰も真似が出来ない虚栄心 それが三島だよ 大江健三郎が
三島がアレに失敗して例えば
腹は切ったけど首は大きな怪我ぐらいで終わって
何年間も刑務所に入り首と腹に傷跡を残して出所して
また同じ運動をはじめたら今度はクーデターが成功する可能性が
生まれたんじゃないかと言ってたのはちょっと面白い
多分ヒットラーを下敷きにして言ってるんだろうけど
確かに人を動かすカリスマ性を備えたろうと感じる 三島の小説は意外に登場人物が薄味。
ニーチェみたいなすごい捻くれたようなのとか
嫌いな太宰みたいな弱虫とかがあまりいない。
「美しき星」はなかなかキャラが良かったけど他は・・ >>824
薄味なのしか読んだことないんだね。
代表作からして濃厚なのにな。 >>827
代表作なら金閣寺は屈折した主人公の内面と自己愛、偏執的なこだわり、
見ること、見られること、主人公の孤独な疎外感と懊悩が柏木や鶴川との対峙によって歴然とするだろ。
米兵の女の腹蹴り倒したり、どうあがいても破滅へと向かわざるをえない主人公のどこが薄味なんだよ
仮面の告白なら、セバスチャンコンプレックス、生と死、死を見つめることで生が浮かび上がる
糞尿汲み取り人のわきの下を腋窩の青い草叢とか繁みとか言って興奮したり、
聖殉教図見ながらシコる様を緻密なエクフラシスで描ききってるのにどこが薄味なんだよw
他にもいっぱいあるわ。沈める滝とか盗賊とか。
代表作で薄味っていったら潮騒だな。あれだけはつまらん。 三島小説の登場人物ってセリフの言い方でああ三島の書いた人だってわかる
セリフが綺麗すぎるというか、キザときも罵るときもなんか三島らしさがある
サイン会はもちろんファンには街でもサインしてたらしいけどサイン持ってる人います? >>829
三島はファンも関係者も大切にしたんだってね。
なんだか悲しい・・・ 戦後日本文学ではこれ以上の才能は出ていないな。とてつもない才能なんだが、読後の後味の悪さが自分には性に合わない。 >>834
それほどではないよ。
島尾や大江にはとてもかなわない。 >>835
たしかに一般的にも小説はそれほどでもないと言われているが
島尾? >>837
私は急いでそこに眼をやると何やら昔の年号が彫ってあった。その年号こそは、たれも知ることの出来なかった重大な秘密の鍵の符号ではないか。
私はそう思った。すると、私の眼の前に「つろ」という物質と「おま」という物質がすっと現われてすっと消えた。
「つろ」も「おま」も、どんなものであったかは、ちょっと説明が出来ないが、そのときに私は、その前後して出て来た二つの物質の名前が「つろ」と「おま」」であることを了解した。
(「石像歩き出す」)
三島もこんな文章を書きたかったんじゃないかな。
なお、「つろおます」というオチもついてる。 最後の自決はファンの間でも評価してるの?
自分はファンだけどダサい死に方だなあと思っちゃうけど。 左翼の大物リーダーが
自分達には一人の三島もいなかったことが敗因だと言ってるな
あそこまで体を張った奴はいなかったと >>842
そんなバカは左翼じゃないよねw
左翼は体を張るんじゃなくて、頭を使うんだよ。 火炎瓶投げたりゲバ棒振り回したり公共物破壊したり総括させたり
結構体張ってるじゃん >>844
ほんとだねえ・・・
それなら、やっぱり>>842の大物リーダーは左翼じゃないってことだね。
「あそこまで体を張っ」てるんだもんねw 自決の欠点だけをも語り継いでもいいが、過程でミシマを読んでいくのもいいだろう。
ま 散文読みの方がお薦めだけど。 小説家としての自己評価は低かった、評論や劇でなく、小説が注目されるのは三島には皮肉? >>848
評論や戯曲が三島の真骨頂であることに異論を唱える人は少ないだろう。
ただ、その評論や戯曲と現実社会での行動があまりに適合しすぎていることに、多くの人が違和感を持つ。 三島の小説読んで次にラディゲや川端など三島の好きな作家、身近な作家読んでいって
太宰嫌いだったそうだからあえて避けてたんだが意外と読めるな
三島の彩られた文章や川端の一瞬の美しさをとらえた文章みたいなのは無いんだけど決してつまらなくはない
ファンがいるのもわかる読みやすさ 太宰治については「稀有の才能は認める」としているので評価自体はしている
文学作品とくに私小説を処世の道具として利用したことが許せないとしているだけ
ただ、三島自身が作品と実人生の境界が曖昧になって
ああいう死に方をしたので結局は太宰に過ぎないとも言われている
実際、そうだろうね
ただ、太宰のようにキリストや神を引き合いにして
自分の弱さや劣等感を人間一般のものとすり替え
これをキルケゴール的強さに転換するのではなく
決死の努力で克服して世間に勝とうとしたところが三島の凄いところ
普通の人間は太宰のように自分をごまかして傷を舐め合うんだよ
それを少年のような潔癖さで拒んだところが三島らしい
でもまあ、もののあわれを感じさせる生き方であり死に方だね
三島の哀れさをよく分かっていた同時代人は武田泰淳だろう 三島はトーマス・マンの「小説家は銀行員のような外見をしていなければならない」という戒めを中期くらいまでは実践していたが、あんな派手なパフォーマンスをして、節度ある人は去ってしまった。 >>851
>私小説を処世の道具として利用した
三島がそんなこと言ってるの? 体を張ったというより虚勢を張ったというほうがいいと思うな。
葉隠あたりから死に物狂いの虚勢の張り方を覚えたのだろうか。
そういうところが戦後日本人を集約しているようで興味深い。 三島ファンと太宰ファンは、正反対のようでいて、精神年齢はおなじ幼い >>860
三島ファンの精神年齢が幼いというのは、なんとなく納得できるところがあるな。
軍隊とか組織愛とかの規則性に憧れるのは子供の心理だから。
太宰ファンはどうだろうね?
自分の感性を大切にして小さな日常に価値を見出すというのは、大人の心理じゃないだろうか? >>839
これ読んでみたけど
よくわからなかった
公房とかカフカなのかなと思ったけど
昭和22年って兵隊から戻ってすぐだし
複雑だなあ >>858
実は、三島より太宰のほうがデカくてパワーがある。
三島のパンチは届かないかもw 三島の小説は文体が装飾されてあるだけで中身がない
まさに昭和の森鴎外 鷗外の文章にああいう過剰な装飾はないよ
やはり三島は川端の弟子であり
20世紀モダニズムの潮流の中にいる
太宰治はもちろん三島が評価する私小説作家の川崎長太郎ですら
この流れに属している
三島の場合は若い頃の太宰治のように筆が滑りすぎないように注意しているので
端正で美しい古典的美文だと評価されることがあるが
実際は師匠の川端と同じく前衛文学なんだよ >>866
従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、
五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、
はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。
これのどこが簡潔? >>867
それは一文が長いだけだろう。
現代人にとっては馴染みのない言葉が多いから若干読みづらいけど、
装飾的な要素は「花を見すてて」と「春とともに」くらいで十分すぎるくらいに簡潔。
この僅かな装飾にしたって書き出しの一文だからあるようなもので、そのあとには退屈なくらいシンプルな説明が続いている。 阿部一族 堺事件とか読むと武士とは何者かというのが少し分かる気がする >>868
よそよりは早く咲く領地
晴れ晴れしい行列
南より北へ歩みを運ぶ春とともに
修飾語のオンパレードだけどな。 「鏡子の家」だけども三島はドストエフスキーに匹敵すると言えるだろう。 先月オペラ「班女」
演出がどんなに頑張っても音楽が見事な原作レイプじゃーねぇ・・ >>877
三島自身にも、愛国レイプ、愛国ポルノの趣があるからねえ・・・ 三島が今アルマーニの制服で話題になった小学校のニュースみたらすぐコラム書いてそう 三島は友人のチンポをくわえて満足しているのが1番似合ってる。 >>879
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、国の一員であるにもかかはらず、その国といふものを向う側に対象に置いて、わざわざそれを愛するといふのが、わざとらしくてきらひである。 三島ファンはやっぱり川端も読むの?
今「山の音」読んでるけどなかなかいいかも。
新潮の絶版になった「天授の子」は良かった。 以前、NHK-R1の番組の投稿者に、「平岡公威」というラジオネームの人がいた。しかし、番組内でメッセージを読んだ人も、5ちゃんねるの実況スレッドにいた人も、誰も名前の由来に気づいていなかった。 >>886
三島読み終わるとあの年代の作家読んでみようってなった
「山の音」は三島が書いたんじゃないかって噂どうなんだろ、当時は名前貸すの多かったみたいだし 川端は敬遠してたけどなかなかいいね。
「女であること」なんて三島が書きそうな感じよ。 三島由紀夫から政治性を取り除いて、純粋に文学作品として読んでいる人は、三島ファンの中にどのくらいいるんだろう? 読んでいる人は、安倍内閣の中にどのくらいいるんだろう? >>895
どこの新聞社のことか知らないけど、新聞社に入ろうというくらいの知性があれば、三島の2、3作は読んでいるだろう。
君たちが罵倒する新聞社の人間なら、なおさら知性が高い。 政治性は逆にすごい邪魔。
普通に文学者、哲学者でいてほしかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています