【ばふりばふり】蓮實重彦 X+2【120度】 [無断転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
六八年の50周年に訃報に接して思い出すのは、晩年の彼のその若々しさだ。
だが、「今後ベルトルッチに匹敵する映画作家が登場するだろうか」と自問したとき、
「前衛の爆発を超えて歩み続けた彼の足跡自体が答はイエスだと示している」と確信しながらも、
「ベルトルッチの死でわれわれは映画のラスト・エンペラーを失ったのではないか」という思いを禁ずることができない。
坂本龍一が病を克服して去年発表したアルバム『async』には、『シェルタリング・スカイ』で原作者ボウルズが
人生の無常を語る声とその各国語訳をフィーチャーした「fullmoon」という曲がある。
その終盤に出てくる深いメランコリーを湛えたイタリア語は実はベルトルッチの声だ。
その諦念に対し、アルセニー・タルコフスキー(映画監督アレクセイの父)が
永劫回帰のヴィジョンをうたった詩をフィーチャーする「Life, Life」が応える。
いまはこの二曲を聴き返し、ベルトルッチの映画を見返しながら、
前衛の爆発(ある意味での「映画の終わり」)から出発して
なおかくも豊かな映画の数々を残したその歩みを反芻するばかりである。 蓮實信者になるとゴダールの後に映画は可能か、ジョイスとベケットの後に小説は可能かみたいな問いはなくなるんじゃないの?
19世紀の小説でいいじゃない、50年代までのハリウッド映画でいいじゃないみたいなね ゴダールやヴァージニア・ウルフやヌーヴォー・ロマンを評価するにしても前衛性、実験性は無視でしょ?
自分で小説書くとロブ=グリエ風なのはご愛嬌だけどw 分裂も親の遺伝だろ?マジおまえらの親の顔が見て見てえな
おっーとと
ついおまえらの親のことまで悪くいっちまった
おっーとととと
親のことまで悪く言われる覚えはないわなw
おっーととと
きたもんだ(・ω・)/ 蓮實読んだのは団塊ジュニアあたりまでだろう
不幸な世代 福島亮大は81年生まれですが?
まさか全く読んでいないなんてことあり得ないし >>814
おまえは前衛と言うものが分かってないねえ(ペシペシ)
前衛は視力のないものにはできんのだよ 蓮實は文学に前衛など必要ないといっていませんでしたっけ? 蓮實)散髪台の上の男が自分の顔を鏡に映してみることなく、
きまって横から撮られてた画面しかない(……)
ヴェンダース)それは私が強度の近眼で、床屋で眼鏡をはずすと、
もう目の前の鏡に映っている顔がまったく識別不能になってしまうからです(笑)。
蓮實)ああ、偉大な映画作家は、やはりみんな近眼なのだ。
フォードも、フィリッツ・ラングも、そしてあなたも(笑)。
(蓮實重彦『光をめぐって』) >>821
というか照明で目がやられて弱視になっちゃうんでしょ。 >>819
ジョイスという前衛がいたような・・・
ああ、ジョイスは前衛というより古典主義者といったほうが正しかったか? >>817
いやもう時期的に流行ってない
東浩紀や國分功一郎や千葉雅也など氷河期世代はハスミを無視してる、というか関心を持ってない
柳下毅一郎あたりが最後、つまりバブル世代が最後
>>816
>>817 今はもう2018年も終わり
21世紀も五分の1近くが過ぎました
いつまで50年代が云々と昔話に呆けてるんでしょうか
時代は進んでるし時間は前にしか進みません
単なる懐古厨の老いぼれは時代に埋もれて忘れ去られるだけですよ 他人の粗探しばかりしてるくせに
自分は名前の漢字を間違えられたくらいで怒る
悪いエリートの典型みたいな奴 >>830
ボヘミアンくらい観とけ、蓮実
>>829
同感 本物のライブ映像で十分だろ
音楽映画とか見なくても 帝国の陰謀 (ちくま学芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 1,080
文庫: 167ページ
解説 入江哲朗
出版社: 筑摩書房 (2018/12/11)
物語批判序説 (講談社文芸文庫)
蓮實 重彦 (著)
¥ 2,268
文庫: 352ページ
出版社: 講談社 (2018/12/12)
伯爵夫人
蓮實 重彦 (著)
¥ 497
文庫: 224ページ
出版社: 新潮社 (2018/12/22) 「帝国の陰謀」は単行本が、「物語批判序説」は中公文庫版が家にあるし
「伯爵夫人」は図書館で借りてスキャンしたから
基本的にいらんな >>836
物語批判除雪!文庫本のくせしてなんちゅう値段や
掲載誌の海2冊300円ぐらいの古本屋で買って持っとるよ 蓮實を新刊で500円で読める世の中はいいよな
今までで一番安いんじゃないかと思ったら陥没地帯は税抜427円だった 物語批判序説なんかいっとき山ほど108円で見かけたけどな
こんな値段で売る本じゃないよな 2部がバルト・プルースト・サルトルだったっけ
今なら蓮實通さずに彼らの著作を読んでおくほうがいいような 蓮實のフローベール像は昔の東大仏文のそれって感じ
サランボー、聖アントワーヌ、ブヴァールの解釈がてんでだめ
歴史、幻想、思想に偏見強すぎるから ヌーヴェルクリティック、ヌーヴォーロマン、ヌーヴェルヴァーグ、カイエドゥシネマ・・・人は世代性から逃れられないのか? どうせならミステリー「東大総長殺人事件」を書いてほしかった 「ラストエンペラー」でさえ好きです、といっていたのにねえ ベルトリッチがダニエル・シュミットの
「ヘカテ」の試写で号泣している蓮實を見て
泣き虫教授とあだ名付けていたんだっけか? 侘助
わたくしたちの世代は、
蓮實重彦氏が小川徹時代の“映画批評”だったかに連載していた時評を毎号楽しみにし、
“映画の記憶装置”や“映像の詩学”などの単行本を初版で買い、
“マリ・クレール”の淀川長治氏・山田宏一氏との鼎談も毎号読み、
“リュミエール”も“ルプレザンタシオン”も全号保存していますからね。
オクターヴ
私の世代は映画狂人シリーズを集めて、
真夜中の映画長話や群像の映画時評をリアルタイムで読み、
黒沢清、青山真治、万田邦敏、あと北野武なんかとセットで影響を受けてまして、
今は濱口竜介、三宅唱の若き黄金世代に影響を受けた層も集まっていると推測しています。
2019年1月5日 >>854
「映画芸術」でB級邦画洋画をアクロバティック擁護してた時代が一番かっこよかった。
映画評論家としてのピークは83年の小津論。
85年に「リュミエール」創刊してからスノッブに落ちて行った印象。
映画狂人とか言い出してからは読むに耐えない。 >>854
若気の至り、恥ずかしい、という感じじゃないことに唖然とする >>857
何が面白いって蓮実信者もこの娘と大して変わらないのがね学歴や実績があってもさ >>860
俺東大卒でこの子とだいたい変わらないが、そのことの何が面白いわけ? spartacusの結果
昔々ある所にマルクスと蓮實が住んでいました。
マルクスはパリへ資本主義しに、蓮實は沖縄へアルチュセールしに行きました。
蓮實が沖縄でアルチュセールをしていると、フロイトフロイトと、大きな戦後民主主義が流れてきました。
蓮實は良い土産ができたと喜び、それを拾い上げて家に持ち帰りました。
そして、マルクスと蓮實が戦後民主主義を食べようとすると、
なんと中から元気の良い学生運動が飛び出してきました。
「これはきっと、神様からの授かり物にちがいない」
学生運動のなかったマルクスと蓮實は大喜びし、
戦後民主主義から生まれた学生運動を民主主義太郎と名付けました。
民主主義太郎はスクスク育ち、やがて強い批評家になりました。 そしてある日、民主主義太郎が言いました。
「ぼく、労働者島へ行って、悪い労働者を退治してくるよ」
蓮實に安倍政権を作ってもらった彼は労働者島へ出発しました。
民主主義太郎は旅の途中で渡辺に出会いました。
「民主主義太郎さん、どちらへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しますよ」
渡辺は安倍政権をもらい、民主主義太郎のお供になりました。
そして今度は明仁に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供しましょう」
そして今度は桑原に出会いました。
「民主主義太郎さん、どこへ行くのですか?」
「労働者島へ、労働者退治に行くんだ」
「それではお腰に付けた安倍政権を1つ下さいな。お供します」
こうして仲間を手に入れた民主主義太郎はついに労働者島へ到着しました。
労働者島では労働者たちが近くの村から奪ってきた宝物や御馳走を並べて「エクリチュールの宴」をしていました。
「よし、かかれ!」
渡辺は労働者に噛み付き、明仁は労働者をひっかき、桑原は労働者を突きました。
そして民主主義太郎も新左翼をふり回して大暴れしました。
すると、とうとう労働者の親分が泣きながら降参を宣言しました。
民主主義太郎と渡辺と明仁と桑原は労働者から取り上げたエクリチュールを持って家に帰りました。
そして民主主義太郎たちはエクリチュールのおかげで幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。 映画長話
「ハリウッドが長らく病んでいるのは【2時間20分の病】だと思います」
「スピルバーグに90分の映画を撮れと電報でも打ちたい(笑)」 某編集者Y氏談(故人)
淀川長治さんに「好きな女優は誰ですか?」と聞かれたので
オードリー・ヘップバーンと答えたら淀川さんはニコニコしていたが
淀川さんの傍にいた蓮實重彦と山田宏一から
明らかに軽蔑しているとしか思えない白いまなざしをマザマザと受けた 【キャサリン・ヘップバーン】
>アメリカでは人気・評価ともに壮絶に高い人で、演技派と言えばケイト、女優の中の女優という扱い。
3年前、亡くなった時に、蓮實重彦が追悼文で、
合衆国には「(キャサリン・)ヘップバーン神話」はあっても、ペック神話や
オードリー神話なんてものは存在しない。ところが、日本では、ペックさんやオードリーさんのほうが有名らしく、
無知からでたこの種のガキ人気にマスメディアまでが同調してしまうのは本当に嘆かわしい。
と書いている。オードリーさんやペックさん(ペックさんは好きだぞ、私)のファンに喧嘩を売る気はないが、
私も日本でのケイトの評価どころか知名度が低すぎるのは哀しい。
https://acoyo.exblog.jp/4523666/ どこかの国限定で受けるようなローカルヒーローが多数出るのがハリウッドの普遍性の証なんだが、
「映画」をひとつの尺度にまとめる蓮實はバカだと思った なので「無知」と言う必要はない
エセペダントリーは教養が足りてないという典型 キャサリン・ヘップバーン
大型犬みたいで日本じゃ人気でないよね キャサリンの人気はアメリカの芸能界での活躍込みなので、
そこから切り離されている日本のファンがその事情まで知る必要は特にないと思う。 オードリー・ヘップバーンはハリウッドの女優として「欠陥商品」なんです。 詩人 稲川方人氏に聞く
僕は70年代中葉あたりから詩集を出しましたけど、70年代から80年代中葉までの時間というのは、
現代詩はジャンルの問題だったんですね。文学的なジャンルの問題だった。
戦後現代詩といわれるカテゴリーのなかで、詩をどう見るか、
詩人をどう見るかというジャンルのなかの問題だったような気がするんですよ。
90年代以降になってくると、ジャンルの問題をいつまでも言ってられなくなったということがありますね。
映画だと本当にジャンルがはっきりしているので、わかりやすいんですけど、
ヌーヴェル・ヴァーグはジャンルの問題だったんですね。映画というジャンル。
世界に何が起ころうとも、人間に何が起ころうとも、映画というジャンルが確固としてある。
で、そのジャンルをどういうふうにコーディングするかという問題だったんですよ。
例えば、構造主義的な思考が60年代中葉に日本に入ってくるわけですね。
フランスの構造主義の思考パターンがね。あれって、やっぱりジャンルの問題だったと思うんですよ。
構造主義以後の思考も、例えばわかりやすいのは、
蓮實重彦さんの批評が非常に影響力が大きかったわけですけども、やっぱりジャンルの問題ですからね。
蓮實さんにとって、人間が何をしようと、世界が何をしようと、ソビエトが終ろうと、西ヨーロッパが崩壊しようと、
蓮實さんの批評言語は確固としている、極端に言うとね。ジャンルの刺激だったと思うんですよ。
ある時期、蓮實さんの映画批評も文芸批評も、何となくね、実感として刺激がなくなってきたんですよ。
映画なら映画、文学なら文学のなかに、80年代後期以降の十数年の世界が、表現に対して問うているのは、
そのジャンルで何をするのかとかそういう問題じゃないような気がしているんですよ。別のシステムでね、
はっきりもっと露呈した形というんでしょうかね、僕なら僕という人間が露呈した形で、
別の人間と向かい合ってとか、世界に向かい合ってる、そこが問われている気がするんですよ。
(2003.2.26 三鷹「心泉茶苑」にて) 明らかに「画面を見ること」において劣っていないのは誰? 蓮實が死んだ後、蓮實の文章を鵜呑みにして暗唱していただけの馬鹿信者どもがどうなるか楽しみ。
自分で考えて、自分の言葉で語る事ができないアホばっかりだから、路頭に迷うよw 渡部はもう路頭に迷ってるけど馬鹿信者もあんな感じだろ 伊藤洋司・中原昌也あたりに張り付いて十数年粘るんじゃないですかね 「影響の不安」を持つべきだといいたいのかもしれないが
「自分の言葉」なんてそもそもあるのかねえ?
自分で考えるというのは
そもそも「他人の考え・言葉」とともに考えることなんじゃねえかよ
これはよくよく考えてみれば当たり前の話 自分で考えるなんて
永遠に閉じ込められたままの
「カスパー・ハウザー」のような奴しかあり得ぬ
馬鹿話ではないか 永遠に幽閉された「カスパー・ハウザー」にのみ
他からの影響を完全に排した
真の「自立」と「自前」の思想が宿ることになるだろうw そういうそもそも論で逃げる時点で蓮實虫状態に居直っているのがわかる ついでにヘルツォークdisるムーブで効率よく蓮實大好きアピール、うざいですね >>885
そもそも論がどうこう言う以前に
個別の事例に関して具体的に批判すればいいだけでしょw
その具体的に批判に説得力がなければ相手にする必要もないというだけw >>886
そのヘルツォーク云々に関しては
具体的には全くといっていいほどほとんど知りませんがねw
それになぜこっちは勝手に蓮實虫しているのかねえ?w
私は蓮實虫になった覚えはないんだけどねえw
こっちはこちらが納得したことに関してだけ受け入れているだけの話 具体的個別事例に触れないまま「蓮實虫」などという標語で
見切ったつもりになるのはあまりにも馬鹿げているとしか言えんな 文句があるのなら例えば世界の映画史上最高の女優と蓮實が言っている
アンナ・マニャーニの評価は間違っており
イングリッド・バーグマンやオードリー・ヘップバーンのほうが優れているのだというのを
顕名でメディアなどで具体的に論じればいいんじゃないの? そういえば「映画はいかにして死ぬか」の巻末のベストワーストに
ヘルツォークの映画がワーストに挙げられていたな
「シネマの記憶装置」にヘルツォークに言及していた箇所があったと思うが
それは読んでいないので具体的には知らんなw >>855
他の作家・著述家と同じく、蓮實もフォロワーの実数は昔からごく限られたものだった
とは思いますが、、
その「限られた」フォロワーはなぜ騙されたのか?、、時代背景も書き出すとキリが
ないけど、、
70年代〜80年代半ば=『シティロード』『ぴあ』『プレイガイドジャーナル』(関西)
が主導した(首都圏・京阪神圏中心)名画座全盛時代。
「大都市部の膨大な映画情報がまとめて観られる」これは当時は本当に画期的な事だった(らしい)
それまでも「映画狂」的な層はいたが、日本で(大都市部中心)「シネフィル」的な人種
が本当に誕生したのはこの頃だったと思う。
バブル期=レンタルの登場で名画座総壊滅時代、代わりに(首都圏中心)映画祭・特集上映・
ミニシアターなどの狂乱時代、、この頃がちょうど『リュミエール』とかぶる。
、、日本で「シネフィル」的な層が(少数ながら)いたとして、たぶんコアはこの70〜80
年代の20年間ほどの現象でしょうね。
当時は(主に首都圏)地上波TVの映画放送も多かったし、バブル期にはレンタルやBS放送も
出てくるし、、湯布院・東京国際などの映画祭も多くはこの頃に始まってるんだよな、、
蓮實(1936生)が映画について大学(東大・立教)や講演で語り色んな媒体に書くようになったのも
この頃なので、、東大での講義は90年代前半頃まではやってたらしいけどな、、
「シネフィリー」は本当に終わりのない沼(時間・カネ)だけど、こんな時代にちょう
ど蓮實が居合わせて(主に首都圏の)一握りの「若者」「学生」をその泥沼に引き摺り込んだ、、
それだけの事でしょうね。
引いて見れば「そっちに行ったらだめだ、引き摺り込まれるぞ!」という程度のもんだけど、
当時の一握りの「若者」たちが見事に引き摺り込まれてしまった\(^o^)/ ついでにこれは当時の「ニューアカ」「セゾン文化」的な現象とも見事にパラレルだった、、
ブンガクから映画・マンガ・演劇まで何でも全てを語ってしまう四方田犬彦(53生)
のような人が出てきたのもこのころ(但し「師匠」の蓮實とは途中から仲が悪い)
ついでに(本人はどう思ってるか不明だが)高校大学時代に新宿ローヤル(88閉館)に通
っていたという町山(62生)もこの世代にギリギリ入る。
バブル期以降も現在まで首都圏の映画状況の狂乱は続いているけど、実際のコアな客層は
「常連」「(たまにそういう場に来る)準常連」的な層ばかりという現実はたぶん何も
変わっておらずか、、ま、バブル期以降はもはやほぼ惰性でしょうね。
その惰性の中でも今更この辺に「騙されて」入ってくる新規層はどの程度、居るのか居
ないのか、、
そういう「狂乱」からは身を引いて久しい者からすれば、結局、蓮實氏は自分の「教団」
「イエスの方舟」が欲しかったのかなとは、、いかにもアタマの悪そうなフォロワーたちに
囲まれて心穏やかな「晩年」ということか、、
こんな人、ただの「映画依存症」の教祖以外に何があるんだ?
フォロワーたちはアルコールや薬物やギャンブルから逃げられない依存症者たちと何が違うんだ?
貴方がたが信じ込んでいる例えば今の日本の一部の監督たちは本当にそこまで擁護に値する
何かなのか? ミダス王の指から出てくる黄金は本当に真物なのか? 日本のシネフィルは諸外国と比べて著しく歪んでいる
イーストウッドの満場一致支持とか色々 具体論が結局欠いているんだよな
どう歪んでいるのかが根拠も薄弱なのでは?
イーストウッドの高評価なんてヨーロッパもそうでしょう
パゾリーニの低評価やファスビンダーの無視はそうなのかもしれないが
黒澤明より溝口健二のほうを高く評価しているのはゴダールもそうだし
その辺はアンゲロプロスもトリュフォーもそう変わらないのでは? 蓮實も黒澤明が2流以下の監督であるなんて言っていないわけだし
あくまで溝口小津成瀬に比肩するような監督ではないといっているのであって
1流の監督ではあるとは認めているわけだし いつ合わせているといったのかな?アホやなw
レオス・カラックスもジュリエット・ビノシュも好きじゃない、と
かつてこのスレで言ったはずなのだがw イーストウッドの政治的危うさ完全スルーは、他の国だとありえんので クリント・イーストウッドがトランプ氏支持 「軟弱な時代だ。誰もが発言に細心の注意を払う」
https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/05/-clint-eastwood-donald-trump_n_11345598.html;
言ってる事を読むとウンコけど、結局イーストウッドはトランプを推薦しなかったんだよ。投票したけど(笑) 蓮實追随シネフィルってけっこう左翼が多いんだけど、イーストウッドの政治性は不問にしてるのがダブスタと感じる ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw >>903
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいというのが
あなたのいう日本の左翼らしいw
反米左翼がタダのナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? >>904-905訂正
ラストベルトの労働者はどうなろうとどうでもよいことだとするのが
あなたのいうダブルスタンダードではない正しい左翼らしいw
反米左翼がタダの低次元なナショナリズムに帰結するのは
「敗戦後論」の焼き直しを書いたと批判されている白井某もそうだがw
そもそも映画の出来と政治的姿勢は別な話のはずだが? 天皇制礼賛映画でもナチス礼賛映画でも監督の演出技術が優れてて映画の出来が良ければ問題ないってこと? ポルノ映画と同じでしょ。
金の出どころからの要求を満たせば、あとは作り手の自由。 時代によって変わっていくんじゃない。イーストウッドの場合は今のポリコレを適用した瞬間にアウトになってしまう作品が沢山あるから過剰反応してるところもあると思うよ。過去の作品については別に考えるべきなのかもな。そうじゃないと「國民の創生」とか観れないでしょ。 ハリウッドのアカ狩りも本当は蓮實的映画の見方なら監督がアカだろうがどうだろうが関係ないはずなんだが レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。