純文学5誌総合スレ第61巻目 [無断転載禁止]©2ch.net
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純文学5誌総合スレ第60巻目
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主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。
応募者の小説のUPや、その感想を書いたり、推奨されていた「まだ見ぬ新人へのエール」は、荒らしが横行しているため基本的にNGとします。
れつだん先生をはじめ、ワナビやKindle作家の話題は禁止です。
多くの人が理解しうる言葉で書き、有益な議論のできる空間にしましょう。 高橋は戌井みたく「次はもっとよくしろ」「作風かえろ」と
選考員にハードルあげられて消えそうな雰囲気 >>586
戌井は直木賞行けって言われてたからエンタメ向きだったのだろう。 物語の終盤、坊主頭の同級生に「気持ち悪い」と言われたあみ子が、
「どこが気持ち悪いか教えてほしい」と頼む場面があります。
彼女はこの同級生に憤っているわけではありません。
純粋に「教えてほしい」と好奇の気持ちに従って尋ねただけ。
ですが同級生は、固く引き締まった顔をしながらも目を泳がせて、
「そりゃ、おれだけの秘密だ」とはぐらかしてしまいます。
人をナチュラルにあみ子扱いするのはNG こちあみとかもう7年も前の作品いまさら語られても。 文学界新人賞の選考委員に東が入ったんだな。
何の役にも立たない机上の空論を並べて有望新人の作品を潰す予感。
なんだかなぁ〜〜〜。 東浩紀というとフランス現代思想のバックグラウンドがあって漫画やアニメ、SFの人というイメージだが
もともと批評家としてはソルジェニーツィン試論でデビューしている
最近ではドストエフスキーを読んでいたらしくロシア文学には割と造詣が深い
ただ、日本文学の教養があるのかどうかは不明で自他ともに認めるロリコンである >>593
応募者は最終選考に残ることが最大の目標だから
なぜならそこから先は運で、そこに行くまでが実力だから 最終選考で落とされた後にもう一回新人賞に送って受賞デビューした作家っているの? >>596
それさ編集者審査員が無能って事じゃね一回落として次作良かったらデビューっておま >>596
今村友紀という同時に二誌の最終選考に残った天才がいる
ちなみにこのときの受賞は上田と今村 今村は完全に東大医学部の経歴によるものだから天才じゃないよ
クリスタルヴァリー酷かったじゃん 円城塔って小松左京賞の最終選考で落とされなかったっけ?と思って調べてみたら
小松賞落とされたんだけど編集に見込まれてデビュー。その後に群像新人賞で二次通過、文學界新人賞を受賞って感じだったのか
というかデビューした後に新人賞って取れるんだ 太宰賞なんか芥川賞候補になった作家が応募してたり、他で受賞した新人が受賞してるよ。 今年の太宰賞ひどかったな。
選考がなかなか進まなかったわけだ。 >>592
サイトだと男性表記になってたけどやっぱ女性か 小谷野敦比較文学者 @tonton1965 5時間5時間前
『本の雑誌』の西村賢太の日記で『芝公園六角堂前』の書評に文句言ってるんだが
あんな出がらし同じことのくりかえし小説集を出しておいてよく言うなと。 >>532
そこで突っ込まれてから、比較文学者って表示になってるね(苦笑) >>537
文學界5月号が普通に買えるようになってる。
一万もつけてたやつ馬鹿だったなw >>609
小谷野は西村のこと好きだと思ってたけどな
西村は小谷野の本読んで「かなわない」と言われたとよく持ち出すしさ 小谷野先生太宰賞出してみたらー
先生の小説結構好きじゃわ。 蓮実重彦の息子さん亡くなられたんだね。
まだ若いのに。 東浩紀ってSF小説も書いてたんだな。
文學界新人賞もSF度高くなってきた感じだ。
そういえば、今年の候補に月面娘ってSF作品残ってたもんな。 又吉直樹の時もたしかそんくらいの枚数だった気がする
取らせたい作家ならなんでもアリだろう
たべるのがおそいに引き続きトリッパーからのノミネートとなると、文春社としては相当取らせたいと思われる 枚数は250枚以内だよね
それ以上の枚数のが候補になっても、受賞はいままでなかったよね? 該当作無しが妥当だが、主催者の今村推しがハンパない >>610
近年だと候補になったのは
第149回いとうせいこう「想像ラジオ」260枚
第146回石田千「きなりの雲」295枚
第142回舞城王太郎「ビッチマグネット」303枚
があるけどいずれも受賞を逃してる
遡れば、
第51回柴田翔「されどわれらが日々――」300枚が受賞してる 火花224枚
コンビニ人間205枚
死んでいない者211枚
長め作品のほうが受賞有利なのは確か。
短いのはそれだけで不利だから。
星の子は枚数多いけど、それを感じさせないほど読みやすい。 あの選考委員たちが影裏と四時過ぎを評価できるとは思えないね 芥川賞作家・羽田圭介がミュージカルに初出演「ライバルは子役」
6/26(月) 17:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170626-00003016-bunshun-ent
「オファーをしてくれたプロデューサーの方は、テレビの僕を見て下さっていたようで
『羽田さんが出てくれたら面白そうだ』っておっしゃってましたね」
芥川賞を受賞して大ブレイク。文学の世界のみならず、テレビでも大活躍を続ける作家の羽田圭介さんが、
またも新境地を切り拓く。初演以来、少年少女に絶大な支持を受けてきたミュージカル「スコア!」に今夏、
出演することが決まったのだ。
「さすがにミュージカルの経験はありませんから驚きました。舞台ってやっぱり“生モノ”で、
推敲や編集の手が入らないっていうのは、小説の世界じゃ経験できることじゃないですよね。
いつも小説以外の仕事のオファーを受けるときに考えていることですが、今後の自分の糧になればいいか、
とギャラは気にしないで種蒔きのつもりで引き受けました」
演技経験はほとんどなし。学生時代も文化祭などで舞台に立った記憶はないという。
「テレビドラマには出してもらったことがあって、その時はかなり素の自分に近かったのでそれほど苦労しませんでしたけど……。
歌うだけなら全然行けそうな気もしてるんですよね。なにより一番気になってるのは子役。
幼いのにずいぶん熟練してるって聞いたので、強いていえば、子役がライバルですかね(笑)」
INFORMATIONミュージカル『スコア!』
会場:三越劇場(東京都中央区日本橋室町1-4-1 日本橋三越本館六階)
日程:8月17日(木)〜20日(日)までの全7公演。
現在チケットが発売中。7800円(全席指定)
http://score-musical.com/ 星の子はたしかに読みやすいがちょっとペラペラ感があるんだよな まあ、今村の作品は全部そうなんだが
純文学に求めるのはこれじゃないなっていう
するっと読めて深みがある物語を書くにはかなりの知性がいるからな 古川真人があっさり受賞してしまったら、上田岳弘や高橋弘希の立場がないな。 高橋は器用な小品しか書かないし
上田は肉のスープに拘りすぎていたし
ふたりとも期待されていたけど成長してないだろ
それなら若い古川に期待しようとなって当たり前 >>643
いや、前作より読みやすくなり成長している 候補があの4作ならどれが受賞しても納得するし、受賞作なしでもやっぱり納得する >>642
上田さんの塔と重力は今までと違い、肉の海ではなく普通の文章で普通の話だった。
風呂敷もきちんと畳んであったし。
それを考えると選考委員的には肉の海のほうが好みだったのかなと(苦笑)
震災ネタだったから影裏に枠を譲ったのかもしれないけど。 >>646
上田が肉の海を手放したのは割と最近だが次は塔になったというね
震災ネタはもう古くなってるから枠なんてないだろうし影裏の方が良い評価だったのでは
物語は退屈だが筆力はあったし あら、ID変わった
だが、影裏の受賞は難しいだろうな
二作目に期待しよう 釣りの話(影裏)が受賞するわけないって。山田さんに叩かれるよ
今村じゃないかな。相当割れるだろうね >>648
塔の話は去年グランタでも書いている。
今期の作品はSF色がなくなっただけ。 塔と重力7月31日発売。
指の骨 文庫 7月28日発売。
4時過ぎの船7月31日発売。
この3人は新潮でも別格扱いか。
真ん中の子供たち7月26日発売。
星の子は発売中。影裏は予定なし。 石原千秋の時評は、この文章量しか文芸誌掲載作について言及してなかった。
2017.6.25 10:57【文芸時評】
7月号 早稲田大学教授・石原千秋 決断するストレス
http://www.sankei.com/life/news/170625/lif1706250032-n1.html
今月の文芸雑誌で一番面白かったのは、文句なく関川夏央と御厨(みくりや)貴の対談「『ポスト平成』の日本と世界」(文学界)である。
その理由も含めて、一番驚かされたのは、北朝鮮の人々は「むしろ戦争を望むのではないかな」という関川夏央の発言だ。
これだけでも十分読むに値する対談だ。
御厨貴は日本の大物政治家と深く付き合いながら、平気で彼らを批判するのだからなかなか得難い人材だ。
「政治において一番大事なことは、決定して実行すること」なのに、民主党政権はそれができなかった。
首相の仕事は「他所で本当に持て余した解決不可能な情報が『これは官邸に投げよう』ということで入ってくる」
のを捌(さば)くことである。こんなことはサラリーマンなら日々経験しているはずだが、
世事に疎い大学教員は役職にでも就かないと身をもって知ることができない。
僕は前の大学でナントカ部長を経験したが、まさに決めることが最大のストレスだった。
「長」には絶対になってはならないと悟った。
まだ連載中だが、三浦雅士「言語の政治学」(群像)の「『明暗』の主題は、承認をめぐる闘争である」というテーゼにはピンと来たし、
漱石はこの主題に『彼岸過迄』でほぼ気づいていたというのにも同意する。僕が最近刊行した本で、
『明暗』は無意識を見せびらかす「現代人」を書いた小説だという趣旨のことを論じたのは、こういう意味だったと気づかされた。 >>657
こないだの文學界のインタビューの写真かわいかったな。
美人女医になると思う。 長良たん、経歴完璧だし平成生まれだし
謎の古語文体だったり
獲ってたら話題になってただろうな 医者やりながら小説書いていきたいとか次元が違うと思った。 >>661
そのふたりはちょっと違うけどな
ただ、専門職につきながらやってる作家は腐るほどいる
海外だと、『紙の動物園』のケン・リュウなんて弁護士でありプログラマーでありながら、翻訳業と作家活動をしている 医者やりながら作家って人はたくさんいるけど、京大医学部の受験勉強の
気分転換に小説書いて新潮新人賞を受賞してしまうという驚異的なところが
別格なんだよ。 長良に嫉妬するやつ多いんだな。
まあものすごい高スペックだから仕方ないか。 都知事やりながら書き続けてた石原慎太郎の方がずっとすごい 仕事しながら小説書く人はたくさんいる。
京大医学部現役合格のために勉強しながら新潮新人賞に受賞するレベルの作品を書くことは並大抵のことではない。 長良が芥川賞とれば平成生まれ初の受賞になる
前回「みずち」が候補にならなかったのは残念だったな 毎日新聞文芸時評 6月 言葉の誠実さ 審判受ける緊張感=田中和生
https://mainichi.jp/articles/20170628/dde/018/070/014000c
町田康の最新長篇(ちょうへん)『ホサナ』(講談社)は、代表作の『告白』(二〇〇五年)や『宿屋めぐり』(〇八年)
といった長篇の次に位置するという書きぶりだが、納得できない。人気作家である町田は、わたし自身も含めて
文芸ジャーナリズムから厳しい批評を免れてきたが、そうした環境が『ホサナ』の弛緩(しかん)を生んでいる。
たしかに鬱屈を抱えた主人公が、饒舌(じょうぜつ)な言葉で語られる世界で右往左往するという内容は、町田作品では
お馴染(なじ)みだが、言葉のあり方はかつてとは違っている。
犬を飼う語り手の「私」が、冒頭で波瀾万丈(はらんばんじょう)のバーベキューを経験すると、
次の場面で「六百坪の庭」を眺めている。しかしこの広大な庭には、具体的な描写がまるでない。もし作者が、
「六百坪の庭」という言葉からすぐそれをイメージできる読者に向けて作品を書いているなら、その数はかなり限られている。
またそれが言葉だけのものでたいした意味はないと言うのなら、作品の後半で展開される「死」や「生」をめぐるドラマも、
言葉だけのものでしかないことになる。
■ ■ (つづき)
ここに欠けているのは、作品の言葉が読者に審判されるという緊張感だ。高い文学的な評価を得てきた作家による
作品の書き方として、厳しく批判されるべきだ。そのような意味で乗代(のりしろ)雄介の中篇「未熟な同感者」(『群像』)は、
小説の言葉が言葉に過ぎないという場所から誠実に作品の世界を立ち上げようとしていて、素晴らしかった。
語り手の「私」はゼミナールに入ったばかりの大学生だが、そのゼミの「先生」が語る内容が太字で記述され、
それが「私」について語られた部分とならべられ、次第に文学的としか言いようのない空間が見えてくる。
学生が四人しかいない不人気ゼミの「先生」は、フローベール、宮沢賢治、カフカなどの人や文学について語りながら
書かれた言葉が読者にとって切実なものになるという、すぐれた文学作品の根源にある「書く」と「読む」が重なる場所について、
独白するように考察を深める。その間「私」は、驚くほど美貌のゼミ生「間村季那」と友人になり、
その「間村」を熱っぽく見る男子学生「野津田慎吾」、さらにその「野津田」に思いを寄せている「道中あかり」と、
ゼミでの時間を過ごす。
■ ■ (つづき)
印象的なのはサリンジャーをめぐる「先生」の考察と、「私」がもう亡くなっている叔母の存在を重ねる「間村」との、
同性同士のどこか官能的な関係だ。表題の「未熟な同感者」とは、読者に審判される言葉を差し出しながら
「書く」と「読む」が重なる場所をめざす、作者の心構えを表現している。若い書き手による清新な文学宣言として、
強い説得力があった。一方、そうした心構えに一つの理想的な回答をあたえているのは、
金井美恵子の作品集『カストロの尻』(新潮社)だ。
作者自身の声が聞こえるエッセイ二篇に、岡上淑子のフォト・コラージュ作品を冒頭に掲げた六つの短篇が挟まれた、
不思議な形式をもつ作品集だが、語り手の「私」は徹底して「思い出す」人である。その脱線をくり返すおしゃべりのような文体は
、読者が唯一作者と共有できるフォト・コラージュの印象と呼応し、そのまま美しい芸術作品のようだ。
芸術的なおしゃべりとはほとんど形容矛盾だが、読んでいると読者に存在するはずのない「私」の記憶が、
ありありと甦(よみがえ)ってくる。
作品の中心にあるのは、無数の物やイメージや出来事に埋もれている、不安と期待に満ちた少女だったころの「私」の感覚だ。
それはフォト・コラージュのイメージのように、かつてどこにも存在しなかったが、しかしたしかに言葉によってそこにある。
その作品集では、一行ごとに「書く」と「読む」が重なる場所が現われ、読者の記憶のなかに消えていく。プルースト的な快作だ。
鴻池留衣の中篇「ナイス・エイジ」(『新潮』)は、匿名掲示板で大量に言葉が消費される、インターネット時代の
「書く」と「読む」が重なる場所を描く。掲示板で実在が論じられる、真偽不明の「未来人」と同居することになった
主人公「絵里」は、自分の生活を「書く」と同時に反応を「読む」。そこからリアルな、SF的世界が動き出す。 >>674
でも結局凡作だろ
過去の文豪は受験制度なんてないし、空いた時間で好きな教養を身につけられるから傑作が生まれた 又吉だって芸人やりながら小説書いてる
コンビニ人間の作者もコンビニ店員やりながら小説書いてる
凄いことじゃないよ 逆に無職ニートから作家デビューしたのって
たなしんだけじゃね? 候補作、文芸時評でスルーされてるなw
口の悪い石原に無視されるくらい冴えない作品ばかり?
今回は該当作なしかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています