>>91
たしかゾシマの腐敗の話の後の場面だよね
ここの場面でもし、もし、ゾシマが腐敗せずにアリョーシャが望む奇跡が行われていた物語だったらどうだろうか、腐敗せずに神秘が行われて、アリョーシャが修道院から出て行かなかったとしたら
それはそれで賛美してしまうのかな、実際はとても陳腐な外見になるのに

正しいものや行為が報われなくて、その反対が成功しうる混沌のこの世界の秩序を受け入れたアリョーシャは、そのことで世界を憎悪しなかったアリョーシャは、自らの主導者の死をどう見たのかな
圧倒的な「なくなる」という死の存在を
ここにドストエフスキーの真価や思想を読み解くヒントになると考えてる(まだ何とは言えないけど)