【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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大江健三郎と山口昌男
柄谷 さっき蓮實さんが言ったことでつけ加えたいのは、戦後のインテリは大体労働運動というものを
バックにしてたわけです。六〇年代の三池闘争が最後ですよね。六〇年以降は高度成長とともに
組合運動の再編成があった。つまり労働組合は経済機構のなかに組みこまれたわけです。
インテリの運動は労働運動と関係なくあるはかないということが、
六〇年代の半ばまでに確立したと思う。
左翼運動というものを何かの具体的な達成や利害と結びつけなくなったわけです。
だからいわば祝祭的になっていく。あるいは神話的な上部構造のみが注目される。
経済的構造だとか貧困問題とかは考えられなくなっていく。
三浦 そうでしょうね。だけど、六〇年代でも、ぼくはその頃高校生だったけど、
それでもなお、一九四五年とか、五〇年とか、あるいは六〇年というところまでの、
敗戦、労働運動、反戦闘争、安保闘争っていうのは、祝祭に見えてたわけです。
そういうふうなのが革命であり祝祭であり云々と。で、六〇年代というのは
それが全部だめになっていく過程です。
完全に一種のブルジョワ化というか、高度成長になっていって、
吉本さんの『言語にとって美とはなにか』の言葉で言えば、全部解体していった、と。
それがシラケたというかね。
浅田 逆に、そうだからこそ、祝祭としての文化革命といったことが
仰々しく唱えられたとも言えるわけでしょう。
三浦 そう。それでさっきのタイムラグがあるんだというような話をぼくは面白いと思ったわけです。
浅田 実際、全共闘世代の当事者というわけではないけれど、津村喬みたいな人は、
山口昌男風の祝祭論とか、そこから孫引きされたようなある種の構造論とかを
言っていたわけじゃない?
高山宏なんかも『道化の民俗学』のコピーをバリケードのなかでむさぼり読んだなんて
嬉しそうに書いているくらいだし。
三浦 そういうことになるね。 柄谷 だからそれで言うと、大江健三郎の『万延元年のフットボール』は、一九六〇年の安保闘争を
百年前の一八六〇年、すなわち万延元年の一揆とひっかけたわけでしょう。
これが六七年に書かれた。
むろんもっと前から構想されたと思うんですけど。それはすでに安保闘争を、
労働運動とか経済的な下部構造とかっていうそんなレペルじやないところでとらえようとしている。
だからぼくはその後の全共闘運動よりも、大江健三郎の想像力のほうが優位にあると思う。
文学は勝つという感じがする(笑)。
蓮實 それは六八年五月がそれを予感させたゴダール一人に負けてるってのと同じだと思う。
三浦 それはそうかもしれない。大江健三郎の想像力に関して言えば、『万延元年のフットボール』には
「スーパーマーケットの天皇」っていうのが出てくる。山口さんのなかには
「スーパーマーケットの天皇」は入ってこないんじやないかなってところがある。
浅田 だから意地悪い見方をすると、大江健三郎がもう山口理論の可能性の中心を出すとともに
ディコンストラクトさえしてしまっていて、それを単純化して理論化すると山口理論になる。
三浦 というか、大江さんと山口さんは合致するというのが、ぼくの解釈だった。
それで特集を組もうと思ったんだけど、だれもわかってくれなかった。
柄谷 それは当人たちもわかっていない(笑)。
三浦 大江さんも山口さんも、当時はそういう気にはならなかった。
柄谷 それはそういうものでしょう。 浅田 大江健三郎はその後で山口昌男から学んだと思いこんでしまったわけだから、
この誤解たるやすごいよね(笑)。
三浦 そこに逆説があるわけだ。本来、山口さんのほうがそれを言っていいくらいの話だったわけでね。
蓮實 それは大江健三郎は山口昌男の文章が読めたけど、山口さんには
大江さんの文章が読めなかったということです。
柄谷 「文学の優位」を証明したんじゃないですかね。
三浦 しかし、民俗学とか文化人類学とかは、ほとんど文学の変種だとぼくは思うけどね。
蓮實 違います。文化人類学は「文化」的な科学であって断じて「芸術」だりえない。
この違いは決定的なんです。そして、大江健三郎は徹底して「野蛮」であったがゆえに、
あるいは「愚鈍」と呼んでもいいけど、ときには「文化」的な寄り道をしながらも文学に固執し、
意識することなく可能性の中心を射ぬいていたのだ。 La Chinoise, Jean-Luc Godard (Türkçe)
https://vimeo.com/187713067 >>327
これを言葉遊びだと思うとか
よっぽど馬鹿なんだな この程度を言葉遊びと受け取るんなら
ボードレールやマラルメ、ランボーなどの
いわゆる象徴派の詩人たちの詩などもチンプンカンプンなのだろうw
まあ、そもそも何かを意味すること自体を拒絶しているといえる詩なわけだけどw >>327-328
「王様の服が見えない奴は馬鹿」ってやつか この程度が読めず理解できないなんて救いようがねえよw >>332
ソーカル以後の言論とはとても思えないな >>334
>>323-325は90年4月の季刊思潮に掲載された「近代日本の批評」での座談の一部で
ソーカル事件(96〜97年にかけて)よりかなり昔の座談会なうえに
ソーカルは科学用語の誤用を批判していたのであって
そもそもこの引用文は全く関係ないだろw
おのれが単に批評が読めないというだけにすぎんw ソーカルごときのような単に科学用語の誤用を指摘しただけの
どうでもいいお人をいまだにありがたがるアホは救いようがないw
要するに単に批評が読めないだけだろw >>335に読解力がないことがはっきりした
ソーカル以後の言論と言ったのはこの座談会についてではなく>>332の書き込みについてだ >>337
要するに低次元な屁理屈と当てこすりをやりたいわけね >>338
蓮実は低次元の当て擦りばっかりで嫌になるね >>332のレスが
具体的に何のレスを指示しているのか不明だったからとでも言いたいのかなw 大江健三郎が安保闘争を経済的な次元とは違った地点から中心と周縁という図式を乗り越える想像力を見せたという議論だけども
具体的にどういうことなんだろうね
とてもそうは思えないんだけどね
後付で文学が学術を上回っていたとか言われてもね >>342
あんたがそう思わないのは勝手だが
大江健三郎が山口昌男の理論的影響で
作品が図式的になったとこれ以外にもよくいわれているのは事実
>浅田 だから意地悪い見方をすると、大江健三郎がもう山口理論の可能性の中心を出すとともに
ディコンストラクトさえしてしまっていて、それを単純化して理論化すると山口理論になる。 >>344
妥当ではないということを証明すれば?
こちらは現状、単に批評がそれなりに読めるという程度でしかないし
心身の疲労・体調不良の改善の見通しが全く立たないため
当面少なくとも数か月以上、何もする気がないのであしからず >>345
君の体調なんか知らん
「言い負かされました。ごめんなさい」と言ったと見なす。 大江が理論を知らなかったから図式に収まらなかったというだけで
理論しったら図式に収まっちゃったわけだから
文学が学問を超えたとはいえない この人は「凡庸な芸術家の肖像」に出てくるマクシム・デュ・カンさんかなw 誰かを輝かせる「凡庸」な人々は
社会にとって必要ではあるから存在するのはいいんだけどねw 凡庸なものは必要ではあるから凡庸さを恐れて思いけないとは思うがw 凡庸さはある意味必要なんだから
それを恐れずに頑張ってくれw たとえそれがただ単にかませ犬や踏み台で終わってしまう
凡庸なものでしかないのであっても
観測気球的役割を果たす人物は必要ではあるけどねw
例えばビル・ゲイツのマイクロソフトの踏み台になったものがどれだけあったことかw
もちろんそれは事後から振り返られた視点から見た事象であって
そのマイクロソフト自体も今後どうなっていくかわからないけどねw 6連続レスの人は、蓮実用語としての凡庸の意味を勘違いしていると思う。 >>354
>>353のレスは確かに凡庸とは主旨が違うけど
一応留保付きで言ったつもりだが?
別にビル・ゲイツが凡庸ではないとは言っていないよ 結果的にかませ犬や踏み台になってしまったという事例を挙げただけ もちろん自分が凡庸ではないといいたいわけではないけどねw 凡庸凡庸と蓮實用語を振りかざす人に向けて浅田が言ったのが、
「貧乏人は蓮實の真似するな」なんだよな
「土人」発言に並ぶ浅田名言 でも、蓮實さんも、何かの文庫の略歴に「学生時代の浅田彰に誤訳を
指摘された手紙を貰う」というのを載せてたけど東大総長になったら
同じ文庫の新版の略歴ではその部分は削ってたよね 蓮實のエピゴーネンというと金井、渡部、松浦、阿部か >>360
どのような文脈で言ったのかも考慮せずに
浅田の言ったことを引用するのはいかにも頭が悪そうなレス丸出しだなw
その浅田当人はエルヴェ・ギベールをめぐっての座談会で
臓器提供の意義を語った同時期に千里救命救急センター事件の話が噂の真相に掲載されて
これはヤバいと思ったのか座談会で臓器提供の意義を語ったことや
千里救命救急センター事件については言及はせずに
臓器提供についての意見を修正していた間抜けだけどなw >>363
アンカ訂正
>>359
どのような文脈で言ったのかも考慮せずに
浅田の言ったことを引用するのはいかにも頭が悪そうなレス丸出しだなw
その浅田当人はエルヴェ・ギベールをめぐっての座談会で
臓器提供の意義を語った同時期に千里救命救急センター事件の話が噂の真相に掲載されて
これはヤバいと思ったのか座談会で臓器提供の意義を語ったことや
千里救命救急センター事件については言及はせずに
臓器提供についての意見を修正していた間抜けだけどなw 脳死・臓器移植の歴史
1993年10月、大阪千里救急救命センター
53才男性が「脳死」と判定。家族が臓器提供を要請されて承諾。
患者は心停止前に腹部切開され、心停止後に移植用の肝臓が摘出された。
また、患者が説明を受けていない皮膚までも大量に摘出されていた。
http://classic.music.coocan.jp/_opinion/contents/noshi-hist.htm
献体と言われたのに、ほとんど全身の皮まで剥がれた
ちゃんと説明してくれてたら、私は、断れたかも知れない
大阪府立千里救命救急センター事件(1993年)
臓器提供者の母親(83歳)の訴え
「家族の強い希望で臓器提供」報道は、まったくのウソ
この事件は臓器移植法(1997年・平成9年)が成立する4年前の、1993年(平成5年)10月に起こりました。
http://sun.ap.teacup.com/souun/91.html?rev=1 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:87f20c3c9ee883ab649a4d7f8b996d63) >>359
「貧乏人」がどの程度の貧乏を想定しているのか、文化的貧困も込みなのかよくわからない。 浅田は淀川長治や蓮實重彦の真似をせずに愚直に分析しろと言っていたのだから
それ以上でもそれ以下でもない 映画批評家で淀川の真似してる奴なんているのか?
蓮實虫でも誰かが言ったように
「(蓮實に)くっついてるだけでは駄目だし、離れるとバカになっちゃうし」
な場合も多いが
批評から研究に転じたりまともな者もいる。
蓮實への反発やら本人の生活の為に転向した者は数え切れない。 貧乏人は通常の貧乏人という意味ではなく
精神的・心理的貧困という意味だろう 淀川の真似は誰かを想定していっていた(言及はしていたか?)と思うが
誰かはここでいうつもりはない 浅田の暴言はみんなすぐに腑に落ちて笑っちゃうと思ったらここの「貧乏人」ときたら…w ここまで読者が大真面目というか馬鹿になっちゃうと批評家も大変だな。
世間の炎上騒ぎとかも笑えないよ。 蓮実の文章には東海林さだおのエッセイのような軽妙さを感じるときもある 東海林さだお(1937年10月30日 - )
B級グルメ
蓮實重彥(1936年4月29日 - )
B級映画 誰が凡庸で誰が愚直なのか解釈でどうにでもなるからな
蓮実を「凡庸」だと解釈できるし
逆に「愚直」であったとも解釈できる
どうとでも言える議論だよね 本当の貧乏人が蓮實重彦になりきってたら世間から注目され
一般的には無名な蓮實がその貧乏人のそっくりさん扱いされる展開を希望します。 蓮實も春樹は結婚詐欺とか訳わからんこと言うてるやん Wikipediaの「結婚詐欺」の記事見たけどひどいね
脚注
1.比で41歳邦人男を逮捕 結婚詐欺事件で捜査
2.国際結婚詐欺団大量に摘発
このソースから
>日本や韓国の男性がアジア諸国の女性に国際結婚を持ちかけ、査証支給費用などの名目で金銭を騙し取る事件が発生しており[1][2]
って記述だったのが
218.45.67.76が
>中華民族(中国・台湾)と朝鮮民族の男性がアジア諸国の女性に国際結婚を持ちかけ、査証支給費用などの名目で金銭を騙し取る事件が発生しており[1][2]
と書き換えてしかもソースそのままという 229 :名無シネマ@上映中 [] :2017/11/07(火) 00:01:24.24 ID:MIAJTNkY (1/2)
資本主義と死の欲動 〔フロイトとケインズ〕単行本 2017/11/25
ジル・ドスタレール (著), ベルナール・マリス (著), 斉藤 日出治 (翻訳) 藤原書店
https://amazon.co.jp/dp/4865781501
フロイトとケインズが看破した「資本主義」の自己破壊への道
貨幣とは病的欲望の対象であると指摘したフロイトに応答し、世界恐慌のなかで、経済成長は
「死の欲動(タナトス)」の先送りだと看破したケインズ。二人の天才のメッセージを通じて、
経済的な「自由」の拡大とされる現代のグローバリゼーションが、実際は自己破壊のリスクの
際限ない拡大であることを示す。ケインズ研究の大家と気鋭のエコノミストによる野心作。
2015年シャルリー事件で殺された経済学者ベルナール・マリス(『資本主義と死の欲動』)は
ゴダール『ソシアリスム』冒頭に出演していた。
http://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_Maris
http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/
…
<第1楽章 こんな事ども>
(地中海の月明かりで)黒々とした海面。
経済学者ベルナール・マリス「(オフ)お金は公共財産だ。」
アリッサ(アガタ・クーチュール)「(オフ)水と同じ?」
マリス「(オフ)そうだ。」
同パンフ採録シナリオより
230 :名無シネマ@上映中 [] :2017/11/07(火) 01:05:49.70 ID:MIAJTNkY (2/2)
Фильм социализм Film socialisme 2010 godar
ベルナール・マリス
https://youtu.be/MTQJuyeSKgA?t=1m 声だけ
https://youtu.be/MTQJuyeSKgA?t=18m 逆光だが… 蓮實は荷風のことを「凡庸」と言いつつ荷風はいいですよと言ってた。荷風の文章は蓮實も川端や横光みたいには切り捨てきれない。
蓮實は「愚鈍」な谷崎より荷風に近いな。 永井荷風(1879年12月3日 - 1959年4月30日)
植草甚一(1908年8月8日 - 1979年12月2日)
小林信彦(1932年12月12日 - ) 『近代日本の批評』では唯物論、唯物論て言ってたのに。日本の知性は終わったのか。 集英社文芸書
山岡ミヤ氏 『光点』
蓮實重彦さんのお言葉を頂戴しました。
担当編集ですが、このお二人のお名前が並んでいることに
ずっとびっくりしております。
皆さま『光点』ぜひお読みくださいませ。
http://pbs.twimg.com/media/DXr9RuhVwAAq8SS.jpg
2018年3月7日 いまだに新人の小説を読むなんてすごいね。
読んでみようかな。 蓮實さんは小説や映画に美術の絶えず新しくあるみたいな前衛は求めてないんですかね? 「近代日本の批評」でも文学に前衛など必要ないと確かいっていたと思う 前衛が格好いいと言って許されるのは大学3年ぐらいまでだろう
そこらへんで卒業しないと道を踏み外す 「前衛」の必要性は認めつつ…
という保留つきの考えに対して現在の風向きは悪い。
それに苛立って「現実参加」した連中が醜態さらしながら
お前らは優雅なつもりで高みの見物決め込んでるが、そんな時代じゃないだろう
と吼えたてても
コツコツやっていく事を放棄して良いわけではないし
彼らのパフォーマンスは世慣れた素人レベルだ。 これはある意味タイムリーな出版といえるかな?
『増補 革命的な、あまりに革命的な 〜「1968年の革命」史論 〜 』
ちくま学芸文庫
2018-05-09
解説 王寺賢太 映画時評2009-2011
出版社: 講談社 (2012/5/29)
夏目漱石論 (講談社文芸文庫)
出版社: 講談社 (2012/9/11)
「ボヴァリー夫人」論 (単行本)
出版社: 筑摩書房; A5版 (2014/6/27)
「私小説」を読む (講談社文芸文庫)
出版社: 講談社 (2014/9/11)
「ボヴァリー夫人」拾遺
出版社: 羽鳥書店 (2015/1/5)
凡庸な芸術家の肖像 上 マクシム・デュ・カン論 (講談社文芸文庫)
出版社: 講談社 (2015/5/9)
映画時評 2012-2014
出版社: 講談社 (2015/7/9)
伯爵夫人
出版社: 新潮社 (2016/6/22)
陥没地帯/オペラ・オペラシオネル
出版社: 河出書房新社 (2016/7/27)
監督 小津安二郎〔増補決定版〕 (ちくま学芸文庫)
出版社: 筑摩書房; 増補決定版 (2016/12/7)
ハリウッド映画史講義: 翳りの歴史のために (ちくま学芸文庫)
出版社: 筑摩書房 (2017/11/9) フローベールよりジャン・ルノワール
プルーストよりゴダール
漱石より小津 ジョイス、ベケット、ヌーヴォーロマン、ゴダールの実験はなかったことにされるのはどうなんかね? 茂木健一郎
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンの素敵さについてネタバレしないで語るのは困難だがやってみる。
あれは、結果として、失われた時の隠された意味に覚醒するというメタファーとなっている。
少年が映画技師と過ごした時の意味が、甘い復讐となって人生に福音をもたらすのだ。
東浩紀
学生時代、この映画について蓮實重彦に質問したら、鼻で笑われたのを思い出した。
あのあたりからシネフィルが嫌いになったな。。
2018年3月17日 東さん、四方田からもバカにされてたよな
かわいそうに >>402
バカにする方に「も」問題があるのでは? 馬鹿にする人が多い映画だから仕方がない
浅田彰や福田和也なども馬鹿にするんじゃないの? ま、あれは普段から映画館通いしていない奴らにとっての名作だからな 自分も映画館通いはほとんどしていないが
それ以前にニューシネマパラダイスはそもそも見たことが一切ないなw
蓮實重彦が貶しそうな内容の映画はだいたい想像できるけどw まだVTR時代の頃にゴダールの「中国女」などを
深夜にテレビで見たことがあるけどねw
さすがに詳細は忘れているがね
そのほかそのころ(つまりVTR時代)に
レオス・カラックスの「汚れた血」
ドワイヨンの「ラ・ピラート」
トリュフォー「恋のエチュード」
侯 孝賢「恋恋風塵」
エドワード・ヤン「牯嶺街少年殺人事件」などを深夜にテレビで見ている
「恋恋風塵」は2〜3回深夜テレビで見たかも?
レンタルビデオで借りて見ていたかもしれん
「牯嶺街少年殺人事件」はテレビで2〜4回ぐらい見たかな?
レンタルビデオで2回くらい借りて見ている
ゴダールの「勝手にしやがれ」や侯 孝賢の「悲情城市」も
一応テレビで見てVTRで録画もしていたが
全部見ていたかははっきりしないな
侯 孝賢「冬冬の夏休み」は見ていたのかは判然としない
クリント・イーストウッドはテレビでいくらでもやっていたから
いくつも見ているな チェン・カイコーの「黄色い大地」もそういえば見ていたなw
ビデオを借りて見たのか深夜にテレビで見たのかはハッキリしないがw しかもそのころは今よりも映画について
訳が分からない状態で見ていたなあw >>407訂正
「恋恋風塵」は2〜3回深夜テレビで見たかも?
レンタルビデオでも借りて見ていたかもしれん 成瀬巳喜男のモノクロの「乱れる」もそのころに見ていたな
カラーの「乱れ雲」は少し前に見たけどw >>411
VTR時代云々ってことですが、おいくつのかたですかにゃ?
いかにもシネフィルぽくない映画も挙げてよ好きなのとか DVDレンタルが普及したのはps2が普及した2000年代以降 自分はゲームは基本的にやらないからps2は買ってないけどね >PlayStation 2(プレイステーションツー、略称: PS2)は、
2000年3月4日に発売された家庭用ゲーム機。
発売元はソニー・コンピュータエンタテインメント
(略: SCE、現: ソニー・インタラクティブエンタテインメント)。 ニューシネマパラダイスはダウンタウン松本が好きなんだって。 そうなのか
ニューシネマパラダイスを今の今まで見たことがなかった自分は
運に恵まれているのかな? 単にアンタは映画が好きじゃないだけだろww
あの映画をどう評価するにしても、映画好きなら
あれほどの話題作を見ていないはずが無い
しかし、あの映画がカンヌに出品された時の審査員長が
シネフィルのヴェンダースで本当によかった
そうじゃなければ何ともおぞましいことにあの映画が
パルムドールを受賞していただろう >>421
そもそもニューシネマパラダイスが話題になっていたこと自体全く知らないw
ニューシネマパラダイスが公開時の年齢では
今のネット時代ならともかく、その当時の年齢では知りようがないw
蓮實重彦の名前自体その当時知っていたかも微妙w
そもそも映画に興味を持つようになったのは
批評を読むようになってからのち
ついでに蓮實重彦の映画批評を読むようになったからであって
映画好きなら数百本見ているのが当然という蓮實重彦の立場では
映画好きではないということになるんだろうけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています