ノーベル文学賞を予想するPart 6
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新文学賞自体→かえって、ノーベル賞へのこだわりが見え見えになったな、 まあ、今の日本人のノーベル賞なんて虚名に過ぎない。
殆どの人は真剣に作品を読んでませんから。 完全な地雷賞だからニール・ゲイマンでいいんじゃね?
マリーズ・コンデは欧米のノーベル文学賞予想でよく名前が挙がる ずっと国際市場の潮流追いかけてる作家が気にしてないわけがない >>481
けんとうしの英訳かな?
元々フェミ関連でも欧米では多和田の方が評価高いよね
騎士団長よりも地球にちりばめられての方が良かったし また一つ追加、村上春樹にノーベル文学賞が来ない理由
前代未聞の偽ノーベル賞「ノミネート辞退」が発散する下心臭
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54151
ところが、ノーベル賞とは縁もゆかりもない、ノミネートした「1回限りのノーベル代替賞」にノミネートされていた日本人作家が、
あろうことかノミネートを辞退するという、前代未聞の挙に出ました。
欧州知識層からは面白いことをする人だと見られています。
何一つ、定まったことはありませんが、大方の見通しでは、
2018年にこの「偽ノーベル賞」を貰ってしまうと、少なくとも2019年に公開される、
2018、2019年度分のノーベル文学賞を授与されることはないだろう、という観測が支配的です。
というのも、現時点でもスウェーデン・アカデミーは半崩壊状態で、立て直しの目途がまだ立っていません。
2018、19年度のノーベル文学賞は、かねてのダーティーなイメージを払拭する、
よほど清新なものでなければ、スウェーデン国内を含め国際世論が納得しないだろう、という見方がなされています。
そこで前年の「偽ノーベル賞の後追い」などは絶対にしないだろうというわけです。 ただ、徹底しているのはノーベルが遺言で示した方向性です。
「人類が進むべき理想の方向性を指し示す仕事」
ベルグソンも、サルトルも、またボブ・ディランも、一切ぶれることなく、
私たち人間がどのように生き、どのような方向に向かって生きるべきかを示す仕事をしてきました。
あるいは現在世の中に流布している誤謬を正し、権力の腐敗を告発し、虐げられた弱い人を庇い、
新たな光をもたらすような仕事に、あくまで「旧西側」的な観点からですが、ストックホルムは光を当て続けてきました。
このため、1973年にベトナム和平交渉の当事者として、
米国のヘンリー・キッシンジャーとベトナムのレ・ドゥクトが受賞しますが、
レ・ドゥクトは「いまだ平和は訪れていない」としてこの受賞を拒否しています。
これに先立つサルトルの文学賞辞退のケースでも、ノミネートを知った時点でサルトルは
「受賞したとしても受けることはない」との手紙をストックホルムに送っていたと伝えられています。
しかし、「ノミネートから辞退」などという珍妙なことをする人は、かつて前例がありません。 今年の7月6日と26日、オウム真理教事犯で最高刑が確定していた13人の収監者に対して絞首刑が執行されました。
この種のタイミングで、必ずと言っていいほどピントのボケた文を発表する村上春樹氏は、
今回も毎日新聞に作文を投じ、辺見庸氏などから徹底的に批判されています。
村上氏の話が素っ頓狂なのは、「オウム真理教事件」の全体像を見ず、
すべてを「地下鉄サリン事件」だけに矮小化しているからだけではありません。
事件後にデータマンやスタッフがおんぶにだっこで作ったインタビュー集を既成事実のごとく前提として、
一般読者がなるほど、と思うような、本質と無関係なファンタジーを書き連ねる点にとどめを刺します。
今回は、特にノーベル賞に関しては受賞者に相応しくない、との烙印を自ら決定づけるような作文になっていました。
ここで村上氏は、海外向け、国際社会向けには
『一般的なことをいえば、僕は死刑制度そのものに反対する立場をとっている』
とし、英語やスウェーデン語で国際社会の歓心を買いそうなヒューマニズムのポーズを取る際には、
トレンドどおり「死刑制度そのものに反対」と宣伝してみせ、
返す刃で、こちらは必ず日本語だけですが、死刑存置の世論が高い国内読者向けには、
『「私は死刑制度には反対です」とは、少なくともこの件に関しては、簡単には公言できないでいる』
と、時と場所によって見解を使い分けていることを自ら露骨に記してしまいました。
これは、流行作家としては当然の配慮で、日本国内の顧客を念頭においたマーケティング的には全く納得のいく話です。
同時に、国際世論、とりわけノーベル賞に関わるような水準の議論では、最も軽蔑される両面宿儺の状態にほかなりません。
8月、欧州で、日本語だけで公刊されたこの作文をドイツやオランダ、フランスの、関連の問題解決に
長年尽力してきた友人たちに示して意見を求めてみました。
「すべてのケースでなんだこれは?」 と呆れられて、「相手にする水準ではない、
国内向けの大衆作家の自己PRだろう」で終わりとなりました。
ノーベル賞がどうこう、という水準の議論ではないのです。 新文学賞と旧文学賞とどちらが本物なんだ、まずそこをハッキリして欲しい
文学賞だけ曖昧な状態になってる イシグロにおだてられて舞い上がっちゃったのかな
イシグロも悪い奴だ 来年はノーベル文学賞復活
https://this.kiji.is/416120054628336737?c=39546741839462401
ノーベル文学賞の選考主体、スウェーデン・アカデミーのアンデシュ・オルソン事務局長は
22日までに共同通信と会見し、アカデミー関係者の性的暴行疑惑で今年は見送られた受賞者発表を、
来年は予定通り行うことに「自信がある」と述べた。
10月の文学賞以外のノーベル各賞発表を前に、スウェーデンの首都ストックホルムで語った。
世界最高権威とされるノーベル賞の文学賞で受賞者が決まらないのは1949年以来で、
醜聞による見送りは極めて異例。
アカデミーは失墜した信頼の回復を図り、
来年10月に今年の分も含めて発表できるよう組織の立て直しを進めている。 >>492
で、
新は今年一人分発表
旧は来年は二人分発表
どちらが本物なの?教えて >>495
君はもうノーベル賞のこと気にしなくていいよ。
上のJBpressの文章読めば誰でもわかるのにそれでも分からないんじゃあ・・・ 辞退なければ村上氏受賞も スウェーデンの文学賞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3570410025092018CR0000/
今年のノーベル文学賞発表見送りを受け、1回限りの市民文学賞を創設した
スウェーデンの「ニュー・アカデミー」のポールソン審査委員長は、
最終候補を辞退した村上春樹氏が選考過程でのネット一般投票でトップ人気だったと明らかにした。
辞退がなければ「受賞していただろう」と述べた。
首都ストックホルムで24日までに共同通信の取材に答えた。
ポールソン氏は、この賞が「新たなノーベル文学賞」と報じられたことについて、
「ノーベル賞に代わるものではなく、読者が中心になって選ぶ賞だ」と述べ、全く性格が異なると強調した。 wrong about japanて邦訳ないのな
よほどつまらないのかw 今年限りの手作り文学賞 ノーベル賞代わり「ニュー・アカデミー賞」 ボランティア運営
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13699065.html?rm=150
「目標達成に向けて努力しているけど、本当に集ログイン前の続きまるかどうかは分からない。
私たちはボランティアで、銀行員ではないから」
9月初め、スウェーデン在住のジャーナリスト、アレクサンドラ・パスカリードゥさん(47)は焦っていた。
ニュー・アカデミー文学賞の発起人となった人物だ。
賞金の額をノーベル賞の約10分の1の100万スウェーデンクローナ(約1200万円)に設定、
寄付を募ったものの、集まるめどが立っていなかった。
テレビ司会者としても知られるパスカリードゥさんは、
貧困地区の母親たちを取材した新刊のPRや、女性活動家としての講演活動で国内外を飛び回る。
さらに子育てと並行しての孤軍奮闘。「来年以降も続けてほしいと言われるけど、大変すぎる」と笑う。
海外からは、賞の創設を歓迎する声が相次ぐ。
英紙ガーディアンは「なんてオープンで、なんて包摂的なことか。選考結果が待ちきれない」と高評価。
最終候補に入った英国の人気SF作家、ニール・ゲイマン氏は「感動している」とツイートした。
一方、地元には批判の声もある。
大手紙ダーゲンス・ニュヘテルの論説委員リサ・マグナソンさん(37)は9月半ばの記事で、
1901年に始まった伝統あるノーベル賞の「代わり」と海外で報じられることに強い違和感を示した。
同紙はアカデミー関係者の性的暴行疑惑をスクープした新聞だ。
人口1千万人ほどの小さな国で、洗練され、国際的に認知されたノーベル賞を持つことは国民の誇りだった。
マグナソンさんは朝日新聞の取材に
「腐敗したアカデミーに汚され、さらに素人集団におとしめられる必要はない。賞の権威がさらに傷つく前に解散してほしい」と語った。 マグナソンさんはほんとアホだな
芸術を理解していない “消えた”文学賞
https://www3.nhk.or.jp/news/special/nobelprize2018/tokushu/tokushu_03.html
さまざまな話題を呼んだすえに、セクハラ疑惑をきかっけに辞任することになったダニウス事務局長。
辞任の際、アカデミーの体質を痛烈に批判しました。
『事務局長として、アカデミーを時代にあわせたものに変革したいと思っていました。
みずからが継承したものを守ろうとするがゆえに一般社会の常識からかけ離れていくのは傲慢で、間違っています。
いまの時代、派閥の場所などないのです』
批判の意味するところはなんだったのか。
その答えを先月、みずからラジオ番組で明らかにしました。
ダニウス前事務局長は、セクハラ疑惑がもたれたアルノー氏と親交があった男性たちを
「古いお友達グループ」と呼び、改革への抵抗勢力と位置づけました。
そして、「20年前、当時の事務局長はセクハラを訴える手紙を受け取りながら脇に押しやった」
「古いお友達グループがセクハラ疑惑やアルノー氏への助成金の流れについての調査を
中止させようと画策した」と次々と“暴露”。
さらに、フロステンソンさんがアカデミーを去るのを引き替えに、自分も辞任を迫られたと述べたのです。
このダニウス前事務局長の告白は、アカデミーの会員が特権におぼれ、
市民の感覚から離れてしまったと感じる人々の喝采をあびました。
ところが、ダニウス前事務局長は今月になって、
「アカデミーに戻り、再建に協力してもいい」と突然、申し出て、フロステンソンさんの復帰への道も開かれることになりました。
そして、アカデミーは、会員の辞任を認めるなど規則を見直し、新しい会員の選出を行うなどの「改革案」を発表しました。 前代未聞のスキャンダルに揺れた「アカデミー」の再生はなるのか。
大手新聞社のヴィーマン編集長は、厳しい見方を示しています。
『アカデミーは、もっと根本的な改革が必要です。
結局、同じ人間が戻り、何事もなかったかのように運営をしようとしているようにみえますし、
組織にはいまだにアルノー氏を支持する人たちがたくさんいるのです。
それでは失った国民からの信頼を回復できるわけがありません。
ノーベル文学賞は来年は復活すると思いますが、それは国王もノーベル財団も、つぶせないと思ったからです。
来年の受賞者は、アカデミーからの連絡をありがたがる人という、無難な選択になると思います』
アルフレッド・ノーベルは遺言で、文学賞は理想主義的な作品を生み出した人物に与えるように求めました。
選考主体として、その理想や権威を守りながらも、いかに時代にあわせた姿に変えていくのか。
アカデミーは極めて重い課題を背負っています。 セクハラがばれるから実行犯で辞退したんじゃないの?男方が。 ネット時代は
おまゆうの原理が貫徹されるから
左翼思想にとっては大変だよね ノーベル文学賞 日本人2人同時授賞の可能性を検討 1965年
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181003/k10011657151000.html?utm_int=news_contents_news-main_002
小説家の川端康成が、日本人で初めてノーベル文学賞を受賞したのは、今から50年前の1968年。
その3年前に、賞を選考するスウェーデン・アカデミーが、日本で秘密裏に調査を行い、
日本人作家2人に同時に賞を贈る可能性を検討していたことがわかりました。
これは、ノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求で開示された
1965年の選考資料によって明らかになりました。
このうちの1点は、アカデミーが賞の選考に役立てる目的で、
この年に日本で秘密裏に行った異例の聞き取り調査の報告書で、
冒頭には「賞を1人、あるいは2人の作家に授与した場合の考えうる反応について調査した」と
その目的を記しています。
報告書によりますと、調査は、文芸評論家や大学教授など10人余りを対象に行われ、
その結果、川端康成と谷崎潤一郎の評価が高く、
「どちらがすぐれているかを決めるのはほとんど不可能である」という
大学教授の意見などが紹介されています。
そして、報告のまとめとして「どちらが賞に値するか、限られた資料の中で結論を導き出すことはできない。
したがって2人に同時授与する方法が考えられる」と提言しています。
この年の選考では、90人の候補者が選ばれ、日本人では川端と谷崎のほか、
三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も候補になっていたことがこれまでに公開された資料からわかっていますが、
この時期にアカデミーが2人の日本人作家に同時に賞を授与する可能性を
検討していたことが初めて明らかになりました。 (承前)
しかし、谷崎潤一郎は、選考を目前にした7月30日に死亡したため対象から外れ、
日本人初のノーベル文学賞は、3年後の1968年に川端康成が1人で受賞することになります。
ノーベル文学賞の選考の歴史を調べている日本大学大学院の秋草俊一郎准教授は、
今回明らかになった資料について「2人同時授賞を考えているという情報はこれまで全くなかった。
ここでの『2人』は川端と谷崎を念頭に置いていたと思われるが、
それだけ2人の評価がアカデミー内できっ抗していたと考えられる」と分析したうえで、
「初めて東アジアの国に賞を与えるにあたって、『1人の作家に対して』というよりも
『アジアという地域や日本という国に与える』という意識があったのではないか」と指摘しています。
今回明らかになった日本での調査は、
スウェーデン・アカデミーの委託を受けたスウェーデン王立図書館の男性司書が行っていました。
調査報告書は15ページあり、「1965年8月8日」の日付と共に「東京」と記されていることから、
翌月・9月に行われる文学賞の選考に間に合うよう東京で報告書をまとめ、
本国・スウェーデンへ送ったものと見られます。
聞き取りの対象は10人余りの日本人で、報告書には匿名で肩書だけが記されていますが、
文芸評論家や日本文学が専門の大学教授などのほか、
文学への関心が高い財界人や国会図書館の司書などさまざまな立場の人から話を聞いていました。
調査自体は小規模なものですが、報告書には「守秘義務が何より重要である」とか
「メディア業界の人間は避けた」などと記され、調査を秘密裏に行おうとしていたことがうかがえます。
報告書によりますと、聞き取りを行った日本人からは、川端康成と谷崎潤一郎を評価する声が特に多く聞かれ、
三島由紀夫については「比較的若く、日本では候補として真剣に考えられていない」と記しています。 実際の日本人の意見も記されていて、
「日本人が生まれながらに持つ、年長者を重んじる文化を鑑みれば、
谷崎を追い越して川端が受賞することは難しい」とか
「もし川端と谷崎のどちらかを選ばなければならないなら、
その心理的な深さと繊細で詩的な文体から、川端を推薦する」などといった声を紹介しています。
また報告書の中では、
「日本人作家のノーベル賞受賞に対して数年前から非常に大きな関心を抱いている」と、
国内で日本人初受賞への期待が高まっていることに触れ、2人の同時受賞についても、
「文学賞が川端と谷崎のうちの1人、または2人に与えられたら、
日本で批判が出る可能性は全くないであろう」という大学教授の声を取り上げています。
ノーベル文学賞の候補となった日本人の作家としては、
1947年と48年に賀川豊彦の名前があり、
その後、1958年には谷崎潤一郎と西脇順三郎の2人が初めて候補となりました。
この年の選考の議事録には、「谷崎は現代日本の代表的な作家で、
ヨーロッパ言語への翻訳によって最近知られるようになってきた」と記されていて、
日本人作家に関心を向け始めている様子がわかります。
1960年にもこの2人が候補となりますが、
「欧米の候補と同じレベルに達しているとは受け止められない」とか
「判断に必要な翻訳や資料が乏しい」などと評されていました。
スウェーデンにおける日本文学の受容に詳しく、村上春樹作品のスウェーデン語訳も
手がけているジャーナリストで翻訳家のデューク雪子さんは、当時、
日本文化の中では陶芸や浮世絵などの美術作品がすでに高く評価されていた一方、
文学は言語の壁があることから理解が困難だったとして、
「関心があったが、読めるのは英語かドイツ語かフランス語の訳だけで、
アカデミーの知識はまだ非常に浅かった」と指摘しています。 こうした中、スウェーデン・アカデミーは、日本文化研究の第一人者として知られていたドナルド・キーンさんや、
谷崎・川端・三島作品の翻訳者として知られるエドワード・ジョージ・サイデンステッカーさんなど
複数の研究者に協力を求め、日本人作家への評価などの意見を求めました。
1961年に川端康成が、1963年には三島由紀夫がそれぞれ初めて候補となり、
谷崎、川端、三島の3人は、それぞれ1度は最終候補に残るまでに高い評価を受けるようになります。
デュークさんは、当時の日本文学への評価の高まりについて、
「西洋とは文化の土台が全く違っていたため、日本語の繊細さや美しさが非常に新鮮に感じられ、
ヨーロッパの文学とは文体も世界を見る目線も少し違っていたところが
おもしろいと思われたのではないか」と分析しています。
その一方で、スウェーデン・アカデミーがどの作家を最も高く評価していたのかについては、
「有名な日本文学者に尋ねても、川端がいいとする人もいれば
谷崎のほうがいいとする人もいて、戸惑っていたと思う」として、
1965年に日本で聞き取り調査を行った背景にも、
日本文学を理解することの難しさがあったのではないかと指摘しました。
ノーベル文学賞の受賞者は、賞が始まった1901年以降、
長い間、西洋の作家に偏っていました。
特にヨーロッパの作家が多く、アメリカの小説家が初めて受賞したのも、
賞の誕生からおよそ30年がたってからのことでした。
アジアでは1913年という早い時期にインドの詩人、タゴールが受賞していますが、
タゴールは母語のベンガル語で詩作を行うかたわら、
みずから英語に訳した詩も発表していたため、
西洋の言語で作品を書かないアジアの作家が選ばれたのは、1968年の川端康成が初めてでした。 1960年代のスウェーデン・アカデミーが日本文学を理解しようとしていた背景には、
それまでの西洋中心の価値観から脱却する狙いがあったと指摘する声もあります。
スウェーデンの大手新聞社などで長年執筆を続け、
ノーベル文学賞の選考の歴史に詳しい文芸ジャーナリストのカイ・シューラーさんは、
「当時のアカデミーは、文学賞を授与する対象があまりに狭すぎるという批判にさらされていた。
科学分野の賞は世界中の人が受賞していたが、文学賞はその点が欠けていた。
ほかの言語や文化領域にも広げないと、ノーベル文学賞がどんどん狭まってしまう。
それは大きな問題だった」と、当時のアカデミーが抱えていた問題意識を指摘しています。
この時期の選考の議事録を見ると、三島由紀夫が高く評価された1963年には
「新しく重要な言語領域にノーベル賞を広げることを強く望んでいる」という意見が記されているほか、
川端康成が最終候補となった1966年にも、
「日本に賞を授与することは、賞の地理的拡大を意味し、その観点からも魅力を感じる」と述べていて、
当時のアカデミーにとっては、日本という“新しい国”に賞を贈ること自体が大きな意味を持っていたことがうかがえます。
こうした中で、スウェーデン・アカデミーが1965年に日本で聞き取り調査を行っていたことについて、
シューラーさんは、このような調査は、ほかの言語や国においても見たことがないと興味を示したうえで、
「文学賞を新たな世界に広めたいと思って日本に注目していた一方で、
日本のことはあまりわからないアカデミーが、
自分たちの判断や選択に対する日本側の反応を非常に気にしていたことを示している。
事前にこうした調査をしていたのはとても奇妙なことだが、
一方でこの調査は彼らの自信のなさを示していて、理解できる気もする」と話していました。 ノーベル文学賞、復活なるか 財団の見方は厳しく
ttps://www.nikkei.com/article/DGXMZO36134850U8A001C1CR8000/
「来年は発表できると自信を持っている」。
アカデミーのオルソン事務局長は9月10日、共同通信との会見で、
今年の受賞者を来年合わせて発表できると強調した。
オルソン氏は規約改正などを通じて組織立て直しが進んでいると強調するが、
今年の発表見送りを要請したノーベル各賞の運営団体、ノーベル財団は厳しい見方だ。
財団のヘイケンステン専務理事は9月28日、ロイター通信に
「やるべきことはまだ残っている」と述べ、
信頼回復が図られなければ再延期もあり得ると警告、
スウェーデンの別組織に選考を委ねる可能性に言及した。
財団はメンバーの大幅刷新を求めているとみられ、
今後選出される新メンバーの顔触れが焦点になりそうだ。
一方、アカデミーに「閉鎖的でエリート主義」との批判が集まる中、
文化人らが今年限定の市民文学賞を創設した。
ただ、最終候補に選ばれた村上氏が辞退したこの賞についてオルソン氏は
「真剣なものとは考えられない」との見方を示した。
地元紙アフトンブラデットのオーサ・リンデボリ文化部長は、
アカデミーの立て直しを楽観視しながらも
「もし来年発表できなければ、その時はアカデミーは終わりだ」と指摘した。 新聞やニュースなんて下格の賞だよ。一喜一憂するべきでない。たかが。 新聞やニュースなんて下格の賞だよ。一喜一憂するべきでない。たかが。 今年の仮ノーベル文学賞で宮崎駿監督が候補に挙がっているのは
本当なんでしょうか? そんなの中止した意味なくなるなw
予想は盛り上がりそうだけど マリーズ・コンデの受賞はいいですね
クッツェーの翻訳者が『心は泣いたり笑ったり』(青土社)を翻訳していて、小野正嗣が彼女について博士論文を書いている
もっともっと注目されていい作家 新しい会員は最高裁判事とイランの詩人ですか。
新しい血を入れるってことなんでしょうけど、特に判事さんの方はどれぐらい文学に明るい人なんでしょうか。別にアカデミーの判断能力を疑う訳じゃありませんが、ネガティブなイメージを払拭するためにも詳しい情報は欲しい。 中東の詩人がアカデミーに入ったことで
来年以降は中東の作家・詩人が有利になる!・・・か?
何れにしても中東の情報収集力が上がったのは確実 新文学賞、無視されまくっているな、ハルキの商算は正解? 新文学賞もそうだが、マスコミは今回のアカデミーの人事刷新がどれだけ重大な決定だったか理解してないんじゃないの?
史上初めて、スウェーデン人以外の人間がアカデミーに入ったんだよ? ノミネートの段階で胡散臭さマックスだったからな代理ノーベル賞
貰ったら本物貰えないし春樹は正解だわ
つっても今さら本物貰えても春樹のプライドで授賞式にも行けなそうだけど 来年はアカデミー内の守旧派と改革派の対立をそのまま反映した二人になると見た アカデミーがビビっている今だからこそ
murakami受賞あるゾ〜 白人女性と有色人種の男性or女性のダブル受賞と予想
両方男性とか両方白人というのはないんじゃないかと思う 高銀脱落はアジア枠にとって痛いよな
中国とかもう体制批判する文人残ってないし みんなアトウッドを有力視してるけど、休止を挟むとはいえ英語圏3連チャンはあるのかな 「春樹以外で可能性がありそうなのは?」みたいな話題で名前が挙げられることは前からあったけど
ほんとに多和田葉子が取るかもね 長生きすればあり得るぞ
ヨーロッパのリベラルを完全に理解した
作品を書ける
ラヒリもイタリア語でひと仕事できれば
とるかもしれないな
申し訳ないが
Paradise in the Sea of Sorrow言ってたやつは
分かってない 何回でもいうが
リベラルかつジャンル小説枠で
ルグィンに出さなかったのはマヌケとしか
言いようがない
カナダ枠なんか要らんかった ノミネートされていると書き込んだが
多和田とったな ジャンル小説枠、カナダ枠、女性枠と兼ね備えたアトウッドという作家がいるのにな 侍女の物語が70年代初め頃だったらな
SFへの貢献がダンチすぎる
その点ドリスレッシングは受賞が遅すぎた
golden notebookなんて60年代はじめだぞ
フェミでは最重要 当時最高齢の授賞だったか
レッシング
現代の『侍女の物語』と称されるthe power読んだけど、流石に言い過ぎだと思ったわ ルグィンは「物事を変えた石」
という短編がオススメ
フェミ寓話の創作術がきわめてよく理解できる
このレベルの短編を20くらい書いている
「革命前夜」とか ノーベル文学賞選考に外部専門家=醜聞受けスウェーデン・アカデミー
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018112001154&g=int
関係者のスキャンダルをめぐる混乱で今年のノーベル文学賞の発表を見送ったスウェーデン・アカデミーは19日、
これまで内部の会員のみで構成されていた選考委員会に外部の専門家も加える方針を発表した。
「創設以来最大の危機」に陥ったアカデミーは、信頼回復に向けて改革姿勢を示した形だ。
AFP通信によると、文学賞の選考は通常、5人の会員が中心となって行われるが、
批評家や出版関係者、作家ら外部の専門家5人が新たに加わる。
5人は27〜73歳で、2019年と20年の選考作業を担うという。 柴田系というか新潮クレスト系しか挙げられてない薄っぺらいスレだね ん、別にクレストなんか購入どころか読んでもいないが。
クレスト系や柴田系で分からなければ、ブックオフ100円系といえば分かりやすいかなw 急に始まるマウント合戦
新潮クレスト系とかいう謎のくくり
文学系スレって痛いやつ多すぎでしょ その括りいきなりすぎる
クレストは海外の有名受賞作とか拾ってるんだから
話題かぶるの当たり前w まあ作品のトーンというか毛色ってのはあるかもしれないな、あのレーベル
蔑んだ言い方してるのは謎だけど(笑)
まさかエクス・リブリス勢か!?
真面目な話カズオイシグロとかクレストで出ててもおかしくない作家なんだよなあ デザインというか紙質?
確かにあれは不評だよな
その代わり値段は安い気もするけど
結構前に何故か国書刊行会の本読みを見下してる奴もいたなあ
レーベルでひとからげにしてマウント取るやつ頭おかしいでしょ
人間に対しても平気で偏見もって差別してそう つくりもそうだけど
ブックデザインがなあ
「終わりの感覚」とか
カバーアートの苦労がしのばれる
そもそもサインがお母さんっぽいw 1,000 Books to Read Before You Die: A Life-Changing List
これ新刊だがええやんけ PBでセンス安定しているのはVintage Classicsだな
Woolf Seriesとか流石だ ミカエル 「人類に古代の叡智(えいち)をさずける!!」
古代の叡智(えいち)
◎「一日一回反省をしましょう!!」
(反省をしない人間は、成長しない!!
常に「謙虚(けんきょ)な姿勢」で、人から何かを学びましょう!)
◎リーダーは、「部下の意見」に耳をかたむけ、
「きびしすぎる現実」を直視(ちょくし)しましょう!!
(徳川家康が長続きしたのは、「部下の忠告」に耳を
かたむけ、「他人の忠告」をよく聞いていたからです!
「織田信長」・「豊臣秀吉」は、「部下の意見」を
聞かず、「自分の意見を押し通すタイプ」だったので、
長続きしなかったのです!!「歴史学者の意見」)
「人の意見に耳をかたむけ、
「謙虚(けんきょ)な姿勢」をわすれずに!!
他人から学びましょう!!」
「これが「古代の叡智」だ!!」
ミカエル それにしても今年は本当に盛り上がらんかった
来年はどんなことがあってもやってくれよ イスラエルの作家、アモス・オズ氏が死去 79歳
https://www.cnn.co.jp/world/35130790.html
エルサレム(CNN) イスラエルの著名な作家、アモス・オズ氏が28日、がんのため死去した。
娘が同日明らかにした。79歳だった。
娘のファニア・オズ・ザルツバーガー氏はツイッターに、
「最愛の父アモス・オズが今日、がんとの短い闘病の末、穏やかに息を引き取った。
素晴らしい家庭人であり、作家であり、平和と穏健を愛する人でもあった」とつづった。
愛する人に囲まれながら最期の時を迎えたという。
オズ氏はフィクションとノンフィクション、いずれの分野でもイスラエルで最も著名で多作の作家の1人で、
小説「ブラックボックス」やエッセイ集「イスラエルに生きる人々」、
自伝小説「A Tale of Love and Darkness」がとりわけ名高い。
ノーベル文学賞候補にも長年にわたり名を連ねた。
イスラエルのリブリン大統領は報道官を通じ、
「愛と光の物語が今や暗闇の物語になった。大きな悲しみに暮れている」と言及。
「文学の俊英であり、素晴らしい創作者であり、並外れた精神の持ち主だった」と述べ、オズ氏の死を悼んだ。 >>40
「小さな物語」志向のポストモダン主義者の可能でしょう。 今年の二人は例年より予想しやすいね。
昨年の文学界はディストピアとフェミニズムの年だったらしいから2018年はアトウッドで決まりかな?対象作は勿論侍女の物語。
マンローから5年だけどルクレジオの6年後にモディアノという例があるから問題なし。 2019年は初心に帰って、ノーベルの遺言重視でいくだろう。
つまり理想主義的な作品を書いた人に与えられる。
「これまでの」事を書いた人でなく「これからの」事を書いた人ってことね。
となれば自ずと絞られる。大体この時点で見当はつくけど、あえて名前は伏せておこう。 川端は「日本文学の代表」 68年ノーベル賞の資料開示
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3960435002012019000000/
1968年にノーベル文学賞を受けた作家の川端康成について、
スウェーデン・アカデミーが選考の際、「日本文学界の真の代表者」と評価していたことが判明した。
同アカデミーが2日、共同通信に選考資料を開示した。
川端は61年から毎年、同賞の候補者となり、66年と67年には小説「古都」などが
高く評価され最終候補にも選ばれた。
8度目の選考を迎えた68年に受賞が決定。
同アカデミーは授賞理由として
「日本人の心の精髄を優れた感受性をもって表現する、その物語の卓越さ」を挙げていた。
選考委員会の声明によると、68年の候補83人のうち、最終候補は川端のほか、
フランスの作家、アンドレ・マルローと英国出身の詩人、W・H・オーデンの2人。
選考委のエステリング委員長(当時)は
「日本文学界の真の代表者である彼(川端)へ賞を与えることは理にかなっているし、
歓迎されることだろう」と強調した。
候補には三島由紀夫と詩人の西脇順三郎も含まれていた。
同アカデミーは三島への授与の可能性について「(議論が)続いている。
彼の今後のさらなる向上が再検討には必要」と指摘していた。
開示資料には、61年の文学賞に川端を推薦する三島の書簡も含まれていた。
三島は「日本の多くの作家にとって、伝統と新文学確立はほぼ両立し得ないが、
川端はこの矛盾を超越している」と評価した。
三島が川端の依頼を受けて推薦文を書いたことは既に明らかになっている。 川端の受賞理由と合わせて経過をみると結局川端と三島と谷崎の三人の中で誰が日本の美をよく表現しているかが争点になったわけだな
谷崎がまず病死して脱落したわけだが人間性まで見られていたら生きていてもアウトだったろうな
最後の決め手になったのが日本の年功序列を重視するという、今から考えれば馬鹿馬鹿しい基準だったのが驚きだがおそらく三島はまだ若いから次の機会に回しても大丈夫だろうという判断があったんだろう 今のノーベル賞も年功序列がないとは言えないらしいけどね
文学賞以外では 翌年のベケットが60過ぎだからな
日本だけじゃなくて枠だとしても
おかしいわな
サイデン賞だわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています