ノーベル文学賞を予想するPart 6
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これからニューエイジ・スピリチュアルのカテゴリーで 書いてもらいたい内容を箇条書きにしてゆく。 ・〜自分はいない〜というフレーズが浸透しているのは、支配者が霊界での支配を続けてゆく為のものである。 ・幾世代にも渡って宗教の説教が求められるように前世の記憶を失くして「注意することができない人」にされている。 ・2番目の補足ではあるが、記憶を失わせて説教が必要な人間に仕立て上げる為、彼らは地縛霊を雇い入れ転ばせている。 ・人を上手に転ばせることが出来る地縛霊だけは、生まれ変わることができない。(一緒に仕事をするため。) >>106 既にコメントがあるけど新宿二丁目はこれが標準語だぞ >>121 106は、「最近女性が〜わ、〜わよという言葉を使わない」、という情報を鵜呑みにしているだけの人間だけれど そもそも、このような言葉は「小説」の中にはたくさんあって、なぜ廃れたのかを考え、なぜ「外国著名人のインタビュー」には残っているのかを考えるのは面白い 外国著名人と、二丁目の共通点とは何か? 敬語をしゃべらない、しかし「読者への」親しみを強調しなくてはならない このような丁寧語を表現する語彙がそもそも日本語になかったから、明治の日本人は翻訳文体を作り上げた 特に、女性→同じ立場の男性への表現は江戸時代には存在しない(唯一あるのが夫婦間でのものだった) 著名人へのインタビューでは、インタビュアーに過剰に親しみを覚えているような文体や、なぜか丁寧語をしゃべる不自然な(デーブスペクターのような)文体を避ける すると、「〜だよね」とか「〜と思うよ」という「よ」や「わ」を語尾に持ってくることになる 外国著名人においては、このような文体をしゃべらせる以外に「イメージを裏切らない」文体が確立していない これは「男性が女性言葉を話す」場合にユニセックスでなく、過剰に女性からの対等な相手への言葉を強調するときにも使われる 保毛田問題は、この過剰を極端化して提出し、「役割を演じる」二丁目では逆手にとって流通し続けている 以下wiki引用 現代の日本で一般的に女性語として認識されている言葉の起源は、明治時代に有産階級の女学生の間で発生した「てよだわ言葉」である。 「よくってよ」「いやだわ」などの言葉の流行は、当時は「異様なる言葉づかひ」(尾崎紅葉[2])などと文化人の非難の的になったが、結果的には中流以上の女性層で定着し、規範的な女性語として扱われるようになった。 英語は敬語ないけど公のコメントやメッセージを 日本語に翻訳するときはべつに敬語でいいじゃん。 それでなんでイメージ損なうの? 不特定多数にあててタメ口とかオカマ言葉とか いくらアメ公でもおかしいだろ? >>122 「地球上に存在しない」というのは筆の勢いに決まってんだろがアホ。 それとエマ・ワトソンはオカマか? オカマの英語をオカマ言葉に翻訳するなら なんの問題もないが。 結論: おれが海外文学を翻訳で読むのが嫌いな理由は オカマ言葉が気持ち悪いから。 まあTVや映画の吹き替えとか洋楽の対訳なんて もっと酷くて目も当てられんがw 英語に敬語ないっていうのはウソだけどな その程度のアタマで語っても無意味だよ イシグロ文学、日英どちらの文化とも距離 選考側が語る http://www.asahi.com/articles/ASKB57DWCKB5UHBI032.html ノーベル文学賞の選考をするスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は5日、 文学賞を授与したカズオ・イシグロさんについて、朝日新聞などの取材に答え、 世界の人々に受け入れられる「イシグロ文学」の魅力を語った。 日本のルーツや文化の影響を作品に感じるかとの問いに、 「彼は以前、『日本で生まれて英国で育ったので、どちらの国や文化とも一体感を持ったことはない』と語っていた。 だからこそ彼は、どちらの文化とも一定の距離をとることができる」と話した。 また、「彼には、とても控えめで、何かに影響を与えようとしない独自の文体がある」とした。一方、 「読者は読み進めるに従って、詳しく書かれていない登場人物の過去を発見していく。 それはとてもドラマチックで、控えめな文体と対照的であり、読む人を感情的に引きつける魅力になっている」と話した。 ダニウス氏は最も好きな本として、長編小説「忘れられた巨人」と、 1989年のブッカー賞を受けた「日の名残(なご)り」を挙げた。 昨年は米国人ミュージシャンのボブ・ディランさんに授賞し、何を文学とするか議論を呼んだ。 今年はどうかと問われ、 「判断するのは私ではない。私たちは絶対に素晴らしい小説家だと考える人物を選んだだけだ」と答えた。 春樹は子供いないから イシグロみたいなテーマは無理だね あるとしたらハードボイルド介護小説とか そういう話だな オーディンの詩 フレイアの楽器 パイスラ 輪姦 も古典だな。 マネしないように。 大江健三朗は今、アルコールをたくさん飲んでる(アル中か?)。 そして森田療法をしてる(通院してるらしい)。 ほんとうは大江のような立場の人が精神医学や心理学を否定して批判しなきゃいけないのに森田療法をしちゃってる。 大江のような精神医学、心理学を信用してるバカな人たちは「家族依存」「依存」「甘え」などの心理学言葉を使う。 大江信者のブサイク婆はよくこの心理学言葉を使ってたわ。 ノーベル賞とか大江信者のブサイク婆にはマイナス効果しかないからw付け上がるだけ よく行く書店で発売いらい今まで半年以上も入り口すぐの一番いい平台に積み上げていた「騎士団長殺し」が撤去され イシグロの文庫本が並べられていた いい加減新潮社は返本受け付けたらどうなのか 書店を在庫置き場で利用しているのと同じだ 大型書店へ行っても石黒の本は一冊もない、 ハヤカワは何をしているのか、 あるもの全て売れた後でしょ アマゾンもないしね お爺ちゃん 手もとにあるイシグロの本は中央公論社『日の名残り』ハードカバー初版本1冊だけ これさえあれば他に何もいらない 新宿紀伊国屋の7Fも 入荷待ちの紙が貼ってあった。 【コラム】文芸創作科出身者初のノーベル文学賞カズオ・イシグロ http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/10/18/2017101801153.html 2017年のノーベル文学賞受賞者が発表された後、100年の歴史を持つフランスの書店 「シェークスピア・アンド・カンパニー」が興味深いツイートを行った。 「文芸創作科出身者、初の受賞!」。 カズオ・イシグロ(63)は英国ケント大学で英文学と哲学、 イースト・アングリア大学大学院で文芸創作(creative writing)を専攻した。 ノーベル文学賞の誕生は1901年にさかのぼるが、 文学の創作を大学で教えるという発想は相対的に新しいものなので、この記録が生まれ得たのだろう。 世界の文芸創作科の慶事なりという純真な大騒ぎや、 芸術創作が果たして教育で可能なのかということへの懐疑は、この文章の目的ではない。 それよりも、最近のスウェーデン学士院の文学的態度をいま一度考えてみたい、という理由の方が大きい。 過去2年間、ノーベル文学賞は過激な選択で論争を招いた。 戦争被害者の証言を記録した2015年の受賞者アレクシエービッチは、 ジャーナリズムと文学の違いに対し質問を投げ掛け、 昨年のボブ・ディランは、音楽と文学の境界は何なのかという問いを生んだ。 この質問自体には文化的に有害なところはないが、問題は、その後の騒音と雑音だった。 ますます領土が狭まる文学の現実の中で、 読者の注目や喚起を求める学士院の奮闘自体をおとしめる必要はないだろう。 しかし、われわれは経験で知っている。 簡単に忘れられることを望む人はまれだが、 かといって面倒な形で記憶されることを望む人はもっとまれだということを。 カズオ・イシグロを“数字”で読む。「名翻訳家」が出した数字の意味とは? http://www.excite.co.jp/News/column_g/20171019/BestTimes_7157.html?_p=3 翻訳家・土屋政雄 「イシグロの文章はやっぱり読みやすいんじゃないですかね。 彼はひとつ意識していることがあって、『イギリス人のため』だけには書きたくない。 反対に、フィリップ・ロスという作家がいますが、 彼なんかは頭の中はアメリカだけ。 アメリカ国内でしか通用しない表現が多いです。 イシグロの場合はイギリス人。 アメリカの人口が3億超に対して、イギリスは6千万超ですよね。 だからマーケットの問題でもあると思いますが。 とにかくイシグロは世界の読者に向けて書くということを意識しているようです。 だから私が翻訳していても、特殊な表現方法とか、特殊な話題であるとか、つかえる所はなかった」 >とにかくイシグロは世界の読者に向けて書くということを意識しているようです。 ああ、やっと今年イシグロに決まった理由がわかりました。 そこですよね、ポイントは。ノーベル賞を出すときの必要条件です。 ノーベル賞を貰った作家の作品は世界中の言語に翻訳されますから、国外の人が理解出来ないんじゃしょうがない。 >>145 >反対に、フィリップ・ロスという作家がいますが、 >彼なんかは頭の中はアメリカだけ。 >アメリカ国内でしか通用しない表現が多いです。 これは、少しきつい言いかたの様だけどほんとうにそういう面があって、アメリカを知らずにロスは読めない ベトナム戦争や第二次世界大戦、テロリズム、ブッシュ再選、イスラエル・・・ どんなに多彩な手法を取っていたとしても、アメリカに批判的な視点からであっても、出発点は「同時代アメリカにおけるロスの視点」から トマス・ピンチョンの「アメリカ回帰」以降もどうしてもアメリカの外からでなくてアメリカ内部のアウトサイダーとして見ている ただ、それがカズオ・イシグロを持ち上げる理由になるかはよくわからない 作品の中にトラウマづけられてると言ってもよくて、フィリップ・ロスを好きな理由でもある >>148 当然持ちあげる理由になる フィリップ・ロスは受賞しないで終わるだろう トマス・ピンチョンも受賞しないで終わる 英文学は同一性を保ったまま英語に翻訳できないという欠点がある。 As autumn advances, the Tsuchimikado mansion looks unutterably beautiful. 秋のけはひ入りたつままに、土御門殿のありさま、いはむかたなくをかし。 もうイシグロの本は、本屋に出てるかな? ハヤカワは早くしないと、ブームが過ぎるぞ これからは、ハルキとカズオをセットで 売り出すと成功まちがいなし 「国際派」と命名して(バナナも入れる) 内向の世代、以降 グループ名聞かないんで >>156 そんなことをしても売れない 春樹と一雄じゃあまりにも思想が違い過ぎる 国際派 ハルキ、カズオ、バナナ、リービ英雄、 温又柔、ヨーコ(多和田)、など 文化勲章をイシグロに与えなかったのは良買った。 与えていたら日本が英国人に便乗したと思われるところだった。 作品テーマ考えると国家に貢献したと 見ていいけどな。意見がまとまらなかったので 持ち越しなんだろう。将来出してもいいし。 文化勲章は当然無しでしょう。当たり前の話です。 こんなことでも話題にすべくハイエナマスコミは狙ってくるんだからしようがねえな、と思いますが。 出さないきちんとした理由を提示できないから そう書くしかないよねえ >>162 >国家に貢献した ソ連か中共の方ですか? >>166 文化勲章関連の授与基準にその手の文言があるって話を 聞いていたのだが、調べても出てこないな 俺の勘違いかもな 俺は授与すべき論者なのでいいけど このスレの人間は保坂和志とか読まないの? アレのフォロワーだけで党派組めると思うんだが トマス・ピンチョン フィリップ・ソレルス ミラン・クンデラ フィリップ・ロス ドン・デリーロ サルマン・ラシュディ 村上春樹 ミシェル・ウエルベック カズオの受賞をハルキは喜んでいるだろう。 もう春樹の受賞はないだろうから、煩わされる ことなく創作に専念できる。 次の日本人作家は今四十台くらいかな? ttps://www.neustadtprize.org/2018-neustadt-prize-finalists-announced/ 2018 Neustadt Prize Finalists Announced The winner will be announced on November 9. >>172 正直めぼしい人がいるとは思えませんが・・・ 具体的に誰か名前を挙げられますか? 私は40代どころかそれ以下の若手を含めて今後日本から受賞者が出ることはないと思っています。 そもそも世界で読まれてないからね 戦略的には国の後押しでjapan societyとか 使ってスノッブにアプローチして実験文学枠とか は効率いいと思う 次は、日本語で書く外国人か、ハーフかな、 おリンピックの代表みたいに国際化する、 自然の流れだ 【文学】なぜ村上春樹はノーベル賞を取れないのか 「等身大の文学」を拓いた春樹にノーベル文学賞が与えられる公算は低い http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1509457406/ やはり村上は無さそうだな まあ、プルーストもカフカもジョイスもボルヘスもナボコフもアップダイクも貰ってない賞だしな フォークナー、シモン、クッツェーくらいか 残るに値するのは そいつらはそれほどではない マルケスは評価高すぎ フォークナーの下手くそな亜流だし ならパムクとかクッツェーのが評価できる 彼らはフォークナーより小説が上手い ベケットもジョイスやシモンあたりからは二枚落ちる グラスに至ってはクンデラ、ピンチョンクラスのゴミと変わらん そいつらあたりよりはカポーティやバーセルミとかアップダイクとか評価さるべき 中上健次や阿部和重やピーター・ケアリーあたりも >>182 このスレッドの人々は難解な術語ばかり使用するけれど平易な日本語に置き換えて考えたら実は大した意味を語っていないのではないかとよく思う ジョイスはともかくベケットがシモンより二枚落ちるとか何わ ジョイスはともかくベケットがシモンより二枚落ちるとか何が根拠なんだよ フローベールの亜流とか言い出したら本当にキリが無くなるから止めろ そんなんありなら20世紀の文学はほとんどフォークナー辺りの亜流だろ 亜流だからノーベル賞に相応しくないなんて論理は無いよ フォークナーは単なるモダニズムの技法と マジックリアリズム様式を橋渡しした点が感心する つまりラシュディとかその辺は全部フォークナー型だから この型はこれからもたくさん書かれるだろうってくらい 様式の発明といえる フォークナーはかなりパクられたがムージルは全然パクられんな >>198 どっちかっていうとプルースト 古井由吉が影響色濃く受けている 真似しやすい文体でないのとドイツ語がやたら難しい フォークナー シモン ガルシア=マルケス 大江健三郎 莫言 フォークナー系列はノーベル賞受賞確率が高い! フォークナーが20世紀文学の本流であることは分かったが、 その源流は何か? >>197 ぱくりようがないほど、難解な文体だし、社会、国家、歴史への洞察力がいるから、 このタイプの作家は滅多に出てこない sound and fury 響きwww noiseな 「ざわめき」 >>206 シェイクスピアが出典だってことは知ってるよね?さすがに 人の生涯は動きまわる影に過ぎぬ。あわれな役者だ、 ほんの自分の出番のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、 そしてとどのつまりは消えてなくなる。 白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、 Told by an idiot, full of sound and fury, 何のとりとめもありはせぬ Signifying nothing だからこの小説は白痴の語りで始まる アメリカ南部というのはエリザベス時代のイギリスに奇妙なシンパシーを感じている 産業社会後のイギリスを代弁する北部ヤンキーに対して騎士道だったり、「筋は通す」みたいな任侠気質がある 資本主義に圧殺されていた南部が文学的に復活するのが20世紀前半、「新批評」ってのは南部の知識人が始めたものって事は忘れちゃいけない 彼らは古臭い、シェイクスピアの韻文をもとにして、こっそりモダニズムを導入して新しい文学を作り始めた このような異種混交性をさして、豊穣だと20世紀は評価し、ほかの地方でも旧い伝統と新しい形式という流行を世界中にもたらしたわけだね >>205 ムジールは、エルンスト・マッハの理論を文学に応用していたりするわけだ 人間の心理というのはどのように動くのか、そこが重点であって、奇妙なドイツ語を作り始める そしてそれは珍しい事ではなくて、奇妙な心理を引き起こすためには奇妙なドイツ語が必要だ、と考えている lこういうExpressionismは印象派Inpresshonismの逆なのだけれど、脈々とした文学的水脈を持っている ギュンター・グラスもこっちの路線で、いうなれば大陸系哲学と英米系哲学みたいな違いがある フォークナーとは違う水脈もあってこちらも豊穣極まりない 大江健三郎もフォークナーでいいのか?ムジールなどの方向がいいのか?いろんなところを行き来しているからこそ面白い 12月号は、イシグロの特集は少ないな、 間に合わなかったのか、あるいは、 関心がないのか、あるいは、研究者がすくないのか? 「文学界」のインタビュー記事は数年前の再録だしな、 ハヤカワが純文学の雑誌を持っていないから、ミステリーマガジンででも取り上げるか? あげそこなうというのはあるな ボブ受賞後に見渡すと サイードは病歴に鑑みてサッサと 出すべきだったと思う 本国でも評価されてないらしいよ チェコの物理学者と話したらクンデラは欧米に顔を向けた作家で 国内では冷ややかに見られてるとか 日本人学者が聞いたと そうなんかー、意外だ。 じゃあ平野啓一郎はどうだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる