純文学5誌総合スレ第63巻目
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純文学5誌総合スレ第62巻目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/book/1500452322/l50
主に「新潮」「群像」「文藝」「文學界」「すばる」に掲載された作品について語るスレです。
「早稲田文学」「三田文学」「江古田文学」「太宰賞ムック」
「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」「たべるのがおそい」掲載作品の話題も可です。
新人賞受賞作 芥川賞受賞作を各論で批評することもOKです。
文芸誌の感想は、書いても書かなくてもOKですが、あるとなお可です。
受賞作決定前の候補作の批評は普通に本人・出版社工作員のステマと見做されますから気をつけてください。
文芸誌の話題にとどまらず、新人賞選考委員の評価・クレームなどもOKです。
さらには文学のありかた、これからの文学は、そもそも文学とは? といった総論や大きなテーマも歓迎です。
応募者の小説のUPや、その感想を書いたり、推奨されていた「まだ見ぬ新人へのエール」は、荒らしが横行しているため
基本的にNGとします。
れつだん先生をはじめ、ワナビやKindle作家の話題は禁止です。
多くの人が理解しうる言葉で書き、有益な議論のできる空間にしましょう。 谷崎賞ここ五年の受賞作
第49回(2013年) - 川上未映子 『愛の夢とか』
第50回(2014年) - 奥泉光 『東京自叙伝』
第51回(2015年) - 江國香織 『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』
第52回(2016年) - 絲山秋子 『薄情』、長嶋有 『三の隣は五号室』
第53回(2017年) - 松浦寿輝 『名誉と恍惚』
野間賞ここ五年の受賞作
第66回(2013年) 保坂和志 『未明の闘争』
第67回(2014年) 笙野頼子 『未闘病記――膠原病、『混合性結合組織病』の』
第68回(2015年) 長野まゆみ 『冥途あり』
第69回(2016年) 堀江敏幸 『その姿の消し方』
第70回(2017年) 高村薫 『土の記』
これを見てさすが谷崎賞野間賞と思うか、なんだこれ何の影響力もない作品だらけだなと思うかで「権威」があるかないかという判断は変わる
ただ文学賞に「格式(笑)」はないよ >>507
知らない人けっこういるし、気にしてない人もかなりいる 297 名前:優しい名無しさん :2018/04/24(火) 18:11:00.41 ID:hHTzrS7Y
この板で知り合ってスカイプした男まじキモかった
統合失調症の陰性らしいけど
ネットの中だと「ワロタwww」とか草生やしたりしたり偉そうなこと言ったりしてるのに
いざスカイプしたら
うじうじうじうじ暗いオーラに包まれてる感じ
じめーねちょねちょみたいな
鬱はうつるって言うけどこっちまで嫌な気分になったわギャップがすごいよね
大丈夫ですか?暗いですね。何かありましたか?って
「統合失調症の陰性で鬱なんですー」
しらねえよ!鬱の割におまえ普段
「ギャハハワロタwwww」とか言ってるくせに
何だネット弁慶かよキモいなって思った
もろ陰キャだよねダッセェキモいわ
332 名前:優しい名無しさん :2018/04/24(火) 18:18:40.32 ID:hHTzrS7Y
でそいつが黙りこくってるからさ
私がお仕事は何なされてるんですか?休みの日は何して過ごしてるんですか?って聞いたら
「ネット…普段。ネット収入。ボソボソ」って
あのーもっとおっきな声でお願いします!いくら統合失調症の陰性だからって言ってそんなボソボソ言われたら何言ってるかわからないんですよ
あなた失礼ですよって言ったら
「働いてません!ネット使って株やアフィしてるけど良くて数万しか収入ないです普段はゲームしてます」って言い出して統合失調症の陰性で鬱なのに
ゲームやパソコンはできるんだなって呆れたわ
382 名前:優しい名無しさん [sage] :2018/04/24(火) 18:26:41.29 ID:hHTzrS7Y
だからイライラして
「へえ統合失調症の陰性で辛いのにゲームやネットはできるんですか?一人暮らしされてるんですか?
てかそんな暗そうに話してるけど楽しいですか?何でスカイプしたんですか?」ってそしたら
「実家暮らし…ごにょごにょ…家賃払うまで稼ぎはない…ごにょごにょ」だから私言ってやったの
「こっちは鬱だけど働いて一人暮らししてるんです!あなたそれ仕事とはいいませんよ。そんな程度のネット収入は高校生のお小遣いと変わらないですよ
ちゃんと考えた方がいいんじゃないですか
働けニート」 スカイプァー?サイファ世代は 日本酒に貝柱でもいいのになあ。カニの腱とか。 芥川賞中毒者が狂ったか 笑
知名度はさておき、芥川賞が一番ゆるい賞でなんなら、野間新以下である事実は変わらん 16年12月の新潮に掲載された『息子と狩猟に』はどの賞の候補にもならなかったのに書籍化された途端に三島賞
これは併録作が優秀なのかな 文學界2018年6月号 雑誌 – 2018/5/7発売(尼より)
商品の説明
内容紹介
▼新作長編一挙掲載
平野啓一郎「ある男」(550枚)
▼カラーグラビア&インタビュー
ディーン・フジオカ「日本とインドネシアの絆=v
▼新連載
石川九楊「河東碧梧桐――表現の永続革命」
▼インタビュー
熊野純彦「いま、なぜマルクスか?」 文春のサイトに「飛ぶ孔雀」特設サイトがオープンしてる
文藝春秋は本気で売り出すつもりじゃないかな >>328
もう亡くなってしまったけど、群像の評論のほうの賞取った田中弥生もこの先生の生徒だったらしい。
小説家志望だったのかな。 【産経新聞文芸時評】5月号 早稲田大学教授・石原千秋 「二重思考」の果てに
http://www.sankei.com/life/news/180429/lif1804290028-n3.html
下北沢の本多劇場で、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出『百年の秘密』(キューブ)の再演を観た。
ケラさん(我が家ではこう呼んでいる)十八番(おはこ)の、文脈を外した発話で笑わせる「文脈外し」の小技もなく、
珍しく人情もの(?)である。初演も観ているが、ロラン・バルトが「文学は再読しなければならない」という
趣旨のことを言っているように、芝居も初演、再演と観るとまた味わい深い。
ベイカー家の娘・ティルダの夫が妻の親友・コナと犯したまちがいを、100年の時を行きつ戻りつしながら
明かしていく少し複雑な趣向だから、再演を観てはじめてわかることもあった。ティルダを演じる犬山イヌコは、
幼女から老女までをみごとに演じ分けて、初演の時からあんなにうまかったかしらと感嘆もした。
こんなことを書くのは、「受賞作なし」に終わった文学界新人賞の選評を読んだからだ。
あらかじめ候補作を発表する芥川賞であれば、「受賞作なし」は失礼だし、歴史の記録としても受賞作を出すべきだと思うが、
新人を世に送り出す新人賞は、深手を負わせない配慮からときにはこういうことがあってもいい。
候補作を読んでいないからその当否はわからないが、選評は厳しいものばかりだ。もっとも厳しいのは東浩紀。
5編の候補作すべてが、読者が苦労して読むのが当たり前と言わんばかりの「傲慢」な姿勢で書かれていると言うのである。
この指摘はよくわかる。僕は、無名の大学院生が「『三四郎』論」などというタイトルで論文を発表したなら、
それは謙虚なのではなく傲慢だと書いたことがあるからだ。『百年の秘密』の、時を行きつ戻りつする構成を楽しむのは、
それがケラさんの芝居だからでもある。 (続き)
「ナルシシズムを一顧だにしない鈍さに脱力する」と書くのは川上未映子である。
「ナルシシズムに一顧だにしない」でなければおかしい。前にも書いたが、川上未映子はこのほかに新潮新人賞の選考委員。
かつての吉行淳之介のように「文壇の人事部長」になってほしくはない。
いくつもの文学賞が同じ人物の選考基準で計られるのは文学にとって不幸である。そのことをよく考えてほしい。
もう一つ芝居の話。新国立劇場でジョージ・オーウェルの有名な小説『1984』の舞台を観た(演出・小川絵梨子)。
「ビッグブラザー」の支配する党が徹底した監視社会を作り、処刑や拷問によって言論や思想を統制する。
党の手先・オブライエンを演じる神農直隆の艶があって通る声とスッと伸びた背筋が無機質感を漂わせて、美しい処刑人のようだった。
原作は1949年に刊行されているが、いまもこういう国はあるようだし、処刑や拷問による支配という手法は、
芸術としても陳腐化している。この作品のキモは、言葉の意味のブレを最小限に切り詰める「ニュースピーク」という言語統制にある。
「ニュースピーク」では「ふたつの相矛盾する信念を心に同時に抱」(高橋和久訳『一九八四年』ハヤカワepi文庫)
かせる「二重思考」によって、その一方を消し去る心理操作を行う。こうして記憶と歴史を改変するのである。
村田沙耶香「地球星人」(新潮)は、人間の生殖行為を異化し続けてきた村田文学の索引のような趣がある。
自分をポハピピンポポピア星人だと信じる貴世(きせ)と従兄弟(いとこ)の由宇(ゆう)(宇宙という字を連想させる)と、
セックスをしないことを知って結婚した貴世の夫・智臣の3人が主な登場人物。
人類は、子供を産む思想に取り憑(つ)かれて「人間工場」を営む「地球星人」にまで異化され、
最後には3人はそれぞれを食べる共食いを始める。それほどできのいい作品ではないが、
これはまるで「宇宙人と地球星人」を「二重思考」のように対比させ、
「地球星人」の存在意義を消し去る手法だと言っていい。村田文学のテーマと手法までも明かした索引と呼ぶゆえんである。 川上はたしかにどちらかを辞めるべき
多様性がないと面白くなくなる 毎日新聞文芸時評
4月 私のおすすめ 大澤聡(批評家)
会員限定有料記事 毎日新聞2018年4月25日 東京夕刊
(1)川上未映子『ウィステリアと三人の女たち』(新潮社)
(2)横田創『落としもの』(書肆汽水域)
(3)小谷野敦『東十条の女』(幻戯書房) ウィステリアって面白いのかな?
尼のレビューで酷評だらけだが >>545
新潮掲載時に読んだが、特別おもしろくはない。
まあまあ。普通。 千秋がそれほど出来は良くないとした作品を傑作ともちあげる褒め屋佐々木
毎日の書評は今月もアベガーアベガー 誰が見ても川上さんは「文壇の人事部長」になれるもんならなってやるっていう人だと思うのだけど だからそれが最悪って話
権力を誰かが持つのは仕方がないにしても
それならば極力分散させなければならない
なぜなら、文学の多様性の確保とそれを構築維持できる体制を整えなければならないから
こうした前提を無視して「論壇の人事部長」なる権力を志向するとしたら川上が嫌う家父長制の権化であるところの石原あたりとなんら変わらん 最後の4、5作品から選ぶ選考委員を変えても
応募作の数%までしぼる一次の下読みがかぶりまくってるっていうんだから
現行の新人賞に多様性なんて期待できないでしょ 一次選考は作品として成り立ってたら通す
傑作が一次で落ちるのはまずありえないと
下読み担当経験者は異口同音で言ってるが 一次に作品として成り立ってないものが多数あるってこと 例えば円城塔の作品を石原みたいな下読みが読んだとしたら絶対に一次で落とされるよ
そもそも一次で落ちたその次の作品で新人賞取った作家がいる時点でねぇ >>556
だから多様性が必要なんだよね
一次だろうが最終だろうがそれは同じなのだから ダンボールで一箱分の原稿用紙の山
真面目に読んでたら正直一ヶ月で終わる気しない
なんせ本来の自分の仕事が終わったあとのバイトだからな
掛け持ちしてたら月に二箱、三箱とかくるわけだ
真面目にやってる人はすごいよ真面目にやってる人は
最終の選考委員との格差はんぱねえw 小説の体を成してるものを書くのもセンスなんだろうが、
せっかく受賞して一本〜数本で消えた新人はなんだったんだろう。
ふと思うんだが、新人賞受賞作って本人のピークに持ってきた奇跡の一作だったって人が多いのか?
だとしたら公募制度の在り方を考えないと。
奇跡の一作で芥川賞とったら後が苦しいのではないか? >>559
そりゃ名前出して「私は不真面目にやってます」という人間はいないからね
面倒くさいけど出版社との義理のために仕方なくやってる安いバイト
しかも手を抜いても誰にも分からない
俺なんかには到底真面目にできないね
もしくは初めの数ページ見て好みじゃなかったら「これはひどい」ということにして次に移るw 新人賞のwiki見ると歴代受賞者ほとんど消えてて笑う
別に純文学に限った話でもないけど 崔実さんも消えてしまうのかな
二作目遅すぎじゃね? >>561
自慢にならないことを自慢するのは
良い心掛けではないね
文芸誌もビジネスであり商売であるんだから威張れることじゃない
そういうところで商業主義を否定するのは構わんけど
プロ作家とは根本的に相容れない それ思った
文学への愛とは言わんが、>>561からプロフェッショナリズムはまったく感じないね すばる2018年6月号 尼より
【新連載】
島田雅彦「君が異端だった頃」
谷崎由依「遠(とお)の眠りの」
【小説】
春見朔子「転写か翻訳」
【特集「歩く」】
青木淳悟「池袋東口側特集‼ ひよこ狩りの午後――池袋、PM2:00+PM1:00」
岩城けい「海岸にて――オーストラリア、シップレック・コースト、PM5:00」
しまおまほ「ばんちゃん、歩く――世田谷・弦巻、PM6:30」
瀬川深「「多様性」の中庭から――コネチカット、PM3:00」
藤野可織「「イエス、イエス」と迷子の日――アイオワシティ、PM6:00」
山内マリコ「見えないバトン――渋谷、PM7:00」
山下澄人「14778――奥多摩、AM11:30」
【講演】
水村美苗「「世界文学」と「日本近代文学」」
【対談】
佐川光晴+成田龍一「ファミリーヒストリーが浮かび上がらせる近代日本史」
【文芸漫談】
奥泉光+いとうせいこう「島尾敏雄『死の棘』を読む」
【すばる海外作家シリーズ】
マドレン・ティエン「錬金術」(訳+解説 佐藤アヤ子) 新潮とすばる、文學界はTwitterに新号の表紙載せてるけど、群像はそれはしないのね。
あくまでも当日発表にこだわってる? すばるの特集歩くのラインナップで短編がつまってればな
中堅作家どもは創作するパワーがないのか 源一郎が話題になるっていってた新人賞、全然話題になってないんだが 芥川賞は5月末までの作品だったかな
食べおそあたりがそろそろ取るかね えぇ…
全然話題になってないじゃん
いつもの焼畑農業より質が悪いよこれじゃ 群像新人文学賞の野崎歓の論評を読むにコネ臭のパターンがするのだよね
朝吹のときと同じで ゴロウデラックスに例の小説教室の先生が出るんやな。 ゴロウデラックスって完全にジジババ向けゲストしか呼ばないよな 【文芸月評】剥ぎ取られる文明 日常の本質があらわに : 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/news/20180424-OYT8T50022.html?from=tw …
村田沙耶香「地球星人」(新潮)
水原涼「干潮」(すばる)
水原涼「少年たち」(文芸)
澤西祐典「雨とカラス」(たべるのがおそい)
高橋弘希「送り火」(文学界)
新庄耕「サーラレーオ」(群像)
「地球星人」の特質として人形、針金の指輪、迎え火など、子どもを取り巻く情景を魅力的に描くこともつけ加えたい。
子ども時代には、単に無垢むくという意味ではなく、社会に馴化じゅんかされる以前の人間の生な感覚や世界がある。
多くの作家が人間の本質を探る時、立ち返るのはこのためだ。
気鋭の水原涼さん(28)が「すばる」に短編「干潮」を、「文芸夏号」に中編「少年たち」を発表した。
自らの出身地である鳥取が出てくる両作では、より幼い時代の記憶をにじませた前者にひかれた。
祖母の通夜に出た<私>が、7歳の頃に死んだ祖父や祖母の記憶などを、潮が満ち引きするように思い出す。
病床につく祖父の家に泊まりに行く場面がいい。寝たきりの祖父の姿を見て、思わずプレゼントされたランドセルを抱きしめる。
宿泊用の着替えの下着を入れたそれは、妙に軽かったという。思い出すとは、愛することだと感じさせた。 (続き)
澤西祐典さわにしゆうてんさん(31)の「雨とカラス」(たべるのがおそい5号)は、南の島で切腹を図った若者が発見され、
しかも彼が旧日本軍の残兵と従軍看護婦の孫だったという話。彼の人生に何があったのか。美しい自然と海、
家族に囲まれた輝かしい幼年時代とそれらが反転するまでを振り返る。明澄な文章で、途方もなく哀切なほら話を書き上げた。
一方、思春期の中学生を主人公にした「送り火」(文学界)を執筆したのは、高橋弘希さん(38)だ。
青森の田舎で暗い情熱を持て余す少年たちの心と体の動きを細密画のように刻む。思春期の男子は、
1年で急激に背が伸びるように異様な生命力がみなぎる。
彼らの内にまだ未消化のまま残る、子どもの飼いならされていない欲望や衝動が、過剰なエネルギーにより歪ゆがめられ、
暴発する瞬間に触れた。
新庄耕さん(34)の「サーラレーオ」(群像)は、バンコクで麻薬の売人となった男を描くハードボイルド風の一編。
一線を踏み外した人間の思考の支離滅裂さも捉えられている。(文化部 待田晋哉) >>571
読んでみた。またもや震災ネタの小説だった。
悪くはないが、絶賛てほどでもない。文章がエンタメ向きのような気がする。
作者の書きたいことをうまく震災にからめて書いたっていう感じ。
これから受賞目指すワナビは読んで参考にするのもいいかも。
震災、東北ネタブームはまだまだ続くようだ…。 読売の記者が書く文芸時評は何の意味も無い
一頃の大げさでバカっぽい表現はましになったかな
突っ込みがいのボケをかますという点でまだ佐々木敦のほうがまし 文学が震災を描かずしてどうするという使命感は分かるが、こうも新人が震災ものばかり書くとそれはもう震災頼りになっているだけではないだろうか てか震災を利用して自分の書きたいことを書くってのはどうなのかと >>590
戦時中の経験を利用した作品も世に溢れているんだから似たようなものじゃないか? >>591
戦争はもう半世紀以上の時が経過しているが震災は直近すぎる
傷の癒えていない当事者もまだたくさん存在していて倫理的な配慮が必要なことは言うまでもない
『想像ラジオ』はその倫理的な葛藤を押し出していたし、その他の作品も震災自体がメインであって
自分の言いたいことを言うために震災を利用する類の作品はほとんどなかった
今回の作品は安易に震災を利用してしまった感じは少し受ける
見るー見られる関係の図式は古典的で震災を使わずとも表現できただろう 見るー見られる
所有するー所有される
著者本人がモデルという職業をしている以上、イメージ論、表象文化論、メディア論の文脈では基本とされる感覚を普段から感じていたことは明らかだろう
ジェンダー論とも密接に絡みあってはいるがこれをわざわざ文学でやる意味はあったのだろうか そして、その「所有」の倫理性がひっかかりとなる
仮にこのモデルの人が被災地出身だとしたらそこには何の問題もなかっただろう 不幸の種類はいくらでも転がっている
その中から震災が選ばれてこぞってネタにされている
スルーされてる不幸はいくらでもある
本当に作家どもは3.11が好きだねえ
震災の被害者が書いてくれよ 戦争が半世紀前の出来事じゃないわけじゃないの?
日本は遠征好きの人が多いし、交戦中の方が中途半端や低ランいないと思う。
震災の最中こそ、戦争じゃない時であって、後は延々とやってくれればいい。
内戦という問題に取り組んだ世代もいるし、ま、平和の高さからして
まだ届かずかな。人が殺されることより、傷つくことが平和の意味なんです。 日本語が不自由すぎる
ここでいう戦争とは太平洋戦争や朝鮮戦争であって、内戦その他諸々は遠い地域での話だ
例えば、その太平洋戦争や朝鮮戦争が在日コリアンの"いま"に繋がっているというのなら話はわかる
しかしこれは全国民的な経験であって、皆が当事者といえるもの
東日本大震災、特に被災地での経験というのは全国民的なものとは言えない
それはホロコーストが世界的な経験ではあっても、その実態を語りうる者が当事者しかいないということに似ている 文学でやる必要のあるものとやる必要のないものの違いを教えてくれや 本当にホロコーストの実態を語りうる者が当事者しかいなかったなら、
世界的な経験にはなっていなかったでしょう 話は違うけど、川端賞は保坂だってよ。どうでもいいようだな
あと、今月号の文学界の巻末予告にあったけど、
来月号は春樹の新作小説3本掲載だって ホロコーストは他人でも語れるだろうけどそれはあくまでも伝聞のペラペラなものでしかないと思う >>602
そんな情報とっくに話題に上がっただろと思って遡ってみたけど誰も触れてなかった
やっぱり終わってるなこのスレ >>603
ケルテース・イムレの「Holocaust as culture」(英訳版)は非常に示唆に富む
彼は「当事者であっても語れなさ」を見据えて、映画版「運命ではなく」への関与について語ったのだった >>604
情報にあげるまでもないと思った。
俺的には興味ない。
興味あるひといる?春樹、保坂好きなひとこのスレにいるのかな。 >>606
保坂と春樹には興味ないけど、川端・野間・三島の三賞を誰がとったかは興味ある 神戸に住んだこともありジョギングが好きなイギリス人に村上春樹がボロクソに批判されているな。
1 ムラカミの世界では奇妙なことが起こるが重要な意味はない。奇妙なことが起こること自体を価値だと思わない
2 ファンの集まりでムラカミの魅力を聞いても「雰囲気がすき」など漠然としたものばかりで誰もその価値を説明できない
3 1Q84はオーウェルの1984の6倍長いがそんな価値があるとは思えない
4 カフカ的という言葉は世界で使われるがムラカミ的という言葉は絶対に使われることはないだろう
5 無駄に長い。長さに見合った価値があるだろうか?
村上春樹の小説を僕が苦手な理由−一読者としての私的作家論
◆ コリン・ジョイス/村上春樹、著書「1Q84」
ニューズウィーク(2018/05/15), 頁:24
『ニューズウィーク日本版』 2018.5.15号(5/ 8発売)
https://www.newsweekjapan.jp/magazine/212722.php
特集:「日本すごい」に異議あり!
文学 村上春樹の小説を僕が苦手な理由
Edge of Europeコリン・ジョイス
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