映画のラスト・エンペラー ベルナルド・ベルトルッチ監督を悼む (批評家 浅田彰)(朝日新聞 11/30 朝刊)

一九六八年の前衛の爆発のあと反動に堕すことなく映画を撮り続けることは可能か。
端的に言って、ゴダールやパゾリーニのあと映画は可能か。
ヌーヴェル・ヴァーグを自分なりに変奏した瑞々(みずみず)しい『革命前夜』(64年)の後で
若きベルナルド・ベルトルッチが直面したのは、そんな根源的な問いだった。

その難問との苦闘の中から、ベルクが師シェーンベルクの頭脳的実験を継承しつつ
ドラマティックにして甘美なオペラを生み出したように、ファシズムを描いた傑作『暗殺の森』(70年)や
視野を20世紀イタリア史全体に広げた巨篇『1900年』(76年)が、
また年上のフェリーニらを超えて黄金時代の映画を新たに撮り直したかのような大作群――
とくに坂本龍一の壮麗な音楽で彩られた『ラストエンペラー』(87年)や『シェルタリング・スカイ』(90年)が生まれる。

その探求は晩年にも止むことがない。他民族化したローマを揺れるキャメラで描く『シャンドライの恋』(98年)や、
病気で車椅子生活になってから若者たちの現在に迫った『孤独な天使たち』(2012年)は、
老匠の作品とは思えぬ若々しさで観客を驚かせた。
六八年五月革命を描いた『ドリーマーズ』(03年)だけは、つまらぬ原作を選んで失敗しているのだが。