小林秀雄 その十
小林 秀雄 1902年(明治35年)4月11日 - 1983年(昭和58年)3月1日
東京市神田区(現東京都千代田区)猿楽町に生まれる
東京帝国大学卒
前スレ
小林秀雄 その九
http://mevius.2ch.net/test/read.cgi/book/1458144771/ 頭木弘樹@新刊『絶望名人カフカ×希望名人ゲーテ 文豪の名言対決』草思社文庫 6月27日
NHK『絶望名言』のゴッホの回をやるにあたって、ゴッホの本をかなり読み返しました。新刊にもあたりました。
その中でオススメのものを、少しずつご紹介していこうと思います。
ゴッホの手紙を読んでみたいと思ったとき、まず最初は何がいいのか?
結論としては、やっぱりこの本!
『ゴッホの手紙』小林秀雄
もう昔の本だからと、と思っていたのですが、今でもベスト。
評論というより、ゴッホの手紙選集。セレクトも訳もさすがです。
1/3 2018 06 25 絶望名言【 ゴッホ 】 頭木 弘樹・かしらぎ ひろき・文学紹介者 NHK ラジオ深夜便 4
https://www.youtube.com/watch?v=oiGxmFK29a8
小林訳ゴッホの手紙が朗読されてる http://nobuakiohsawa.hatenablog.com/entry/2018/08/05/065238
大澤信亮
批評家・日本映画大学准教授
20180805
近況
今月発売の「新潮」9月号で「小林秀雄」第一部が完結します。 新書で出版しよう。もう五千円も六千円もする本はウンザリ。 >>13
じゃあ何で『本居宣長』書く時折口信夫なんぞにレクチャーしてもらいに行ったんだ?
しかもこの頓馬は折口が「宣長は何よりも源氏ですよ」というのも聞き流してゐやがる。
創元社で一体どこの学者の何て本の担当をしたんだ?
好き嫌いなんぞはどうでもいい。気にするべきは本の出来、そして売れるか否かだろうが。
そんな事だから創元社退社する破目になるんだよ馬鹿もんが。 > 私は、決して馬鹿ではないのに人生に迷って途方にくれている人の方が好きです
お前が大好きなのは姓名判断に凝って「秀雄って名前は良くないから改名しなさい」なんて言う母親だろ。
「おふくろを喜ばすために改名したかったが」なんて言ってるんだから、つまり頑迷な人間が好きってことだ。
実際岡潔とは肝胆相照らしあっちゃってるしw
つまりこれは小林は学者になるほど根気も学識も哲学のセンスもなくて僻みっぽい男だってだけの話だ。
学者の世界が昔から「せんちの踏板」だって事くらいわきまえておけよな。 キネマ旬報 2018年11月上旬特別号 No.1793
【巻頭特集】
私たちはどうやって
ミッキーマウスを愛してきたのか?
ぼくとミッキーマウス 片岡義男
[再録]手恷。虫、小野耕世、小林秀雄
「ミッキーマウス映画祭2018」上映作品徹底レビュー 小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ) 単行本 – 2019/2/9
橋爪 大三郎 (著)
単行本 ¥ 2,646
内容紹介
「もう、終いにする」
戦後の知識世界に輝くビッグネーム・小林秀雄が、晩年、10年にわたって取り組んだ『本居宣長』は、
執筆に難渋し、結論に達しないまま意外な一言で終わってしまった。
日本が誇る知性は、なぜ最後の仕事で挫折したのか。
彼がこの書物にかけた思い、企図、成果は?
そして小林がたどり着きたかった「ゴール」はどこにあったのか?
当代随一といわれた批評家のライフワーク『本居宣長』を丁寧に読み解き、
小林の批評ぶりを多角的に検討しながら、
批評とは何か、さらに批評を支える「原理」とは何かについて考える。
目次
序章
第2章 『本居宣長』という書物
第3章 外堀を埋める 『本居宣長』を読む・その1
第4章 源氏物語のほうへ 『本居宣長』を読む・その2
第5章 『古事記伝』を読む 『本居宣長』を読む・その3
第6章 『古事記伝』という仕事
第7章 小林秀雄の悲哀
単行本: 480ページ 小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか? (講談社+α新書) 2018/10/20適菜収
小林秀雄 (中公文庫)2018/11/21大岡昇平
小林秀雄のこと (岩波現代文庫)2018/12/15二宮正之
小林秀雄の秘密―『本居宣長』をわかりやすく2019/1/21佐藤公一
小林秀雄の悲哀 (講談社選書メチエ)2019/2/9橋爪大三郎 田端の文士村行くと分かるが小林秀雄と田川水泡以外にも人脈図がいろいろ面白い 長谷川泰子より小林と生涯を共にした奥さんが話題にならないって不思議だな
漱石の嫁みたいに小林の思い出とか言って誰か聞き書きすればよかったのに 妹のかいた「兄小林秀雄」にすこし小林夫妻の様子がでてるよ。小林秀雄は家庭と仕事は峻別したかったんじゃないかな。 >>36独身時代はイメージ通りで
結婚して落ち着くと
晩酌程度だった模様。
同時現役の作家の批評は
「営業妨害」になるとかで
(当然いろいろ目を通して
いたようだけど)あまり
していなかったw
僕も昔全集を買って読んでたけど
あの難解な著作を読むには
妹の「兄小林秀雄」(講談社現代親書)
は役に立つとおもうよ。 >>37
家では酔っぱらったりしなかったのかな?
対談見てると酔いの勢いに任せて、みたいで、バカ飲みしてるように思うけど? >>38
昔に比べだいぶ落ち着いた
みたいなニュアンスだったとおもう。
いずれにしても小林秀雄にとって
批評の対象は世界や歴史上の
巨匠だったじゃないかな。
だから絡む相手がいなかった。
昔僕の大学の教授が若い頃
親友と一緒に小林秀雄の家に
乗り込んでいったそうだ。
人生がどうのこうのといってたら
小林秀雄に首を絞められて
死にそうになったらしい。
それ以来教授は小林秀雄のことは
嫌いだといっていた。
嘘かどうかはわからんがね。
奇しくもマルクスが一世風靡
していた時代だよね。
小林秀雄は孤独
だったんじゃないかな。 >>40
真偽はともかく、いかにも小林らしいエピソードだな。
若いころに「マルクスの悟達」という短文を書いてるけど、それを深化させることはなかった。
論理を嫌うあるいは論理に弱く、感性に生きた人なんだろう。
酒飲みって駄目だよねw 湯川秀樹世の対談で湯川は一般相対性理論による絶対空間の否定や
観測問題、アルケーの問題についてなかなか示唆に富んだことを言っているのだけど
小林は虚無だとか神様だとか頓珍漢なことをいって湯川を呆れさせている
そもそも神が担保となる絶対空間が実在しているのなら
小林のいう実存主義的な「私」は擁護されない
神の支配する秩序だった空間があり諸物が共存するのなら
人間的諸個人の臆見よりも神の秩序の方が優先される
神学とは本来そういうものであり、
天体の運動に関する新学説が異端審問の嫌疑にかけられたのもそのため
こういう事情から科学はなかなか神学とは手を切れなかった
だからオルテガあたりは一般相対性理論を相対主義とみなして
神学にたいする自由を擁護するものとして実存的心理主義を導き出している
小林の「私」はこちらのほうに近く
それゆえに一種の決定論たる科学的社会主義への強力な抵抗になる
論戦において自分の都合のいい時に相対主義を持ち出し
自分が都合の悪くなる(あるいは虫の居所の悪くなる)と
情緒的に神学を持ち出す困った人間であり
そういういい加減な人間が拍手喝采される変な国が日本です
内心(くだらねえ)と思っていても大学受験で
小林の難文が出題されるので
いやでも付き合わざるを得ない 近代日本随筆集だかに収録されてる
鎌倉の雪ノ下あたりで友人と連れ立って飲んだくれて
待合と思ってまったく別の邸宅に殴りこむ話は笑った >>38
橋爪大三郎が最近『小林秀雄の悲哀』って「何で今さら?」的な本を出した。
橋爪の聞いた噂では小林は酔うとたちが悪く、実にしつこく後輩文学者をいびっていたそうな。
「よほど鬱屈したところがあったのだろう」という橋爪の見解に僕は同意する。 しかし家でそんなたちの悪い酔っ払いぶりを発揮してたなんて話は聞いたことがないな、僕は。
まあ当たり前かも知れない。女房娘相手にそんな事してちゃただのクズというものだ。 橋爪の本自体はしかし、僕はあまり読みたくない。
折口信夫は教えを乞うてきた小林に「宣長は何と言っても源氏ですよ」と言ったとか。
でも橋爪は「大事なのは『古事記伝』だ」と言う。
「小林は『古事記伝』をちゃんと読んだか疑わしい。だから『本居宣長』は失敗したのだ」とさ。
そんな誰も読まないような本を・・・相変わらずお勉強の好きな人だなw まあそういう本読むような奇特な人がいたら後で感想を聞かせて下さい。
山崎行太郎、まだいるか?
キミも炎上商法ばかりしてないで、橋爪を切って捨てて見せるくらいの事やらないと文名は上がらんぜw
二人の子持ちだというのに万年非常勤講師じゃしょうがあるまい? 日本の学者を引くな。世界の言論士をならべよ。日本依存は連敗でスランプある。 国民皆学の低大の負担軽減策は?税金を受け取ると国民の奉仕者で低ランクにつぶれる
から、上層エリートの相互管理の方が帰結としてはいい。 若い頃、家の金を全部持ち出して使ってしまったり、
長谷川さんにボロボロになるまで付き合ってたのは、
偉そうに語る資格がある、それだけの経験をしてると思った
けど作品で理解できたのや、対談でさえ理解できたことが一度もないんじゃ 昔小林秀雄の娘が学校で偶然にも
小林秀雄の文章を扱っていたことが
あった。その時の先生がどうしても
意味のわからない所があったから
娘に聞いてきてくれと頼んだ。
家に帰って娘が小林秀雄に先生の
頼みを伝え、小林秀雄はその箇所を
何回も読み返したそうだ。
「俺もわからない」と小林秀雄は娘に
回答したという。さもありなん。 経験主義
職人気質
理屈ぎらい
中小企業の社長のような印象
若い頃に金で苦労したせいかな 小林秀雄 (中公文庫)大岡昇平
小林秀雄のこと (岩波現代文庫)二宮正之
世界という背理―小林秀雄と吉本隆明 (講談社学術文庫)竹田青嗣
兄 小林秀雄との対話-人生について- (講談社文芸文庫)高見沢潤子
小林秀雄と中原中也 (講談社文芸文庫)秋山駿
高級な友情 小林秀雄と青山二郎 (講談社文芸文庫)野々上慶一
この人を見よ: 小林秀雄全集月報集成 (新潮文庫) 新潮社小林秀雄全集編集室 (編集)
小林秀雄の恵み(新潮文庫)橋本治
小林秀雄の流儀(新潮文庫) (文春学藝ライブラリー)山本七平
小林秀雄の思ひ出 (文春学藝ライブラリー)郡司勝義
小林秀雄 (学灯文庫)川副国基 季刊日本思想史 no.42 特集:小林秀雄 1993/10
小林秀雄の「徒然草」吉田 熈生
知識人としてのあぢけなさ--マルクス体験を手がかりとして 八木 公生
小林秀雄の論理 高橋 昌一郎
小林秀雄「良心」論をめぐって 菅野 統子
書く「私」--「一ツの脳髄」をめぐって 菅野 覚明
小林秀雄の<模倣>について 佐藤 雅男
小林秀雄は電気鰻だ。 はんざわ かんいち
季刊日本思想史 no.45 特集:小林秀雄 2 1995/7
《対談》小林秀雄の文学と思想 吉田 熈生 , 佐藤 正英
小林秀雄の位置 野崎 守英
「感想」の感想--小林秀雄とベルクソンとプロティノス 野町 啓
小林秀雄における「観」の光景 杉山 聖一郎
小林秀雄の<宿命>について 佐藤 雅男
「正しく考へる」ということ--小林秀雄における思想・常識・実生活 遠山 敦
思想史家としての小林秀雄 佐藤 正英 Library iichiko―Quarterly intercultural (2001Summer)
特集 小林秀雄 2001/8
小林秀雄の近代批評 吉本隆明インタビュー 吉本 隆明 , 山本 哲士
小林秀雄と吉本隆明--意識と自然のドラマをめぐって 高橋 順一
小林秀雄とベルクソン 山崎行太郎インタビュー 山崎 行太郎 , 山本 哲士
小林秀雄の「感想」 伊中 悦子
小林秀雄論--批評場の文化生産Draft1「私小説論」をめぐって 山本 哲士
小林秀雄論関連図書リスト
Library iichiko―Quarterly intercultural (2001Autumn)
特集 場所の文化学/小林秀雄(続) 2001/11
小林秀雄論の現況--その美術観に触れつつ 関谷 一郎
<生活>と<文学>の出会う場所--小林秀雄の「ドストエフスキイの生活」をめぐって 樫原 修 早稲田文学 2001年09月号小林秀雄再読(1)
「歴史について」再考 水谷真人
早稲田文学 2001年11月号小林秀雄再読(2)
小林秀雄の「昭和」倉数茂
早稲田文学 2002年01月号小林秀雄再読(3)
悪魔の生成過程--小林秀雄と学生運動 中島一夫
早稲田文学 2002年05月号小林秀雄再読(4)
『近代絵画』への道 山岡頼弘 三田文学 1998年11月号 特集 小林秀雄とは何か
[特別インタヴュー]若い日にとっての "小林秀雄 " 粟津 則雄 , 増原 裕子 (インタヴュアー) , 小室 佐絵 (インタヴュアー)
(小説家と批評家による 「私と小林秀雄」)
遠い心体の記憶 佐藤 洋二郎
日本という装置 土居 良一
教科書の小林秀雄の思い出など 伊井 直行
『様々なる意匠』 のこと 三浦 雅士
モーツァルトと骨董 清水 良典
霊の戦 : 大戦下, 小林秀雄の『地獄の季節』永原 孝道
小林秀雄という意匠 中川 千春 特集 小林秀雄生誕百年 「関西文学」34号 平成14年
特集 小林秀雄 「en-taxi」2008年夏号 https://book.asahi.com/article/12171994
高橋英夫さんを悼む 「文学を読むことは感動」基本姿勢に 仏文学者・清水徹さん寄稿
高橋英夫は、私の旧制一高文乙のクラスの同級生である粕谷一希(中央公論社員として活躍し、のち「東京人」という特色ある雑誌を刊行した男)から、もう70年ほどまえに彼の都立五中時代の親友で大変な蔵書家だとして紹介された。
その直後に高橋は初の評論集『批評の精神』を私に送ってくれた。
この評論集は「小林秀雄との出会い」という章にはじまる。そこで高橋は、敗戦という混乱期に、小林秀雄の『モオツァルト』と『無常という事』に出会ったときの感動を熱っぽく語っている。
対象をばっさりと切る、しばしば喧嘩(けんか)ごしの時評家小林秀雄ではなく、作品との出会いの感動を鮮やかに浮き彫りにする批評家小林秀雄が少年高橋英夫をどのように感動させたか、彼はそれを語ろうとしているのだ。
文学作品を読むことは感動することだという姿勢が基本姿勢なのである。つづくページでは、河上徹太郎、福田恒存、神西清、林達夫、唐木順三といった、たがいに親和性に結ばれた批評家や、批評的な色彩のつよい文学者たちが論じられる。
そうやって批評家高橋英夫の姿がくっきりと輪郭づけられた。
そう、彼は「学者批評家」という定義がふさわしい。実際、彼はホイジンガという文人学者の『ホモ・ルーデンス』の翻訳を刊行することから文学活動をはじめているのであり、そのあとも東大独文科出身らしくいくつかのドイツ関係の翻訳を発表している。
また、『批評の精神』以後、モーツァルト好きの彼は小林の『モオツァルト』に応えるように美しいモーツァルト論を発表したほか、リルケ論、西行論、折口信夫論を書き、日本作家論としては、志賀直哉や清岡卓行などごく少数の好みの作家だけを論じている。 生来内気な彼は、たぶん日本の文壇独特の「座談会」などに出たことはないし、まして「論争」をしたこともない。いわゆる「文壇づきあい」などまったくしなかったと思う。
それでも彼の書く作家論はその深い読みの姿勢と穏やかな口調のため、愛読者もかなりいたと思うし、そういう点を注目されて、彼のいくつかの著書は文学賞をうけた。
他方で、文芸雑誌を読むことで現代日本の文学状況を知り、それとの関連で個々の作品を理解し、みずからも作品制作の場に乗り出そうとする野心的な文学青年たちにとってはたぶん無縁の批評家であったと思う。高橋英夫はじつに独特な批評家であった。
◇13日、88歳で死去。=朝日新聞2019年2月27日掲載 群像2019年4月号
追悼・高橋英夫 三浦雅士「父・小林秀雄と闘い終えて」 >>41
>若いころに「マルクスの悟達」という短文を書いてるけど、それを深化させることはなかった。
>論理を嫌うあるいは論理に弱く、感性に生きた人なんだろう。
何がリアルなのか、という基準には忠実だったと思うが。論理的な思考も、そこを離れた
、リアルを離れた思考は「観念論」だとして否定しているでしょう。あの湯川秀樹との対談で
小林の言いたかったのもそのことであって、あのなかで小林に拠る
「観念論」の定義が出てきてる。言葉を構築すること自体が目的化している人間が観念論者
であって、そうではなく、言葉が何かから離れず、それは美やリアリティや己の世界だろうが、
駆使されることが言葉の役割。言葉自体が目的化している場合は、たとえそれが唯物論で
あっても、実質は観念論だということ。そう小林は定義している。それは今読んでも
説得力を持っているとしか言えない。
《唯物論だって、言葉を道具として使用できない人にとっては、空疎な観念論で・・・つまり
言葉が道具にならない人は言葉自身が目的で、手段ではないのだから。だから意識しなく
ても言葉自身が目的のように言葉を使っている男・・・観念論者のいちばんいい定義だと
思うのですがね》『直感を磨くもの』78頁 新潮文庫 >>67
現実を離れた言葉が観念論なんだ。
言葉を道具であるとみなすのは、言葉を実体して考えてしまっている観念論者の妄想ともいえる。
小林自身が観念論者であるいちばんいい証明でもある。
言語ゲーム(言葉と現実の関係)を捉えることが唯物論であり、そのゲームの根底(経済)を見極めたのがマルクスだったということには思考が届かなかったのが小林ということだろう。 >>68
現実というのはマルクスなどのいう話など歯牙にもかけず、聴く耳持たず、また知る必要も
感じず、日々の生活に追われていく、啓蒙しようとしても気味悪がって寄ってはこない、そういう
人間たちが形成しているものです。また、そういう社会がその手の話をどういうふうに眺めている
か知らずにいる、そのために果てしもなくその観念が増殖し、止まらなくなってしまった。
観念の増殖が目的化してしまっている。リアルな感触が喪失されてしまった為、歯止めがかか
らない、それが観念論者です。
政治談議や哲学談義に熱中し、それがさも大変な
ことみたいに思いこんでいる。それがリアリティを失った、遊離する観念の仕業で。
唯物論とか〜論といっても簡単に観念論といえば的中してしまう。〜派の発行する新聞の記事
が典型的で、集会に何人きた、と勝利宣言している。闘争宣言している。自分達のサークル内
で勝手に勝利宣言している笑そういうのを「現実から遊離した観念論」というのですよ。
そういうのを言葉それ自体が自己目的化した観念論というのです。
またそれこそが「言語ゲーム」です笑高尚な意味などない「言語を用いた、社会にいる人間の
姿とかけ離れた、妄想に取りつかれている、脳内劇場」という意味のね。
>言葉を道具であるとみなすのは、言葉を実体して考えてしまっている観念論者の妄想とも
>いえる
そういう借り物の話は止めた方が良い。貴方は「言葉を道具として使って」現にここに書いたで
はないか笑「それは言葉を実体として考えてしまっている観念論者」だからか?
貴方の論法だとそうなるのだ。
小林は上記のような、自己目的化した構築物のために言葉は使わなかっただろう。その意味
では清潔な書き手だったよ。 >>69
現実とは生活している人々のことのようだが、その人たちは何も考えずに、あるいはなにか考えても特定の思考基準を持たずに生活をしている?
そんなバカなことはあるまいw
生活のこと、子供のこと、男のこと、女のこと、車のこと、ブランド品のこと、等々、「観念の増殖が目的化して」いる例はいくらでもある、というより、それが普通の生活人だ。
現実の人々は、観念論者だ。
安倍政権批判も野党批判も基地問題も貧困問題も話題になる。
これが政治談議ではないと思ってるのかな?
努力が報われなかったりコネで進学や就職が決まったりすることを社会の不条理として達観する。
これが哲学談議ではないと思ってるのかな?
言葉を他人に向かって発すれば、それはすべて言葉を豪具として使っていることになる?
言葉とはなに、道具とはなに?
小林は、自分の感性(好悪の感情)の正当性の確認を「自己目的化」していた。
だから、酒を飲んでクダをまいて他人に絡んでいた、ということだろう。
小林の、どこが清潔? >>72
言葉を豪具として −> 言葉を道具として 読書人アーカイブス 更新日:2019年6月2日 / 新聞掲載日:-0001年11月30日(第247号)
小林秀雄インタビュー
芸術 人間 政治 小林秀雄氏との一時間
『週刊読書人』1958(昭和33)年10月27日号 1面掲載
https://dokushojin.com/article.html?i=5487 中公文庫
『小林秀雄 江藤淳 全対話』小林秀雄/江藤淳 小林秀雄/江藤淳
誤解されっぱなしの美(昭和36年1月)
歴史と文学(昭和42年12月)
歴史について(昭和46年7月)
「本居宣長」をめぐって(昭和52年12月) 「歴史について」小林秀雄・江藤淳
小林 そうですね。だけど大体ああいうものが出たのは、徂徠が前にいたからなんですよ。徂徠がいたからああいう学問の上での都会人、自由人が出てきたのですね。
宣長と徂徠とは見かけはまるで違った仕事をしたのですが、その思想家としての徹底性と純粋性では実によく似た気象を持った人なのだね。
そして二人とも外国の人には大変わかりにくい思想家なのだ。日本人には実にわかりやすいものがある。三島君の悲劇も日本にしかおきえないものでしょうが、外国人にはなかなかわかりにくい事件でしょう。
江藤 そうでしょうか。三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないんですか。
小林 いや、それは違うでしょう。
江藤 じゃあれはなんですか。老年といってあたらなければ一種の病気でしょう。
小林 あなた、病気というけどな、日本の歴史を病気というか。
江藤 日本の歴史を病気とは、もちろん言いませんけれども、三島さんのあれは病気じゃないですか。病気じゃなくて、もっとほかに意味があるんですか。
小林 いやァ、そんなこというけどな。それなら吉田松陰は病気か。
江藤 吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか。
小林 日本的事件という意味では同じだ。僕はそう思うんだ。堺事件にしたってそうです。 江藤 ちよっと、そこがよくわからないんですが。吉田松陰はわかるつもりです。堺事件も、それなりにわかるような気がしますけれども……。
小林 合理的なものはなんにもありません。ああいうことがあそこで起こったということですよ。
江藤 僕の印象を申し上げますと、三島事件はむしろ非常に合理的、かつ人工的な感じが強くて、今にいたるまであまりリアリティーが感じられません。吉田松陰とはだいぶ違うと思います。
たいした歴史の事件だなどとは思えないし、いわんや歴史を進展させているなどとはまったく思えませんね。
小林 いえ、ぜんぜんそうではない。三島は、ずいぶん希望したでしょう。松陰もいっぱい希望して、最後、ああなるとは、絶対思わなかったですね。
三島の場合はあのときに、よしッ、と、みな立ったかもしれません。そしてあいつは腹を切るの、よしたかもしれません。それはわかりません。
江藤 立とうが、立つまいが……?
小林 うん。
江藤 そうですか。
小林 ああいうことは、わざわざいろんなこと思うことはないんじゃないの。歴史というものは、あんなものの連続ですよ。
子供だって、女の子だって、くやしくて、つらいことだって、みんなやっていることですよ。みんな、腹切ってますよ。 引用感謝。
面白い対談だね。
やっぱり小林って、バカだなぁ・・・w 対談ってお互いに何も理解してないのにわかったフリで続いていくから嫌いだわ
小林の、芸術家をわかったフリはとくにひどい
おっさんの独り言であれば著作にすればいいけど対談したらどうも駄目だな あの偉大なる小林秀雄の文章が私の感性にひっかかって、好きだの惹かれるだのとなったということは、私がいよいよ、小林秀雄の足元までたどり着いたということで、それは、私の教養と知性が成長しているという、大いなる光栄なことである。
あとは、品格だ。とりあえず、白い靴と白いカバンは買った笑 吉田秀和: 孤高不滅の音楽評論家 (KAWADEムック 文藝別冊) ムック – 2019/5/16
座談 芸術批評について(小林秀雄・福田恆存・吉川逸治・吉田秀和) https://www.shinchosha.co.jp/book/352791/
杉本圭司 『小林秀雄 最後の音楽会』 | 新潮社
書評 「私はあなたに感謝する」矢部達哉
(やべ・たつや 東京都交響楽団ソロ・コンサートマスター)
波 2019年10月号より 16:39
小林秀雄「ゴッホの人生」
8.4万 回視聴5 年前
11:50
小林秀雄「個性と戦う」
7.2万 回視聴5 年前
8:02
小林秀雄「信じることと知ること」
6.6万 回視聴5 年前
5:37
小林秀雄「科学する心」
4.7万 回視聴7 年前
45:55
小林秀雄 - 講演
4.1万 回視聴2 年前
19:40
小林秀雄「人生の意味と価値」
2万 回視聴2 年前
42:34
小林秀雄「信じることと知ること」
1.3万 回視聴2 年前 小林秀雄著『近代絵画』
画という芸術の秘密
評者:石川淳 「週刊読書人」1958(昭和33)年5月12日号
石川 淳(作家)
https://dokushojin.com/article.html?i=6575 水道橋駅からダイブした人か
よく川に落ちなかったよね 三浦雅士の主張で小林秀雄に続く系譜は吉本隆明のほうじゃなくて
澁澤龍彦ではないか、というのがあるな。
気質的に似てるんじゃないかという話。 >>90
どちらにも系譜などあるとも思えないが、表現の方法は吉本が受け継いだ。
本当は受け継いだというのはきれいごとで、吉本は小林の言い回しの猿真似をした。 小林秀雄氏頌 三島由紀夫
近代日本文学史において、はじめて、「芸術としての批評」を定立した人。
批評を、真に自分の言葉、自分の文体、自分の肉感を以て創造した人。
もっとも繊細な事柄をもっとも雄々しく語り、もっとも強烈な行為をもっとも微妙に描いた人。
美を少しも信用しない美の最高の目きき。獲物のおののきを知悉した狩人。
あらゆるばかげた近代的先入観から自由である結果、近代精神の最奥の暗所へ、ずかずかと素足で踏み込むことのできた人物。
行為の精髄を言葉に、言葉の精髄を行動に転化できる接点に立ちつづけた人。
認識における魔的なものと、感覚における無垢なものとを兼ねそなえた人。
知性の向う側に肉感を発見し、肉感の向う側に精神を発見するX光線。
遅疑のない世界、後悔のない世界、もっとも感じ易く、しかも感じ易さから生ずるあらゆる病気を免れた世界。
一個の野蛮人としての知性。
一人の大常識人としての天才。 小林秀雄の作品中に「女の書いた小説は作り込み(?)が甘いところがある、だがそれがいい」みたいなことを書いた一節があった記憶なのですが、どの作品かわかれば教えてください 高見沢潤子『兄 小林秀雄との対話―人生について』講談社1968→講談社現代新書1970→講談社文芸文庫2011
高見沢潤子『兄 小林秀雄』新潮社1985
この二冊を同じ本だと長い間勘違いしていたけど別々の本だった。
講談社の方は元々1968年に単行本として出てて小林秀雄本人がまた生きていたけど、新潮社の本は、小林死後二年後に出た本。
不覚だった、題名似てるから気づかなかった。
『対話』は読んだけど、独特の魅力があって何回でも読める。
新潮社の方も読んでみたい。
あと今気づいたけど
高見沢潤子『兄 小林秀雄』新潮社と
福田逸『父・福田恆存』文藝春秋
の二冊どっちも読んでないし持ってないけど表紙がジョルジュ・ルオー。
小林のルオー好きは知ってるけど福田もそうなのだろうか。福田のルオー論あれば読んでみたい。 小林秀雄は福田恆存のことを
「痩せた、鳥みたいな人でね、
いい人相をしている。良心をもった鳥のような感じだ」ってべた褒めしてたよ。 今月末は『ゴッホの手紙』
来月末は『近代絵画』が復刊 波 2020年8月号
【今月の新潮文庫】
小林秀雄『批評家失格―新編初期論考集―』
池田雅延/小林秀雄山脈に登ろう
https://www.shinchosha.co.jp/book/100712/#b_review Seyn フォレスト YouTube篇 9 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
若手俳優三浦春馬さんの死について、小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明の視点から考える。 Seyn フォレスト YouTube篇 9 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
若手俳優三浦春馬さんの死について、小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明の視点から考える。 同じ港区立白金小学校卒の大先輩だわ
やはり同じ慶應義塾の先輩であり2007年にお亡くなりになった池田晶子さんを通じ知った
斎藤環という売名行為を繰り返す精神科医に小林秀雄賞を与えた選考委員には腹が立つ
池田晶子賞の選考にも同様の事が言える
日本文学大賞者と哲学の巫女の貴名を汚すな アマゾンにて ランボオ詩集 (岩波文庫) で検索したら
10番目にこんなの出てきた
あまりにもシュールというか素っ頓狂+イミフなんで記念に
貼っておく
ドスケベ専用柔らかリア儿ずっぽり 電動 ㊚㊛兼用 スマホ操作
二点せ一め一 あℎまの機 シ才フキング Kパ夕ーン
ˈvīˌbrād0r
ブランド: CL 馬鹿と馬鹿同士惹かれ合うものでもあるのか?福田も小林も馬鹿だが
小林が読まれ続けてることを福田は強調するがそんなの理解してるやつが多いというのとは違うだろ
小林のどーだの哲学を知れたところでなあ。ほとんどの読者は読めてない
小林が読まれ続けてる理由はただひとつ保守派が引用するからだろ(笑) 小林秀雄は若いころマルクス礼賛を書いてるね。
転向派の一人だろうな。
後ろめたかったせいか、処世術や古典に逃げて行った。
福田和也はただの保守好きジャーナリストだから、小林秀雄ですら手に余ってる。 ランボオの誤訳者として有名な小林君か
師匠あるいは辞書が悪かったのかしらないが
ありえない間違いを何か所もやらかしてて
日本語もそうとうに怪しい、というか
日本語をちゃんと理解してたらそんな間違いを
犯すはずかないというのがあるしね
なのに「日本を代表する最高の知性」みたいなことに
なってるんだからこの世は真っ暗闇だな
もし存命なら「死ね」というところなのだが
とうに物故して残念ながらそれは叶わない
とはいえこんなイカサマ野郎がいなくなって個人的には
清々したといえよう
とにかくこいつのひどさを手っ取り早く知るためにランボオを
ホンヤクじゃなしに原文にあたってみることをおすすめする さらにいえば古文の読解力は小西さん(小西甚一)のほうが
あるんじゃないのかね 日野啓三のことはこれぐらいにして、たまたま今、読みかけの時代小説『花と火の帝』を編んだ作家にやはり物故した隆慶一郎がいる。浦田編集委員は隆慶一郎も採りあげている。
60歳で作家デビューし、『吉原御免状』『影武者徳川家康』などのヒット作を次々とものして、わずか6年で逝った時代物の人気作家である。
シナリオ作家としても一流だったのは知られているし、作品の核にフランス文学への深い造詣があったということも同様に知られている。それに歴史家の故網野善彦の研究を取り入れての作品世界だったことも。しかし、何故60歳でのデビューだったのかは知られていない(賞を逸したが、デビュー作『吉原御免状』が直木賞候補だった)。
デビューして早々、既に巨匠の風格をかもしていたとして知られる隆という作家の秘密だ。
小林秀雄だった。
小林秀雄は隆慶一郎の師匠でもあった。隆にとっては「おっそろしく、怖い怖い師匠だった」とのこと。「先生の眼が恐ろしかった。しかられるのがこわかった」
隆に拠る小林秀雄の人物像はこうだ。「それはもう、恐ろしかった。あれは論争なんてものじゃない。大の男がオイオイと泣くまで攻め続ける。はては殴り倒すんだ。あの中村光夫(文芸評論家)さんだって殴られていた」
若くして小林秀雄の知遇を得てしまい、「小説を書いて、この恐ろしい師匠に叱られる度胸があるはずはなかった」と東大仏文の先輩だった中村真一郎の言葉を浦田編集員は紹介している。
中村のこの言葉の意味はよく理解できる。小林に罵倒されたら、以後書けなくなるのは知遇を得ていれば、いやでも分かる。
小説は書きたかったが、シナリオ作家として畏敬する小林秀雄の呪縛のなかで生きてきたということだ。『吉原御免状』が連載されたのは、小林が亡くなった翌年のことだった。 どいつもこいつも買いかぶりすぎなんだよ
それかそいつらが無知無学だったんだろうな 編集者の仕事にも慣れ、いやがうえにも意欲が高まった頃、隆さんはある新人に書かせた単行本の原稿を小林先生の部屋に持参し、これを出したいのですがと許可を求めた。先生は、応接のソファに移り、さっそく読み始めた。しかし、遅い。
四〇〇字詰原稿用紙の最初の一枚から二枚目までに十五分から二十分かかった。二枚目、三枚目も同じだった。四枚目の途中で二枚目にもどり、いきなりその一カ所に人差し指を当てて言った、「この点は、どうして打ってるんだ」、
隆さんは答えた、「読みやすくするためでしょう」、すると先生は、四枚目の一カ所を同じようにさして言った、「ではこの点は、どうしてここに打ってるんだ」、隆さんは、「そこも同じだと思います」、先生の語調が変った、
「なんだと? もういっぺん言ってみな」、「読みやすくするためだと思います」、その刹那、雷が耳をつんざいた、「馬っ鹿野郎、てめえなんざ今すぐやめちまえ!」。
わけがわからず呆然とする隆さんに、先生は畳みかけた、――こいつは頭が悪い、それがわからないか。頭のいい悪いはものを考える持続力だ、こいつの思考は持続してない、ぷつぷつぷつぷつ切れている。ここにこの点を打つなら、この点はここでないといけない。
それが見ぬけないお前はこいつより頭が悪い、お前に本は出せない! それからざっと二時間、隆さんはいかに頭が悪いかを言われ続け、完膚なきまで叱られ続けた。
いやあ、怖かったといったらなかったよ、と隆さんは最後には笑ったが、その怖さは私にもわかった、一度だけだが約一時間、私も先生に叱られ続けたことがあったからだ。
小林先生は、こういうふうに文章を読むんだよ、こんな読み方を目の前でされてごらんよ、おいそれとは書けなくなる、小説を書きたいとは早くから思っていた、だけど先生に読まれると思うと書けなかった、先生が生きていた間は書けなかった、と隆さんは一息に言った。 批評家が学者より賢いふりするのってほんとみてて痛々しい
小林は好き勝手に自分の感じたことを書きなぐってるだけ
その人のこと何も調べずに書く。本居宣長は子安と並んで研究としては最低ランク 簡単に言うと主観に基づく読解に過ぎない
さらに簡単に言うと独断と偏見だ
それ故に断定的であり、最終的には相手の人格否定まがいの罵倒に走る
基本的に強気で断定的なもの言いをする奴が勝つ世界だ
それゆえ知性や品性があると逆に不利になる
論争で相手から急所を突かれても「そうかね?」「俺はそうは思わんよ」
で逃げるか一方的に「××は○○だ(俺はそう信じる)」
で押し通せばすむわけだ
世間ではこういう狷介固陋な人間は嫌われるわけだけど
小心者揃いの文藝の世界だと逆に持ち上げられる
でもまあ、センター試験問題や国語教科書にまで採用されるのはどうかな
まあ、小林に限った話では無く
こういう独断に基づく批評ばかりだけどね 三浦春馬さんの死から考える
https://youtu.be/dvW4fx53MBA
小林秀雄、ハイデッガー、吉本隆明を参照しなから
人間の生涯を考える >>115
小林はただの知の強欲爺さんだったけど、批評家が学者より賢くないというのは当たらないな。
学者というのは、自分の専門領域に特化した思考しかできなくなる人間のこと。
学者が賢いというのはとんだ思い違いだよ。 知の強欲爺さんねえ
ならなんであんな糞訳出して平気でいられるのかね