文学理論 11
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>>132 なんだ、別人か。 それなら用はない。 横から余計なレスするなよw 消費社会だとダメという批判は、資本主義が続く限り無敵のマルクス主義しぐさだな 余計ってのは最悪だな 「変わった」っていうならその指針なり数値なりがあるんだろう まずはそれを審らかにすべきでしょ おかしいんじゃねえの >>134 消費社会がダメかどうかの前に、消費社会とはなんだ? >>135 冷戦構造、消費社会、作られた外部、神話、このどれかひとつを説明できたら相手してあげる。 だから、シラネーヨ 何度も言うが127書いたのはオレじゃねえもん でもお前は127の文章を理解したから 「変わった読み方」なんて言ったんだろ ついでに128も当然オレじゃねえからな で、そこで、もしも理解してないのなら「分かんねーよ教えろ」くらいは言うんじゃねえの だから、オレが答えるべきじゃねえよ >>128 が読解した、>>127 の文章の真意を答えてくれよ 「変わった読み方ですね」と言ってるんだから、128は127の文章をまるまる理解したんだろ その上で「変わっていますね」と言ったワケだ 理解できなきゃ変わってるかどうかも分からんからな >>138 君になにかを教える気はないよ。 勉強する態度もできていない子供には、このスレはまだ無理だ。 年金暮らしのリテラシーないマルクス主義者 から学ぶことはないけどね 新刊紹介くらいか できることは >>140 マルクス主義的には年金暮らしは、ルンペンプロレタリア、もしくは不労所得者に分類されて、マルクス主義者にはなれないんじゃないか?w 口先だけの主義者なんていくらでもいるからな 無駄な議論だ マルクス主義で全てを裁くやつは反米すぎてフィッツジェラルドみたいな作家を捉え損なってきた。 村上春樹は、その隙を巧みに突いたわけだ。 実際イーグルトンなんかも渉猟のセンスが いいんであって、もし某日本共産党員みたいな 語り口だったらゲンナリだわな 特に表象のアイルランドは面白い 批評は文芸としての一面もあるもんね 文学理論自体は、文学とは直接の関係はなくて、 社会学か心理学の一分野だと思ってたほうがいろいろ理解しやすいけど なんにしても収拾のつかないスレだね。 文学理論という考え方の範囲がなんなのかすら、一人一説だ。 それぞれの思い付きが短く披露されるだけだから、論がまったく展開しない。 たまに出てくる本の紹介だけが、このスレの存在意義かな。 ちょっとしたアイディアや思い付きが理論構築には一番重要なんじゃねえの それが大量にバラまかれてるんだから充分じゃん 他人のを単なる「思い付き」とするか「すごいアイディア」と捉えるかの違いだけ つまりは受容するか否かだ こういうスレで理論が展開した例を知らんな もとから媒体を間違っているとしかいえない >>147 「ちょっとしたアイディアや思い付き」が目新しいものなら、まだいいんだけどねえ・・・ 文学理論関係の雑談読むだけだろ アホかw 理論構築したい奴は論文書け >>151 文学理論関係の雑談なんか見て、なにが面白いの? 勉強するのは各自でやってよって感じだな ここは思いつきを書いて批判をもらうくらいが丁度いいのでは こういう掲示板は匿名の雑談でしかなく 学問をするところじゃない そうでなければ理論を展開するスレを 作って仲間を集めるとかな それでも不満な人間は学会に行ってみるとか 研究者に直接メールで疑問を投げればいいだけ >>154 僕の場合は、その研究者や学生や愛好家がどんなことに関心があるのかを知りたいから、このスレを眺めてる。 残念なのは、レスの内容はもちろん、紹介される論文や本もまた、理論というには程遠い分類や雑談の延長しかないことだな。 そりゃあ言語そのものが雑談専用に出来てるからだろ これが普通 文学研究も、この先は、AIで出来ることは人間がやらなくてもいいってことになるだろうから、 結局、印象批評の大勝利ってことになりそう >>158 文学研究のどういうところがAIで出来るの? ゲームの主人公(マリオとかドラクエの勇者みたいな)は、 内面が語られない(外的焦点化されている)からプレイヤーが自分を重ねやすいっていうのは分かるけど 小説の場合、内面が語られない人物よりも、内面が語られる(内的焦点化されている)人物のほうが 読者が自分を重ねやすいのは何でなんだろね? たぶん二人称小説が流行らない理由もそこらへんにあるんだろな そもそもゲームは内面が語られてなくても自分で操作できるからでしょ ゲームや漫画などは内面がセカイやビジュアルや行動として表現されている。 そもそも、すべての表現は(存在するかどうは別として)内面を語るものである。 表現としての映像はたとえ風景であっても(結果的に)なんらかの内面である。 そこまでいいきってしまうとおもしろい。 すでに内面を語っているのにさらに内面を語るとしたら...そちらが外面なのかもしれない。 「表現」とはそもそも「反転」しているものなのかも。 自己投影の型が異なってて、ゲームの主人公と自分を重ねるのは成りきることで、 小説の主人公と自分を重ねるのは演じることなのかもしれない ミメーシスの対義語にあたる言葉ってあるの? つまり、模倣やリアリズムではない、 象徴主義やロマン主義的な表現手法をまとめて呼ぶような言葉 アウエルバッハの話をしたいやつの前フリでは 文献参照できない環境で書かれた『ミメーシス』、 聖書を含めた比喩形象についての論文『フィーグラ』(『世界文学の文献学』に入ってる)、 どちらも超基本書 文献にアクセスできない状態 というのは神話だけど east west mimesis参照 >>166 >>167 ありがとう! 「世界文学の文献学」面白そうだから早速図書館で予約したよ 筑摩から出てる「ミメーシス」だとFiguraは比喩形象って訳語になってるんだね 質問した動機は、劇や小説の「イメージを描いたような場面」を理解したかったからなんだけど、 やっぱああいうのは、比喩とか象徴ってことになるのかなぁ グスタフ・ルネ・ホッケによると、古代ギリシアでは、ミメーシスの対義語はファンタジーだったらしい 文学理論というか言語学の文脈でもはや、文学が語られる方がいいと思う。 発想が40年くらい古くないか? 手元にある「言語学と小説」って本の出版が1977年、「詩学から言語学へ」が1980年だ 文学は量子論の文脈で語られたほうがよくね? 一部はすでに量子論で語られてるけどね。 文学は言語学と社会学どちらかで 語るしかない これは未来永劫変わらない 残されたのはそのミックス加減だけだ 社会学と心理学じゃないの? 言語は突き詰めると認知機能の問題になるから 学問の体をなしてないものをそれ風に語るのってただのナルシスト 無知な子供だまして何が楽しいんだか >>177 残念ながら文系の学問にはそういうものが多い。 特に文学、哲学、経済学は学問の皮をかぶった自己満足。 178 もちろんわかってるよ 突き詰めるとなんて言い方するやつが嫌いなだけ ナルシストは自分にしか興味ないから無害でいいけど ナルシストに劣等感を刺激されて叩く奴は場を荒らすから有害だと思う ノエル・キャロルの批評について 以降の情勢誰かわかる人いる? >>174 物理学で文学を語っても比喩か類推にしかならなそうだけど たとえば、本には引力があるから人を引き寄せる 質量が大きいほど引力は強くなるから、分厚い本ほど人を引きつける みたいな 笑 自分に興味を持つことは不可能じゃないか。そんな認識携帯人間にも どんな生物にもないはず。 文芸批評って、便宜的に、 例えば「物語」とか「意味」とかみたいな、実際には読者の解釈によって生じることを、テクストに含まれている、または作者が生み出しているように表現することが多いから、 不要な混乱が生まれるよね >>187 小説の文章にまったく含まれていない「物語」や「意味」をどうやって読み手の解釈のみで生み出せるの?w 普通なら「読者がそういう風に解釈するように作者が誘導している」だろな >>190 読者の誘導というのは、推理小説限定じゃない? ……限定かどうかは問わないが そういう誘導が、1)テクストに含まれていて、2)作者が産み出せることは、確かだ >>192 それは、その作者の表現ということだろ? 文体といってもいいけど。 意識的に誘導するのが推理小説。 無意識的な誘導というのは、その他のすべてかも知れないが、それをことさら誘導と名付ける理由は特にない。 読者の勘違いを誘発するような 仕掛けは伏線などでできるし 例えば登場人物の人種をはじめ隠して 語り、のちに鮮やかに示してこちらの 先入観を覆すとかそういう技法はある ただそういうプロットではないものに ついては個別の例を挙げてもらいたい >>194 誘導そのものを目的とするのは推理小説限定だよ。 もちろん、推理小説ではなくても、推理的要素を加える作品も多い。 それは誘導ということではなく、物語としての、未来のあるいは過去の不透明性を表現している。 推理的要素と物語の関係がわかりやすいのは、ドストエフスキーの5大小説だ。 >>196 君は、>>194 なの? それとも横から来た人? 推理小説みたいな特殊な例を出さなくても、 自分の意図が相手に伝わるように文章を書けば、それだけで立派な誘導でしょ 相手の解釈を導いてるわけだから そもそも誘導っていう行為は、ふつうは正しい場所に導くことで、 相手を迷わせるための誘導は特殊な例だよな 件の誘導の話で 突然推理を持ち出すお爺ちゃんがバカなだけ 相手にきちんと創作の意図を伝えるように 考えて組み立てるなんて俳句ですら当たり前 ミステリの場合はマジック同様の「ミスディレクション」つまり誤誘導の能力が問われる >>198 >>199 >自分の意図が相手に伝わるように文章を書けば、それだけで立派な誘導 それでは表現を誘導という言葉に変えてるだけになる。 推理小説の場合は、ことさら読者に錯誤をもたらそうとすることが多いから、誘導の例にあげた。 「相手を迷わせるための誘導」が推理小説には多いということ。 浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦の文芸批評の基本的立場を簡潔に説明しなさい 作者の意図や作品成立の背景事情を無視して 自分の主張や関心に合う部分のみ拾い上げて利用する それ作家がやってることだよな 批評家ってもっと公平なものだと思ってた 現象学以降は客観的事実をもとにした統一的世界像の描出ではなく 各主体の心理(関心)に基づく主観の提示の方が評価されるようになった マルクス主義だとこの主観は全体の一部に過ぎず 社会進化という目的に合致したものこそが評価基準であり また対象に過ぎないとされて 一種の疑似科学として猛威を振るったが フランス現代思想ブーム以降はこの構造(科学)信仰も時代の風潮に過ぎず ここから逸脱することが批評の本領なのだ、ということで 批評が一種の創作的役割を果たすようになった まあ、近代小説自体が批評性が強く それ故に作者の意図やそれを取り囲む時代的制約があらわれるものなので 単純に批評ではなく創作をすれば良いだけなんだけどね >>207 仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するのが小説。 仮構された作品世界の中で、人間がどう動いているのかを追求するのが批評。 いわば、現実そのものを対象とする小説に対して、抽象された現実の在り方自体までを対象とするのが批評であるともいえる。 どちらも創造的であると同時に、どちらも模倣的でもある。 人間の表現としては、抽象性が高い批評のほうが理念的であることになる。 ちなみに詩に関していえば、見かけとは逆に、感性をそのまま言葉にしようとする、もっとも抽象性が低い表現ということになる。 小説って 感動する小さい説ところ中心に編纂されるでしょ。大文字文学の方が。 怒りの ブドウが どうなったかは知らないけど 静かな 小麦は 無頼神さ。 研究者って、親亀こけたら皆こけたみたいなことがよくあるけど、 昔の文学研究者で、(今のところ)こけてない親亀に乗れてた人って波多野完治さんくらいしかいなそう >>213 人でいえば、ジャン・ピアジェになるのかな 認知心理学が親亀っていうつもりで書いたけど >>214 ピアジェに限らず、認知心理学自体はこけるほど体系化されてない、というか雑多な研究と思い付きのごった煮じゃないの? 波多野完治は、そもそも文学研究者ですらないんじゃない? >>208 >仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するのが小説。 別にそういう訳でもないけどね 近代小説は特定の政治的主張の宣伝のために ロールプレイングゲームのように役割設定されたキャラクターを動かして 現実批判をしていたのが始まり 人間追及は自然主義以降だよ >>216 どれを想定してるの? 中国では史記の昔から、日本でも源氏物語の昔から、仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求してるんじゃない? 史記は小説ではない。 物語性を持った記録。 定義があやふやではどうしようもないよ。 史記は歴史を小説的手法で語っているのでしょうかねぇ。 逆に小説的手法で歴史をつくっていた大家は本多なにがしでしょうなぁ。 日本の民俗学でもっとも有名な語りの記録は 土佐源氏だと思うが創作という疑惑がずっとあるな そういや >>218 >>219 史記を小説といわない根拠はどこにあると思うの? 仮構した現実の世界の中で、人間がどう動くのかを追求するという僕の定義には当てはまってるけど、もちろん、その定義が違うという反論はあるだろう。 それなら、君の小説の定義を提示しないといけない。 >>216 を小説の起源とする根拠も示されていない。 もちろん、小説の言葉の起源ははっきりしているが、現代使われている小説の定義はそれとは別に、明確にする必要がある。 君たちの定義を聞かせて。 結局、定義次第でどうとでもなるんだから、そんなことはどっちでもいいんだよ こいつバカだろ 小説には大きく分けて2つの意味があるが 史記はどちらにも当てはまらないから 個人的な定義なんか披露する必要はない どうしても小説と言いたい奴が独自定義を 勝手にすることは止めないよw 小説は文学ではないから分離させてもいいだろうに。 文学は定義どころじゃないが。、小説というと、小さい説を寄稿する ような、恋文書の流れが始まりじゃないの。 物語を小説って言い換えて気が付かない としたらリテラシーが足りないww でドイツ語の勉強ははじめた? ものがたる のもの もむつかしいな。物神信仰もあるだろうけど、まもの けだもの じゃないけど少し異常なことを語るような体験が詰まっていて、何か関係なしに そこから現れることが体験できたり追記できたりするところなんかが面白い。 古事記は 日記とか、事始め、太古の詩学のようなものが、現代的な意味では入るだろうな。 太古の詩は酒を飲んだりタバコを吸ったりするとそれがきっかけじゃないんだけどなぜか思い出せるときがあるよ。 甘美なものであってさ。 信金の事件を彷彿とさせるデマの拡散を見るに、口承の起源はデマと嘘とでっち上げ 良いのだけが尾鰭ハヒレを伴ってより面白おかしく延々と語り継がれた 大抵はそれらが神話と呼ばれる >>222 それは文学理論は成立しないという意味? 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read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる