文学テキストを建築構造物や織物のように分析しても仕方ないと思うの
漱石が文学論でシェークスピアの作品などを文章効果も含めて
細かく分析してるわけだけ
いわゆる構造論的分析などではなく
漱石はそのためにあの当時繙読可能な英文その他の西欧古典文献を
全て読むことをまで試みた

文学上の普遍的な理論抽出を試みる場合は
その位努力をしなければならないとおもうのだけど
基本的にこの努力もかなり不毛なものだと思う

たとえば文章なんて句読点や改行の仕方ひとつで印象が変わるし
こういう記号使用に創作上明確な目的などないからね
日本語の場合は前後の文字配列のバランスで
漢字・平仮名・カタカナを恣意的に使い分けたりするので
さらに理論化や一般化が難しくなる