トマス・ピンチョン13
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トマス・ピンチョン全小説|新潮社 http://www.shinchosha.co.jp/zenshu/thomaspynchon/collection/ 2010/06『メイスン&ディクスン』(上・下) 2010/09『逆光』(上・下) 2010/12『スロー・ラーナー』 2011/03『V.』(上・下) 2011/07『競売ナンバー49の叫び』 2011/10『ヴァインランド』 2012/04『LAヴァイス』 2014/09『重力の虹』(上・下) 20XX/??『ブリーディング・エッジ』※栩木+佐藤で翻訳決定 ※前スレ トマス・ピンチョン12 [転載禁止]©2ch.net・ https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1460900511/ メイスン&ディクスンようやく半分だがそろそろ読書ノートが三冊目 Chasing Venus「金星を追いかけて」には二人以外にもたくさんの登場人物が登場し、金星の日面通過の背景を知ることができた 時系列を意識して整理していくと、急に時間が飛んでいる場面が非常に多いのだけれどその欠落を埋める一助となる 語り手がほとんど二人と一緒にいないため、一緒にいるときに直接聞いたことになっているが、メイスンが故意に事実を隠していることは明記されていたりする メイスンとディクスンの視点からは説明ができない事象を、さまざまな妄想や陰謀や推測で、説明されたことを語り手のフィルターを通して届けられる 例えばアカデミーからの「理不尽な」指令は、アカデミーから見ればどうであったのか 世界中に散らばった天文学者たちの中で、指示に逆らい続ける「反抗的な二人組」が唯一南半球における理想的なデータを入手した この観測データを待つ側の論理も垣間見えて、良い読解の補助線となった スマトラで測定をするはずだった二人が突然ケープタウンで観測をしていることは作品中では説明されない 日面通過を観測して、そのデータをアカデミーに持ち帰らなくてはならないのに数か月ケープタウンで過ごしている理由も空白にされる 理解のしにくい単語を片っ端から語源といつ英語に入ってきたかを調べながら読んでいる(COD) 単語帳を作成して、現在300語ほどになっていて、最終的には1000-2000語程度になりそうなのだが、奇妙な特徴がある 16世紀、17世紀にラテン語やフランス語から英語に入った(そして消えていった)単語が非常に多いのだが、時折19世紀につくられた単語などが出現する 当然そんな単語がメイスン&ディクスンに登場するのはおかしいのだが、anachronisticな用例の周りにはあえて使うピンチョンの意図を感じる 例えば虹とはirisであり、irid虹彩から来ている 19世紀につくられたiridscenceという単語は虹の色の、玉虫色の、変光するという意味になる これが使われる場面は thro’ candle-lit iridescences of vocal Spray ろうそくで照らされた虹の色のような声音を浴びせかけてくる(機械仕掛けの鳩) A new and iridescent generation of Philadelphia Beauties 新しい、虹のように色を変える世代のフィラデルフィア美人たち このようにピンチョンが複数回印象的な場面で使用している単語には、彼がほかの作品でも好んで使用している単語と、メイスン&ディクスンにしか登場しない単語がある iridscenceは「V.」、「競売ナンバー49番の叫び」、「重力の虹」、「逆光」でも複数回使われている head shaman’s house have spider monkeys which are iridescent. They change color in the sunlight. Everything changes.(V.) 「V.」において光によって色を変えるクモザルは「変化変転」していく象徴として使用されていて、「M&D」でも「機械仕掛けの鳩」は「変化・進化」に強い興味を抱き、鳩料理のスぺシャリストであるフランス人シェフに愛憎を抱く アメリカ新大陸の独立直前のフィラデルフィアは快楽の都バビロンになぞらえられ、変化をし続けるダイナミックさを示す ピンチョンが光によって(見るものによって)見え方が変わることをテーマにしているのはありふれているけれども、iridescentというかなりピンチョンらしい単語でV.からADまでつながると面白い iridescentはよく見かける単語 もしそのテーマが本当にありふれているならば その単語もまた使われて当たり前 >>172 うーん、非常にピンチョンが好みそうな単語があって、なんでこの単語を使うのか?という変わった用例をしている それが二度出てくると、その箇所がペアになって浮き上がってくる 重要なのは、少し違う使われ方、違和感を覚えさせる使い方がされていること 超音速で飛ぶ機械仕掛けの透明なアヒルと、架空のエンディングの中のフィラデルフィア メイソンとディクソンが逃げ出さず、メイソン&ディクソンラインを完成させて、二人ともアメリカに住むことになった架空のエンディング さらにV.でヴェイシューという架空の地、全ての色が変わり続ける大地に登場する、見るものによって色を変えるクモザル 競売ナンバー49でも架空の存在に使われている 架空と変化、あるいは進化にこのirid(虹彩・虹)に-scence(映る)という単語が使われている ヴォーカンソンとヴェイシュー、架空のフィラデルフィアを一貫する「ピンチョンらしさ」が50年以上隔てて存在していることに気付くのは結構楽しい読書 「V.」の読み直しにもなるし、このエピソードも謎の女V.の一人に南極冒険家が語る未踏の地のエピソードで、それはM&Dで地底内人に地球の空洞へ連れていかれるDixonと共通している こういう気づきが本当にたくさんある >>174 少しでもメイスン&ディクスン読む人間が増えるのはいいことですね いい小説なのでガンガン読んでいってください! 再読、再再読の価値ある小説です! 毎回同じタイトルにしてNGで消せるようにしてあげればいいんじゃない? 気持ちはわかるがフラゲ盛んな少年漫画のスレッドじゃあるまいに、読み終えるまでここを見ないって手もあるんねんで サブカルヲタで映画マニアの知人にPTA絡みのLAヴァイス貸したら面白いって言ってた ジョン・バースの「酔いどれ草の仲買人」の舞台はMason&Dixonの第二部と空間的にも時間的にも隣接している メリーランドとフィラデルフィアの境界線を引くピンチョンに対してバースはメリーランドの実在の最初の桂冠詩人を主人公とする 時代は50年ほどさかのぼり、18世紀初頭で、同じく18世紀小説の文体を模倣する Sot Weed FactorのSot Weedとは当時メリーランドで作られていたタバコのプランテーションであり、桂冠詩人はこの題の詩を残している バースは小説の起源を19世紀でなく18世紀に見出し、アメリカの起源を独立宣言ではなく「ポカホンタス神話」にさかのぼっていく ポカホンタスは「インディアン」をアメリカの内部に取り込もうとする衝動の一部 この二つの作品には30年の時代の差、作者自身の違いもあるが、比較して読んでいく価値がある まさにMとDが「インディアン」たちの住む森と山脈と河をブルドーザーのように切り拓き西進していた時代にほとんど同じ道をたどった女性の手記が残されている それが「インディアンにとらわれた白人女性」というジャンルで、フレンチ・インディアン戦争から70年間「インディアン」として生きたJemison夫人 フェニモア・クーパーが「インディアン」に育てられた白人を書いたその時代にベストセラーになった この「インディアン捕虜探検記」はピンチョンが捕虜として西進していくさまを一章だけ模倣して取り上げているが、メイスンたちが西進してVist「側溝」を拓いていくということは、先住民族を追い出していくことでもある Jemison夫人は「インディアン」によってフィラデルフィア近郊で一家皆殺しにされ、その「インディアンの家族」となって少しずつ白人から離れた西の山や森に移り住んでいく 独立戦争では彼らは英国人と植民地人の双方に参加するよう求められ、更に数を減らしていく バースもピンチョンも、「白人がインディアンの捕虜になる」という体験記の利用のされ方を問い直しているけれど、捕虜記は二つの側面を持っている 残虐な側面を強調するイデオロギーと、「高貴な野蛮人」というポジティブな(しかしそのポジティブさを「アメリカ」に回収しようとする)イデオロギー 「インディアン」への憎悪と偏愛(フェチシズム)回避が二人に共通していて、しかしそのアンビバレントな違いこそ面白い A Narrative of the Life of Mrs.Mary Jemisonは、より古い時代のSot Weed Factorより更に前に起こったメアリー・ローランソン夫人の手記とともに邦訳も出ている 1830年代の「アメリカン・ルネッサンス」の時代には「インディアン」表象はこの大流行したインディアン捕虜体験記を抜きにしては語れず、「アメリカ文学」の端緒のひとつともされる たとえばホーソーンは「インディアン」嫌いとされ、メルヴィルは作品中で多くの先住民族を描き、日本でも研究書が最近出ている ジョン・バースはメリーランドのジョンス・ホプキンス大学で長年教授を務めた作家であり、この「インディアン表象」の読み直しの中心地は彼の同僚たちだった ピンチョンは、時間的にも空間的にもこの60年代の「事件」には隔てられている A Narrative of the Life of Mrs.Mary Jemisonを凝縮したようなピンチョンの描写は、バースのポカホンタスの描写と似た屈折を感じる 扱わざるを得ない事件でありながら、語られるさまをそのままに受け入れられないことは表明せざるを得ない、というような・・・ Leslie A Fiedlerら、何人かの作家・批評家を読み直す必要を感じた 新作もいいけど ピンチョンwiki訳してくれんかなぁ あれが読めれば一番手っ取り早い情報の手立てになる 大量の未発表作品があるかもしれないとか、昔どっかのサイトで見た覚えがあるが、はたして ピンチョンの未発表原稿を巡る怪奇ミステリー小説誰か書いておねがい 篤胤の「仙境異聞」を読み始めた ボルヘスもびっくり ピンチョンを超えてるw 重力の虹を読んでグノーシスとかカバラとかの神秘思想に興味を持ったのですがその辺りの本を漁った方いますか? どの本がオススメか教えていただけないでしょうか? ネット時代に重力の虹を読むと重すぎますね。 ミッテンバウ=ドーラ強制収容所や終戦直後のベルリンをYOUTUBEで見てかなりディープな気分になりました。 ヘビーだわな 俺もV.を読んでピンチョンにハマった口だがGRの重さ、暗さ、辛さは予想外だった 重力の虹、初読ではまったくわからなかったからまたチャレンジしたい ところどころはっとさせられる部分はあったけど、どうしてもうまく全体が繋がらないのだ もう一度読み込めばVや49では読後に覚えたあの壮大なヴィジョンが立ち上がってくる感覚が得られると思ってる 重力の虹の手法は過激だけど内容は凄く古典的だからね 読み返す前に白鯨を読んどくと理解が捗るかも 安かったんで買ったスローラーナーを読んでるが、付属の小雑誌が高橋源一郎で正直不愉快 これなら高くても新潮買った方がよかった >>196 そうそれは強く感じたことだ ふざけまくってるんだけどめっちゃ真剣で 壊しまくってるんだけどすごく優しいんだよな ピンチョン先生 あと一つ最後の作品お願いします あっと驚くヤツ書いてくださいw ブワッ(´;ω;`) ぶりえぢまだなの。゚(゚´ω`゚)゚。 みんなピンチョンと村上春樹だったらどっちが凄いと思う? 俺は接戦でピンチョンだけど 春樹は小説家としては間違いなく天才だと思うけどなんというか、その、ピンチョンと比べてしまうとどうしても普通の人感が隠しきれないというか それが悪いというつもりはないものの、ピンチョンみたいなバケモノじみた博識と想像力に惹かれる俺としては一段劣ると見えてしまう >>209 同感 作品評価とは別の話だが、村上春樹って割とバカにされる傾向が強いけど、 それは春樹の作品が「(ストーリーを追うだけなら)誰にでも平易に読める」ってところにあると思う 「LAヴァイス」を読むウエルベック、「素粒子」を読むピンチョン・・・興味がある めっちゃ相性悪そうだな 思想的に正反対だし でも共通する部分もなんとなく感じる 世代的にウエルベックはセックスピストルズのメンバーと同世代なんだよな。方向性は違うと思うけどアンチ・ヒッピーな感覚を共有してる。 ピンチョンは「68年世代」よりは年上だけどあの時代に解放感を感じててノスタルジーもある。 そういやソーンダーズのブッカー賞受賞作品の邦訳でたけど、珍しくピンチョン絶賛だったな 実際かなりすごい本だったよ オススメ ふざけてる度はピンチョン程じゃないけど 割とさくっと読めるからこのスレ民は是非 >>217 こういう事かな? とぼんやり気付くまで 訳分かんなかった 素粒子は二人の主人公の母親がヒッピーにかぶれて二人を捨ててカリフォルニアのコミューンに行っちゃうんだよな。まさにLAヴァイスのカリフォルニア。 素粒子を読んだピンチョンがウエルベックに向けてLAヴァイスを書いたのかもしれない ここのスレ民はちゃんとウエルベックと書いてて偉いな 前に「ウェルベック」「ウェルベック」とあまりにみんなが書くので「ウエルベックだよ」と書いたら、 「ウェルベックでも正しい!」と逆ギレされた。しかしフランス語の発音を知ってたら絶対にそうは書けない カタカナ表記なんてなんでも良いだろ 根にもちすぎな ドストエフスキーをダスタイェーフスキーって書いてるやつなんていないし くそどうでもいいな そんな気になるならいちいちアルファベット表記しろよ ずっとチンチンと同じイントネーションだと思ってたよ 世界文学は村上春樹とウエルベックの時代なんだろうな どっちも女子受け悪そうなのに何故か村上春樹の方は女性人気あるよね 一方ウエルベックは服従とか女性読者激おこだったw ハルキはオサレ感でオブラートに包んでるけどウエルは俺の傷を見てくれ!って叫んでくるタイプだからな日本で言えば小谷野敦みたいなタイプ クーヴァーのpublic burningどなたか翻訳してくださいお願いします 小谷野って鴻巣の訳が酷い酷いとしつこいストーカーみたいな人でしょ 実際かなり酷いけどなw 風と共に〜かなんかは読めたもんじゃなかった 小谷野はマジで性格悪いから大嫌いだけど ポスト68年、高度消費社会の世界を象徴的に描いてるのが村上春樹とウエルベックってことなんでしょうな。他にいないのかな? >>235 そう? 荒このみよりは読みやすいと思ってそっちにしたけど 小谷野の批判はわかるけど >>236 消費社会を象徴的に、ならせめて龍やデリーロあたりだろ ピンチョンスレでポストなんちゃらとか、なんでしょうなとかふんぞり返って他探そうとする前にやることあるだろw 鴻巣はゲンロン批評再生塾の講師を自分が勤めた回で課題を出したが、それは古典新訳におけるLe plagiat par anticipation(tthe plagiarism by anticipation先取の剽窃)について考察しろ、というものだった。 例に出したのが大友克洋の漫画を若い読者に見せたところ、「既視感のあるパクリ」とされたことなんだが。 これは先行作品が書かれた時代を知らされてなかったことから来る現象に過ぎないではないか。 歴史的パースペクティヴを無くした若い人が増えてる時代なのかもしれないが。 以前はそうではなかったように思うが、欧米人でも記事を書いた日時を記入しない人が気のせいか?増えたように感じる。 まあ、小谷野は形式論理に囚われる一種の精神病に罹ってるのかも。 暇な人は精神分析やれば良い。 小谷野はデリダの「of grammatology」でも読めば治るだろう。 デリダのanti perspectiveなレトリックは面白い。 > 歴史的パースペクティヴを無くした若い人 と言うけど、知識としては理解出来ても それ以上にはならないでしょ 重力の虹が出た当時の状況から想像出来るのみ ウエルベックは男からしても気持ち悪いわ 服従なんかは小説として納得できるけど プラットフォームまでいくと(書いちゃうと)作者自体の思想がやべーじゃないのって。 先月末にでたウエルベックも認めたローラン・オベルトーヌの『ゲリラ』なかなかえげつなかったわ 最近のイスラムディストピアものでは一番過激 ぶっちゃけゾンビものと大差ない黙示小説 あの人たちはイスラムフォビアで稼いでるからしゃーないわな 日本で流行ってるニッポンスゲー番組とか百田尚樹みたいなもんですわ 俺はプラットフォームが面白かったんだけどなあw 浅田彰がウエルベックのニヒリズムに興味はあるけどあざといスキャンダル狙いの部分はいただけないみたいな感じだけど読んでみるとそういう印象でもないと思うんだよなあ。 ウエルベックはおれも好きだけどねー 百田なんかと比べるのは失礼でしょ 舌ったらずですまん 作家としての実力や価値が百田レベルって言いたいんじゃなくて、話題のさらい方の話ね 俺もウエルベック小説家としては好きよ 人間としては大嫌いだけど 行き過ぎた恋愛や女性の解放に違和感を感じてるウエルベックがイスラムに改宗していく男を描いた『服従』は皮肉なのか半分本気なのか判断つきかねるところが面白い そりゃ、イスラムがキリスト教その他に改宗していく話なら、イスラムのテロに会う危険があるからかqもなw ピンチョン関係ないならそろそろ向こうでやってほしいわ 重力の虹むずすぎて挫折しかかってる俺に優しい言葉を >>254 ピンチョン様が私目に返事を……! ありがたやー! 昨夜こんな夢を見た ピンチョンの肉声による「文学講義」 第一夜「ロリータを読む」 第ニ夜「白鯨の解剖学」 第三夜「38階段の物語論」 >>262 やたら高い声だったら嫌だな 面白いのかな Penguin Modern Classics の「1984」で 解説を書いてたけど結構真面目で普通だったよな 数字が明かす小説の秘密とかいう本、立ち読みしてたら 反復表現の項でヴォネガットとピンチョンの比較が出てた ま、答えは言うまでも無いけど、ピンチョンを超える多様性を 持っているのはジョイスぐらいなんだってさ 陰謀くだらねーと思いつつ 物語上の人物からすれば霧の中だし それを読んでる読者は何かあるんじゃないかと断片を勝手に繋ぎ合わせて憶測してしまう 陰謀論に至る体験としては面白かった。競売 ピンチョンがジョイスをどう評価しているか気になる 相当に学び取ってるように見えるんだけどなジェイムズから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる