ドストエフスキーはやはり神義論を考えたのだろうか
「善なる神が世界を正しいものの為に作られてるとしたら何故この世界に悪があるのか?」
カラマーゾフもそれが隠れてる気がする
世界は悪人が得をするようにできてるのか?だとしたら善なる神など存在するはずがない、
という路地側の人間であるドストの問いかけ

トルストイは「正義とはただ2つのみ、真実と勤勉、悪とはただ2つ、嘘、虚妄と怠惰のみだ」という
これも深いとおもたが神義論が隠れてたのか
これらだけは疑いなく真理でこの正義、悪は絶対神義論からもくずれることはない
盗んだり人を殴ったりなんてことは実は全く悪でもなんでもない、そう考えなければいけなくなる
法律は善悪の決まり事でなく社会の規範にすぎないと

ドストエフスキーは陋劣であるが誠実で嘘のない正義としてミーチャを書いたのか