『美しい顔』を読んだが、受賞者のことばの「弁明」がすべてだと思った。

震災とモデルをしていた本人の心情を混ぜて、物語を構築している。
作品全体からある種のエネルギーは感じる。文章に疾走感はある。この辺は『ジニのパズル』と同じだ。
主人公サナエと弟ヒロノリの関係も見ていて微笑ましいが、全体として会話の雰囲気や物語の流れ、そしてメッセージはどこかエンタメチックなものだ。

この物語に疾走感をもたらしているのは確かに文体だ。だが、そこに陥穽がある。

東北の沿岸部は東北のなかでも訛りが強い場所で、そうした訛りを用いられないところに違和感があった。著者の想像力の限界もそこにあったのだろう。
こういう厄災を描きたいのなら石牟礼道子の『苦界浄土』のように徹底的に地元の言葉でやる覚悟が必要だった。
そこを徹底させることができなかったから、主人公サナエの思考が「被災地とは別な場所のもの」に留まっている。
著者自身が作品に登場してしまうといってもいいかもしれない。
そこを著者も自覚できているからなのか、被災地の描写がいちいち過剰になる。過剰さでリアリティの欠如を覆い隠そうとしている。
この過剰さに選考委員たちは気づかないはずがないのだが、
被災地など知らない「インテリで都会的な」選考委員たちしかいないので、仕方がないのかもしれない。