【倫理道徳規範】教育勅語【軍国主義】 [無断転載禁止]©2ch.net
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教育基本法、学習指導要領などとの関連や政治関連の話題もはいるのはしょうがないとして。
最近森友問題で話題になる教育勅語はどんなものか。
使われている言葉や表現を逐語的に見ていきたいと思う。無論どこをあげつらってもかまわないのは大前提。
深読みもななめ読みもあり、にしたい。薀蓄があれば語っていただくもよし。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E3%83%8B%E9%96%A2%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%8B%85%E8%AA%9E
教育に関する勅語のウイキ
http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm
教育勅語原文と現代語訳 「朕」ってのは現代ではあまり使われない。
辞書を見ると、天子の自称。
古代の支那では、一般に、われの意味だったが、秦の始皇帝に至って、天子に限定されるようになったとある。 朕惟ふに…
わたしがおもうのには…
となるけれど、これは但し書きがついて、天子たるわたしがおもうのには、ってことなわけだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A3%E9%9A%8B%E4%BD%BF 遣隋使
倭王から隋皇帝煬帝に宛てた国書が、『隋書』「東夷傳?國傳」に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)と書き出されていた。
これを見た煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿(こうろけい)に
「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたという。
この倭王ってのは、確か聖徳太子だったと思うけど、天子なる言葉は日本でもすでにこのころ使いはじめられている
わけで、当時の国力を考えれば無謀な感じがする。 惟ふ
おもう、と言う読みで使われる漢字は諸橋には54個が掲載されている。
思ふとはどう違うのだろうか?
新潮によると、第一義として、おもいみる、おもんみる、おもう、よく考える、とある。
まあ、思ふよりは程度が強い、含意が感じられる。
朕惟ふに…は
わたしがよく考えてみるに…
ってところだろうか。 https://books.google.co.jp/books?id=sIb28gvdqi0C&printsec=frontcover&dq=%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjC153f8oTTAhXDYiYKHa2DCt4Q6AEIGjAA#v=onepage&q=%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E&f=false
「教育勅語の由来と海外に於ける感化」金子堅太郎
金子堅太郎は伊東巳代治、井上毅らとともに大日本帝国憲法の起草に参画した。
また、皇室典範などの諸法典を整備した人物。 皇祖とは皇室の始祖、つまり神武天皇。
皇宗とは第二代綏靖(すいぜい)天皇以降の歴代の天皇。
と思っていたら、諸説あるらしい。
皇祖「~」なら、天照大神でも、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)でも、神々の総称でもいいと思うのだけれど、
皇祖、と言ったら人の世の始祖、神武天皇だと思うけどねえ。
一応、国史は、神の世と人の世がつながった、つまり神話と人の世の歴史がつながった、日本独自のものなのだから、
境界にあいまいさがあるのはしょうがない。
考えると、古事記や日本書紀に書かれた神話が根拠だもんね。ちょっとすごい。
神武天皇が、実在されたかどうか、なんてことを話題にする学者さんがいるらしいけれど、
所詮完璧に証明することなんてできはしない。残された文献をああだこうだ言うだけでしょう。
安倍ちゃんが籠池氏に100万円渡したかどうかすら、悪魔の証明だと言われるくらいなのだから、
いくら文献があろうがなかろうが、神代付近の話は、語り継がれてきたことを真実と認める以外にはない。
大切なのは、日本国民が初代の天皇は神武天皇だと、広く認識してきたこと。
それこそが、日本の文化なわけだ。
そもそも、今上陛下を「第百二十五代の天皇」と申し上げる時点で、初代は神武天皇(笑
皇宗には、教育勅語をおつくりになった、明治天皇ご自身は含まれないのだろうか?
庶民感覚としては、せいぜい自分の親の代までを言うのではないかと思うけれど、
当時は、現人神(あらひとがみ)だからねえ…。 菅野完「小学校の道徳の教科書、開いた口が塞がらない。『権利と義務がワンセット』とかトンデモ教えてる」 [無断転載禁止]©2ch.net・ [741292766]
http://hitomi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1492768862/ >>7
菅野完って、週刊誌に女性に暴行したことをすっぱ拔かれた奴だろ。
そりゃ、権利ばっかり主張して、義務は刑務所でお勉強しなきゃわからんレベルなんだろうな。
人格破綻している奴が何言ってもダメなのでは?
権利と義務を対概念で教えるってのの、どこが問題なんだろう?
国民として義務があるのは、支那朝鮮でさえ当たり前だと思うけどね。
まあ、開いた口がふさがらないのは、菅野某を見るまともな日本人のほうでしょう。 愛国心はとても大事です。でもそれは天皇陛下によって与えられるものではありません。
なぜなら、今、主権は日本国民にあるからです。天皇陛下は象徴であって日本国民ではありません。
我々日本国民は自らの意志によって我々国民を断固として守らなければなりません。国を守るということ
については
心を一つにしなければなりません。
だからと言って、そのために天皇陛下を国民のために利用することはしてはならないことです。
なぜなら、戦争には例え自衛戦争だとしても負ければ誰かが責任を取らされるからです。
日本国民でもない天皇陛下を利用すれば天皇陛下が責任を取らされる事態にもなるのです。
日本が真の国民主権の民主主義国家ならば国家間の戦争は国民が主体となり責任を取り
日本国民でもない天皇陛下を利用することは厳に慎まなくてはなりません。 >>9
大東亜戦争で、戦犯なんて言葉のもとにリンチが行われたことが、普遍性を持つ、みたいに考えるのは間違い。
過去の戦争のほとんどは、適当なところで手打ち、賠償金と領土分割で終わりだよ。
戦争は、国家間の紛争解決の手段であり、それ以外に紛争を解決する手段はない。
外交で解決できれば、無論いい、のは当たり前だけれど、主張が対立したら解決できない。
拉致被害者が40年も帰ってこれないのは、できもしない話し合い解決をしようとしているから。
あなたが拉致された人、もしくはその家族でも同じ事が言えるだろうか?
だから、言う事を聞かせるために、武力が必要。 戦争とテロってのは全く違う。
戦争は国家間の紛争解決の手段、と言うことは、プレイヤは国家である、と言うこと。
だから、一応のしきたりはある。
宣戦布告なんてのも儀式の一つ。
戦うのは兵士である。これも、当たり前のようで、我々日本人にはピンとこない。
まず、兵士は、遠くからでもわかるような軍服を着なければならない。
ちょっとヘンだと思うだろう。Tシャツにジーパンじゃなぜダメなんだ?と思わないか?
それには理由がある。
非戦闘員=兵士でないもの=民間人=…
と戦闘員=兵士、を区別しなければならないからだ。
つまり、戦争は兵士同士が戦うものである、と言うことだ。
だから、非戦闘員を殺傷するのは、非難される。
まして、非戦闘員をまとめて大量虐殺するような、東京大空襲、広島長崎への原爆投下などは、許し難い行為なわけ。
戦争は兵士がするものだと分かっていれば、日本人は当時のアメリカを強く非難するのは当然だ、と考えられるだろう。
兵士が不足すれば、非戦闘員である民間人もにわか兵士に採用して戦争に参加させる。それが徴兵、徴用などと
言われるもの。赤紙が来る、ってのは、お前を兵士として採用するよ、ってことになる。
兵士は命をかけて外国の兵士と戦う英雄だから、出征=兵士として参戦することは、非常に重要なイベントになる。
国家としては、兵士を鼓舞し、戦争に勝たねばならないので、出征は非常に大切にする。
田舎では出征兵士を送るパレードみたいなものまで行われたところも沢山ある。
見守る家族、親は内心どんなに心配だったろう。けれど、国家のために出征することは、容易には否定できなかった。
注意しなければならないのは、戦争が始まってしまうと、国家=国民全員、と言うことになる。
国家としては戦争に勝たなければならないから、戦争が始まったら、勝利を妨げる者は排除しなければならない。
一方で、敵国にスパイを送り込んで、敵の勝利を妨げるようなことも、戦争の一環として行われるわけだ。 テロは戦争のように、一定の了解事項なんてものがない。
あらゆる手段を用いて、爆破、殺傷、などなどの異常状況を作り出し、それによって社会不安を醸成する。
なぜそんなことをするかと言うと、その時の政権にダメージを与えるとか、国家として独立したいなんてことがある。
テロはすべてがいけないことか、と言うと、そこにはいくつか疑問がある。
たとえば、チベットやウイグルはもともと支那の漢民族とは文化が全く異なる国家だ。
現在は、支那によって侵略され、言語を奪われ、漢民族の支配下におかれる奴隷状態になっている。
もともと、チベット国のチベット人、ウイグル国のウイグル人、であったのだから、独立したいと思うのは自然だろう。
かといって、支那の人民軍と交戦できるような軍隊組織は作れない。
だから、独立運動を起こす。
支那の漢民族は、それをテロと言うわけ。
どちらに正義があるかは言うまでもない。
北朝鮮が日本人を拉致し、ミサイルで恫喝するのとは、かなり違うことがわかるだろう。
異民族の場合は、チベットやウイグルのように比較的善悪の判別が容易だけれど、同一民族内部での紛争は
部外者にはよくわからない。中東の各国の紛争のは、それに宗教対立やイデオロギも加わって非常に複雑だ。
米露中などの軍事大国が、武器などを供与して、代理戦争の様相まで呈しているので、平和は絶望的にも見える。 万人が戦争やテロはイヤと思えば、戦争やテロは起こらない。
忌まわしいことが起きるのは、それを望む人がいるからだ。
では、誰が戦争やテロを望むのだろう。
一番分かりやすいのは、武器商人、武器製造者だ。
武器を売る者は地球上からテロや戦争が消滅したら商売あがったり、だから戦争を望むことはわかるだろう。
武器製造者も、戦争やテロがあると、武器を作って売れば商売になるのだから、利益を得ると言う観点だけからみれば、
戦争やテロは利益を上げるのだから歓迎できる。
しかし、たとえば日本において、武器を作って売っている、と言えば、企業イメージはガタ落ちだろう。
ここは考えどころなわけ。
日本が侵略されたときに兵士に何を持たせる?竹やりがいいのか?
もし、外国が兵器をもって侵略してきたら、少なくともその兵器と同等以上のもので迎え撃ちたいとは思うだろう。
だから、平和を望むのなら、敵が攻めてきたくなくなるような武器を持つのが一番いい。核兵器がまさにそれなわけ。
それに、近代に入って科学技術が発達したのは、軍需産業が作り出すものが民間に転用されたもの、と言うのが大きい。
黎明期のコンピュータがまさにそれだ。
戦争を望む者で忘れてはならないのは、国家の意志決定レベルにいる者だ。
自国の外で戦争やテロが行われていれば、警戒するための軍備増強がしやすくなるし、国民の、危機に対する
結束力も相対的に強めることが、比較的容易だろう。
まあ、日本のように危機意識もなく、朝鮮人のいいようにして〜、的な国家国民はまれだろうな。
現状の、そこに、現実に、危機がある事態になっても、態勢は先進国では最低なのではないかと思う。 _/::::::::ソ::::::::::::::゛'ヽ、
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/::::::::,,ヽ"` "ヽミミ:::::::::::ヽ ミミ彡=ミミミミミミミ,,
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\/⌒ゝ' " ノ/ i\ `|:i | | /´}!| `-=・=‐∧'-=・=‐' 川ミ
ノ ノ⌒,- ),、 ,ィ_____.i i i/ | | / / !| _ !!ミ
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人 ノ \/ ` ̄´ / ハ_>Jノ l | .\ `ヽエエノ ソ
/::::\__/:::::::ヽ ` "ー−l_ 〉 / ト-____-ノ 入
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自民・石破茂前地方創生担当相「責任の一端、私にも」
なら責任とれよ。言葉が空疎でしらじらしい。こいつも首相候補だそうだから爆草
朕??爾臣民ト?ニ拳??々服??膺シテ咸其コヲ一ニセンコトヲ庶??幾??フ
民よ、共に歩もう、って姿勢が有り難い。 日本は天皇陛下の権威、時の政権与党の権力、の構造になっている。
明治天皇の教育勅語は権威が出したから、道徳規範として成立する。
では、権力はまず、道徳規範を提示しうるか?それは否、だろうな。
政治家は汚いことも平気でする連中である。
その際、道徳規範なんぞは忘れなければ身動きできなくなるからだ。
権威⇒教育勅語=倫理道徳規範
権力⇒法律
この構造は非常にわかりやすく、腑に落ちる。 http://www.sankei.com/column/news/170712/clm1707120005-n1.html
「教育勅語」は教育に悪影響のみを与え、肯定的に扱う余地のまったくないものか
日本漢字能力検定協会代表理事会長・高坂節三
日本教育学会をはじめ、教育学に関係のある17の学会が6月16日、「政府の教育勅語答弁に関する声明」を発表した。
先の国会で政府が、「教育勅語には普遍的な価値が含まれており、
日本国憲法及び教育基本法等に反しないかぎり教材として使用できる」とした答弁に対するものである。
これに対して、声明文の中では、「教育勅語は、戦前・戦中に君主たる天皇が『臣民』に対して
国体史観に基づく道徳を押し付け、天皇と国家のために命を投げ出すことを命じた文書」であるとし、
「歴史的資料として批判的にしか使用できないものであり、
普遍的価値を含むものとして肯定的に扱う余地はまったくありません」などとしている。
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日本語もロクに読めない教育パヨクの世迷言。 国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと敷居の低いものの様にに見えます。
現代では政府が詐欺を行い徳義心はありません。
だから平和な時にこそ高い個人主義に重きを置き、安寧の未来への想像と戦略をねらなければいけません。
国家と道徳
https://youtu.be/6nuED3QIJhk テロを語るより、通信株なんかを買っとくといいんじゃないかな。 カエセタケシマ
カエセセンカク
カエセホツポウリヨウド 日本人なら教育勅語は不要ではないか!
なぜなら教育勅語の徳目を生まれながらに備えてるに決まってるぞ 戦争やテロの方が常態テンションあがるし、何もない平和な日々よりも
交戦中の方が法律もランク上。 人を奴隷として扱う者こそ、奴隷として扱われるにふさわしい。
生きものを物として扱う者こそ、物として扱われるにふさわしい。 教育勅語を始めとするサムライゼーションが、
急ごしらえの後発国民国家の近代化に必要だったことは論をまたない。
急進的な国家主義の暴走が後の敗戦を胚胎していたとしても。
またその内容が、近世以前から育まれた当時の国民感情を著しく逸脱するものであったとも思えない。
ベクトルが間違っていたのではなく、歯止めのない行き過ぎが問題だったのだ。
敗戦によりその価値が全否定されたことで、社会の溶解は進み
寛容の名のもとに誰が誰に寄りかかることもできない、誰を尊敬することもできない社会になった。
教育勅語が今の社会状況に有効だとはとても思えないが、
今現在無条件に信じ込んでいる価値観を疑えないままだと、誰も救われない世の中は変わらない。
これは能天気に大衆を啓蒙するサヨク以外なら誰もが心の底に抱え込んでいることだ。 儒教では君子による小人の教導も統治の一環であり
国家とは祭祀機能を根源とする社会統治だから
旧文部省が教部省、神祇省をルーツとするのはそういう事だよ
それと近代国家でも啓蒙という形で社会統治を行うし
デュルケームやフィヒテでも似たようなアプローチをする
ただ天皇を頂点とする個人崇拝様式だと日常生活における倫理規定には不十分で
本質的に法哲学者であった青年時代の岸信介が上杉法学経由で
ドイツ観念論などに接近した理由でもあるわけさ
まあ、大衆レベルでは極端な形での天皇の個人崇拝で終わったけどね
大衆に対して観念論に基づく啓蒙など無理だし
かといってお手本としての君主がいても難しいだろうね
まあ、三島由紀夫が指摘するように
ファシズムですら成立しない思想的荒蕪地ではあるので
天皇システムの再構築が提言された
その橋頭保として教育勅語が有効かどうかは議論の余地がある
(これは勅語の効用を否定を意味するものではない)
と同時に日本大衆の民度の知能・倫理性も検証されなければならない
これは割と簡単だと思いますが ekB8wQFKが言っていることは要するにポストモダンの右転回で終わる まあ、三島の文化天皇制はポストモダンの先駆けとも言われているからね
ただその場合文化規範、つまり「型」あるいは「様式性」に基づく美的なものだから
教育勅語のような命令にはならないし、
近代国家がその成員に要求する内面的倫理規範にもならない そもそもポストモダンは歴史主義からの右旋回的なものだからね
保守化が進むのは当たり前だよ
ただ、教育勅語の復活を標榜する「保守」はこれとは違う
明らかに倫理的団結による国家国民の共同が目的なわけだ つまり自分を肯定するニヒリストといういわゆるなろう系というわけだ 國憲を重んじ、國法に従い、
日本国憲法第9条こそ
神が我々に与え給うた世界に誇る平和憲法 天皇だって同じ人間なんだぜ。常に一言一句にいちいち深い意味なんか込めるわけないだろう。教育勅語は深い意味なんかない
文章だぜ。 ニッポン人が規範とすべきは教育勅語ではなくて、慶安の御触書 DJ軍歌 MC勅語 でレコーディング。プロモ。障害教育庁で。 兵安。としとく方がたかられ覗かれ犯されない。新選組という治安警察が、神仙組
という病院職員と。 軍人勅語のほうが。しかし教職もつまらないね。講義だけは。 師範や教授、まあ教育大なんて補完があればみんな無理できるけど。 しかし人事の面で法律の介入や病院の介入が無いほうが。 そういう意味で警察病院というのは優れていませんか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています