>>160
一つ一つぼくが感じた感想と上のレスの真意を説明するよ

まず良心の呵責については、
イワンは物理的に殺してはいないのにも関わらず、父殺しに罪悪感を感じている
何に罪悪感を持っているのだろうか→
それはスメルジャイコフに殺人すら許されると扇動し思想を与えた罪は大きいと彼は自覚している
起こったことすべての原因を自己に課す(法の罪ではなく罪悪感として)、これこそが最大の「懺悔」ではないか

そして赦しについては、
アリョーシャのみがイワンの心の中の良心の呵責を見透かして、「あなたじゃない!」とアリョーシャのみがイワンに伝えた
この心の中まで察して、というのが、何より重要!
イワンは告白せずアリョーシャはすべてを見透かして!ということ

それを踏まえて考えると、
>決して行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
>そもそも「赦し」とは心理的な感情なんだろうとも>思える

人が自分の罪を告白してそれを許す人がいる
これが一般の許しであるけど、ドストエフスキーはイワンとアリョーシャを通じて、「本当の後悔とは誰にも打ち明けられないほどの罪悪感を背負う」ことであり、「本当の許しとはすべてを見透かして『おまえは悪くない!』って言ってやる」ことじゃないかな?とおもったんだ
これが、行為の赦しではなくて、心情の赦しになる
ぼくがドストエフスキーを賛美する理由でもある
彼はとても人間の内面を重要視していて、行為のみではなくて内的心理に焦点と価値を見出している