【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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寺尾次郎(1955年もしくは1956年 - 2018年6月6日)
手がけた字幕翻訳は、劇場公開作だけでも200作を超え、
そのほかにも多くの映画祭で上映作品の字幕翻訳を手がけている。
デッドゾーン/ デイヴィッド・クローネンバーグ 1983年 /1987年
ラ・ピラート/ ジャック・ドワイヨン 1984年 /1989年
遠い日の家族 Partir, revenir/ クロード・ルルーシュ 1985年 /1989年 ル・シネマ開場第1作
アタラント号 L'Atalante/ ジャン・ヴィゴ 1934年 /1991年
美しき諍い女/ ジャック・リヴェット 1991年 /1992年
欲望の翼/ ウォン・カーウァイ 1990年 /1992年
ゴダールの映画史/ ジャン=リュック・ゴダール 1988年 - 1989年 /1992年
1992年5月20日 - 5月21日、『ゴダールの映画史』の邦題で1988年、1989年に先行して発表された1Aと2Aが、
『第一章 すべての歴史』、『第二章 単独の歴史』としてWOWOWで2日連続放映された。
ローラ Lola/ ジャック・ドゥミ 1960年 /1992年
新ドイツ零年/ ジャン=リュック・ゴダール 1991年 /1993年
ゴダールの決別/ ジャン=リュック・ゴダール 1993年 /1994年
映画というささやかな商売の栄華と衰退/ ジャン=リュック・ゴダール 1986年 /1994年
勝手に逃げろ/人生 ジャン=リュック・ゴダール 1981年 /1995年
モンソーのパン屋の娘 La Boulangère de Monceau/ エリック・ロメール 1963年 /1996年
万事快調/ ジャン=リュック・ゴダール 1966年 /1996年
ポネット/ ジャック・ドワイヨン 1996年 /1997年
SHOAH ショアー/ クロード・ランズマン 1985年 /1997年
美しきセルジュ Le Beau Serge/ クロード・シャブロル 1957年 /1999年
ラ・ジュテ/ クリス・マルケル 1962年 /1999年
はなればなれに/ ジャン=リュック・ゴダール 1964年 /2001年 字幕監修山田宏一
ある子供/ ダルデンヌ兄弟 2005年 /2005年
TAXi4/ ジェラール・クラヴジック 2007年 /2007年
そして、私たちは愛に帰る/ ファティ・アキン 2007年 /2008年
ロルナの祈り/ ダルデンヌ兄弟 2008年 /2009年
我が至上の愛〜アストレとセラドン〜/ エリック・ロメール 2007年 /2009年
ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女/ ニールス・アルデン・オプレウ 2009年 /2010年 Voice 7月号
「映画にとってタバコとは何か」蓮實重彦 蓮實さん茶坊主にもうちょっと人の道も教育しといたほうが良かったですね >>515
>映画批評の頂点に立つ蓮實重彦氏の「たばこと映画」をめぐるインタビューを見逃し
>てはならない。
https://www.php.co.jp/magazine/voice/
PHPのウヨ雑誌に蓮實が登場とは、これは編集者の趣味なのか?
蓮實フォロワーはこの記事だけの為にこのウヨ本を立ち読みor買うのか?
、、自分もわざわざは読まないかも、、(別にフォロワーでもねえし、、)
>>519
蓮實自身はさすがにセクハラとかする人ではないが、、
ただ「人の道を教育」、、さすがにそこまでは面倒見切れないでしょ、、
蓮實はいっけん厳めしいが周囲にフォロワーが集まってくる事には無頓着な面がある。
だから結局は「蓮實一派」みたいになってしまう。
茶坊主、、結局、渡部は永遠の文壇ワナビーなんでしょ。蓮實とか中上健次とか後藤明
生とか、自分が憧憬している相手のフォロワー・友人になる事だけで生きてきた。
筒井康隆だって実は昔はファンだったみたいなね。
そんで結局は若い女の子をコマし損ねて恥さらしか、、ブンガクネタ(サブカル教養ネタ)
で女の子をナンパ、、
やってる事がそこら辺の高校生・大学生みたいだね、、イマドキそういう若い衆がいるのかも分からんが、、 「諸君」には浅田彰も蓮實さんも出たことあるよね
蓮實さんは大学関係のインタビューだったかな 浅田はPHP発行の雑誌でテクノグループのPanasonicが改名させられたことに触れた硬骨漢 恥を知れと泣きながら渡部直己を殴り続ける蓮實重彦
絵になるね! spartacus
@accentdeverite
このマッチョ主義への共依存が「文壇」だとも言いたくなるが、問題は、テクスト論の「繊細な読解」とマッチョ主義の同居にこそある。
テクスト論者は自分が語るのが「荒唐無稽な」「フィクション」であることを忘れれば、ただちに凡庸なテクストの「真理」の代弁者(権威主義者)に堕すからだろう。 蓮實=渡部の批評に潜むマッチ主義は検証されねばなるまい 蓮實に「黙れ、この隠れマッチョ!」と批判するのは有効かどうか 渡部といえば蓮實エピゴーネンの代表
蓮實も大学総長までやったんだからなんかコメント出す責任あるんじゃないか? 申立書によると、女性は2016年、早稲田大文学学術院に入学。
渡部氏に授業の聴講を促され「俺が入学させてやった」などと言われた。その後も作家や作品の評価を巡り一方的にののしられるなどした。
昨年4月には「作品をみてやる」と大学近くの飲食店に呼び出されたが、渡部氏は作品の講評はほとんどせずに「俺の女にしてやる」と複数回迫ったという。
女性は取材に「嫌われると将来がなくなると感じ、ずっと我慢していた。本当に許せない」と訴えている。
蓮實はさすがに自身の美的趣味を絶対化しつつも学生の趣味はそれなりに尊重するよね? 堀禎一:映画に撰ばれた人 得体の知れない繊細さ この本からも漂うそのニュアンス
(「週刊読書人」2015年9月4日、第3105号、7面)
https://pbs.twimg.com/media/DFA5cVtV0AE6wdW.jpg
「知」的放蕩論序説
蓮實 重彦 (著), 渡部 直己 (著), 菅谷 憲興 (著), スガ 秀実 (著), 守中 高明 (著), 城殿 智行 (著)
出版社: 河出書房新社 (2002/10)
「バルトも知らないなんてのは、張り倒す以外にないでしょう。罵倒してもいい。……。
いじめて泣かせる以外に手はないですよ」(P.138-139) 科学的真理ならともかく個人的趣味を権力的な教育の場で学生に押し付けるって許されるんですか? 蓮實のニュース聞かないな。
渡部を罵倒ぐらいして元気をアピールしたらどうなんだ?
或いは渡部の若さを羨むのも良い。 蓮實にそこまでマッチョは感じないけど蓮實のエピゴーネンは途端に偉そうなマッチョな権威主義者みたいになるのはなんでなんかね? >>539蓮實が業界の権限を振り分けるから。その代わり振り分けられた側が実力を見誤って小粒になる。渡部しかり阿部しかり黒澤清しかり 蓮實の次の総長はいろいろ改革して評価高かったみたいだけど、蓮實総長はどうだったの? 黒沢は蓮實の力でポジションを獲得したわけではない。 蓮實は早い段階で自分の間抜けなエピゴーネンに俺の真似するなって一喝すればよかった。 一応渡部は飼い犬なんだから飼い主として一言ぐらい言う義務はあるだろうに 東京のおっさん(ガラケーおじさん)
TOHO日比谷で『万引き家族』。良作。
川の船、親父の手品、女同士のお風呂、散髪などなど前半であまりにも『泥の河』が再生され続けるので、
どう展開するのかと思っていたらちゃんと是枝節に。
泥の河ラストを意識したバスのシーンはさすがにやりすぎと感じたけど面白かった。
2018年6月20日
泥の河 (1981年)
万引き家族(2018年) 「唯野教授」や断筆宣言などを文芸時評や対談などで
否定的に論評していたのにねえ
もちろん渡部直己がかつて評価していたレベルでは評価していたんだろうけど Kentaro_SUZUKI
@suzuken2002
渡部直己の「相手が学生であることを忘れてしまう」という言い方の元は、蓮實重彦流の「映画」なり「テクスト」へのにじり寄りでしょう。
蓮實はまた、駒場寮に住む学生が「学生であることを忘れる」かのように、彼らを弾圧・追放もした。蓮實重彦問題から渡部直己問題を見ることは必要不可欠と考える。 同時に、他者への想像力と心配りも持たなければなりませんでした。
物書きとしての未熟さゆえに、関係者の皆様に多大なご迷惑をおかけしてしまったことを、
改めて深くおわび申し上げます。 ずさんなテキスト読解によって、教授と学生の関係の脱構築に失敗しちゃったね 先生-生徒という固定的な身分に規定された文脈を掻き乱す、仄かな恋の予兆を繊細な注意力によりさりげない身ぶりや言動の中に嗅ぎとったとしても、
現実には何も事を起こさず、相手を実際に口説いたりもせず、「そうであったかもしれない可能性」として自分の中に大事にしまっておくこと
テクスト論者は、実生活ではこうした変態紳士であるべきだな テクスト論の背景にユダヤやイスラムのセックス至上主義があって、それが自慰で性欲を抑制することを阻んでるのではないか?
彼等の割礼は息子の自慰を防ぐためにできた習慣だ。
日本のフェミニストは童貞を馬鹿にするが、哺乳類の世界ではオスがセックスであぶれるのが普通なのだ。
だが、文明国ではポルノやストリップその他風俗があり、男性がそこで性処理を盛んに行うため、強姦犯罪が減ってるという現実を重く見るべきだろう。
イスラム人は短絡的に自慰よりもセックスを選ぶから強姦が増えるのか?
渡部直己なども年も年だし、僅かな性欲を自慰で散らすのが自然だと思うが。 蓮實も修士でヌーベルクリティック風の論文書いて仏文の先生方に叱られてソルボンヌに提出した博士論文はヌーベルクリティックと全く関係ない日和ったやつだったんでしょ。
教授連に抑圧されてやりたいこと出来ない学生の気持ちはわかると思うんだが。 東大の表象文化系は何でアニコニズムの研究者がいないのか。
まあ、俺は世界の秀才たちを追い抜いてアニコニズムの問題を解いてしまった。
だから、天才を自任してるんだがw 白江幸司
安倍体制支持を口にしたものを蛇蝎のごとく憎みそうな左派が
確信的右派である蓮實を容認してるのはマジで謎なので、
昔っからの共和党支持者であり事あるごとに民主党にdisを飛ばし、
映画に民主党っぽさを見つけたら攻撃をしてた蓮實の政治的立場を明るみに出す作業を望む。
トランプの尻馬にのってメリル・ストリープを攻撃するのって、
要は日本における「杉田はやめなくていい、蓮舫しね」の対応物っしょ。
田中秀臣と同程度の右派ってことにしとけやと言いたい。
政治的立場への怒りを「才能ある芸術家は差別的だからいいじゃん」みたいなことで済まされてもなあ。
それ、現状では表現規制反対オルトライトが通ぶるときの常套句なんだが。
蓮實は割とわかりやすく右派アピールしてるんだが、あれやっぱり気づかれてないのか…。
民主党要素のある監督(オリバーストーンなど多数)は一律拒否だし
彼の映画監督選抜って才能主義以外の文脈操作がある。
大統領交代のたびに肯定的/否定的言及はやってるし、むしろあからさまなはずなんだが…。
要は国内政治にコメントをあまりしないから気づかない読者が出てくるってことなんだろうな。
読者の教養のなさをうまく防衛に使ってる
2018年7月25日 あれ?確かにオリバー出てきたころはクソミソだったけどJFKあたりから評価してなかったっけ?
まあキャプラに対しても「ニューディール政策的な理想主義には涙一つ流れない」的なことを言ってたし(うろ覚え)
ゴリゴリの右派なのは間違いない。
ただし、民主党的左派に対する軽蔑はまぎれもないものでありながら、
小川紳介とかストローブ=ユイレとか50年代ハリウッドの左派映画人には惜しみない賛辞を送っているので
「才能主義以外の文脈操作」ってのは違うな。
ハスミンは才能を認めながら評価しなかったり、
逆に才能がないと思いながら、政治的スタンスをもって評価するということもないので。
それならセシル・デミルとかエメリッヒとか褒めてるはずだろw
もっとも柄谷行人にはそのあたり本当はどう思ってるのか聞いてみたいが まあこの程度のなまくらな攻撃では、ハスミンはかゆいとも思わないだろうね。
日大の理事長の首とるよりも難しいよ。言論でハスミンを退治するのは。 ハスミンはほっときゃ腐っていくだけw
古いものを捨てて顧みないのは世界の昔からの常。 早大、教授のセクハラを認定「俺の女にする」愛人発言など
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000212-sph-soci
早大は27日、女子学生に対するセクハラ発言などで文芸評論家の早稲田大文学学術院の渡部直己教授(66)を解任したと発表した。処分は同日付け。
早大によると、渡辺教授は退職願いを出していたが、調査中のため受理せず解任の処分を下した。
渡辺氏は調査委に対し、セクハラなどの事実関係を認めており、一連の行為について「反省をしている」などと話したという。
調査委員会で認定した事実関係は以下の通り。
〈1〉本人や周囲の学生が気づくほど、足元を見つめる
〈2〉外見について『かわいい』と告げる
〈3〉頻繁に2人きりで食事に行き、自分が箸をつけた料理を食べさせる。食べているものを取る
〈4〉指で肩や背中を押す、頭を触るなどの接触行為
〈5〉私用の買い物を頼む
〈6〉『卒業したら女として扱ってやる』、『俺の女にしてやる』と発言
〈7〉ほかの学生がいる教室で授業中に雨でぬれた服を着替えるよう指示し、本人に『裸だったらどうしようか』と告げる
〈8〉ほかの学生に対するセクハラ行為や業務上知り得た個人情報をほかの学生の前で発言
早大は以上の事実から「本学教員としての適格性を欠き、改善は期待できない」と判断し、解任した。
また、女性は別の教授にセクハラ被害を相談したが、口止めされたと訴えている。早大は同事案についても調査する、としている。 >>560
>〈3〉頻繁に2人きりで食事に行き、自分が箸をつけた料理を食べさせる。
>食べているものを取る
そういえば鳩山邦夫が秘書に食べ残しの魚を食べさせて問題になったが
こういうのも世間的にはハラスメントと受け取られるのだろう
仲の良い友人や恋人以外はやったら駄目なんだな
まあ、渡部自身は仲良しと思っていたんだろうけど 元弟子はこういう風に書いてるけど
電車の中で、当該の記事を読んだときは、頭を抱えたくなった。「渡部先生、やってしまったか」というのが偽らざる感想だった。
渡部直己がある種のスケベ親父であることは、周囲の人間は皆知っている事実だったからだ。
もっともスケベ親父であること、つまり、飲み会の席で下品なギャグを飛ばしたり、他人の恋愛事情に興味津々であったりすることは、
嫌われたりバカにされたりは避けられないとしても、それ自体で罪ではない。
しょうもないが愛すべきおっちゃんだ、という判断はありうるだろう。実際、私にとってはそうだった。
飲んでいるときの渡部直己は、批評家や教員としての評価とは切り離して、「しょうもないが愉快なおっちゃん」だった。
プライベートの渡部がどういう人物かなんて俺はさっぱり知らんかったけど蓮實は普段はどういう感じなのか興味出たw >>556
そういえばスターリン時代に平然と映画を撮っていたことで知られている
アブラム・ロームを高く評価していた
>アブラム・ローム「帝政ロシア時代に生まれた人、大体ハワード・ホークスと同じくらいの年」
「実にうまく共産党と妥協しながらも、最後までメロドラマを撮り続ける」 それにメリル・ストリープに関してはトランプが出てくるはるか以前から
酷評していたのだから仕方がない >そして『未来への迷宮』(アブラム・ローム)だが、当時のソ連で公開禁止となったこの奇妙な傑作は、
モスフィルムのような国策(「社会主義リアリズム」)にそったスタジオではなく、
帝政ロシア時代から続いていた小さなスタジオ(ある意味、資本主義的な)で撮られている。
スターリン時代にこのようなスタジオが存在したというこの事実にまず驚かざるを得ない
(ちなみに蓮實氏はこのスタジオに関する研究書を持っており、
この講演に持ってこようと深夜まで書架を探したが見つからなかったとのこと)。
ただしこのスタジオも1935年には閉ざされることになる。
この映画の、湖畔の大邸宅に住む医学博士の妻がやおら裸体となり、
湖に泳ぎに行く冒頭のショットから見る者は驚かされるが、
その彼女に惹き付けられた若者たちがその周りでいつどのような踊りを見せるのかを
ぜひ見てもらいたい。ハリウッドを真似たとしか思えない豪華な装置なども出てくる
(水に浸された巨大なダンスフロア!)。
http://hj3s-kzu.hatenablog.com/entry/20060318 マクシム・デュ=カンまたは凡庸な芸術家の肖像では、蓮實は1850年の写真家という
職業の登場とポルノの関係に触れてないだろ?
これは俺にいわせりゃイメージの根本的な批評としては致命的な欠点なんだな。
古代より、イメージの創造は最初からポルノの生産と密接に関わって来た。
インドのヤクシ、近東のイナンナ、アシェラ、これらの女神裸像に割れ目が
表現されてるか否かはポルノかどうかの判断基準にもなるだろうが、大体は
描かれてる。
デュカンが近東の旅から多分持ち帰ったであろう売春婦やベリーダンサー達の
ヌードがフランス上流社会の男達を狂喜させたことは先ず間違いない。
それに彼が使ったカメラはダゲレオタイプじゃなくてカロタイプで、両者は
機能が全然違う。 日大の内田理事と同じで、能使だったんだよ。
事務処理に長けている、とかさ。
だいたい、いろいろめんどくさいわけよ、誰かがやっとかなきゃいけない仕事だけど、
俺が別にやらなくても、というのをやってくるから。
あいつにやらしとけ、って重宝するわけ。 >>567
マキシム・デュカンは風景写真しかとっていない(人物写真を撮る技術がない)ことを知っていますか?
20年後に振り返って、当時の写真技術について回顧していますが デュカンの写真機がカロタイプであることは本に大々的に書かれてる
物を知らないで偉そうな口を叩くのは本当に恥ずかしいな >>570
売春宿でヌードを撮ってたことを言える訳ないじゃん。
でも、彼等が売春婦やベリーダンサーと接触してたのは事実。
どんな画家でも秘画というものがあるんだよ。
全員とは言わないがw
写真発明で人間が第一に考えるのはポルノの製造なんだよ、この間抜け野郎w
デュ=カンらは多分有力者たちに土産としてポルノを配ったろう。
>>571
567の、カロタイプ以外の部分はどう見ても偉そうな口を叩く資格がある内容だ。
君は人の粗探しをするだけ。 大体が、567は知らないで書いた欠点はあるが(連載の一部分しか手元にないので推量で書いた)、良いことの面がずっと大きいはずなんだが、それは黙殺される。
5ch文学板には妬みしかないのか。 訂正
571のは、
570→569
571→570 >>577
お前みたいな阿保馬鹿低脳間抜けしかいない、蓮實のファンには。 567、571は鋭い指摘をしてると思う。
デュカンとフローベールはエジプトの同じベリーダンサーと僅かの日を
違えてセックスしてる。
デュカンという男はエジプトの古代史とハーレムの美女達以外の
事には興味なかったらしい。
欧米のポルノブームは写真の登場と同時に始まってる。 マクシムデュカンは今読んだらめちゃくちゃおもしろそう むしろマルチタレントでフローベールより芸術家として上じゃないかと思う
フローベールのほうがわかりやすい芸術家像を追っかけた「凡庸」な人だと思うww というか「凡庸」を否定的な意味で捉えているのがおかしい 蓮實にも理解できてしまう「凡庸な」フローベール
蓮實の理解を超えた人間「天才」デュカン >>32
確かに探せば、佐々木の言説レベルは簡単に見つかるか。
チーム早稲田が佐々木を推してるのかもw 「公爵夫人」って女性器を意味するスラングなの?「伯爵夫人」は? これってどういう意味ですか?
蓮實重彦bot @shigehikohasumi ·
私は、映画は「人類」の文化的な資産ではないと思っています。では誰が映画を作ったかといえば「人間」である 類としての人間ではなく、個体としての人間が作ったという意味でしょう つまり、小津という固有性のある人間が作ったのが映画であって
人間全般が作ったのではない、と言いたいんでしょ つまり溝口や小津がその他大勢の凡人には出来ない
いかにすばらしいものをつくってるかということ?
前後の文章がないと、うーんわかりにくい言い回しだな。 それ、近年の思想業界における人類学流行りへの逆張り 蓮實重彦の保守主義
執筆 茂野介里
先に触れた様に、保守主義とは近代化がある程度、完徹した状態の中でしか生まれない哲学である。
その点でナポレオン三世の登場は、フランスにとっての近代化の完徹であり、
これに対する批評(否定ではない)を書き綴ったフローベールの風俗小説には保守性があると言える。
そして、フローベールから「凡庸」という言葉を抽出した蓮實重彦にとって、
いまだに特権的で普遍的な言説を付与できるであろうと思っている人々に対する否定こそが前提にあるのだ。
蓮實重彦が小林秀雄や吉本隆明といった、
社会に対する背理として「文学」を特権的に語らしめようとする人々に対する否定をしたのは、
これが理由である。社会の外側からなにかを語る言葉がない。
言いかえれば、なにか特権的な言説はなく、全てが凡庸なのだとしたら、なにをもって語りうるのか。
全てが凡庸であるならば、凡庸な一人の人として語らねばならない。
ある種の文学。ある種の哲学のような、全体を説明することが出来る「標語」から語るのではなく、
自分の趣味判断から語らなければならない。だからこそ蓮實重彦は映画の立場から何かを語るのだ。
彼は正しいからこそ映画を肯定する身振りなどしない。
そうではなく、映画を嗜む一人の日本人として、常に映画を擁護する。
彼にとっての保守主義とは、慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、そして、ここから生まれる「凡庸」視点から、
なにか特権的な身振りで、なにものかを語ろうとする人々や、
すべてが合理化されデオドラント化されていく時代の流れを批評していく立場にある。 おれはフーコーから来ていると思うけどね
『言葉と物』に書かれている「人間」から >>598>>599
スタンス至上主義自体は悪くないと思ってるんだ 蓮實は内容が良ければ
どのように書かれても問題ないという姿勢を
否定していたように思うけど? >彼にとっての保守主義とは、慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、そして、ここから生まれる「凡庸」視点から、
なにか特権的な身振りで、なにものかを語ろうとする人々や、
すべてが合理化されデオドラント化されていく時代の流れを批評していく立場にある。
それにこういうj立場のものとも違うでしょ
溝口や小津は日本人という類に属しているのではなく、
世界の映画史に属している固有性を持った日本人という立場なんじゃないの?
同様の趣旨でかつて、パラジャーノフをアルメニアから
世界の映画史に取り返そうという趣旨の話を言っていたように思うが >慣れ親しんだ戦前・戦後初期の世界を前提とした映画体験を擁護し、
溝口や小津を生んだ、日本に対する愛を囁き、
こういう姿勢とは無縁のように思うけどねえ 言いたいことがあれば言えばいいんじゃないの?
私に聞かれても答える教養があるかどうかわかりませんから >>605
中身至上主義がスタンス至上主義に置き換わっただけじゃないか、という話。 「内容」をつづり方教室みたいな書き方で書いてもどうしようもないでしょ
大学によってはそんなレベルの授業をやっているところもあるようだけど? 群像2018年10月号(9月7日発売)
定価(税込):980円
蓮實重彦「大震災で映画と出会った男 ―プロデューサー城戸四郎―」
特別対談
筒井康隆×蓮實重彦「同時代の大江健三郎」特別対談
一九二八年のモスクワの街に、日本人が大挙して現れる。歌舞伎の初海外公演がソ連邦の首都で行われる。そのなかに松竹の名プロデューサーがいた。蓮實重彦の評論「大震災で映画と出会った男 ―プロデューサー城戸四郎―」 今見ると、○○を大したことないと思える俺スゲー、でしかないな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています