文学理論 11
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>>256
「固定」の対義語は、一般的には「流動」なんだから仕方ない 芥川賞をもらうようなタイプの作品は、詩か小説かっていうと小説だけど、文芸か小説かっていうと小説ではないってことになる 塵芥集以外にも日本の兵法書というか良書があるよ。荷風といった趣のものも。 >>249
正史というのは、史記よりずっと後の考え方だね。 >>263
>正史というのは、史記よりずっと後の考え方だね
そうだよ
小説という考え方もそうだけど? >>263
冥王星も惑星という言葉の遥か以前に
出現しているけどね
もっと言葉を学びなさい >>264
長恨歌は感性をそのまま言葉にしているの?
お爺ちゃんはアタマ大丈夫?
感性そのまま、であるかどうかの判定基準が
ないと詩かどうか判別できないよね
でその基準は?
芸術学をもう少し理解してから物言えな 芸術表現をしっかりと語るには以下が必要
1語学
2芸術学
3実作者であること
たとえば小西甚一は全部揃っているので
説得力があることが書ける
読書が趣味ですなんて糞の役にも立たない
揃っていないバカは謙虚にな ただの荒らしか
どうせ過疎スレだけど、量子君の方がおもしろかったな 今更学部の一年生に文学とは何かを読ませるよりピーターバリー読ませたほうがええような気がするの >>269
バカな団塊左翼がおかしなことばかり
言うから仕方がないよ
俺の知っているネトウヨよりも
リテラシーないんだもん
だから羞恥を植え付けているのだよ >>271
I am ashamed of you. >>270
個人的には
フランケンシュタイン分析の新書だっけ
あれでいいと思う たしかに批評あっさり突き放した感がいいな
真の理論とか定義とかにフォーカスが向かってない
シェイクスピアの十二夜を題材にしたマルクス主義批評は
こうこうでみたいに基本は並べるだけ あのフランケンシュタインの本は
古典文学はもう既に終わった様式であり、
しかしそれでも小説なるものをどうにか蘇らせようとして必死に模造して
ゾンビもかくやたるツギハギだらけになってる現代の文芸を暗喩してるモンだぞ
つまりは壮大な皮肉だ >>277
そういう見方もあるかもだが
俺が評価したいのは
ひとつの古典作品に絞って
多様な解釈を説いたアプローチ
これは入門のアプローチとしてとても優れている 【技術】個人の思考や心を読み取り、瞬時に言葉に変換してくれるデバイスがついに実現 認識精度は90%以上
ttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1522675675/ もう1歩進んで、なぜ多様な解釈が可能なのか、解釈とは何なのかって考えると、認知心理学になっちゃうんだよね
今から思えば、20世紀後半の文学理論の流行って、認知心理学的研究への過渡期に現れた現象だったと思うわ 多様な解釈があること自体に謎はないけど
物語に登場する要素を記号化すればそれら記号を
取捨選択して色々な構図が現れるからね
リアルな社会が描かれているなら階級から読むことが
可能な場合が多いし、作者の経験が反映しているなら
いちいち作者の伝記とパラレルに語ることができる
それが読ませる分析かどうかは知らんが 認知心理学に錯覚の研究がある。
錯視とか勘違いとかも扱うが、信じるとはどういうことかなんていうのも扱う。
人が自分の好みの情報を集めるというところからくる錯覚もあるが、おもしろいのは、呪術などが客観的に見ても当たる、いったことを錯覚として扱えることだ。
小節でいえば、書かれている事柄はすべて、実体験であろうと作者の想像の中のことだ。
それを読者は、自分の想像の世界で動かしてしまう。
ユングが集合的無意識などといいたくなった理由もわかる気がする。
実は、そうした錯覚は文学の世界に限らない。
もっとも自他の区別がつきにくいのが、政治の世界だろう。
政治を織り込んだ文学というものが存在できる理由だ。 今でも、文学理論は体系的にまとめられるべきだっていう考え方ってあるの?
分類学の開祖っていわれてる生物学者・植物学者のリンネは、
進化的に体系になっているものをまとめたから、体系的にまとまったけど、
元々体系的なモデルになっていないものを無理やり体系的にまとめても、
間違いのもとになるだけじゃない? >>284
穴のない体系的な大理論が現実に可能だと
思っている人はあまりいないじゃないかな
やはりなんらかの分類作業を通して理解を
深めるという面が大きい >>284
日本十進分類法のように、作品を分類するのも文学理論のひとつではある。
ただ、その基準がないので、このスレに出てきてる名前の人たちなどが、様々な視点から分類を試みてる。
基準になりかかってるのは、イーグルトンなんだろうか?
分類することでなにがわかるのかは、また別の問題だ。 >>285-286
ありがとう。やっぱりそうだよね。 読書だろ。99ぐらい出るやつ。後は知らないわけじゃないが。 芸術も文学の引用が多いし、ま、音楽にしてもしかり、
芸術って古典血統だから、哲学/文学系のほうがいいのでは。 文学といっても、表現力や描写が問われているわけじゃないし、
芸術みたいに発狂ざたより初凶みたいに意外に定時低速と誤解されている面もあるけど
ま、文学といっても訳語だし、ドイツではよばれようが変わっていて、
なかなかとらえどころのないものですね。理論ていうとオヤジくさいよ批評より、
文士 文僧学 は livtaral 恋士 愛僧 とかひねりの利いたものに
かえられて行ってると思うけど。 アルバム とシングル の違いが日本人にはよくわからないようだ。
アルバムというと、あれ シングルというとこれ、のように想起できますか?
アルコールまで。
本の読みすぎも詩や韻が下手になりますから、邦楽もメロウであほそうな面、
きれいさっぱりやめて、良き恋士 におなりなさい。僧侶は他人のことを考えすぎる
ぐらいでよろしい。 パン ト セレブる。ビッパー締めようかな。ダサいし、点数が一気に上がるのも。 個人的にずっと謎だった「新しい文芸批評の方法」を書いたC.S.ルーイスと
ナルニアを書いたC.S.ルイスは同じ人なのか問題が解決した(同じ人だった)
この本、なぜかC.S.ルイスのWikipediaに載ってないんだよ c s LewisのAn experiment in criticismならwikiの項目があるが、これのことかな。
onlineで読めるようだが。
ハイブロウ、ロウブロウの区別は不毛で、ルイスは優れた本は読み返されるものだが、ハイブロウ高尚好みな読者達が読み返される本を劣ったものとするのは間違いで、彼等は読み返しに値することのメリットを分かってないとする。 >>301
C.S.ルイスは16世紀のイギリス文学の研究がそもそも専門で、自分も最初はナルニア国の人と一致しなかった
エドマンド・スペンサーとかミルトンの精読、アレゴリー・象徴の分析でちょくちょく引用されて出てくる
T・S・エリオットとかF・R・リーヴィス、ノースロップ・フライなんかにつながる重要な批評家で、オックスフォード・ケンブリッジ大学の中世ルネサンス研究の第一人者を30年以上続けていた研究者
ナボコフみたいに、有名になりすぎて本業のルネサンス研究の陰が薄い人だけれど、けっこう鋭い分析が多くて自分にとっては文学研究>宗教論>>>>ナルニア国
立ち位置はエリオットに近いところと対立するところもあって結構面白い人 2000年以降(ここはアバウトでいいけど)に出た文献で、これは読んどけっていう本ある? ジェンダー論、フェミニズム論かな
「男同士の絆」とか
昔は文章は形容詞から腐るとか言われたらしいけど、今はジェンダーの扱いから腐る >>309
形容詞から腐るとか言われた理由と、ジェンダーの扱いから腐ると考える理由を知りたい。 >>310
形容詞のほうは陳腐化するからだろね
ジェンダーのほうは時代とズレるから ジェラール・ジュネットの翻訳って、いっぱい出てるけど、どれが面白い?
「物語のディスクール」と「物語の詩学」は読んだ 構造意味論の古本が3200円で売ってたから、けっこう安くなったな、文庫でも出るのかなって思ったけど
考えたら定価(6500円)の半額で売ってただけだな ジュネット、ブース、チャトマンにしろフィッシュにしろアホみたいに高くてむかつく ちくまと平凡社が興味示さないから文庫にならないのが原因 「記号学的実践」シリーズの版元の水声社は、amazonでは販売しない方針らしい
実は「フィクションの修辞学」とかは、ジュンク堂の販売サイトとかで探すと新品を(もちろん定価で)注文できるけど、ほんとに買えるんだろか? 水声文庫っていうレーベルはあるにはあるんだけど、一般的にイメージされる文庫とは別物だね
学術系の出版社っていうのは、安売りしないおかげで売れなくても潰れないってとこがあるから仕方ないかも >>320
販売先は主に大学図書館とかなんだろうか?
そうだとすると、文系予算の縮小でこの出版社も苦しくなるな。
すべて電子化して、身軽になるしかないのかな? ジュネット死んでも何かやったわけでもないし
かといって他の新規の訳を出すわけでもなし
厳しいなあ 記号論って何だったんだろう
記号なんて、シニフィアンとシニフィエ、あとコードを押さえておけばいいくらいで、
それ以上掘っても何も出てこないのに、盛り上がりすぎだった シニフィアンシニフィエといってもひとつの、企画であって、
どういう風に言語論を語ろうが自由だ。たとえば、アスキーアートと記号とか。 記号論は、ソシュールが最初から言ってたように本来は心理学者の仕事だから
認知心理学に包含されたんじゃないかな
ここ何十年かで、客体としての言語やテクストだけじゃなくて、
ようやく主体としての人間の心理や脳のほうからも文学が研究できるようになったけど
どこまで主体を研究して、どこから客体を研究すればいいのかっていう線引きが、
まだよく分からないんだよね 小説のテクストでは作者が消えてもいいけど、批評は逆に作者=論者の存在が感じられるほうがいい
論者の人柄が感じられない批評を読むのは、面白くない講義を聞いてるみたいなもんで、たとえ言ってることが正しくても退屈だ そりゃ、ミスリードされたんじゃなくて単なるおっちょこちょいだ
何にでも加減ってものがある 一緒に戦おうと言ってくれる仲間の
不意をついて気絶させて自分だけ戦いに赴く
っていう演出の初出は何? 結局、批評理論としての文学理論って、よそから理論を借りてきて文学に当てはめてるだけなんだよな
文学プロパーとしての文学理論は、創作理論以外にないと思うわ 物語論って、なんで物語全体のあらすじみたいなものを分析しようとするんだろう
あらすじの分析手法は細部の分析には適応しにくいけど、
細部の分析ができれば、それをあらすじの分析まで広げていくことは比較的容易だから
やり方が逆だと思う
正しいやり方でやってたのは、シチュエーションという最小単位を研究したスーリオくらいだ 文学空間なんて涙が出るほど影響受けたけどなあ。批評もいいものだよ。 「詩と認知」って、翻訳タイトル詐欺みたいな本だな… >>337
そういう時こそ、図書館だよ。
身近になくても、大学なら大学間で、地元の図書館でも図書館同士で取り寄せられる。 今『文学理論講座』ピーターバリーを読み始めたが、
日本でリベラルヒューマニズムといったら軽いサヨクと
思われるのではないか。 イーグルトンは自他ともに認める「左翼」だけど、バリーは「資本主義者」だよね? バリーはジョゼフヒースやスティーブンピンカーと似た「ポモを小馬鹿にする」スタンス >>342
イギリス系は功利主義が源流だから、大陸、特にフランス思想をバカにするだろ。
自分の国の王室の故郷みたいなもんだから、王室に対する反発もあるのかねw ナラトロジー系じゃあまりポモは見なくなったな
サールだのルイスだのグッドマンだのデネットだの
分析哲学、認知科学が多くなった
そっち系等読まないといけない >>349
流行を追いかけると、きりがなさそう・・・ >>346
ラグジュアリーの文脈ではポモは今もスノッブの嗜み
知的優越という意味では君の指摘は若干当たっている ジュネットやポール・ド・マン比べて何が優越しているの?
もちろんその二人を一緒にしているわけではないが >>352
「ポモ叩きが今はスノッブ」という文脈において
スノッブが知的優越感を持つ人である
という意味ならある程度そうだろう、ということだよ
だから洗練された高級な趣味を掲げる人が好む
対象としては今も英米のポモには一定の力があると
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