ヴォルテールの文学作品カンディードが読み終わりそうだけど、この人の思想もまたトルストイと共通し、ドストエフスキーとも共通点がみられる

カンディードという主人公にはあらゆる不幸がおとずれるが、かれはかれの家庭教師の教えによるライプニッツの最善論を信じて旅立つ物語、曰く、
「すべて、これでよし。すべてが、いまのあり方以外にはありえず、最前なのだ。(神が世界を創ったとすることを前提とする)」
そして、カンディードはことごとく起こる不幸(戦争、殺人、強かん、詐欺、等)の人間の悪事がはびこる世界を体験して、ひとつの結論に至る
「ひとは自分の畑を耕さなければならない、ということ。」

ヴォルテールは、全体の幸福のために個人が請け負う不幸があまりにも大きすぎることに対して、それを最善として見えないふりをする社会に訴えていたんだろうね
これは世界のあり方を憎んだイワンにとてもよく似ていて、また同じように鋭く優しい憐憫も感じた
憂いということだろう
他にも、最善論は自殺まえのキリーロフ(ドスト)の抱いた「すべてはいい。」とした思想を思わせる
最後の決意では、戦争と平和(トルストイ)のピエールが「人は自分の人生を生きるが善行になりえる。」と考えた思想も連想させる
ぼくはヴォルテールに彼らの原型がみた気がした