>>469
作家にワーッとなっちゃうほうなんでしょうね。ハードロックファンでは
なくてゼッペリンおたく、モダンジャズ好きではなくマイルス者、ファンク
好きではなくファンカデリックきちがい、といったように、ジャンルで
レコードを聴いたりすることもなく、ひたすら演奏家を追っかけてましたた。
ナントカ派とかカントカ主義みたいなのもよくわからないんです。
好きな作品のことを調べて「それはナントカ派である」みたいなことが
わかっても、そのナントカ派を全部読もうとするととんでもない手間なわけです。
「…さらにその過程でドウチャラ運動に関わった誰それが同人に加わり…」
なんてことになるとお財布も頭脳も追いつかない。
時代の出来事や社会のありようと作品の関係も、後から知って、なるほどと
思うようなことが多かったですね。オトナになってからはなるべく年表を
横に置いて本を読み始めるようになりました。
人と時代、社会や事件と作品というのはわかちがたく結び付いています。
そうしたことどもの関係を知ることは作品の鑑賞に深みをもたらします。
そうしたことを後から知って、そうか!と膝を叩きながら、ああちゃんと
勉強すればよかったなあといつも思うんです。私にはこの辺のバランスが
偏ったとこがたしかにあります♪

時代ならではの一致みたいなものはあらゆる分野にあります。たとえば
こないだからよく出しますスティーブングリーンリーフのジョンタナーと
ジョンラッツのアローナジャー。この二人に、ほぼ同時期に「深夜の囁き」と
「深夜回線の女」という名作スリラーがあります。どちらも当時の電話を
使用した性的娯楽サービスを縦糸に、訳ありの悲しい女を横糸にしたお話。
今の、家電もなきゃネットでポルノ見放題、裸見せてもらって待ち合わせ
時代にいきなり読むと、ナンじゃ?って感じですけど、当時Q2や伝言ダイヤル
やってた私は「おお〜お…」なんて言いながら読んでました♪
これから20世紀の探偵小説を読む人は、電話やファクシミリ、ウィンドウズ
革命以前の文化を学ばなくちゃいけませんね。こんなことが考証になるとは…。