【文芸時評 東京新聞】
ミヤギフトシ「アメリカの風景」 村上春樹『騎士団長殺し』 佐々木敦

さる二月に例によって鳴り物入りで発売された村上春樹の新作長編『騎士団長殺し』について、
文芸各誌が評論を載せている。『新潮』が椹木野衣(さわらぎのい)と上田岳弘(たかひろ)
(同誌は先月号にもいしいしんじが長めの書評を寄せていた)、『群像』が清水良典、
『すばる』が杉田俊介、『文学界』が小山鉄郎と鈴村和成と山崎ナオコーラと佐々木敦、
『文藝』は通常の書評枠だが田村文(あや)と、さながら『騎士団長殺し』論バトル・ロワイヤル状態である。
自分も「参戦」しているので滅多(めった)なことは書けないが、さすが村上春樹というべきか、
論者によってかなり異なった読みが開陳されていて、あらためてこの国際的人気作家の多面性を思い知らされた気がする。

文学界新人賞受賞作の沼田真佑(しんすけ)「影裏(えいり)」(『文学界』5月号)が、思いのほか読み応えのある秀作だった。
医薬品を扱う企業の岩手支店に勤める三十過ぎの男性である「わたし」が、もとは同じ職場で、
たびたび二人で釣りに出かけたりするほど親しかったのに、先方が転職して以後はあるきっかけから疎遠になっていった男が、
どうやら思っていたのとはかなり異なる人間性を持っていたということを、東日本大震災をきっかけに知ることになる、
という話だが、新人にしては相当に達者な文章で綴(つづ)られる清冽(せいれつ)な風景と
魅力的な釣りの描写に気を取られていると、「わたし」の以前の恋人が性同一性障害者の元男性であることが
極めてさりげなく述べられたり、日浅というその友人の悪(あ)しき「正体」を語る実の父親が披露するエピソードが、
一体どういうことなのかさっぱりわからないものだったり、そもそも「わたし」が日浅に抱く感情が