>>757
> つまり神によっての正しさと、人間にとっての正しさは同じでないだろうと思われる、むしろ逆といってもいいのかもしれない

究極的に、神の正しさと人間にとっての正しさは一致するものと思います。神の目的は

人間として至極あたりまえの 凡庸な「よい行為」を選択せしめること、その目的は幸福と理解します。

> そして>>755の問いに答えることができるならば、聖人の幸福と俗人に幸福は違くてむしろ逆になる
> なぜならば一方は地上の、一方は天上の幸福を求めているのだから

地上的な幸福と一種天上的な絶対的な幸福は、相補的でなければならない。もしそうでなけば、偽善と観念論におちいりはしまいか?

フェラポントは「眠るときも膝をついたまま」であった。パンと水しか食さなかった。
ゾシマはイチゴジャムに舌鼓をうった。たとえゾシマといえども オマンマを食べずには生きられない。

> ドストエフスキーはこう言った
> 「人生の存在意義は虚妄か、然らずんば、永遠である。」

力強い、真実の言葉です。