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【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
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0777吾輩は名無しである
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2018/11/26(月) 23:13:39.70ID:I2r1Y5dc
https://edition-m.cnn.com/2018/11/26/entertainment/bernardo-bertolucci-italy-director-intl/index.html

Bernardo Bertolucci, Italian director of 'Last Tango in Paris', dies at age 77

By Hada Messia and Sheena McKenzie, CNN

Updated at 1017 GMT (1817 HKT) November 26, 2018

Rome, Italy (CNN) ― Bernardo Bertolucci, the award-winning Italian director of "Last Tango in Paris", has died aged 77 following a battle with cancer, Italian officials confirmed Monday.

Bertolucci was perhaps best known for his erotic drama "Last Tango in Paris", starring Marlon Brando and Maria Schneider. His film "The Last Emperor" also won all nine Academy Award categories it was nominated for in 1988.

The president of the Italian General Entertainment Association, Carlo Fontana, described Bertolucci as "one of the greatest authors, perhaps the last one, of the Italian Cinema."
0779吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 12:17:06.57ID:+j/J6jV/
果たして蓮實が亡くなっても同じように悔やまれるだろうか
果たして蓮實の本が100年後も読まれているだろうか
0780吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 19:55:28.50ID:hp7x8t/H
小川 和輝
アンデッド蓮實重彥の功罪 / ドラキュラ的、ゾンビ的
2017年12月18日(月)

以上を、渡邉が言及する蓮實重彥の「歴史的/メディア論」的転回に接続して、おおまかに時代区分することができる。

@1960年代末から、ロラン・バルトの記号論などに影響を受けていた蓮實は、
映画鑑賞において「画面を見ること」の重要性を訴えた。表層批評という言葉が示すのは、
作品の物質的な画面と観客との間に存在する絶対的な「現在」の体験であった。

A1985年になると、「転回」が起こる。これ以降、蓮實の映画批評的関心は、
急速に「映画史的」な文脈の前景化へと向かう。
古典的ハリウッド映画の時代から画面を彩っていた視覚効果が抑えられ、
物語の一貫性が洗練されるようになった「50年代ハリウッド」への変遷に蓮實は注目する。

蓮實が「73年の世代」と呼ぶ映像作家たちによって、
かつて彼が映画とみなしていた古典的映画の存在自体が揺らいでいるということが主張されるようになる。
渡邉によれば、ここで生じたのは「シネマ=古典的映画」から
「非シネマ」との差異が再帰的に問い直され続ける状況である。蓮實が1997年の論文において
1930年代に起こった古典的映画の成立を「映画のメディア化」と言い換えてもいるように、
1985年に起きたのは、蓮實の「歴史的/メディア論的転回」だった。

Bそして、蓮實の「歴史的/メディア論的転回」は、近年また新たな「転回」を迎えている。
2008年頃から、蓮實は「映画に歴史は存在しない」と断言したり、
自らのことを映画史家と呼ばれることに抵抗を示している。
「50年代ハリウッド」や「73年の世代」と言った問題系を相対化するように、
映画は1930年代の古典的映画の時代から「崩壊前夜」を生きていたのだという主張を繰り返すようになる。
非歴史的、ポスト歴史的とも言える彼の発言として、
「あらゆる映画はサイレント映画の一形態である」というものまで存在する。

渡辺大輔『「歴史的/メディア論的転回」の帰趨をめぐって 「ポストメディウム的状況」と蓮實重彦』、
(『ユリイカ 総特集 蓮實重彥』所収)、2017年
0781吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 21:11:17.46ID:LQ2UUrnB
死児としての芸術と昔から言っていたのだから
当然、蓮實は昔から「崩壊前夜」を映画は生きていたのだという認識でしょ

それに視覚効果の禁欲による物語が優位の映画が始まったのは
ヘイズ・コードによる規制以降の1930〜1940年代の
ハリウッド全盛期の映画のはずなんだけどなあ
0782吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 21:14:00.41ID:LQ2UUrnB
むしろ50年代のハリウッド映画から物語の優位性が崩れ始めていった
というのが蓮實の認識だったとように思うけど?
0783吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 21:37:11.89ID:LQ2UUrnB
物語の優位の時代に「市民ケーン」という視覚効果の優位の映画を撮った
オーソン・ウェルズがその時代の反時代的映画作家だったのが
テレビ放送の影響による観客の減少に伴う
視覚優位の時代に古典的ハリウッド映画のような
視覚効果を禁欲する映画を撮った
クリント・イーストウッドに反時代的映画作家の称号が移ったとも
言っていたと思うけどねえ

視覚優位の時代に視覚効果のスペクタクル映画を撮った
スタンリー・キューブリックは自堕落に時代に迎合しているとも
0784吾輩は名無しである
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2018/11/27(火) 21:41:37.83ID:LQ2UUrnB
視覚効果から物語の優位へというのは
ヘイズコード以降のハリウッドだけではなく、
スターリン以降のソビエト時代の映画や
日本の伊藤大輔から山中貞雄へ、というのも
世界的に平行している話であるはずなんだけどなあ
0785ムー大陸 ◆POG0Nh1MOnGz
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2018/11/28(水) 20:55:47.46ID:o3LNgAkr
いい歳になってから、いまさらのようにハスミンを貶す奴って、
若い頃なんとなーくリベラルで、その後「目覚めて」ネトウヨとなり、
読んだこともないマルクスを「あれは幻想だった」とか抜かしている奴に似ていなくもない
0786P ◆.uKag/vUmY
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2018/11/28(水) 21:13:05.38ID:YKAEv8IV
「もっと淫らに、居直ってやる!」読んだ?映画秘宝
0787シャシャキ
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2018/11/28(水) 21:18:37.97ID:1xCsk4vZ
>>785
お前みたいに良い年になって蓮實から離れられないハスミンとかほざく阿保も哀れ過ぎるw

言っとくが俺はお前より絶対的に頭良いからなw
0788吾輩は名無しである
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2018/11/28(水) 22:14:25.11ID:ti8tYPr4
>>786
アホ

>>787
模範解答
0789吾輩は名無しである
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2018/11/28(水) 22:16:07.03ID:ti8tYPr4
>>776
www
ウェスアンダーソンあたり
0790P ◆.uKag/vUmY
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2018/11/28(水) 22:36:22.13ID:p3KkBMDX
ウェス・アンダーソンはいいじゃん
0791吾輩は名無しである
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2018/11/28(水) 23:01:47.45ID:TmibK8fK
もともとの蓮實の美学ならウェスアンダーソンは貶さないとダメなんじゃね?
0792P ◆.uKag/vUmY
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2018/11/28(水) 23:22:31.96ID:p3KkBMDX
蓮實重彦がウェス・アンダーソンを褒めているか貶しているかをそもそも知らないw
0793吾輩は名無しである
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2018/11/28(水) 23:58:22.81ID:adz+PnYY
どうでもいいが
ウェス・アンダーソンの映画では感動したが
蓮實の文章で感動したことは皆無
0795吾輩は名無しである
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2018/11/29(木) 02:51:10.03ID:3Vu/evDj
>>794
ID:m68O7E9K
0796吾輩は名無しである
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2018/11/29(木) 16:31:59.63ID:pfOy9twS
ジェームズ・フランコの『ディザスター・アーティスト』を観た。
どんな作品でも陰には作り手の苦労があるものだとよくわかったし
映画を撮ったこともない奴が好き勝手に毒舌で批評することが如何に醜いことか思い知った。
0797吾輩は名無しである
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2018/11/29(木) 18:10:40.99ID:2TkDFEhR
ゲンロンカフェ 20170228「日本映画と海外ドラマ、いま、どちらを見るべきなのか」レジュメ
渡邉大輔
https://genron-cafe.jp/wp/wp-content/uploads/2017/02/26e2213e9ae9e46800bb279488415dab.pdf

・日本映画の新世代…「2007 年の世代」(インディペンデント映画シーンからの若手作家の台頭)
空族、富田克也(1972年 - )、相澤虎之助(1974年3月5日 - )
山下敦弘(1976年8月29日 - )
松江哲明(1977年 - )
真利子哲也(1981年7月12日 - )
濱口竜介(1978年12月16日 - )
瀬田なつき(1979年 - )
入江悠(1979年11月25日 - )
石井裕也(1983年6月21日 - )
深田晃司(1980年 - )
0801吾輩は名無しである
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2018/11/30(金) 17:36:48.80ID:4YzJVgg2
>>798
映画を観ているだけに過ぎないのに
何様か知らないが鬼の首でも取ったように好き勝手言って踏ん反り返っている奴が悪く言われるのも仕方ない
0802吾輩は名無しである
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2018/12/01(土) 11:36:57.87ID:H3NwToCU
教え子が何人か映画監督になってるから、観ているだけとも言えないな

俺はそんなに小津は好きじゃないし、蓮實信者でもないけど
0804吾輩は名無しである
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2018/12/01(土) 18:46:58.10ID:A+sUOkjg
中山美穂
0808独り言a.k.a元祖御用一般人 ◆rI5oCip.d6
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2018/12/02(日) 03:37:54.05ID:/i6XjiNY
>>765
戦前戦後と「映画狂」的な層は一定はいたんだけど(存命だと戦前生の小林信彦や渡辺
武信がそういう世代)、それが「シネフィル」的なニュアンスになったのはたぶん1970年代
以降だと思う。

具体的には(東京中心の文化ではあったが)『ぴあ』『シティロード』が出てきて名画座・オフシアターなどの
上映情報が簡単に見易くなったことが大きい。それ以前は新聞の映画館情報以外は余り纏ま
った上映情報がなかった。
映画マニアが「効率よく」映画狂いが出来るようになった。

特に東京・関西では特集主義の「個性的」な名画座が増えたり、アテネフランセ・フィルムセンター
などの活動、ATG、湯布院・ヨコハマなど「市民映画祭」のブームetc、、、
この辺も書き出すとキリがない。
、、、もちろん自分もリアルタイムでは知らないのだけれど。

ググると『エピステーメー』の「映画狂い」特集が1978年らしいな。
蓮實が立教・東大で映画講義を始めたのも70年代頃だった筈。

ただ皮肉なことに70年代には日本人の映画館利用回数は既に1年=1回でしかなく
(ちなみにこの数字は現在も実はさほど変わっていない)、一般大衆が映画館離れしていた
時代に一握りの映画マニアだけは「シネフィル」化して尖鋭化する皮肉な事が起こっていた。

そして80年代以降も「レンタルビデオの普及で名画座激減」「代わりに東京中心に
バブルでミニシアター・映画祭・各種特集上映のブーム」とトレンドは変わっていく。
でもこれも何度も通い詰めるようなコアな客層は実際にはそんなに多くはなかったと思うんだよね、、

蓮實が『リュミエール』を出したのが85〜88年頃だったと思うけど、これも結局は
読者(といっても実数はどの程度いたのか?)を「シネフィリー」の狭い狭いタコツボに
閉じ込めてしまった。
0809独り言a.k.a元祖御用一般人 ◆rI5oCip.d6
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2018/12/02(日) 03:38:33.46ID:/i6XjiNY
これは今の町山などもそうだが、蓮實などが「啓蒙」を行うほど、皮肉な事に熱心なフ
ォロワーほど「映画至上主義」のタコツボに入り込んでいってしまう。

「映画は沢山観ている」のに妙なスノビズムばかりに感染し逆にアタマが「硬く」なるのである。

所詮はシネフィリー=スノビズムでしかなかった。

まあ映画(に限らず映像ドラマ全般)など普通の人は別にそこまで好きではない。
当たり前ですが、、
他の先進国も日本人よりは映画館に行くけど(だいたい1年=2〜4回 アメ人・韓国人=4回)、
これも所詮は集客のメインは一握りのヒット作である。

それを過剰に観過ぎてしまうのは、(もちろん学術研究のリサーチなどは別にして)
所詮はただの「映像コンテンツ依存症」に過ぎない。

ちなみに日本の映画人も本音では意外と醒めていて、古い映画人も自分の息子娘はTV局に
入れてる人ばっかなんだよw 例えば山田洋次の娘も確かTBS社員だしな(一時はドラマの
ディレクターもやってた。今はやってないみたいだけど)

当の映画人が内心では映画なんか別に信じてない。これが現実。
こんな日本で今さら「シネフィル」でもないでしょう。
アメリカも今はTV・配信系作品の仕事をする人は増えるばかりですよ、、
0810吾輩は名無しである
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2018/12/02(日) 13:05:43.75ID:ehVlaq6e
映画のラスト・エンペラー ベルナルド・ベルトルッチ監督を悼む (批評家 浅田彰)(朝日新聞 11/30 朝刊)

一九六八年の前衛の爆発のあと反動に堕すことなく映画を撮り続けることは可能か。
端的に言って、ゴダールやパゾリーニのあと映画は可能か。
ヌーヴェル・ヴァーグを自分なりに変奏した瑞々(みずみず)しい『革命前夜』(64年)の後で
若きベルナルド・ベルトルッチが直面したのは、そんな根源的な問いだった。

その難問との苦闘の中から、ベルクが師シェーンベルクの頭脳的実験を継承しつつ
ドラマティックにして甘美なオペラを生み出したように、ファシズムを描いた傑作『暗殺の森』(70年)や
視野を20世紀イタリア史全体に広げた巨篇『1900年』(76年)が、
また年上のフェリーニらを超えて黄金時代の映画を新たに撮り直したかのような大作群――
とくに坂本龍一の壮麗な音楽で彩られた『ラストエンペラー』(87年)や『シェルタリング・スカイ』(90年)が生まれる。

その探求は晩年にも止むことがない。他民族化したローマを揺れるキャメラで描く『シャンドライの恋』(98年)や、
病気で車椅子生活になってから若者たちの現在に迫った『孤独な天使たち』(2012年)は、
老匠の作品とは思えぬ若々しさで観客を驚かせた。
六八年五月革命を描いた『ドリーマーズ』(03年)だけは、つまらぬ原作を選んで失敗しているのだが。
0811吾輩は名無しである
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2018/12/02(日) 13:06:56.90ID:ehVlaq6e
六八年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。
だが、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、
「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、
「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。

坂本龍一が病を克服して去年発表したアルバム『async』には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが
人生の無常を語る声とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。
その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。
その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アレクセイの父)が
永劫回帰のヴィジョンをうたった詩をフィーチャーする「Life, Life」が応える。
いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、
前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発して
なおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。
0812吾輩は名無しである
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2018/12/02(日) 14:43:57.26ID:vbQMJ2U9
蓮實信者になるとゴダールの後に映画は可能か、ジョイスとベケットの後に小説は可能かみたいな問いはなくなるんじゃないの?

19世紀の小説でいいじゃない、50年代までのハリウッド映画でいいじゃないみたいなね
0814吾輩は名無しである
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2018/12/02(日) 22:36:35.46ID:vbQMJ2U9
ゴダールやヴァージニア・ウルフやヌーヴォー・ロマンを評価するにしても前衛性、実験性は無視でしょ?

自分で小説書くとロブ=グリエ風なのはご愛嬌だけどw
0815吾輩は名無しである
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2018/12/03(月) 22:47:14.47ID:fmkHBKiu
分裂も親の遺伝だろ?マジおまえらの親の顔が見て見てえな
おっーとと
ついおまえらの親のことまで悪くいっちまった
おっーとととと
親のことまで悪く言われる覚えはないわなw
おっーととと
きたもんだ(・ω・)/
0816吾輩は名無しである
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2018/12/04(火) 19:19:24.00ID:gsyvjUEr
蓮實読んだのは団塊ジュニアあたりまでだろう

不幸な世代
0817吾輩は名無しである
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2018/12/04(火) 20:01:12.89ID:44bGzhB+
福島亮大は81年生まれですが?
まさか全く読んでいないなんてことあり得ないし
0818吾輩は名無しである
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2018/12/05(水) 21:33:02.47ID:wKTMFadB
蓮實先生は今夜もダラダラYouTubeかな
0819吾輩は名無しである
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2018/12/06(木) 04:03:54.05ID:1Pd4WJWv
>>814
おまえは前衛と言うものが分かってないねえ(ペシペシ)
前衛は視力のないものにはできんのだよ
0820吾輩は名無しである
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2018/12/06(木) 04:14:25.56ID:f/fHyBHt
蓮實は文学に前衛など必要ないといっていませんでしたっけ?
0821吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/06(木) 05:02:12.26ID:f/fHyBHt
蓮實)散髪台の上の男が自分の顔を鏡に映してみることなく、
    きまって横から撮られてた画面しかない(……)

ヴェンダース)それは私が強度の近眼で、床屋で眼鏡をはずすと、
         もう目の前の鏡に映っている顔がまったく識別不能になってしまうからです(笑)。

蓮實)ああ、偉大な映画作家は、やはりみんな近眼なのだ。
    フォードも、フィリッツ・ラングも、そしてあなたも(笑)。

(蓮實重彦『光をめぐって』)
0822吾輩は名無しである
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2018/12/06(木) 07:38:02.87ID:aSsZ1chC
>>810
>>811
ありがとうございます
0826吾輩は名無しである
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2018/12/07(金) 02:58:31.88ID:77M2Mj+S
>>819
ジョイスという前衛がいたような・・・
ああ、ジョイスは前衛というより古典主義者といったほうが正しかったか?
0827吾輩は名無しである
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2018/12/07(金) 14:24:01.42ID:XOdP2+68
>>816
バブル世代までだろ
0828吾輩は名無しである
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2018/12/07(金) 14:29:50.07ID:XOdP2+68
>>817
いやもう時期的に流行ってない

東浩紀や國分功一郎や千葉雅也など氷河期世代はハスミを無視してる、というか関心を持ってない

柳下毅一郎あたりが最後、つまりバブル世代が最後

>>816
>>817
0829吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/07(金) 17:43:50.54ID:Xb1ratTG
今はもう2018年も終わり
21世紀も五分の1近くが過ぎました
いつまで50年代が云々と昔話に呆けてるんでしょうか
時代は進んでるし時間は前にしか進みません
単なる懐古厨の老いぼれは時代に埋もれて忘れ去られるだけですよ
0831吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/08(土) 01:50:18.97ID:RzNiIj1N
他人の粗探しばかりしてるくせに
自分は名前の漢字を間違えられたくらいで怒る
悪いエリートの典型みたいな奴
0832吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/08(土) 04:07:09.54ID:PA9V08Nk
>>831
それ!
0833吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/08(土) 04:09:16.43ID:PA9V08Nk
>>830
ボヘミアンくらい観とけ、蓮実

>>829
同感
0836吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/12(水) 22:23:12.39ID:44STp6+o
帝国の陰謀 (ちくま学芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 1,080
文庫: 167ページ
解説 入江哲朗
出版社: 筑摩書房 (2018/12/11)

物語批判序説 (講談社文芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 2,268
文庫: 352ページ
出版社: 講談社 (2018/12/12)

伯爵夫人
蓮實 重彦 (著)
¥ 497
文庫: 224ページ
出版社: 新潮社 (2018/12/22)
0837吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/13(木) 06:47:13.75ID:LdHSrxxN
「帝国の陰謀」は単行本が、「物語批判序説」は中公文庫版が家にあるし
「伯爵夫人」は図書館で借りてスキャンしたから
基本的にいらんな
0838吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/13(木) 08:30:34.95ID:1Y1ljPD1
>>836
物語批判除雪!文庫本のくせしてなんちゅう値段や
掲載誌の海2冊300円ぐらいの古本屋で買って持っとるよ
0839吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/13(木) 09:44:15.40ID:W81A9Va3
蓮實を新刊で500円で読める世の中はいいよな
今までで一番安いんじゃないかと思ったら陥没地帯は税抜427円だった
0840吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/13(木) 09:48:08.02ID:W81A9Va3
物語批判序説なんかいっとき山ほど108円で見かけたけどな
こんな値段で売る本じゃないよな
0842吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/13(木) 12:57:19.68ID:CXVapwcL
2部がバルト・プルースト・サルトルだったっけ
今なら蓮實通さずに彼らの著作を読んでおくほうがいいような
0844吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/14(金) 10:04:06.58ID:u1C8Q938
蓮實のフローベール像は昔の東大仏文のそれって感じ
サランボー、聖アントワーヌ、ブヴァールの解釈がてんでだめ
歴史、幻想、思想に偏見強すぎるから
0845吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/14(金) 23:55:25.78ID:R1WRhg5z
ヌーヴェルクリティック、ヌーヴォーロマン、ヌーヴェルヴァーグ、カイエドゥシネマ・・・人は世代性から逃れられないのか?
0847吾輩は名無しである
垢版 |
2018/12/26(水) 22:51:08.26ID:z1K11wZF
どうせならミステリー「東大総長殺人事件」を書いてほしかった
0848 ◆qPUMsOkpOA
垢版 |
2019/01/04(金) 07:13:51.19ID:3UPHWL9M
>>846
あるわけねーじゃん
0849吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/04(金) 16:52:49.79ID:nljlmyqX
「ラストエンペラー」でさえ好きです、といっていたのにねえ
0851吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/05(土) 03:21:16.07ID:gaA4waLl
ベルトリッチがダニエル・シュミットの
「ヘカテ」の試写で号泣している蓮實を見て
泣き虫教授とあだ名付けていたんだっけか?
0853吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/06(日) 13:13:01.86ID:po4V7V8W
蓮實もボヘミアンラプソディー見て感動したかな?
0854吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/06(日) 14:00:11.39ID:OGezQkjk
侘助
わたくしたちの世代は、
蓮實重彦氏が小川徹時代の“映画批評”だったかに連載していた時評を毎号楽しみにし、
“映画の記憶装置”や“映像の詩学”などの単行本を初版で買い、
“マリ・クレール”の淀川長治氏・山田宏一氏との鼎談も毎号読み、
“リュミエール”も“ルプレザンタシオン”も全号保存していますからね。

オクターヴ
私の世代は映画狂人シリーズを集めて、
真夜中の映画長話や群像の映画時評をリアルタイムで読み、
黒沢清、青山真治、万田邦敏、あと北野武なんかとセットで影響を受けてまして、
今は濱口竜介、三宅唱の若き黄金世代に影響を受けた層も集まっていると推測しています。
2019年1月5日
0855吾輩は名無しである
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2019/01/07(月) 00:12:46.91ID:xVEBrp4g
>>854
「映画芸術」でB級邦画洋画をアクロバティック擁護してた時代が一番かっこよかった。
映画評論家としてのピークは83年の小津論。
85年に「リュミエール」創刊してからスノッブに落ちて行った印象。
映画狂人とか言い出してからは読むに耐えない。
0858P ◆.uKag/vUmY
垢版 |
2019/01/12(土) 01:27:35.11ID:oBBPUhI2
元ツイートが知りたい…
0860吾輩は名無しである
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2019/01/12(土) 02:10:49.96ID:+gvmDbzF
>>857
何が面白いって蓮実信者もこの娘と大して変わらないのがね学歴や実績があってもさ
0862P ◆.uKag/vUmY
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2019/01/12(土) 16:49:00.09ID:6Uqozokc
ありがとうございます!
0863吾輩は名無しである
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2019/01/12(土) 19:12:34.22ID:0D/gdBkS
>>860
俺東大卒でこの子とだいたい変わらないが、そのことの何が面白いわけ?
0864吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/14(月) 02:26:56.01ID:XbWDqCeN
spartacusの結果
 昔々ある所にマルクスと蓮實が住んでいました。
 マルクスはパリへ資本主義しに、蓮實は沖縄へアルチュセールしに行きました。
 蓮實が沖縄でアルチュセールをしていると、フロイトフロイトと、大きな戦後民主主義が流れてきました。
 蓮實は良い土産ができたと喜び、それを拾い上げて家に持ち帰りました。
 そして、マルクスと蓮實が戦後民主主義を食べようとすると、
なんと中から元気の良い学生運動が飛び出してきました。
「これはきっと、神様からの授かり物にちがいない」
 学生運動のなかったマルクスと蓮實は大喜びし、
戦後民主主義から生まれた学生運動を民主主義太郎と名付けました。
 民主主義太郎はスクスク育ち、やがて強い批評家になりました。
0865吾輩は名無しである
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2019/01/14(月) 02:29:53.18ID:XbWDqCeN
 そしてある日、民主主義太郎が言いました。
「ぼく、労働者島へ行って、悪い労働者を退治してくるよ」
 蓮實に安倍政権を作ってもらった彼は労働者島へ出発しました。
 民主主義太郎は旅の途中で渡辺に出会いました。
「民主主義太郎さん、どちらへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しますよ」
 渡辺は安倍政権をもらい、民主主義太郎のお供になりました。
 そして今度は明仁に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しましょう」
 そして今度は桑原に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供します」
 こうして仲間を手に入れた民主主義太郎はついに労働者島へ到着しました。

 労働者島では労働者たちが近くの村から奪ってきた宝物や御馳走を並べて「エクリチュールの宴」をしていました。
「よし、かかれ!」
 渡辺は労働者に噛み付き、明仁は労働者をひっかき、桑原は労働者を突きました。
 そして民主主義太郎も新左翼をふり回して大暴れしました。
 すると、とうとう労働者の親分が泣きながら降参を宣言しました。
 民主主義太郎と渡辺と明仁と桑原は労働者から取り上げたエクリチュールを持って家に帰りました。
 そして民主主義太郎たちはエクリチュールのおかげで幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。
0866吾輩は名無しである
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2019/01/15(火) 01:09:45.61ID:CMqDZK/I
映画長話
「ハリウッドが長らく病んでいるのは【2時間20分の病】だと思います」
「スピルバーグに90分の映画を撮れと電報でも打ちたい(笑)」
0867吾輩は名無しである
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2019/01/15(火) 01:42:52.37ID:mbjQcTRt
某編集者Y氏談(故人)

淀川長治さんに「好きな女優は誰ですか?」と聞かれたので
オードリー・ヘップバーンと答えたら淀川さんはニコニコしていたが
淀川さんの傍にいた蓮實重彦と山田宏一から
明らかに軽蔑しているとしか思えない白いまなざしをマザマザと受けた
0868吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/15(火) 02:04:25.92ID:mbjQcTRt
【キャサリン・ヘップバーン】

>アメリカでは人気・評価ともに壮絶に高い人で、演技派と言えばケイト、女優の中の女優という扱い。
3年前、亡くなった時に、蓮實重彦が追悼文で、

合衆国には「(キャサリン・)ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話や
オードリー神話なんてものは存在しない。ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、
無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。

  と書いている。オードリーさんやペックさん(ペックさんは好きだぞ、私)のファンに喧嘩を売る気はないが、
私も日本でのケイトの評価どころか知名度が低すぎるのは哀しい。
https://acoyo.exblog.jp/4523666/
0869吾輩は名無しである
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2019/01/15(火) 02:23:32.99ID:eMT1RUft
どこかの国限定で受けるようなローカルヒーローが多数出るのがハリウッドの普遍性の証なんだが、
「映画」をひとつの尺度にまとめる蓮實はバカだと思った
0870吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/15(火) 02:24:15.85ID:eMT1RUft
なので「無知」と言う必要はない
エセペダントリーは教養が足りてないという典型
0871吾輩は名無しである
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2019/01/15(火) 10:06:46.52ID:mtl1AkEP
キャサリン・ヘップバーン
大型犬みたいで日本じゃ人気でないよね
0872吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/15(火) 14:14:40.32ID:gvAqoj1I
キャサリンの人気はアメリカの芸能界での活躍込みなので、
そこから切り離されている日本のファンがその事情まで知る必要は特にないと思う。
0873蓮實重彦 はすみん
垢版 |
2019/01/15(火) 23:07:24.27ID:mbjQcTRt
オードリー・ヘップバーンはハリウッドの女優として「欠陥商品」なんです。
0876吾輩は名無しである
垢版 |
2019/01/17(木) 01:45:09.23ID:ys8t1raw
詩人 稲川方人氏に聞く
僕は70年代中葉あたりから詩集を出しましたけど、70年代から80年代中葉までの時間というのは、
現代詩はジャンルの問題だったんですね。文学的なジャンルの問題だった。
戦後現代詩といわれるカテゴリーのなかで、詩をどう見るか、
詩人をどう見るかというジャンルのなかの問題だったような気がするんですよ。
90年代以降になってくると、ジャンルの問題をいつまでも言ってられなくなったということがありますね。

映画だと本当にジャンルがはっきりしているので、わかりやすいんですけど、
ヌーヴェル・ヴァーグはジャンルの問題だったんですね。映画というジャンル。
世界に何が起ころうとも、人間に何が起ころうとも、映画というジャンルが確固としてある。
で、そのジャンルをどういうふうにコーディングするかという問題だったんですよ。

例えば、構造主義的な思考が60年代中葉に日本に入ってくるわけですね。
フランスの構造主義の思考パターンがね。あれって、やっぱりジャンルの問題だったと思うんですよ。
構造主義以後の思考も、例えばわかりやすいのは、
蓮實重彦さんの批評が非常に影響力が大きかったわけですけども、やっぱりジャンルの問題ですからね。
蓮實さんにとって、人間が何をしようと、世界が何をしようと、ソビエトが終ろうと、西ヨーロッパが崩壊しようと、
蓮實さんの批評言語は確固としている、極端に言うとね。ジャンルの刺激だったと思うんですよ。
ある時期、蓮實さんの映画批評も文芸批評も、何となくね、実感として刺激がなくなってきたんですよ。

映画なら映画、文学なら文学のなかに、80年代後期以降の十数年の世界が、表現に対して問うているのは、
そのジャンルで何をするのかとかそういう問題じゃないような気がしているんですよ。別のシステムでね、
はっきりもっと露呈した形というんでしょうかね、僕なら僕という人間が露呈した形で、
別の人間と向かい合ってとか、世界に向かい合ってる、そこが問われている気がするんですよ。
(2003.2.26 三鷹「心泉茶苑」にて)
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