文学的なレトリックなんてもんを駆使する作家を有難がるのって自称文学好きくらいでしょう
そもそもレトリックが持ち込まれるには政治的な企図があったわけよな、いまじゃあその残滓を地に足つかない連中が拝んでいる始末
多くの小説読みはもはやそういうの特に必要としていないんじゃないでしょうか