よくキリスト教を批判するのに過去の戦争を持ち出すけど、結構そういうのは一部の特権者の行為だよ
集団とは善い個人と悪い個人の集まりにすぎない
個人への批判は個人にするべきだし、集団も同様にね

と思っているが、おそらくこの考えも正しいかどうかはわからない
トルストイは、歴史は1人決定ではなく関わった無数の総意による結果といった
キリスト国のげんじょうも、個人ではなく集団として批判されるのも仕方ないんだろうか
少なくとも戦争は反対する民意が足りなかった結果に過ぎないと考えるとね